十話
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外に出ると、待ち構えていたように男たちが立っていた。
男たちを従えるように立っている、羽根つき帽子の男が汗を拭きながら「ヴェロニカ様! 」と喜色満面で叫ぶ。
「よかった、御無事でありましたか! 」
「ええ。トーマ・ペロー外交長官。ご子息のコナンもご一緒されてるのね。わたくしは見ての通りです」
「それはよかった! 」
初老のフェルヴィン人の男は、しかしそれ以上近づいてこようとはしなかった。後ろに従えている息子だという男の顔色は悪い。その横で、縮こまるようにして一人の小柄な女性が立っていた。
「お義姉さまにお怪我などさせていませんでしょうね」
「ええ、それはもちろん! 」
「あなたに訊いたのではありませんよトーマ。コナンに訊ねたのです」
「ああ、ええ、皇女様! 皇太子妃殿下はご無事です! 」
「そう。でしたらすぐに、お義姉さまとともにこちらへ来なさい」
「そ」口を開いたコナンの言葉をトーマが遮った。
「それはできかねますなぁ。皇女殿下がこちらへいらしてくださいませ」
羽帽子の男は、目を細くして皇女を見つめて言った。
「……いいえ。その必要はないかと存じます」
ヴェロニカの前に、サリヴァンが割り込むように立った。
「皇女殿下。あのトーマという男の後ろにいる男たちに、見覚えがございます」
「ああ、確かに……」
ジジはにんまりと唇を曲げた。
「あれ、ポンコツの人さらいどもじゃあないか。皇女さま、あいつら傭兵ともいえない薄汚いチンピラだぜ。やあ! ざるくぶぁふぇんどるば! 」
ジジが最後の言葉を言った瞬間、羽帽子の男の顔がみるみる青黒く染まっていく。
「きさま、なんということを……! 」
呆れた顔で、サリヴァンはぷかぷか浮かんで舌を出しているジジを見上げた。
「……今の、なんて言ったんだ」
「ボクってほら、育ちが悪いからさァ、こういう言葉しか覚えてないんだよねェ」
「しょうもねえ」
「役立つ教養のひとつさ。だろ? でもおかしいな。あいつらなら、もっと反応するのに。知らないオッサンからしかリアクションがないなんて、つまんないよ」
「ああ。みょうに表情が浮ついてるというか、覇気がないというか……」
「トーマ・ベロー。質問に正直にお答えなさい」
皇女の瞳が、羽帽子の男の白い眉毛に半分埋もれた瞳を射抜く。
「あなたが、城にならず者たちを招き入れましたね? 」
嘲るような笑顔に変わった男の細く尖った視線は、ヴェロニカ皇女を見返さずに、その前に立つサリヴァンの瞳を冷たく一瞥した。
「はは! なんとまぁ、まだそんなことをおっしゃっているとは。いいえ、違います。トーマはそのような恐ろしいことはしておりませぬ」
「ヴェロニカ様! お逃げください! 」
声を上げたのは、トーマの息子だという男だった。父にはあまり似ていない、細面の賢そうな青年だ。彼はそのようすで、心から皇女を案じているのだとわかった。
「それはもう、父ではない! 」
「そうですヴェロニカ様! 逃げてください! 関わってはなりません! 」
モニカも重ねて叫ぶ。「あなたに何かがあれば、わたしはグウィンに申し訳が立たない! 」
「残念ですわ、トーマ。父の友。栄えある忠義者。わたくし、そう信じておりましたのに」
ヴェロニカがマントを脱ぎ捨てた。
「おやおや、粛清ですか? ヴェロニカ殿下。そんなどこの誰とも知れぬ外国人を使って? 皇女である、あなた様が? 」
「それはあなたのことを仰ってるのかしら。こんな恥知らずだとは知らなかったわ」
「フフ……すくなくとも私は誰とも知らぬ外国人を引き入れたわけではございませんので。彼らこそが、本来の私にとっての朋友でしてね」
トーマはかぎ針状に曲げた両手の指を、おもむろに口に押し込んだ。指先の爪が内側から頬肉を抉っていく。頬肉を内側から毟るようにして、男は自らの顔を指で大きく傷つけた。その手は次に、自らの下目蓋にかかる。どんどん元の面影を失くしていく顔面の、むきだしの肉が奇妙に揺れる。
ぶるりと。まるで身震いをするように。
笑みの形に露出した歯列に、早戻しのように肉が戻っていく。再生した唇の皮膚は、笑みの形を保っていた。
彫りの深い、浅黒く日焼けした若々しい顔立ちに、もとの初老の紳士の名残りは無い。
「あなたは誰」
「ただの亡者ですよ。墓守の姫」
声すら違う。異国の響きを含んだ瀟洒な楽器の演奏のように、耳通りの好い声だった。
「わたくしはあなたを知らない。けれど、あなたもわたくしを知りませんね」
「姫……虚勢を張るのもここまでですよ。そこにいる魔法使いの正体とその真実を、ご存じないのですか? 」
ヴェロニカ皇女は青い目をすがめる。
「それは、『陰の王』直々に我らに差し出された――――」
