三十話
本日更新ぶんで、前半終了となります。
明日からは、深夜と朝の二回更新となります。
よろしくお願いします。
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ソファと安楽椅子とテーブルを移動し、広くなった『書斎』で、ダッチェスは中心に立ち、うんと腰を伸ばした。
「いよいよ始めるわよ。……準備はいい? 」
「いつでも」
相対するグウィンは微笑んで頷く。隣に立つサリヴァンもまた頷いた。女語り部の不敵な微笑みはなりを潜め、スッと雰囲気が変わる。
「独立端末、語り部のダッチェスが【フレイアの黄金船】へ要請。【フェルヴィン皇帝の戴冠】モード起動」
《 ピッ 【語り部】からの要請を確認しました。【フェルヴィン皇帝の戴冠】モード起動を受諾。》
《 【デウス・エクス・マキナ】シナリオが起動されています。》
《 ピッ 条件を達成しました。 》《【ホルスの目】より指示。》
《 これより【終末王の戴冠】シナリオを起動します…… 》
ヴヴン……と部屋全体が唸りを上げる。
《 起動を確認。オールグリーン 》
「これより、前任レイバーン・アース・フェルヴィン・アトラス皇帝の代理として、製造番号06独立端末ダッチェスによる『皇帝』継承の儀を行う」
《 認証。エラー。前任レイバーン・アース・フェルヴィン・アトラス皇帝の魂魄を確認。条件を満たしていません。完全な継承を行うには、前任者からの継承の儀を推奨します。 》
「それが出来ないから言っているのよ。代理として、製造番号06独立端末ダッチェスによる『皇帝』継承の儀を、再度システムへ要請。――――権限を寄越しなさい! 」
《 ピッ 要請を確認。継承権限の一部を、製造番号06独立端末名ダッチェスへと移行。 》
《 ピッ インストール開始。82%起動成功 》
《 継承の儀を開始します 》
「……殿下、レイバーンの魂がまだこの世に縛られている以上、あたしでは完全な継承の儀にはできません。ただし、その問題は、レイバーンを冥界へ送ることができれば自動的に解決します。死者の冥界落ちという大いなる神々が定めたシステムには、どんな外法も対抗できません。その時点でレイバーンの魂は『魔術師』から自動的に解放されるはずです」
「……不正に交わされた契約には、正当なる契約で対抗するしかない。先にぼくが不完全でも正式に『皇帝』を継承していれば、形勢は引っ繰り返せるということか」
『そのとおり』というように、ダッチェスが頷く。誰もが息をひそめ、じっと彼女を見つめた。
「―――――『皇帝』代理。語り部ダッチェスが告げる。
”これは大樹の根の一角を統べるもの”
”原初の巨人の踵”
”祖は地を支えしもの”
”女神に言祝がれしもの”
”罪科の魔境アトランティス”
”あるいは堕ちた光の国アルフフレイム”
”あるいは、神話に新しき再生の島、フェルヴィン”
”我があるじ、レイバーンの代理人として、語り部ダッチェスが継承の儀を執り行う”
異論あるものはいるか? 」
《 受諾 》
「よろしい。……”我が名はダッチェス 屍に寄り添うもの”」
そこから始まる文言は、『語り部』のみならず『魔人』なら必ず持っている、存在をあらわすための呪文。魔術の詩歌だった。
「”硝子の靴を履き”
”葬列の末尾を踊ろう”
”涙を真珠に変えて撒き”
”野ばらの戦士の旅路を飾ろう”
”言祝ぐ詩はいずれ蒼穹へと刻まれる”
”硝子の棺は光なき場所へ収められる”
”しかしその上には永遠を誓う野ばらが茂り”
”わたしが共に横たわる”
”数多の言葉を墓標としよう”
”わたしは屍に寄り添うもの”
”九度の愛”
”九度の誓い”
”死も時もわたしとあなたを別たない”
”わたしはあなたに寄り添うもの”
”あなたを永遠に変えるもの”
”わたしの名は、語り部ダッチェス”
”あなたの葬列を言祝ぐもの”
古き王から新しき王へ。わが主、レイバーン・アトラスに変わり、ここに『皇帝』の宣誓を返上する。わたしは―――――」
そのとき、『船』が大きく揺れた。
「……来たな」
その女は、黄金船の屋根の上に立ち上がり、『それ』と対峙していた
