十五話
「……ヴェロニカ様」
か細い声が、影の中から頭に響いた。
「ダイアナ! 」
峠を越え、揺れが静かになった船室の中で、ヴェロニカは背面にある自分の影に触れた。
窓の外にはまだ断続的に雷光がはしっている。伸び縮みする自身の影の中に、黒衣の貴婦人の姿をした語り部の姿がふっとあらわれ、ヴェロニカの膝に頭を乗せてもたれかかった。
「あなた、あれからいったいどうしたの。あの尋常ではない悲鳴……はじめて聞いたわ」
「ヴェロニカ様、ここは」
「飛鯨船の中です。今は魔の海。さあ、床は冷えるわ。どうか座って」
「ああ、魔の海……距離ができたからそれで……」
ダイアナは立ち上がるようすもなく、ヴェロニカの膝に額を押し付けた。スカートを握り、何度も肩が上下する。ヴェロニカはその後頭部に手を添えて、「どうか話して」と穏やかに声をかけた。
「ダイアナ。主人として、この世に生まれた瞬間からあなたのことが分からなかったことはない。でも今は、あなたの話を聞きたいの」
「ああ、ああ、ヴェロニカ様。大変なことです。私にはわかりました。あの光の先、ありえざることが起こったのです」
「ありえざること」
「死者が蘇っている。あの屍どもとは違う。魂が肉を持ち、冥界から蘇っている」
ダイアナはゆっくりと顔を上げた。
本来の魔人の姿は不確定なものだ。ジジがそうであるように、語り部たちも例外ではない。『意志ある魔法』である彼らは、人間を主人にするその機能から、人間に擬態してこの姿を取る。
そして語り部は、主人の影響を受けて姿が変わる魔人だった。
二十四枚の銅板からそれぞれ生まれた語り部たちの個性は、主人の心に寄り添うために、その都度違う。
語り部は一枚につき九人の主人を持つ。そのたびに年も性別すらも変わるのだ。
「ダイアナ、あなた、姿が」
「ヴェロニカ様。もっとわたしの名前をお呼びください。でないとわたしは、あなたの語り部でいられなくなる」
ダイアナのまとめていた髪が落ちる。白髪交じりだった黒髪は、一本のまだらもない。ヴェロニカと同じ年ごろの女が、目に涙をたたえてすがりついていた。
「わたしの前のご主人様が蘇りました。死者の魂が語り部を呼んでいる。そして語り部の本能が主人を呼ぶのです。わたしはとっくに、あの方の物語を書き上げたのに。あの方の人生は完結したのに……」
「しっかりなさいダイアナ。誰が蘇ったというの」
「ジーン様です」
ダイアナの眼から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「おかわいそうに、あの方の心がわたしに流れ込んでくる。ああ、どうしてそんな、わたしの皇子さまにそんな残酷なことを、いったい誰が……。ヴェロニカ様、このままではわたしは壊れてしまう。どうか、どうか、もっと、わたしの名前を……」
「ダイアナ! 」
雷光が船内を照らす。そのまばゆい光に攫われたように、ダイアナの姿はふたたび影の中へと消えてしまった。ドレスに濡れた感触だけを残して。
「ダイアナ……」
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