二十八話
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「息は止めた方がいいのか? 目は閉じたほうが? 」
「……別にどっちでも大丈夫よ。怖いなら走っていけば? 」
ダッチェスに追い払うように手で示されて、サリヴァンは上腕の中ほどまで突っ込んだままに漆黒の壁へと直進した。サリヴァンはしっかりと目をあけて、『壁』の中を見通そうと考えたのだが、ぬるくもなく冷たくもない『壁』のようなものは、少し肌に張り付くような感触があるだけの、面白みのない暗闇でしかない。
抜けたという感触はあった。内部はひやりとして、照明がついていなかった。『ブゥーン……』と、かすかに小さな音が聞こえる。
暗闇に立ち止まったまま、三拍ほど呼吸をしただろうか。
《 ピッ 端末を認識しました。起動を開始します 》
とうとつに上のほうで、感情を感じられない女の声がした。
「誰かいるのか? 」
ヴヴン……。
重いものを振ったときのような低い風斬り音が、言葉のかわりに応える。
《 端末『銀蛇』から遺伝子情報を検索。特定。ピッ データベースより照合します。ピッ データベースより該当者を特定。》
《 ピッ ようこそ。サリヴァン。ワタシはアナタを歓迎します 》
「どこにいるんだ? どうしておれの名前を知っている? 」
《 ピッ 条件を達成しました。【ホルスの目】の起動を確認。同期を終了しました。ピッ 》
声は、こちらのいっさいの問いかけを無視して、理解を放棄した言葉を連ねていった。
《 ピッ 【審判】からの応答を確認。認証しました。 ピッ 》
《 ピッ 条件の達成を認識しました。【資格あるもの】の存在を認識しました。【デウス・エクス・マキナ】システム起動を開始します。》
《 ピッ 凍結フォルダー解凍。ピッ 成功しました。オールグリーン。100パーセント。展開します。 》
《 ピッ 【影の王】からの応答を確認。起動要請を受諾。》
《 ピッ 条件を達成しました。(二十二人の選ばれしもの】データを解凍。成功。》
《 ピッ 条件を達成しました。【預言の成就】シナリオ40%達成。【青薔薇の城】データを解凍。成功。》
《 ピッ 条件を達成しました。【シオンへの告知】データを解凍。成功。起動します。成功。データは削除されました。 》
《 ピッ 条件を達成しました。【デウス・エクス・マキナ】起動を確認。【シオンへの告知】削除を確認。【デウス・エクス・マキナ】シナリオの5%が達成されました。 》
《 ピッ 条件を達成しました。【黒龍城への告知】データを解凍。成功。起動します。データを送信。……応答がありません。データを再起動します。 》
《 ピッ 再起動成功。起動を確認。データを送信。応答がありません。》
《 ピッ 【黒龍城への告知】のデータ送信を一時保留します。 ピッ 》
《 ピッ 【黒衣の魔女】からの応答を確認。認証しました。 ピッ 》
《 ピッ 【三邪神同盟】からの応答を確認。認証しました。ピッ 》
《 ピッ 【四聖四柱神助成組合】からの応答を確認。認証しました。ピッ 》
《 ピッ 【虹蛇の獏】からの応答を確認―――――》
ここにあるのは、もはや声の奔流だ。暗闇を埋め尽くす途切れない言葉が、渦を巻きながら鼓膜を叩く。
(ここに長くいたら気が可笑しくなりそうだ)
《 ピッ システム起動を確認。条件を達成しました。【伝説の帰還】データを解凍。成功。シナリオを起動します。 》
「ちょっとサリー! これは何の音!? 」
『壁』を抜けてサリヴァンの隣に現れたジジが、声に負けないほどに言葉を強くして尋ねた。
「おれにもわからない! さっきからずっと――――」
《 ピッ 個体認識。データベースと照合します 》
とつぜん視界が明るくなった。照明が付いたのだ。
照らし出されたものに、サリヴァンとジジは言葉を忘れてその光景を見つめる。
目の前にあるそれは、ひとつの街だった。
等間隔に天高くそびえる建物たちは水晶のように輝いて、空をゆっくり流れていく雲を映している。広い道路の脇に植えられた樹木は、枝ぶりにあきらかに人の手が入っており、青々として繁っていた。針山のように連なる建物の向こう側に、カーブを描いて街を横断する河川と、そこにかかる大きな橋まである。
《 ピッ 拡張空間テクスチャの変更がオーダーされました 》
そして、早くも聴き慣れた女の声がそう言った瞬間、『街』の風景にいくつもの縦線がはしりながら擦れて消えた。まるで皮を剥くように、新しい空間を仕切る壁が現れる。
《 ピッ テクスチャを『書斎』へ変更 》
静かな場所だった。
