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【完結】星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
前編 シリウスの魔術師

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31/71

三十話

本日更新ぶんで、前半終了となります。

明日からは、深夜と朝の二回更新となります。

よろしくお願いします。

 ●


 ソファと安楽椅子とテーブルを移動し、広くなった『書斎』で、ダッチェスは中心に立ち、うんと腰を伸ばした。


「いよいよ始めるわよ。……準備はいい? 」

「いつでも」

 相対するグウィンは微笑んで頷く。隣に立つサリヴァンもまた頷いた。女語り部の不敵な微笑みはなりを潜め、スッと雰囲気が変わる。


「独立端末、語り部のダッチェスが【フレイアの黄金船】へ要請。【フェルヴィン皇帝の戴冠】モード起動」


 《 ピッ 【語り部】からの要請を確認しました。【フェルヴィン皇帝の戴冠】モード起動を受諾。》

 《 【デウス・エクス・マキナ】シナリオが起動されています。》

 《 ピッ 条件を達成しました。 》《【ホルスの目】より指示。》

 《 これより【終末王の戴冠】シナリオを起動します…… 》


 ヴヴン……と部屋全体が唸りを上げる。


 《 起動を確認。オールグリーン 》


「これより、前任レイバーン・アース・フェルヴィン・アトラス皇帝の代理として、製造番号06独立端末ダッチェスによる『皇帝』継承の儀を行う」


 《 認証。エラー。前任レイバーン・アース・フェルヴィン・アトラス皇帝の魂魄を確認。条件を満たしていません。完全な継承を行うには、前任者からの継承の儀を推奨します。 》


「それが出来ないから言っているのよ。代理として、製造番号06独立端末ダッチェスによる『皇帝』継承の儀を、再度システムへ要請。――――権限を寄越しなさい! 」


 《 ピッ 要請を確認。継承権限の一部を、製造番号06独立端末名ダッチェスへと移行。 》

 《 ピッ インストール開始。82%起動成功 》

 《 継承の儀を開始します 》


「……殿下、レイバーンの魂がまだこの世に縛られている以上、あたしでは完全な継承の儀にはできません。ただし、その問題は、レイバーンを冥界へ送ることができれば自動的に解決します。死者の冥界落ちという大いなる神々が定めたシステムには、どんな外法も対抗できません。その時点でレイバーンの魂は『魔術師』から自動的に解放されるはずです」

「……不正に交わされた契約には、正当なる契約で対抗するしかない。先にぼくが不完全でも正式に『皇帝』を継承していれば、形勢は引っ繰り返せるということか」

 『そのとおり』というように、ダッチェスが頷く。誰もが息をひそめ、じっと彼女を見つめた。


「―――――『皇帝』代理。語り部ダッチェスが告げる。

 ”これは大樹の根の一角を統べるもの”

 ”原初の巨人の踵”

 ”祖は地を支えしもの”

 ”女神に言祝がれしもの”

 ”罪科の魔境アトランティス”

 ”あるいは堕ちた光の国アルフフレイム”

 ”あるいは、神話に新しき再生の島、フェルヴィン”

 ”我があるじ、レイバーンの代理人として、語り部ダッチェスが継承の儀を執り行う”

 異論あるものはいるか? 」


 《 受諾 》


「よろしい。……”我が名はダッチェス 屍に寄り添うもの”」

 そこから始まる文言は、『語り部』のみならず『魔人』なら必ず持っている、存在をあらわすための呪文。魔術の詩歌だった。

「”硝子の靴を履き”

 ”葬列の末尾を踊ろう”

 ”涙を真珠に変えて撒き”

 ”野ばらの戦士の旅路を飾ろう”

 ”言祝ぐ詩はいずれ蒼穹へと刻まれる”

 ”硝子の棺は光なき場所へ収められる”

 ”しかしその上には永遠を誓う野ばらが茂り”

 ”わたしが共に横たわる”

 ”数多の言葉を墓標としよう”

 ”わたしは屍に寄り添うもの”

 ”九度の愛”

 ”九度の誓い”

 ”死も時もわたしとあなたを別たない”

 ”わたしはあなたに寄り添うもの”

 ”あなたを永遠に変えるもの”

 ”わたしの名は、語り部ダッチェス”

 ”あなたの葬列を言祝ぐもの”

 古き王から新しき王へ。わが主、レイバーン・アトラスに変わり、ここに『皇帝』の宣誓を返上する。わたしは―――――」

 そのとき、『船』が大きく揺れた。




「……来たな」

 その女は、黄金船の屋根の上に立ち上がり、『それ』と対峙していた


 まとわりつく風が女の――――アイリーンの黒髪を舞い上げる。右へ左へ大きく揺れる足場にも関わらず、足裏を張り付かせたようにアイリーンは仁王立ちし、神聖な継承の儀の邪魔をする不埒者ふらちものを黒煙と爆風の中で出迎えた。