まとわりつく風が女の――――アイリーンの黒髪を舞い上げる。右へ左へ大きく揺れる足場にも関わらず、足裏を張り付かせたようにアイリーンは仁王立ちし、神聖な継承の儀の邪魔をする不埒者を黒煙と爆風の中で出迎えた。
冥界と地上を穿つ長大な縦穴が、黒煙を吸い上げていく。
互いの姿を認識したのは同時であった。耳鳴りを重ねたような、不快な声色で『それ』は言った。
「……あれまぁ、陰王じきじきの御出座とは。ずいぶんと豪勢なことだ」
象と蟻のような体格差だった。
馬に似た、されどあまりに醜悪な頭。油光りする頭から背にかけての黒い皮膚と、膿んだような黄色い腹、まとわりつく硫黄の臭気。背中の皮膜は大きく広がり、羽ばたくたびに空気を掻き混ぜる。
アイリーンは乱れる髪を掻き上げ、その怪物を見据えた。瞳が火種を得たように赤みを増し、真紅へと染まっていく。
「……アポリュオン。深淵の蝗か」
昆虫のそれに似た歯列の奥で、アポリュオンは低く哂った。
アイリーンの真紅の瞳は、炎のそれというよりも、滴る生き血の色だった。アポリュオンの瞳は、さらにそれよりも数段濁った赤をしている。
アポリュオンは奈落の王と呼ばれる。
冥界が冥界として整地されるよりも以前、深淵に巣食った怪物を母とし、太陽神の血を受け、人類終焉のおりには、配下とともに人類世界の文明を食らう役目を担われた、『黙示録の天使』の一人にして、今もなお冥界より深い場所の王として君臨している存在。
こうして直接冥界の火の粉を浴びるなどは、奈落の王にとっては、産湯を浴びるに等しい。そこから来る自信は、小山ほどもの巨躯から収まり切れずにあふれていた。
対する『陰王』。それは、彼女の人間としての身分だった。その本性たる時空蛇は、アポリュオンよりもさらに古い、世界創造そのものに関わる、いにしえの存在である。
「しかし、いくら時空蛇の化身といえど、貴様は人間にすぎなかろう。……我が相手をするには、その矮小な身では荷が重いのではないか? 」
そう言って、アポリュオンは含み笑った。
「……」
アイリーンは僅かに眉を上げるのみで黙し、手の中の懐中時計をズボンのポケットへしまうと、シャツの襟を正して、崩れた袖を肘まで捲り上げる。視線すら相手を見ていない。火傷のあとのある、女にしては逞しい腕をいくらか露出させると、細いため息を吐いた。
アポリュオンはなおも蔑む。
「……その矮小な人間の姿でも変わらぬな。何を考えているのか。何を求めるのか。そもそも貴様に何かを求める意志はあるのか。海の底で寝そべるだけの、いにしえの怪物には、渇望する願いなど無いのだろうと思っていた。しかし貴様は『混沌の夜』において、ただの人間の女に加担した。……なぜ? 」
「簡単なことだ。時空蛇にも渇望はあった」
「その渇望を、あの魔女が埋めたというのか? ただの人間が? 」
「彼女はわたしに未来を示した。わたしは彼女の示す未来に恋をしたのだ」
「恋? 恋だと!? 混沌の兄弟たる時空蛇の口から、よりにもよって『恋』!? 」
「……なにを驚く。神々も色恋にうつつを抜かしてきたではないか。そもそもあらゆる物事は、『混沌』より生まれし兄弟。我が子、孫たちだろう」
「それは屁理屈というものだ。時空蛇よ。金の矢に右往左往する神々と貴様では、おおいに違うであろうよ」
「アポリュオンよ。このわたしは時空蛇ではない。アイリーン・クロックフォードという、ただの人間。下町で夫の帰りを待つ、一児の母さ」
アイリーンの顔に、滲むように微笑みが浮かぶ。柔らかく緩んだ目元とわずかに差した頬の血色に、アポリュオンは「なぜ……? 」と困惑を隠せなかった。
醜い馬頭が、ゆっくりと振られる。やけに人間くさい仕草だった。
「――――アポリュオンよ。わからぬなら退くがいい。今の貴様は、ああ、確かに。わたしを捻り潰すには容易いだろうさ。わたしは人間。貴様は奈落の王アポリュオンだ。しかし、わたしは愛のために戦っているのだ。この足の下には、加護する愛弟子たちがいる。愛をかかげて戦う以上、どんな敵であっても退く気は無く、どんな手を使ってでも、この船を守らねばならないと決めた。この船は、我が親友、かの魔女の棺でもあるのだからな」
