枯れ葉王女マジで死んじゃうかも、3秒前
そもそもの原因は、父王にあった。
国王の婚姻とは国の存続をも左右しかねない、重要なものである。ゆえに王国では国王の結婚相手は、自国ならびに他国の王族のみと国法で定められていた。全ては王家の純血を穢さぬために、王政を弱体化させぬためにであった。
国王の権力は神から授けられた神聖で絶対的な不可侵のものであり、その血もまた然り。つまり臣民から王妃を選ぶということは、自らの立場を貶め王家の純血の尊い連鎖を断ち切ることを意味した。
そして、臣民から王妃が立つということは臣下たちの野心に火をつけることでもあった。
自分の娘にも好機があるやも、と野望に燃える臣下がいつの時代でも隙あらば現れるものである。
王族ではない現王妃を、それどころか純血ではなく混ざりものとなった王子を暗殺してでも自分の血のつながった孫を王座に、と。
政敵の孫など怖気が走る、と貴族間の熾烈な争いは加速して、かつて内乱となり滅亡寸前となった国もあったほどである。
そのような他国の教訓があるにもかかわらず、若き現国王は愛だの恋だのに溺れて臣下の、しかも最下位の男爵家の令嬢を国王の強権をもって王妃の椅子に座らせた。
それは冴え冴えと白い純白に、濃い、ただ黒一色を垂らす行為だった。
貴ぶべき白に色が混ざってしまったのだ。
周辺の王国は、王家は、それが二分の一、四分の一、八分の一、十六分の一、三十二分の一、それ以下の僅かな血の痕跡の何処までも執拗に追及して、もはや同列の対等な王家として婚姻を結ぶことはなくなった。
そして国内でも問題は多発した。
まず国王が溺愛する王妃が、子を産むことがなかったのだ。
身分関係が厳しい縦社会で、国王に表立って反抗できない貴族たちも、王位継承者の必要性という大義名分のもと次々と自家の娘を王宮に送り込んだ。
そこには、身分制度の頂点に立ちながら高貴な血を蔑ろにする国王への骨の髄まで沁み込んだ鬱屈と燃えたぎる野心があった。
国王は拒絶できなかった。
子を成すならば臣下の娘ではなく他国の王家の姫を望んだが、全ての国から拒否された。いかに政治的思惑が優先される政略結婚とはいえ自国の姫を、たかが男爵家出身の王妃の下につけることなど論外であった。すなわち自国が男爵家よりも劣ると他国から侮られることになるのだから。
しかし国内の高位貴族たちは名誉よりも実利をとった。孫が王座に座れば政治の実権を握れるのだ。それ以上に政敵に負けることは自家の衰退を意味した。
かくして自家の盛衰を背負った令嬢たちの百花も色褪せる、壮絶な争いが繰り広げられることとなったのである。
おお、こわ……。
と他人事のように言っているが、私、ルルージェンはこの王国の第三王女である。敗北を許されぬ当事者。本当ならばバリバリに王位継承争いに突撃中の身分であるが、ありがたいことに枠外であった。
母親の実家である伯爵家が政争に敗れて没落したのだ。
しかも異母兄弟たちは、公爵家か侯爵家の血筋の上、皆美しい容姿をしていた。
私は地味な茶髪と茶目で、華やかな金髪碧眼の異母姉妹と並ぶと薔薇の花の中に枯れ葉が一枚まざったようで、枯れ葉王女と呼ばれていた。
ぶっちゃけ見下されていたのだ。
異母兄弟たちとその実家にとって、私はレースのスタートラインにも立てない問題外な存在であった。
おかげで王宮のはしっこの寂れた離宮で、国王にとっくに忘れ去られた第七側妃の母と母に忠誠を誓う侍女たちと、やっぱり雑草も刈り取ろうと思い出したかのように異母兄弟たちから差し向けられる暗殺者を時々撃退しながらのんびり暮らしていたのだが。
「助けてぇぇッ!!!」
私は絶体絶命のピンチにいた。
私は頭を下に向けて必死に急降下中。ぴったり真後ろには巨大な大鷲が。だって今の私は、茶色い小雀の姿をしているのだから。
大鷲の爪が私を掴む。
あと少し大鷲の鋭い爪がぎゅっと私に喰い込めば、私は死ぬ。
もうダメだ、と思った瞬間。ザンッ、と矢が大鷲を貫いた。しかも頭部を。飛ぶ鳥の頭部に命中させるなんて凄腕すぎる。
なんて感心している場合ではない。
大鷲は私を掴んだまま落下中なのだ。ぶつかる。地面にぶつかってしまう。今度こそ死んでしまう。
地面まで、3秒、2秒、1秒。
地面に激突する寸前、大鷲が空中でピタリと停止した。誰かが魔法を使ったのだ。
ぷらん、とぴぃぴぃ泣く私も空中で止まる。
「小雀が捕まっている、かわいそうに。ほら、離してやろう。触るけどショック死するなよ」
大きな人間の青年の手が大鷲の爪から私を解放してくれた。
間一髪の命の危機にへろへろと私は飛ぶこともできずに地面に座りこんだ。
