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【完結】星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
後編 灼銅の魔人

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四十話

 ●


 おそらく六日目が来た。


 ひどい悪夢が尾を引いて、脳幹の奥を締めあげている。

 いつか地面に砕かれた右肩の骨は、もうすっかり治っているはずなのに、にぶく感覚がなくなるときがある。

 ここに来てからというもの、正確な時刻は分からなかった。食事と、眠りについた回数で測っている。何時だろうと部屋は明るく照らされていて、しぜんと眠りは浅くなった。


 今日だ。アルヴィンは思った。兄たちは、一日にひとりずつ連れていかれている。


 ……次は自分だ。


 アルヴィンは二度寝する気も起きず、姉の背中を感じながら寝台で壁を睨んでいた。

 そのときだ。


『アルヴィン様』

「ミケ」

『声を出さずに、言葉を』


 ミケは、ことのありさまを語った。父は毒に斃れていくばくもないこと。ミケは誓約を破り、消え行くさだめにあること。それまでに、ダイアナとともに二人を逃がす算段をつけていること。


『申し訳ありません。あなたの継承権を、ミケの勝手で失うことに……』

(そんなこと、どうだっていい)


 そう。本心からどうだってよかった。王になりたくはないし、王になれるとも思ったことはない。

 アルヴィンは涙の味がする唾を飲んだ。そして、頭の中にあった計画を、実行するべきだという確信を持った。


(姉上だけは、確実に逃がさなくてはならない。……それこそが皇子である僕の使命だ)


 ドアが開くのは、一日にきっかり三度。朝食を運んでくる深い緑色のローブの何者かは、必ず食事が終わるまで扉の脇に直立で張り付いている。

 朝食が終われば、奴がアルヴィンを連れて行くことが分かっているので、ヴェロニカは小鳥が啄むようにスプーンを口に運ぶ。初日に食事を突っ返して反抗したヒューゴ兄が、引きずられるように連れて行かれたことはまだ記憶に新しい。

 一口ごとに毒を飲むような顔で食事を進める姉を前にして、アルヴィンは食器を置いて立ち上がった。


「……アル」

 ヴェロニカが、優しく垂れた眦を釣り上げて弟を見る。いつもの弟たちを叱りつけるときの表情だったが、ひどく青ざめて、頬骨のラインが頭蓋そのものの形を思わせるほどに強張っている。白く握りしめられた手の中で、握った銀食器がぐにゃりと曲がったことにアルヴィンは仄かに笑う。本来の姉は、肉体的にも精神的にも兄弟でいちばん強靭な人間だ。


「姉上。ぼくに任せて座っていて」


 姉が見上げてくる。噛み締めた唇から血が滲んでいる。ぶるぶると体を震わせて、彼女は冷たく燃え上がる怒りの衝動に耐えていた。

 王族は、しかるべき時に死ぬことも役目であると知っている。アルヴィンは扉の前に立つ給仕係に向かって、「ミケ」と声をかけた。あらわれた語り部に、ヴェロニカが目を丸くする。


「姉さんが寝ているあいだに、ダイアナとミケが一緒に帰ってきていたんです」

 アルヴィンは事の概要を説明する。とちゅうからミケが話をかわり、詳細な計画が明かされた。

 ヴェロニカは、きっと反発するだろう。だから、ミケの消失が近いことやアルヴィンの意図は隠して、ただ『二手に分かれて逃げる』と説明するよう打ち合わせていた。


 アルヴィンは給仕に連行されるふりをして、牢を抜け出す。時間差でヴェロニカもダイアナとともに脱出だ。後に引けなくなった段階でダイアナから説明があれば、ヴェロニカは涙を飲んで、城に戻る選択を捨てるだろう。


 アルヴィンの足は、しぜんと駆け足になった。語り部しか見つけられない古代の隠し扉をくぐり、物陰に身を隠しながら、時機を見る。

 アルヴィンは陽動である。つまり囮だ。


 目指すのは、海に面した端の城壁にある鐘楼だった。大きな黒い鐘があり、その音は首都の端まで届く。それが鳴れば、けして無視できるものではない。


「つ、ついた……」

「アルヴィン様。ここは見通しが良すぎます。早く塔の中に」

「わ、わかったよ」


 フェルヴィン人の仕様の階段は、小柄なアルヴィンには一段一段が高い。上りきったときには、汗みずくになっていた。

 久しぶりの海風が、濡れた顔を撫でる。

 息を整えながら、アルヴィンは海と、街の明かりに魅入った。


「……よし」


 鐘を鳴らすための杖が、塔の端に立てかけられている。これを鐘の留め具に引っ掛け、引くことで、鐘の音が鳴るのだ。

 アルヴィンはミケに杖を引っ掛けてもらい、手を伸ばして天井からぶら下がる先祖伝来の鐘に触れた。


「……頼んだよ」


 警鐘は三回と決められている。肌がびりびりと揺れるほど高い音に、アルヴィンはひるみそうになった。揺れて戻る鐘を、三回目で止めなくてはならない。それにも杖をぐっと引き、ゆっくりと元の位置に戻すのだ。


 踏ん張るアルヴィンの両手の間を縫うように、ミケの手が添えられた。振り子になっていた鐘がぴたりと停止し、ゆっくりと戻される。

 耳の奥でまだ鐘の音がしていた。肩で息をして垂れてきた汗をぬぐい、はっと我に返る。塔から見えるかぎり、まだ人影はなかった。


(どうしよう。すぐに逃げる? でも、もし鐘の音が地下の奴らに聞こえていなかったら)


「もう一度だ。時間をあけて、もう一度鳴らすぞ」

「アルヴィン様! でももう逃げなくては」

「ここは見晴らしがいいから、誰か来たらすぐ逃げるか隠れるかすればいい」


 アルヴィンは塔の外壁に目を向けた。靴底三枚ぶんほどの段差があり、そこなら足場になるだろう。アルヴィンの体躯なら、海側の壁を選んで身をかがめるだけで十分隠れられる。


「僕はやるぞ、ミケ」

「……はい。お供いたします」


 次は半刻後にすると決めた。塔は音が響く。上ってくる足音があれば気づくだろう。ミケは警戒のため、隠形して塔の屋根の影からあたりを見張る。


「……城門のほうに民が集まってきています」

「そうか。あたりに敵の影は? 」

「ありません。まだ」

「そうか」

「……アルヴィン様。勝手をしてすみませんでした」

「そうだな。たしかにそうだよ。……お前は勝手に死にかけてる」


 アルヴィンは膝を抱えて、視界にあるものすべてを睨みつけた。


「 語り部の『舌の誓約 第二条』には、『語り部はあらゆる虚偽とごまかし、曖昧で誤解を招くような文言を禁ず』とある。知ってのとおり、僕は誓約をぜんぶ覚えてるんだ」


 ミケはくすくすと笑った。

「我々は意志ある魔法……生命あるものではありません。魔法は解ければ、宇宙の法則に戻るだけ。それは死ではないのですよ」

「今さらぼくが……兄さんや姉さんが、お前たちをそんなふうに見ているわけがないだろう? ……意思があるなら、それは命というんだ」

「貴方様なら、そのように仰ると思っておりました」

「主人を泣かせておいて、何がおかしいんだ。ぼくはもう十四歳だ。こんなところで泣いてる場合じゃあないのに……くそ」

「……アルヴィン様」

「……ききたくないなぁ」

「お願いです。きいて。これがきっと最後なのです」


 アルヴィンは黙った。声に聞き入るために瞼を閉じた。


読了ありがとうございます。

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