 冥界と地上を穿つ長大な縦穴が、黒煙を吸い上げていく。

 互いの姿を認識したのは同時であった。耳鳴りを重ねたような、不快な声色で『それ』は言った。


「……あれまぁ、陰王いんおうじきじきの御出座とは。ずいぶんと豪勢なことだ」


 象と蟻のような体格差だった。

 馬に似た、されどあまりに醜悪な頭。油光りする頭から背にかけての黒い皮膚と、膿んだような黄色い腹、まとわりつく硫黄の臭気。背中の皮膜は大きく広がり、羽ばたくたびに空気を掻き混ぜる。

 アイリーンは乱れる髪を掻き上げ、その怪物を見据えた。瞳が火種を得たように赤みを増し、真紅へと染まっていく。


「……アポリュオン。深淵のいなごか」


 昆虫のそれに似た歯列の奥で、アポリュオンは低く哂った。

 アイリーンの真紅の瞳は、炎のそれというよりも、滴る生き血の色だった。アポリュオンの瞳は、さらにそれよりも数段濁った赤をしている。


 アポリュオンは奈落の王と呼ばれる。

 冥界が冥界として整地されるよりも以前、深淵に巣食った怪物を母とし、太陽神の血を受け、人類終焉のおりには、配下とともに人類世界の文明を食らう役目を担われた、『黙示録の天使』の一人にして、今もなお冥界より深い場所の王として君臨している存在。


 こうして直接冥界の火の粉を浴びるなどは、奈落の王にとっては、産湯を浴びるに等しい。そこから来る自信は、小山ほどもの巨躯から収まり切れずにあふれていた。

 対する『陰王』。それは、彼女の人間としての身分だった。その本性たる時空蛇は、アポリュオンよりもさらに古い、世界創造そのものに関わる、いにしえの存在である。


「しかし、いくら時空蛇の化身といえど、貴様は人間にすぎなかろう。……我が相手をするには、その矮小な身では荷が重いのではないか? 」

 そう言って、アポリュオンは含み笑った。


「……」

 アイリーンは僅かに眉を上げるのみで黙し、手の中の懐中時計をズボンのポケットへしまうと、シャツの襟を正して、崩れた袖を肘まで捲り上げる。視線すら相手を見ていない。火傷のあとのある、女にしては逞しい腕をいくらか露出させると、細いため息を吐いた。


 アポリュオンはなおも蔑む。

「……その矮小な人間の姿でも変わらぬな。何を考えているのか。何を求めるのか。そもそも貴様に何かを求める意志はあるのか。海の底で寝そべるだけの、いにしえの怪物には、渇望する願いなど無いのだろうと思っていた。しかし貴様は『混沌の夜』において、ただの人間の女に加担した。……なぜ? 」


「簡単なことだ。時空蛇にも渇望はあった」

「その渇望を、あの魔女が埋めたというのか? ただの人間が? 」

「彼女はわたしに未来を示した。わたしは彼女の示す未来に恋をしたのだ」

「恋? 恋だと!? 混沌の兄弟たる時空蛇の口から、よりにもよって『恋』!? 」

「……なにを驚く。神々も色恋にうつつを抜かしてきたではないか。そもそもあらゆる物事は、『混沌』より生まれし兄弟。我が子、孫たちだろう」

「それは屁理屈というものだ。時空蛇よ。金の矢に右往左往する神々と貴様では、おおいに違うであろうよ」

「アポリュオンよ。このわたしは時空蛇ではない。アイリーン・クロックフォードという、ただの人間。下町で夫の帰りを待つ、一児の母さ」


 アイリーンの顔に、滲むように微笑みが浮かぶ。柔らかく緩んだ目元とわずかに差した頬の血色に、アポリュオンは「なぜ……? 」と困惑を隠せなかった。

 醜い馬頭が、ゆっくりと振られる。やけに人間くさい仕草だった。


「――――アポリュオンよ。わからぬなら退くがいい。今の貴様は、ああ、確かに。わたしを捻り潰すには容易いだろうさ。わたしは人間。貴様は奈落の王アポリュオンだ。しかし、わたしは愛のために戦っているのだ。この足の下には、加護する愛弟子たちがいる。愛をかかげて戦う以上、どんな敵であっても退く気は無く、どんな手を使ってでも、この船を守らねばならないと決めた。この船は、我が親友、かの魔女の棺でもあるのだからな」