「ありがとう! ありがとうございます!」
小雀姿も忘れて、私は人間の言葉でペコペコと頭を下げた。
「もうダメかと、もう死ぬかと思いました!」
人間の言葉を喋ってペコペコする小さな小雀に一瞬呆然としたものの、我に返った青年は小雀を地面から掬い上げるように手のひらに乗せた。
「小雀か? 人間か?」
青年の真剣な眼差しに射抜かれて私は硬直した。
マズイと思ったものの、もう遅い。逃げ出せないように手のひらに囲われている身では動くこともできない。しぶしぶ、
「人間です……」
と私は返事をした。
私は膨大な魔力を所有するが、小動物に変身中は魔法を使うことができず無力なのだ。
そも何故、各王家は純血を頑なまでに守るのか。
王家の血が濃ければ濃いほどに魔力が天井知らずになるからだ。何より純血の王族は、神よりギフトと敬称される個人魔法を授けられるのである。
それは、天候を操作したり、大地を揺れ動かしたり、水を湧き出させたり、病気や怪我を癒したりと神の御業のごとき魔法から、私のように小動物に変身できるだけの役に立たないものまで幅広く種類があったが、世界で唯一のその人物だけの個人魔法であった。
で、私が個人魔法を何故使えるかというと。
母親がこの王国の王族、国王の従姉姫なのである。父親である国王も知らないことだが。
母親と国王は従姉弟とはいえ年齢差があったため、ほとんど顔を合わせたことがないままに母親は他国に嫁入りをしたのだ。
国王が男爵令嬢を王妃にして、他国の王族から婚姻を拒否された時、母親は小国の王族と結婚していた。王子も産まれていた。それに目をつけた国王は自国の国力にものを言わせ、無理矢理に母親を離婚させ自国に連行させたのだ。
公式には、母親はその連行途中で崖崩れに遭遇して死亡したことになっている。
母親の父親、私にとっては祖父にあたる人物の策略によって。
国王は側妃たちに子をひとりしか産ませない。
ひとり産まれれば、国王は側妃のもとに二度と渡らなくなる。王妃のご機嫌とりに、ずっと愛するのは王妃だけと証にするためだった。
しかし母親が王族の身分のまま後宮に入れば、子を産む道具として身体が壊れるまで子を産ませ続けさせられることになっただろう。すでに側妃たちには王子王女が産まれているのに。そして未来図は純血の王族と大貴族をバックに持つ純血ではない王族の対立である。
純血種の王族を絶やすことを祖父は憂慮したが、娘も孫の命も大事であった。ましてや王国の争乱はもっての外である。ただでさえ、水面下で苛烈な争いは始まっているというのに。
苦肉の策として母親に偽物の伯爵令嬢の身分を与えて国王の後宮に入れ、祖父の望む純血種の私が生まれたのであった。
はっきり言って、父国王も祖父もクソッタレである。
だから私は母親を連れて、いつの日にか後宮から逃げ出そうと小動物に変身して彼方此方と動き回っていたのだ。
が、今日ドジってしまった。
命が助かった安堵感に力とともに用心深さが抜けてしまい、つい人間の言葉を喋ってしまった。
「人間? 小雀に変身できるなんて魔法は聞いたことがない。では、個人魔法か、おまえ何処かの王族か?」
するどい。
ちらっ、と青年を見上げれは圧倒的な魔力を感じた。見たことのない顔だから他国の王族だ。私よりも遥かに多い魔力量に小雀姿だけれども、冷や汗が滲んだ。
大きな手のひらの中でチタパタと逃亡しようと暴れる。
「うわっ、可愛い!」
私は手の隙間から抜け出そうと必死なのに、青年は目尻を下げて蕩けた顔をしている。
「羽根が柔らかいなぁ。手に当たってこそばゆいけど感触がふんわりしていて心地好いな」
えいえいとちびちゃい小雀の頭で青年の指を押し上げるけれども、青年を可愛い可愛いと喜ばせるだけだった。
「離して下さい! 私13歳なんですよ、未婚の令嬢の身体に男性が触れたらダメなんですよ!」
「だって小雀だし。令嬢というならば本来の姿に戻ったら離してあげるよ?」
無茶を言わないで。
枯れ葉王女に戻って素性を知られたら、蔑まれる枯れ葉王女が純血種と知られたら、母が。母が父国王に子を産む道具として後宮に閉じ込められてしまう。それだけは絶対に避けないといけないのに。
という出会い方を私と青年オリウスがしたのは2年前のこと。
オリウスは北の大帝国の第四皇子だった。
ギフトは瞬間移動。
今では私の事情を理解して、兄である第三皇子殿下と足繁く母の寂れた離宮にこっそり通って来てくれる仲になった。
第三皇子殿下はオリウスにくっついてきた時に、母に一目惚れをしたのだ。
くどいてくどいて、母に拒絶されても諦めないでくどいて。