そのまま寝転べそうな、清潔で柔らかい絨毯。青い蔓薔薇の壁紙。夜風に揺れる菫の柄のカーテン。オレンジ色の明かりを降り注ぐシャンデリア。火が落された暖炉は、夏場の様相だ。使い込まれた木製のロッキングチェアと、そこに陣取る白いうさぎのぬいぐるみ、童話でいっぱいの本棚。
大きな部屋ではない。
サリヴァンの眼は、自然と出口を探す。金色のドアノブの木の扉が、暖炉に向かい合うようにあった。
菫の柄をしたカーテンの向こうには、こじんまりとしたテラスが見える。そしてその先には、はてしない星の海が広がっていた。天の川どころか、緑や紫の星雲すら鮮やかだった。それでいて、星々のひとつひとつが、どんなに小さくてもクッキリと丸く浮かび上がっている。
《 ピッ 》
もはや馴染みになった音が、ジジ一人を示して鳴った。
棒立ちになっているジジの体を囲むように、青い箱状の光の幕があらわれる。囲まれてしまったジジは、とっさに逃れるように身を引いたが、すぐに光の膜へ触れないように身体を縮めた。青い幕の表面に、波状の模様が何度も流れていく。
《 個体認識。個体認識。優先個体認識。ピッ ようこそジジ。ワタシたちのジジ。ピッ アナタには、サプライズプレゼントがあります。》
青く透ける幕の中で、ジジが驚いた顔をするのが見えた。サリヴァンを見つめるジジの瞳が、思いがけず名前を呼ばれて隠し切れない動揺に震える。波状を描いていた幕が、何かの輪郭をつくったのが分かった。外側から見ているサリヴァンには、青と白のおおまかな輪郭しか把握は出来ない。
《 データを解凍。成功。音声データ再生します。》
《 ピピピッ 》
『……ぉか……えりなさい。ジジ』
上から聞こえる声とは別の女の声が、幕の中で口を利いた。
ジジを囲む幕の表面に描かれた影のようなものが、四方から歓迎の言葉と笑顔を向けている。サリヴァンの位置からは、顔立ちまでは判然としない。
『あなたが来る日をずっと待っていたわ! どうか良い旅を。心の底から願ってる! 』
《 …ピッ 再生終了。ピッ 音声データを削除します。 ピッ 》
シュン、と音を立てて、青い幕が消えた。
「…………」
「……ジジ? 」
帽子のつばの陰になった顔が、いつにも増して白くなっている。金色の瞳がいつになく爛々と輝きを増し、黙り込んだままの唇は、真一文字に結ばれて表情が抜け落ちていた。
《 条件を達成しました。【鍵の帰還】シナリオ解凍します。この処理には、時間がかかる場合があります。……1%……5%……7%…… 》
「ねえサリー。ここはどこ? 」
「船の中……のはずだ」
「そういう意味じゃあない。どうしてあの女の声はボクに『おかえり』って言うわけ? 」
「おれには分からない」
「………」
ジジの瞳孔が尖る。
「腹立つよな。この世に分からないことがあるって」
瞬時に疑問を怒りに変換したジジの後ろの壁から、ようやくダッチェスが現れた。
続いて、次々に皇子たちも顔を出す。
《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名ダッチェス。ようこそ 》
《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名ベルリオズ。ようこそ 》
《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名トゥルーズ。ようこそ 》
《 ピッ 個体認識。『語り部』を確認。個体名マリア。ようこそ 》
《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。グウィン・サーヴァンス・アトラス》
《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。ケヴィン・サーヴァンス・アトラス》
《 ピッ 個体認識。独立端末『語り部』より個体確認。ようこそ。ヒューゴ・サーヴァンス・アトラス》
伝統的な戴冠の儀式には牧歌的すぎる内装に、ダッチェスの眉が寄せられた。
「前はこんなふうじゃあ無かったのに」
しかし、それらしく場を整える時間も余裕も無い。ダッチェスはぐるりと書斎を見渡し、テーブルを片付けるようにと、同じ語り部たちに指示を飛ばしていった。
「何かあったのかい? 」
グウィンがサリヴァンに尋ねた。
「……いいえ」サリヴァンは、なんでもないように首を振る。
「ついにこの時が来たと思って」
「ああ。確かにそうだな」
グウィンは、厳つい顔を和ませて微笑んだ。
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