「……陰王よ。これまでの無礼を許せ。貴様は、このアポリュオンが知る中で、最も尊敬すべき人間となった。しかしな……王と呼ばれる人間よ。人間とは、まことに純真から『愛のため』に戦うことは無いのだと、このアポリュオンは知っているのだ。人間の王よ……哀れな古老の化身よ。……『愛のもとに』戦うというあなた様は、その動機を持ち出せる貴方は、『人間』ではない。怪物の心を捨てきれない、ただの成り損ないにすぎないのではないか? 」


「ふん」アイリーンは鼻で笑った。

「理解しているとも。人はもっと複雑だ。『愛』などという不確かな報酬では、全力を出せない欲深さを持っている。……しかし忘れたか? わたしは時空蛇の化身であるぞ」


 アイリーンは首をそらして、尊大にアポリュオンを見下ろした。唇が吊り上がり、赤く濡れた咥内で舌が踊る。真紅の瞳はらんらんと輝き、髪はゆらゆらと逆立った。


「……想像してみるがいいぞ若造! 虚無より生まれ、もの言わぬ混沌と相対し、それを教育するという途方もない事態を! 時すら飲み込み、自らが整地した世界が滅ぶ未来を予見する。そのおぞましさを、貴様に想像できるのか? 絶望のなかで眠りに落ちたそんなわたしに、我が朋は語り掛け、わたしが見えぬ未来を示した。その意味を! すべてを変える鍵をもたらしたのは、 異なる世界からいずれ訪れるという、一人の男の存在! 朋はわたしに教えてくれた!この体は、あの男を手に入れるために創り上げたものだ。アポリュオンよ! 順番が逆なのだ! 時空蛇にも渇望はあったのだ。忘れていただけで!


 わたしは、あの男の創る未来を渇望した!

 その未来に恋をした!

 彼を夫とし、子を成し、そして今!

 わたしは、わたしが数億年求めた『わたしの知らない未来』を手に入れようとしている! 時を呑み込んだあの時から、満たされることがなかった渇望を忘れるときが、今そこに来ているかもしれない、というそんな時に!


 アポリュオンよ! 理解は及んだか! わたしの『愛』とはいかなるものか!

 わたしは『人間ではない』? 上等だ。時が歩み始めたと同じだけの時間、わたしは苦しんだのだぞ。そんな時を知っている『人間』がどこにいる? 今もなお不安を抱え、怯えているのだ。

 しかし『未来への不安』という一点の感情においては、わたしはあらゆる人間と感情を共有している! これは神々では抱かぬ感情だぞ! 人間は何代も、この渇望に耐えているのだ!

 どうだ、貴様にこの人間を弑することができるか! 彼らは貴様らがとうてい知りえぬことを知り、それに耐えるすべを知っているのだ!

 アイリーン・クロックフォードは人間であるぞ!

 さあ、アポリュオンよ! 退くか! 殺すか! 貴様にその覚悟があるというのか! 」


 アポリュオンは沈黙した。人の心は、彼には及びもつかない。いずれ神々が鉄の世代の人類を消滅させると決定すれば、配下とともに食らうものと定められている生物の在り方など、アポリュオンは見下すだけ見下し、深く知る必要を感じていなかった。


 相対するこの人間の女は、ただの人間の女ではない。

 時空蛇の化身―――――いや、それ以上だ。

 ともすれば、時空蛇はこの、自身の分身だけでも生き永らえることを望むのだろう。だって、時空蛇本体のままでは、望む『未来』とやらを歩めないのだ。この矮小な人間の肉体は、かの時空蛇の(『人間』流にいうところの)『夢』を託されている。それがわかった。


 胸の内に、悲壮な焦りが芽吹いていた。アポリュオンが一度しか知らない味をした感情だ。


 ――――人はこれを、『不安』と呼ぶ。

 はたして『夢』破れた時空蛇の怒りを、アポリュオンは受け止めきれるのか?

 相手は混沌の片割れ。時を呑み込み、大地を成した原初の怪物。深淵の底で生まれ出でた母よりも古く、強大な力を持ち、しかしそれを使わずに蓄えてきた存在。

 そんなアポリュオンに、時空蛇の化身は優しく促した。


「……退きなさい。アポリュオン。いまここで、わたしと戦う利は貴様には無いとわかったはずだ。強大な力だけで打ち据えようとも、次に待つのは、強大な『意志』のみによる行使だと、もう理解しただろう。世界(わたし)はまだ人間に味方している。この世はまだ滅ぶべきときではないのだ。わたしが『愛』を掲げて戦うことが、まだ出来る世界なのだから! 」


読了ありがとうございます。

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