四十一話
「アルヴィン・アトラス様。わがあるじ。運命とはつかみ取るものではございません。向こうからやってくるものです。歴史上数々の英傑が、英傑たる者になったきっかけとは、運命という暴走車に正面衝突されたようなものでございます。そして、危機となれば救けの手がどこぞより降ってくる。……ですから貴方は、この身勝手なミケに、勝手の『手』に救われて生き続ける運命なのです。いいですか、私は今から、とても残酷なことをします。貴方は傷つくことでしょう。傷が癒えた後も、ふとした時にミケがいなくなって、困ることもあるでしょう。貴方から見える現実は、物語のように脚色されません。数々の心無いものたちが、貴方の心を挫かんと待ち伏せています。しかしどんな困難も、これを乗り越えた先にいる貴方なら、何一つとして恐れることは無い」
ミケの手がアルヴィンの手を取った。痛いほど握り締めてくる手を同じだけの力で握り返し、アルヴィンはそっと瞼を開けた。
(おまえのそんな顔は見たくなかったよ)
「アルヴィン様は類まれなるイケメンで、勇敢で優しく、頭がいい! アルヴィン様の語り部であることは、ミケの最大の誇りなのです」
瞳から溢れてくるものがある。
「……ミケ。僕はおまえの声が好きだよ」
「自慢じゃありませんが、わたしはアルヴィン様が生まれたときから全部が好きですよ」
「……ああ。僕はなんて弱いんだろう」
顔をぬぐい、顔を上げて早くも見慣れた鐘を見上げる。その向こうに、城があり、山があり、空が見えた。
(死ねなくなってしまった)
どしんと重いものが、喉を通って胸に落ち、腹に収まる。語り部ルナに救われた英雄コネリウスも、こんな気持ちだったに違いない。
アルヴィンは何があっても生きなくてはならなくなった。ミケが誇るような人生を送るよ、と誓うこと。それは今のアルヴィンにとってどんなに難しいことか。
けれど、ここで逃げるという選択は、留学先から逃げ出したあのときよりも悪くない。苦しくても、その先にあるものを踏み越えていけば、必ず目の前の魔人は喜ぶと分かっているからだ。
アルヴィンは鐘を見上げた。
「……時間だ」
「はい」
「何のだい? 」
頭の後ろで、低い男の声がした。
(ばかな、いつから)
振り返った先、塔の外。空中に、赤い蓬髪の男が犬歯を見せて笑っていた。体を青い炎が取り巻き、男はそれを踏みつけて飛んでいる。アルヴィンが鐘に飛びつき、杖をつかんで引くのと、男が具足に包まれた腕を伸ばしてアルヴィンの襟首をつかむのは、ほんの一瞬の差でしかなかった。
息が詰まり、アルヴィンがくるしげに呻く。
一回目の鐘の音が響くなか、男は獰猛に口を開けて笑いながら塔の外壁を乗り越えた。
「アルヴィン様! 」
屋根から影色をした大蝙蝠が羽を広げて男に襲い掛かる。男が煩わしそうに軽く右手を振って蝙蝠の被膜を破くと、ミケはこんどは鋭い爪を持つ猛獣へと身を転じ、太い脚を持ち上げて男に覆いかぶさった。男は、掴んだままのアルヴィンをぐい、と引いてミケに向ける。ミケは主人の体を盾にされて、とっさに猛獣から無数の蝶に変じた。
二回目の鐘。
「小賢しいなぁ! 」
男は鐘に負けない声で叫んだ。「小賢しいガキは、だいっきらいだ! 異教徒の、小賢しいガキは、もぉおおっと嫌いだ! 」
異教徒。
もはや物語の中でしか聞かない言葉だ。ではこの男は、僧兵なのかとアルヴィンは思う。
赤毛の虎のような男は、アルヴィンをつかんだままの左腕を、ぐん、と持ち上げた。丸太のような腕にぶら下がったアルヴィンの足が、慣性でなびくほどの力。それを、揺り戻しで戻ってくる鐘に向けて突き出すようにした。
「アルヴィン様ッ! 」
――――ああ、死ぬ。
三回目はひしゃげたような、いびつな音がした。
「……ミケ」
「小賢しい……」
男が獣の威嚇に似た唸り声を、喉の奥で響かせる。
鐘を背負うようにアルヴィンをかばう、大きな質量を持った影。ミケはその瞬間、自分の中に確かに広がりつつあった崩壊の罅が、稲光のように根を張っていくのを感じた。
「小ォオオ賢しイッ! 」
激高した男が、癇癪のように腕を上から下へ叩きつける。そこにあったのは、アルヴィンの頭だった。
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