十一話
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「モニカお義姉様、ご無事でよかった」
「あなたも」
ヴェロニカはぐっと腰をかがめて、モニカと抱擁した。モニカはくすくす笑いながら「少し痛いわ」とその肩を叩く。
屍人の男たちのなきがらは、そのあと黒い炭のようになって崩れた。
「ああいう不吉なものは、あまり見えるかたちで残ってもいいことないだろ。早めに土に還ったほうが世のためなんだよ」と、ジジは言った。
「サリヴァン」
ヴェロニカ皇女はサリヴァンに向きなおり、丁寧に礼を述べた。
「あなたたちのおかげで、お義姉様をお救いできました。あの戦いで気が付いたのです。あなたたちはどうやら、わたくしが思っていた魔術師の範疇からは、外れたところにいるようだと。……うまくは、言えないのですが」
皇女の視線は、サリヴァンの背後で欠伸をしているジジにも向けられた。
「そしてわたくしの眼には、彼のその力が、語り部とはまるで違うと感じます。いまいちど、お願いいたします。我らがアトラス王家に降りかかったこの災厄、わたくしとともに戦ってくださいますか」
皇女の眼からは、焦りが消えていた。ほんとうは、自分がどうするべきかを分かっている眼だ。
「殿下。私どもの力はご覧になったかと思います。どうかその使命、このサリヴァンに預けていただけないでしょうか」
サリヴァンの言葉に、皇女はそっと目を伏せた。
彼女の家族は、皇女が逃げ延びることを望んでいる。先ほどとは違い、義姉も助け出した今、彼女の中での選択肢の天秤は片方に大きく傾いていた。
「そこのヒースは、魔の海をも超えることができる航海士です。かならず我が国に送り届けるとお約束いたします。そしてサマンサ辺境伯家をお訪ねください。かならず我が父と曽祖父コネリウスが、アトラス王家の危機を救う手立てとなるでしょう」
皇女はしばし瞼を閉じた。
「……感謝いたします」
それが答えだった。
サリヴァンもまた、レンズの下で目を伏せた。
(ずっと隠してきた出生を、こうして口にすることになるとはな……)
「サリー」
サリヴァンの肩を叩き、ヒースが言った。
「ことを起こすなら早いほうがいい。たぶん市民のほうが辛抱できなくなる」
「そうですね」皇女も頷いた。
「市民が城へ詰めかけているころです。無用な被害が出ないよう、彼らを止めなければ」
出航準備をするヒースとモニカを船着き場に残し、三人は東の城下へ向かうことにした。
街には、奇妙な熱気が漂っていた。
男たちが集まり、何かを相談している。女性たちは子供を家に入れ、不安げに働いていた。
ジジがコートの端を黒い靄に変え、あたりから情報を仕入れていく。
「城に勤めてる人の親族が中心になって、城に乗り込んでみるつもりらしいね」
「西の街でこうなら、城のある東の城下はすでに市民が動き始めているでしょう」
皇女の予想通り、門前はすでに市民であふれていた。鐘楼に立つアルヴィン皇子の噂はすでに広まり、親族や親しい人が帰っていないという事実が、不安を怒りに変えつつあった。
しかし門前には門番すらいないというのに、市民たちは誰一人としてそこから踏み入れていない。
城門前の不穏な賑わいとはうらはらに、岸壁に張り付くようにしてある城壁からは鳥の鳴き声すらも聞こえないという不気味さが、市民たちの足を門より先へ進ませない最後の楔になっていた。
山に沿って城へと続く道は、蛇のように丘を巻くようにして続いている。半ばほどからフードを落とし、顔を上げた皇女の姿に、人々は道を譲るように開いた。
こうして多くの人の間を歩く皇女を見ると、その体格が、フェルヴィン人女性としてかなり長身であることに気付く。男性を含めても頭はんぶんは背が高く、背筋がぴんと伸びているので、群衆はかなり離れていても皇女その人だと分かっただろう。
皇女はついに城門までたどり着き、ごくりと唾をのんだ。城のシルエットを睨むように一瞥し、民へと向き直る。
それだけで、ざわめいていた群衆は黙り込んだ。
「みなさん――――」
はっ、とジジが最初に気が付いた。
ずん、と石畳が縦に揺れた。たとえば、平らにならしたケーキの生地をオーブンに入れる前に台の上に叩きつけるのを、この大地そのもので行ったような、そういう揺れ方だった。
揺れは激しく、人々が悲鳴を上げながらうずくまる。見えない何かがうねりを上げ、城から波紋のようにやってくる。
「サリー! 」
「ッ、ジジ! 」
互いを同時に呼ぶ。