「……陰王よ。これまでの無礼を許せ。貴様は、このアポリュオンが知る中で、最も尊敬すべき人間となった。しかしな……王と呼ばれる人間よ。人間とは、まことに純真から『愛のため』に戦うことは無いのだと、このアポリュオンは知っているのだ。人間の王よ……哀れな古老の化身よ。……『愛のもとに』戦うというあなた様は、その動機を持ち出せる貴方は、『人間』ではない。怪物の心を捨てきれない、ただの成り損ないにすぎないのではないか? 」
「ふん」アイリーンは鼻で笑った。
「理解しているとも。人はもっと複雑だ。『愛』などという不確かな報酬では、全力を出せない欲深さを持っている。……しかし忘れたか? わたしは時空蛇の化身であるぞ」
アイリーンは首をそらして、尊大にアポリュオンを見下ろした。唇が吊り上がり、赤く濡れた咥内で舌が踊る。真紅の瞳はらんらんと輝き、髪はゆらゆらと逆立った。
「……想像してみるがいいぞ若造! 虚無より生まれ、もの言わぬ混沌と相対し、それを教育するという途方もない事態を! 時すら飲み込み、自らが整地した世界が滅ぶ未来を予見する。そのおぞましさを、貴様に想像できるのか? 絶望のなかで眠りに落ちたそんなわたしに、我が朋は語り掛け、わたしが見えぬ未来を示した。その意味を! すべてを変える鍵をもたらしたのは、 異なる世界からいずれ訪れるという、一人の男の存在! 朋はわたしに教えてくれた!この体は、あの男を手に入れるために創り上げたものだ。アポリュオンよ! 順番が逆なのだ! 時空蛇にも渇望はあったのだ。忘れていただけで!
わたしは、あの男の創る未来を渇望した!
その未来に恋をした!
彼を夫とし、子を成し、そして今!
わたしは、わたしが数億年求めた『わたしの知らない未来』を手に入れようとしている! 時を呑み込んだあの時から、満たされることがなかった渇望を忘れるときが、今そこに来ているかもしれない、というそんな時に!
アポリュオンよ! 理解は及んだか! わたしの『愛』とはいかなるものか!
わたしは『人間ではない』? 上等だ。時が歩み始めたと同じだけの時間、わたしは苦しんだのだぞ。そんな時を知っている『人間』がどこにいる? 今もなお不安を抱え、怯えているのだ。
しかし『未来への不安』という一点の感情においては、わたしはあらゆる人間と感情を共有している! これは神々では抱かぬ感情だぞ! 人間は何代も、この渇望に耐えているのだ!
どうだ、貴様にこの人間を弑することができるか! 彼らは貴様らがとうてい知りえぬことを知り、それに耐えるすべを知っているのだ!
アイリーン・クロックフォードは人間であるぞ!
さあ、アポリュオンよ! 退くか! 殺すか! 貴様にその覚悟があるというのか! 」
アポリュオンは沈黙した。人の心は、彼には及びもつかない。いずれ神々が鉄の世代の人類を消滅させると決定すれば、配下とともに食らうものと定められている生物の在り方など、アポリュオンは見下すだけ見下し、深く知る必要を感じていなかった。
相対するこの人間の女は、ただの人間の女ではない。
時空蛇の化身―――――いや、それ以上だ。
ともすれば、時空蛇はこの、自身の分身だけでも生き永らえることを望むのだろう。だって、時空蛇本体のままでは、望む『未来』とやらを歩めないのだ。この矮小な人間の肉体は、かの時空蛇の(『人間』流にいうところの)『夢』を託されている。それがわかった。
胸の内に、悲壮な焦りが芽吹いていた。アポリュオンが一度しか知らない味をした感情だ。
――――人はこれを、『不安』と呼ぶ。
はたして『夢』破れた時空蛇の怒りを、アポリュオンは受け止めきれるのか?
相手は混沌の片割れ。時を呑み込み、大地を成した原初の怪物。深淵の底で生まれ出でた母よりも古く、強大な力を持ち、しかしそれを使わずに蓄えてきた存在。
そんなアポリュオンに、時空蛇の化身は優しく促した。
「……退きなさい。アポリュオン。いまここで、わたしと戦う利は貴様には無いとわかったはずだ。強大な力だけで打ち据えようとも、次に待つのは、強大な『意志』のみによる行使だと、もう理解しただろう。世界はまだ人間に味方している。この世はまだ滅ぶべきときではないのだ。わたしが『愛』を掲げて戦うことが、まだ出来る世界なのだから! 」
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