二十六話
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西南に位置するフェルヴィンの王城は、切り立った山肌に背中を預けた造りをしている。
崖を切り出して装飾したように見える王城は、実は山肌を侵食し、見かけよりもずっと奥へと続いていた。さらに隠されたそこかしこに、坑道跡に見せかけた抜け道が蟻の巣穴のように存在しているという。ヴェロニカ皇女らが逃亡に使ったのもここである。
フェルヴィン皇国の首都ミルグースは、背面に連なる鉱山の山脈から掘り出された金属の加工と細工で栄えた都市だ。『魔界』とまで呼ばれるほど痩せた硬い土壌を持つ土地で生きていくために、フェルヴィン人は、長い時をかけて数々の試行を繰り返してきたが、何より国を潤したのは、彼らが大地と炎と水から生み出す細工ものたちだった。
いわく。フェルヴィンの剣は刃こぼれすることがなく、若枝のように軽く、鋼とは思えぬほどにしなって折れず、砥いでも刃が減らないとか。
いわく。フェルヴィンの鎧を通すのは同じフェルヴィンの鋼だけ。戦へ向かう子息に、フェルヴィンの鎧を用意できない金持ちは外道か阿呆かと謗られたとか。
いわく。フェルヴィンの銀細工は、水のように艶めかしく、レースのように繊細で、羽のように軽い。淑女にはもちろんのこと、ひとかどの男であるならば、仕込み時計や仕込みナイフのブローチやステッキを持つのが粋というもの。
時代の流れとともに商品は変わった。しかしそれは、歴史の文字にフェルヴィンの名が消えることは無かったという証である。そうして財を得たフェルヴィンであるが、さてこの地でどうやって貿易を行っていたのか?
「答えはかんたんです。この国には、ほんとうはずっと移動手段があった。世の中に『飛鯨船』なるものが飛び交うようになるよりずっと前、それこそ魔女が死んで神話が終わった古代から、ほんの百年ほど前まで」
前を歩くダッチェスの背中が、黒い影を被せている。ダッチェスの手にある明かりが、一行の先を照らすために右へ左へ動くたび、人型の影もぬるぬると地面や壁を揺らめいた。もしかしたら道順を覚えられないようにするための技だったのかもしれない。網目のような坑道をダッチェスの導きに沿って歩いていく。疲れからか、ダッチェスの澄んだ声を聴き洩らさないようにするためか、このころになると誰も言葉を交わさなかった。
「……これは王家、いいえ。魔女とともに旅をし、この地へ辿り着いたものたちの秘密です。流人や罪人や奴隷であった彼らは、職人となり、鉱山夫となり、農夫となり、騎士となり、漁師となり、商人となり、学徒となり、王となった。それぞれの一族の末裔だけが知らされる秘密。魔女が与えた『隠された』二つ目の魔法……それが魔女の財宝『フレイヤの黄金船』。彼らはこの船で、このフェルヴィンに降り立ったのです。そこは、戴冠の間でもあります。この場所へは、皇帝ですら道順を教えられません。語り部の導きを以てしか辿り着けないのです」
灯りが揺れる。土が剥き出しでいつ崩れるかも分からなかったそこに、とつぜん黄金のきらめきが現れた。
海と冥府、大樹と天空の二枚一対の扉には、向かい合うように、赤い宝石と青い宝石を瞳にはめた女の貌がある。ふたりの女の揺らめく髪には、薄く切り出された漆黒の水晶が重ねられていた。
始祖の魔女は、美しい黒髪に輝くように青い瞳の女性であったと伝わっている。そして彼女の最大の協力者である『蛇』は、赤い瞳の女の姿を取った。
「……さあ、グウィン様。この先が戴冠の間。最初の王が産まれた場所でもあります。貴方が開けるべき扉ですわ
……と、言いたいところですが、老朽化が心配なので、あたしが開けるわね! 」
皇太子は踏み出しかけた足を引き、気まずげに頬を掻いた。
「――――さあ! とくとご覧なさい! そう見られるものじゃあないわよ! 」
眩い光が、長らく太陽を忘れた一行の網膜を刺した。
そこは途方もなく、高く、深い、一本の縦穴であった。
円柱型の穴の内壁へ取りついた螺旋を描く通路は、闇を塗りこめたような黒だが、下から吹き上がってくるような寒々しい冥府の青いマグマの燐火と、反して天上から降り注ぐ温かな白い光で、上層世界の雲一つない晴れの日ほどにも明るい。
その淵に立ちつくすサリヴァンたちの目の前に、その船はあった。ぽっかりと、円柱のなかに支えもなく浮かんでいる。
帆も甲板の無いそれは『船』というよりは、『箱』だ。
そしてただの『箱』というよりも『棺桶』のようだった。
『黄金』の名を戴いているのに、主には黒い。金は船体を縁取る渦巻くように絡まっていく装飾に刻まれているだけ。おそらく芽吹く草木や波しぶきを表している金の紋様は、経年によりインクの途切れかけたペンで描いたように、ところどころ剥がれて擦れ、黒ずんでいる。
それでも、少なくとも三千五百年以上の時を経ていると推定すると、驚くほど魅力的な姿を保っているように見えた。
「下は冥界、上は最高層マクルトにまで続いています。数々の冥界下りの舞台はこの縦穴。もちろん、雲海以外で各海層へと直結しているのはここだけ。この船の中で初代フェルヴィン皇帝は王となりました」
「どうやって船まで行くんだ? 」
虚空を覗き込んで、ヒューゴ皇子が言った。顔が引きつっている。
「当然、資格があるものには道ができますわ」
当たり前でしょう? とばかりに語り部が言う。
「神秘だな」
と、グウィンはのんびりと呟いた。これからいよいよ皇帝になるというのに、緊張はあまり見えない。
「………」
ケヴィンは、始終、感情の見えない無表情で黙り込んでいた。
「先導するのはあなたよ。立会人さん。次はグウィンさま。その次に殿下たちですよ。さあ、皇太子殿下。あなたは船を出たとき、すでに『皇帝』です。お覚悟は? 」
グウィンは高い額の影にある瞳を細めて、父の語り部に微笑んだ。
「……とうの昔に出来ているよ」
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