皇女はその強靭な体で立ち続けていた。サリヴァンが強い力でその体を引き倒し、石畳に倒れ込んだふたりの前にジジが腕を広げて立つのと、城から青白い光の柱がほとばしったその瞬間は同時といってもよかった。
ジジの体から黒い靄が噴き出して硬質な盾となり、三人を覆う。ヴェロニカ皇女を片腕でかばいながら、サリヴァンがジジにつながる自分の影へと掌を押し当て、まくし立てるように呪文の一節を口にした。
「《願いは彼方で燃え尽きた。希望は彼方に置いてきた。望みはなにかと母が問う》」
ジジの輪郭の奥から金の光がほとばしる。
(呪文だわ)ヴェロニカはその詩の意味を理解した。この魔人を構成する三つの要素のひとつ。魂を構成する言葉。それを今、口にする意味。
一瞬の静寂のあと、なだれ込むような衝撃がおそった。眼球の中心あたりで白い火花が散る。
「《そこは楽園ではなく 暗闇だけが癒しを注ぐ道。時さえも味方にならない。天は朔の夜 星だけが見ている塩の原。言葉すらなく 微睡みもなく 剣を振り下ろす力もなく》」
漆黒の盾にさえぎられ、外を窺い知ることはできない。ごうごうと鳴る風の音と、サリヴァンの声と体温。腕を前に出し、石畳が割れるほど踏みしめる、ジジの白いはだしの足。
「《いかづちの槍が白白と、咲いたばかりの花々を穿つ。至るべきは此処と父が言う。我が身こそ終わりへと至る鍵。望みはひとつ》」
サリヴァンが大きく息を吸い込んだ。
「――――《やがて、この足が止まること》」
呪文の最後の節を言い切った瞬間、魔人と主の間にあるものが噛みあい、猛烈に回り出す。盾がより深い色になり、その厚みが増した。
「――――ふ、ぅぅうううううううあああああああああああぁぁああっ!」
「ジジ、いけるか! 」
「ちょ、いま、はああなし、かけぇえええんなぁあああぁぁううぅおぉおおおりゃああああっ!」
ぎしぎしと空気が軋む。ジジの雄たけび。サリヴァンの激しい呼吸。風の音。
それに重なって女の悲鳴がする。ヴェロニカがよく知る声だった。
「ダイアナ! どうしたの、ダイアナ! 」
「ふっ、ふっ、ふっ」
サリヴァンは激しく息をした。体中を汗が滴っている。
ジジがゆっくりと腕をおろし、漆黒の盾が空気に溶けた。
「ああ、なんてこと! 」
ヴェロニカが哀哭する声が聞こえる。
背後ではいったいどんな状況が広がっているのだろうか。サリヴァンの眼は、雲を貫いた光が細く消えていくようすと、青い霧が城を覆い、こちらへ波のように流れ出てくるさまに釘づけられていた。
(皇女を逃がさなくては)
そしてサリヴァンは振り返る。
石畳の上、立ち尽くす人々がいた。そこには皇女の嗚咽が響いている。遠く、岸壁に打ち付ける波の音も重なって聞こえた。
群衆は消えたわけではなかった。いまも城を見つめている。
「石に……? あの光が、人を石にしたのか……? 」
どくん、サリヴァンの心臓が激しい鼓動で動き出した。頭の芯から背中を冷たい絶望が舐めていく。
「……エリ」
鼓動が急かしている。
「……殿下。ここを離れましょう。一刻も早く出航しなくては」
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「モニカお義姉様……! 」
「皇女殿下。守り切れず、申し訳ありません」
石像となったモニカとコナンは、ベッドの上に安置されていた。
うなだれるヒースは、小さく「間に合わなかった」と、こぼすようにサリーに告げる。その顔色は白い。
「おまえの体は大丈夫か」
「ああ。見ての通りだよ。……肝が冷えたよ。何だったんだ」
顔を覆うようにぬぐい、息をついたヒースは、するどい目つきで空を睨んだ。その空から、あの光は津波のように降り注いだのだ。そして壁をすり抜け、中で荷物をまとめていたモニカらを飲み込んだ。
「殿下。すぐにでも出航できます」
ヴェロニカ皇女は、その言葉をきいてすぐに立ち上がった。顔を拭いて振り向いた彼女の顔から、覇気は失われていない。
「……わたくしは、より生き延びねばならなくなりました。出航を」
空に船が舞い上がる。
ケトー号の黒い船体は、赤い西日を受けて雲の中に消えていく。
飛鯨船は雲の上まで到達すると、中間層である雲海にたどり着く。そこは雲の海と、星の海に挟まれた世界だ。その夜空の一部には穴が開いており、それを『海層突破点』と呼ぶ。次の海層へと続く路だ。その先は、ひとつ上の海層の海の底へと続いている。
この世界を、近世の学者はこう名付けた。
キミの世界の人々が、自分の居場所を『地球』と呼ぶように。
――――『多重海層世界』と。
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