「あら、そうですの? 」
「……なんですって? 」
「まぁまぁまぁ」
皇女は上品な笑い声を響かせた。
「惑わし、甘言……? ほかに口にすべき言葉があるのではなくって? この期に及んで、まだるっこしい殿方は好きになれなくてよ。話題が暴力的で、下品で、悪趣味な殿方なら、なおのこと。このヴェロニカを口説きたいのならば、その顔に、」
ヴェロニカは、前に倒れ込むようにして踏み込んだ。
その一歩は、驚くほど広く、早い。皇女の筋肉が隆起する。風に揺れる柳のように、男の体が曲がった。
「このわたくしの拳を、まず受け入れることね! 」
男の笑みがぐしゃりと崩れ、噴き出した汗が拳圧に飛沫になって飛び散る。男はよろめきながらなんとか体勢を整え、頬を流れる汗と血液の混合物を指先でふき取った。
「……話に訊くより、ずいぶん野蛮な姫君だな。脳ミソが飛び散りそうだ」
「よく避けました。ウフフ……自信を失いそうですわ」
「顔が笑ってるぜ。お姫さま」
「ふふ……少し鬱憤が溜まっておりますのよ。この試合は、好い気分転換になりますわ。加減がいらないのなら、なおさらでなくて? いいえ、殺す気はありません」
「……こちらには人質がいるんだぞ」
「怯えないで。小さなひと。わたくしはあくまでもフェルヴィンの皇女として上品に……あなたが質問に答えたくなる場を整えているだけ」
トン、と皇女は爪先で軽くステップを踏んだ。
右足を軸に、ダンスをするように肘を上げて上体を傾ける。長い金色の髪が白い頬を撫で、背後に流れる。刃金色の瞳だけが笑っていない。
「本性を明かすなんて、悪手でしたわね。わたくし、おばけは平気なの」
皇女は一歩、男に近づく。
「……だから安心なさい、コナン。仇は取ります」
「ヴェロニカ様……」
「家族を亡くす以上に怖いものなんて無くってよ! そうでしょうッ! 」
「皇女を殺せェ! 」
男は気炎を振り絞って叫んだ。
皇女の長身に、武器をかかげた傭兵たちが大波のように群がろうとする。
そして次の瞬間、ごぶりと腐臭に濁った黒い血を吐き出した。
「きゃあ! 」
モニカの悲鳴がヴェロニカの耳に届く。その身に凶刃が向けられたわけでは無かった。サリヴァンが守るようにしてモニカの前に立っている。彼女が驚いたのは、サリヴァンが「念のため」と、隣のコナンを締め上げて昏倒させたからだ。ヒースがすかさず安全圏へと回収していく。
「殿下、こちらはお任せください。ご存分にどうぞ。ジジ、今日だけの解禁だからな」
「やったね。久々に本領発揮できるじゃあないか」
ジジのコートが、風も無いのに大きくはためいた。
「死体なら、手加減なく殺してもいいもの! 」
感情を失った死体たちのなかに、困惑と警戒が広がっていた。
痙攣して思うように動かない手足を、不思議そうに眺めて立ち止まっているものもいる。
そうして死体たちは次々と目から口から鼻からと血を噴き出し、根が絶たれた樹木のように倒れて動かなくなっていった。
「何だ! 何がおこっている! 」
「アンタはね、とくに運が悪かったんだよォ。だって、ボクがいたんだから」
街灯にも照らされない、漆黒の空を背景にして、白い肌が浮いて見えた。黒い擦り切れた外套の裾が、大きく翼を広げている。
「あなたの相手はわたくしです! 」
「ぶごほォッ」
呆ける男の頬に拳が突き刺さった。倒れ込んだ地面に、ふと降り注ぐものがあることに気が付く。
「黒い、雪……? 」
「ボクっていう魔人の性能は、対生物特化型なんだよネェ。気を付けないと殺しちゃう」
魔人の声は、甘い艶を含んで空気に溶けていく。
「生きていたって、死んでいたって、そんなのはボクの前じゃア変わんなァい。ボクには命の弱点がァ手に取るようにわかるよォ。ココロも、カラダも、とっても簡単サァ――――壊れやすくて、すぅううぐトロトロにィイイとけるもんねェェエエエ! フフフ――――ハハハ――――ケヒヒ……キヒヒヒヒヒヒ――――」
その語尾は奇妙に歪みながら、闇に引き伸ばされて間延びしていく。
おもむろに、男はがふりと口から泡を吹いた。不快な耳鳴りが男を襲い、網膜はいつしか地面の小石を見つめてピクリとも動かなくなっている。
「? ??? ――――!? 」
陸にいてして溺れている自分が信じられなかった。体中の穴から、得体の知れない液体が逆流している。
男は最後の力で吠えた。
「――――クゥゥウスヴァァアアアアラァアアアッッ!!!!」
「ゾクゾクしちゃう誉め言葉だね」
闇に、金の月が二つ浮かんでいる。
ピチャリと、泥をはだしが踏みつける。外套のすそをつけ、ジジはしゃがみこんでその顔を覗き込んでいた。
死者たちの二度目の死は、静かに泥のような闇に沈んでいった。
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