三十二話
グウィンは、九番目の主人と別れたあとの語り部がどうなるのかを知らない。
しかし予想はできる。きっと、あの地下深い、冥界に最も近い大図書館の闇の中で、永い眠りにつくのだろう。
ダッチェス自身が、他の語り部たちの銅板にそうしたように、魔女の造った装置として稼働することはあっても、きっともう、ダッチェスがダッチェスとして、グウィンたちの乳母がわりのときのままで存在することは、永劫無いのだろうと予感する。
父レイバーンの影には、姿はなくとも必ず彼女がいた。彼女が幼い少女の姿をしているのは、父の中の幼児性があらわれた結果だと知っていたが、グウィンたちは父に少年のような心を感じたことは無かった。
厳格というほど叱られた覚えも無い。しかし歯を出して笑っている顔を見た覚えも無い。
無口で、不器用で、頑固で、不愛想で、壁のようにいつも人に囲まれているのに、孤独をはらんだ人だった。長子として、その孤独にもどかしさを感じていたが、結局その影を薄くすることが出来ないまま、今日を迎えてしまった。
ダッチェスという語り部は、陽だまりのような人だ。幼いころに感じた印象は、再会してもちっとも変化しなかった。
大人になった今、子供の時には感じなかった疑問を抱く。
(こんな語り部がいながら、父はどうして、あんなにも孤独だったのだろうか? )
すべての真実は、父自身と、この語り部の中にしか無いのだろう。
語り部とはそういうものだ。
どんなに親兄弟と過ごそうとも、語り部との時間と密度にはとうてい敵わない。語り部の中には、生まれた時から一瞬も切り取られていない父の姿がある。
悔しかった。
こんな形で、父と別れるはずではなかった。もっと話をするべきだった。無口で、不器用で、頑固で、不愛想で、壁のようにいつも人に囲まれているのに、孤独をはらんだ人だった。
それなのに、不思議と父の愛情を知っていたのは、いったいなぜだったのか? 遠い幼い日、母がまだいたころに、抱き上げられたことを覚えている。夢ではない。きっとヴェロニカとケヴィンも覚えている。ヒューゴはまだ小さくて、覚えていないだろう。
長子として、父の孤独にもどかしさを感じていたのに、何もできなかった。あの愛情を覚えているのに。
ああ、どうして父は、自分に与えた思い出を、弟たちにも与えてくれなかったのか。そうすれば何かが違ったのかもしれないのに。アルヴィンは、もしかしたら。ヒューゴは、ケヴィンは、ヴェロニカは。
どうして。どうして……。どうして――――。
その疑問の答えのすべてが、この一冊に収められているのかもしれなかった。
ずっしりと、赤ん坊ほどにも本は重い。
きっと国を背負うという事は、これより比べ物にならないほど重いのだろう。
グウィンは、モニカに逢いたいと思った。これから戦いにおもむく自分に、彼女の一言が必要だった。
無理とわかっていても、家族を失った分だけ重くなった身体には、彼女の持つものが必要だった。
そんなグウィンの悼みも迷いも、傍から見れば、瞳によぎる微かな影と、分からないほどの沈黙でしかなかった。
グウィンの鍛えられた精神は、すぐに儀式の進行へと意識を向ける。
ダッチェスは、光に解けかけた手を後ろでに隠し、見届け人であるサリヴァンへ道を空けた。
サリヴァンの額の脂汗はひどくなる一方である。眼鏡ごしに、下目蓋が痛みにこらえるように痙攣している。
(……儀式はまだ終わらないのだろうか)
あとは最後に立会人の宣言をするだけのはずだ。だというのに、いっこうにサリヴァンの口から宣言の言葉が出ない。
じりじりとサリヴァンの口が開くのを待った。
「――――戴冠は、成された……」
やがて擦れた声で、サリヴァンが言った。
《 ピッ 承認 》
「……我が名において、また……青き魔女の名において。審判の名において承認する。此処に、新たなるアトラスの王が起つ。そして、」
『そして』?
(その先にそんな文句があっただろうか)
進行を知っている弟たちにも緊張がはしった。サリヴァンは震える手で、縋るように持った杖を自身の額に押し当て、グウィンの知らない文句を口にした。
「――――戴冠は成された。我が名を得たり。我がさだめを得たり……
我がさだめは『教皇』。審判の名において選抜された、知恵授かりしもの……」
《 ピッ 条件を達成しました 》
《 『教皇』の出現 》
《 宣誓を 》
背後で、絹擦れの音とともに、小さな悲鳴が聞こえた。
耐え切れず振り向くと、あの小さな魔人が、マリアの腕の中で崩れ落ちている。それらの光景が見えているのだろう。睨むように顔を上げ、サリヴァンは早口で文句を最後まで繋げた。
「『教皇』として【認証】! 我が名はコネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト。ここに【宣誓】する! 」
《 ピッ 【教皇】の【宣誓】を受諾。記録しました 》
船が低く唸りを上げる。
《 条件を達成しました 》
床にいくつもの汗が落ちる。
「……教皇の名において、ここに、『皇帝』の戴冠を宣言、」
サリヴァンの体もまた、魔人ジジに続いた。
「す、る――――」
首から力が抜けるように、四肢が崩れていく。
グウィンはすかさず逞しい腕を差し出して、少年の体を受け止めた。しかし支えるグウィンの体も、どっと何かが抜けてしまったような疲労感がある。
「彼はどうしたんだ! 」
「招かれたのでしょう」
「どこに」
「お気になさらなくとも大丈夫。いずれ目覚めますわ」
ダッチェスはからりと言って、全員に退出をうながした。こんどは皇子たちから、足早に船を出て行く。
最後尾になったグウィンは、隣を歩くダッチェスにたずねた。
「ダッチェス。ぼくは、ちゃんと出来たのだろうか……? 」
「案ずることはございません。完璧、でしたわ」
ダッチェスは、晴れ晴れとグウィンに微笑んだ。
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