五十六話
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束ねた髪の先を握り、ぴんと張ったそこに刃を当てた。ジャリッという感触とともに、乾燥パスタ一人ぶんほどの髪束が落ちたが、サリヴァンは顔をしかめてナイフを置く。
「……これ、けっこう頭皮が痛いな」
「だからそう言ったじゃん。大人しく、たち切り鋏で一気にジャキッとしちゃえば良かったんだ。神様も供物になる髪を何で切ったかなんて気にしやしないよ」
「……フェルヴィン製の鋏ならいっか」
すかさず、椅子に逆向きに座ったジジが、帆布を切るための大きな鋏を差し出す。
「片手じゃ無理だ。お前がジャキッとやってくれ。結び目の間を切るんだぞ。あと、なるべく一本も落とさないように。十一年溜め込んだ魔力だ」
「分かってるし、こんなにギトギトに油を塗ってあったら落ちません」
「頼むぞ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっと失敗してもキミは十分男前だから」
「ほんとに頼むぞ! 」
「まかせて。ボクの器用さは折紙付き……あ」
「あって何だよ!? 」
ふと、閉じていた扉が蝶番の悲鳴を上げながら、ひとりでに開いた。条件反射のように立ち上がった二人は、そう広くもない寄り合い場を見渡す。
ジジがそっと扉を閉めた。
扉の外は風一つ無く凪いでいて、濃い霧がみっしりと世界を白く染めている。
「……ただの風か? 」
そう呟いたサリヴァンの言葉尻には、まだ疑念が滲んでいた。
「そういえば、ジジ、あっちはどうだった? 」
サリヴァンが尋ねた。
「なんとも言えない」
剃刀で毛先を整えてやりながら、ジジは短く答える。
「あの火の玉があるのはだいたい五千メートル上空。そこから止まって動かなくなった」
「いずれ落ちてくるだろうな」
「なんでそう思うの? 」
「勘」
「論理的に」
「魔術的根拠を述べる」
サリヴァンは椅子から立ち上がって、暗い部屋を出た。
ここは港近くの、漁師の寄り合い場のような場所である。埠頭の先の黒い海も、青白い霧が立ち込めて、厚い白い布団がかかったようになっていた。
壁の煉瓦の小さな出っ張りに足をかけ、サリヴァンはするすると屋根の上に上がり、霧の切れ目に顔を出す。
海を背に、城を見上げた。
空が燃えている。
「あの炎の怪物は叡智の炎を身に宿している。鍛冶神の炉にある火、命すら生み出す無限の燃料だ。種火になったのは、語り部の銅板。薪になったのはアルヴィン皇子の首から下の体。『魔術師』とやらが最初からこの状況が目的だったと仮定すると、これは大掛かりな魔術儀式だ」
「何の儀式? 」
「結論を急かすな。いいか? アルヴィン皇子は生贄だ。そして生贄は、アルヴィン皇子じゃなきゃいけなかった理由が、たぶんある。逆算して考えるとな。ここは最下層。最も冥界に近い場所で、今まさに冥界に落ちかけてる。……まず、この海層を冥界にする意味はなんだと思う」
「ごはんがいらなくなる」
「『魔術師』の側で考えろ。答えはシンプルだ。『そのほうが近くなるから』だ」
「わかんないんだけど」
「だから急かすなって。いいか、『審判』でフェルヴィン皇国は冥界に近づき、死者たちが溢れる。本来、それをどうにかするのが、『選ばれしもの』たちの最初の試練なんだと思う。『審判』の号令を上げる『皇帝』になる資格があるのは魔女の墓守であるこの国の国王だから『冥界を閉ざす試練』というのは理にかなってる。そこを『魔術師』は利用した。『魔術師』の目的は、『冥界と地上を繋ぐこと』だ。じゃ、繋いでどうする? 」
「……死者蘇生? キミが、苦手な反魂の儀式を成功させたように、冥界と地上が繋がると、魂を呼び出しやすくなる? 」
「それだ。あの炎の怪物はそいつが宿る器だと考えると、儀式の形式は取れている。……さっきの卵から出てくる皇子の動き。ダッチェスを襲っただろ? あれは、『銅板』が欲しかったんじゃないか? 叡智の炎が足りないんだ。ミケの銅板は割れてしまったから」
「銅板は三分割された」
「そう。そして魔術師は、それを全部、あの怪物の中へくべたと思ってる。一番小さな三番目の欠片は、レイバーン帝が隠し持っていてここにあるのに」
「うん。で、アルヴィン皇子でなきゃいけなかった理由は? 」
「『皇帝』を継承させなければならないグウィン陛下を除いても、この国には四人もいる。その中で、アルヴィン皇子だけが選ばれた理由は、『先祖返り』だ。歴代の皇帝ではなくジーン帝を選んでよみがえらせたのも、確実に『先祖返り』と呼ばれる体質を持っているから。グウィン陛下に訊いたら、王家の血筋で特別な特徴を持った人物をそう呼ぶだけで、詳細はわからないが、アルヴィン皇子とジーン帝には共通する何かがあるんだろう」
「ああ、なるほど。サリー、分かったよ。ほら、あの『黄金船』で、船が入ってくるやつの名前を呼んだだろ。それと同じなんじゃないかな」
「と、いうと? 」
ジジは立てた指をくるりと回した。
「『先祖返り』って言葉をそのまま取るなら、アルヴィン皇子とジーン帝は、先祖の誰かと同じ体質ってことになる。じゃあそれは誰? ってことでしょ。誰かを蘇らせたいのなら、その『誰か』は、アルヴィン皇子たちの先祖なんじゃないの。それで、それってサリーの先祖でもあるよね」
サリヴァンは、ごく、と唾を飲んだ。
「……それ、誰だと思う? 」
「知らないよ。語り部に訊いてみれば? 」
「ってことで、わかる? 」
「え~っ! そんなのわかりませんよぉ! 」
ジジにたずねられて、トゥルーズはぶるぶると頭を振った。
「マリアはどう? 」
物静かな女語り部は、静かに述べた。
「条件は、現アトラス王家と直系で繋がっていること。フェルヴィンの巨躯を受け継いでいない人物。それってアトラス王家と婚姻したフェルヴィン以外の血筋の可能性もありますよね」
「条件が少なすぎますよぉ! うちの王家、ご存じないかもしれないですけど、三千五百年の歴史があるんですよ? 歴代皇帝だけでも二百人を超えてます! さすがのメモリ大容量の記憶力を持つ僕らでも、もう少し無いとォ」
「だよなぁ」
サリヴァンは頭を搔いた。
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