二十九話
『かち……かち……』
時計が針を刻む音がする。
『かち……かちち……かちっ……』
何かが起こる。そんな予感の音がする。
『かち……かち……かち……かち……かち……―――――』
真っ白な文字盤にある一本きりの金色の針だけが、規則正しく働いている。その時計の時を刻む針は、不思議なことに、秒針一本しか存在していなかった。
懐中時計を握る女が座すのは、漆黒をした棺に似た『なにか』の屋根である。
細身で引き締まった、長い手足を持つ女だった。
女はその『何か』が、船であることを知っていた。眼下にマグマのように沸騰している冥界の炎を望み、底の浅い、歩きやすそうな革靴を履いた足裏を、虚空にぶらぶらと揺らしている。
冥界からの青い光に照らされて、いっそう白い顔のまわりを、縁取る黒髪がさらさらと流れていた。
その表情は『無』である。
感情による歪みも、経年により備わるはずの、筋肉の使い方の違いから顕れる皺などの個性も、女の肌にはいっさい無い。なめらかな白い肌は、しかし無機質なそれではなく、どちらかといえば、爬虫類や魚を思わせる『そういうもの』とした印象があった。女は小さく――――男性的にも見える外見からはギャップのある、横笛のような柔らかい声で――――囁いた。
「陰王として【認証】。宣誓する。『私は未来を終わらせない』。
”命ある限り夢に馳せよう”
”なぜならこの意志は、青薔薇の魔女と寄り添うものだから”
”朋よ”
”我が恋はいま”
”おまえの観た未来へと委ねた”
これにより、陰王アイリーン・クロックフォード『女教皇』を担うわたしの、世界への宣誓とする」
宣誓を終え、しばし。女の相貌に、はじめて感情が顕れた。
優しげな、慈愛に満ちたその微笑みは、手中の時計に落されている。文字盤に落とす目は、赤みの強い茶色である。あたたかな紅茶色の瞳だけが、女に色彩を与えている。屋根の淵でぶらぶらと揺れていた足を引き上げ、女は子供のように膝を抱いて頬を預けると、紅茶色の瞳を閉じた。
「……我が弟子よ。おまえの望みはなんだろう? 」
応えの無い問いかけは、冥界へ繋がる虚空へ消える。
「……サリヴァン。どうか、おまえの心望むままに……」
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