五十二話
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ヒューゴが唾を飲む。
今、再び、この講堂へと足を踏み入れようとしている。あれが遠い昔のようだ。
荘厳なあの石の扉は、片方が外れて横たわっていた。
扉に刻まれた巨神アトラスも倒れ伏している。踏み越え、暗闇と静寂に包まれた地下の講堂へ、サリヴァンを先頭にして、グウィン、ヒューゴと踏み入れる。魔人たちは、それぞれの主の影へと消えている。影の中からようすを伺っているだろう。
しかし、三人が動揺したのはそのありさまにではない。
中央に鎮座する禍々しい黒鉄の奇像と、その前に座り込む、老人の亡霊の姿。背を向け、奇像を見上げている姿は、拝礼のようすにも似ている。
しかしここは、もはや神聖な場所では無く、悲劇のあとの残骸になってしまった。
その奇像は、黒鉄でできた無数の手が、足が、胴が、頭が、絡み合い、溶けあって、いびつな卵にも似た、ひとつの大きな塊になってできている。
それはあまりに醜悪。
埋め込まれた顔たちが、穏やかにも見える無表情だというのが、逆に異様さを際立たせている。
サリヴァンがグウィンと視線を交し、頷いた。……亡霊と対話を試みても良い、という合図だ。
「父上……? ここで何が……」
レイバーンは疲れたようすで首を振り、近寄る息子たちに向き合った。
「……すまなかったな。サリヴァン、きみも……」
「いいえ、陛下。巻きこんだと思われたのなら、それは違います。おれはきっと、爺さんの代わりでもあったんです」
「ありがとう。……今更だが、きみに会えてとても嬉しい。息子たちを助けてくれてありがとう」
「お約束は、果たせましたか」
「ああ……。確かに果たしてくれた」
レイバーンは目を閉じて頷いた。
「……グウィン、ヒューゴ」
そして目を開けた時、レイバーンの青い瞳は、冷徹な皇帝の瞳に戻っている。
「よくぞ無事に戻った。話すことがある」
そう言って、レイバーンが息子たちに片腕を広げて歩み寄ろうとした、そのときだった。
不吉な音がした。
カツ――――ン……。
その音は、広間にやけに大きく響いた。
カツ――――ン……カツ――――ン……カツ――――ン……。
その場の誰もが息を殺し、『それ』を見た。
悪趣味な、黒い卵のようなオブジェが、小刻みに揺れている。音はオブジェが動くことで、石畳を瓦礫が叩く音だった。
空気が漏れる音が、そこから漏れている。
フゥ――――……と、溜息や、寝息にも思える音が。
ズッ、と、黒い卵は身じろぎした。少しだけ、石畳をこすって卵は前進する。
ズズッ……目を見張る一行の目の前で、それはまた少し、歩を進めた。
黒光りする表面に、うすく赤い光が漏れる。
鼓動にも似た、赤い点滅。
高い天井に届くほどに大きなそれの――――内側で蠢くもの。
崩壊は一瞬だった。黒い卵は前のめりに倒れ、瓦礫の上に横倒しになった。その瞬間、ほんとうに卵の殻が割れるようにあっけなく、枷は破られた。
「レイッ! 危ない! 」
レイバーンは、ダッチェスの腕が、突き飛ばすように自分に伸ばされるのを見た。
生前ならば、ダッチェスは絶対にレイバーンに手を伸ばすなんてことはしなかっただろう。ダッチェスの中で変わった何かが、レイバーンを助けようと、とっさに身体を動かしたのだ。
レイバーンの青白い輪郭に伸ばされた小さな手は、しかしその魂の中心を突き抜けるだけだった。ダッチェスの金色の瞳が、レイバーンの右目の横で大きく見開かれる。
金色の燐光をまとった彼女は、しかし、まだ実体を保っていた。
その黒衣の腹を、爛れたように赤く焼けた棘が、刺し貫いている。
(……あたしの、ばか……っ! )
「―――――ダッチェス……ッ!!! 」
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