「オリウスのお兄様、熱烈ね。情熱家というか、……執念深いというか」
今日も母に恭しく跪き、求婚している神が作りし至宝のような美貌の第三皇子殿下を眺めて私が言った。
「兄上は粘っこいからね。執着したら離れないし離さないよ」
「うーん、娘としては複雑だけれども、お母様が幸せになれるなら……」
「ええ!? 兄上は粘っこい粘着タイプなのに、いいの?」
「お母様は男性に利用されるばかりだったから……。祖父からも私の父親の国王からも利用されて、前夫であった小国の王族も母を守ってはくれなかった。オリウスのお兄様のように心からお母様を愛して、北の大帝国の第三皇子殿下の身分があるのだから今だってお母様を無理矢理従わせることもできるのに、お母様の意思を尊重してくれている。あのね、お母様は最近明るく笑うようになったのよ、オリウスのお兄様のおかげだと思うわ」
「だから、街に行かない?」
私の目に、ほんのり頬を染めて嬉しそうに微笑む母が映る。
「お邪魔虫になりたくないもの」
ヒュン、と風が唸った。
オリウスの瞬間移動で街のそば、人目のない林に転移する。茂った木々の葉の隙間から光の欠片が星のように輝く。自然につくられた木の根の階段に木漏れ日が金粉みたいに降り注いでいた。
私はオリウスのお気に入りの子リス姿である。
ふわふわの茶毛にぽっこりお腹は真っ白。長い尻尾はクルンクルンでもふもふ。野生種ではないからノミもいないし、毎日お風呂に入っているから清潔で獣臭くもない。体長は10センチ。うるるんの大きなお目目がウルトラキュートな子リスちゃん。ペットとして完璧である、ドヤッ。
「かわいいな~、かわいいな~、かわいいな~」
私のちっちゃな子リスのお手手をニギニギしてオリウスが相好を崩す。
「父上と母上が羨ましがるぞ。かわいいルルージェンを一人占めだからな」
私はオリウスに連れられて北の大帝国へ何度も遊びに行っていた。その時、オリウスの父である皇帝陛下と母である皇后様に大歓迎をされたのだ。
北の大帝国の皇族は魔力量が多いことで有名であった。あまりにも強い魔力のため、魔力量の少ない平民は頭を上げることもできずに膝をついてしまうほどだった。ましてや小動物などは脱兎の如く逃げて、もし触れようものならばショック死をしてしまうことも多々あった。
ゆえに皇帝陛下も皇后様も小動物に触ったことがなかった。
私が変身するもふもふの子ウサギや子ネコや子ネズミや子リスちゃんは、そんな皇帝陛下と皇后様のハートをガッチリ鷲掴みにしてしまったのだ。
私の最近の仕事は、小動物に変身して皇帝陛下と皇后様とお茶をして、なでなで撫でられることである。ついでに羨ましそうに見ているのに、撫でたいと言い出せない武人の皇太子殿下に私から近寄って「仕方がないから撫でてやる」と撫でられるまでが様式美であった。
林から街は近いので、王都の城壁が見えた。
蔦が這い登った強固な石の壁に見張り櫓を備えた堂々たる王都門は壮麗で、国王が男爵令嬢を王妃に据えたことによって起こった王国の斜陽を感じさせぬ、残照なおまばゆく威風堂々としていた。
左右に兵士が警備する王都門をくぐり、馬車や人々が行き交う広い道を歩く、オリウスが。私はオリウスの肩の上で、ちょん、と可愛く座っている。
肩に乗る子リスを物珍しげに振り返る人も多いが、オリウスは舗装された歩道を歩く足を止めない。
「オリウス、あそこの屋台が果物を売っているわ。林檎を買って?」
「はい、はい。幾つ買う?」
林檎を買っていると、隣の屋台からおしゃべりが聞こえた。
「また、枯れ葉王女がやらかしたって?」
「紅茶がぬるいとメイドに怒鳴ってクビにしたらしい」
「あたしは花祭りの日の夜会で男を部屋に引きずり込んだって聞いたよ」
「へえ、ブサイクな王女に釣られる男がいたんだ」
「姉妹の王女様方はお美しいのに、枯れ葉王女はブサイクなのに贅沢好きで男好きでワガママで、良い所がまったくないよね」
アハハハ、と枯れ葉王女を小馬鹿にして嘲る笑い声が響く。
私はオリウスの肩からマントに潜りこんだ。
私じゃない。全部、異母兄弟がしたことだ。でも、異母兄弟の失敗や癇癪や浪費は私がしたこととして噂が流される。異母兄弟の泥は私にかぶせられ、綺麗で立派な王子王女として異母兄弟は人々に傅かれていた。
マントの中でしょんぼり尻尾を抱いて丸くなった私を、オリウスが優しく撫でてくれる。
「なぁ、もう帝国に来いよ。父上も母上もルルージェンの虜だから、一日千秋で待っているし。帝国ならば苦労も不自由もさせないぞ」
「うん……、お母様と相談してみる」
「それからルルージェンはブサイクではないぞ。凄くかわいいぞ」
「ペットとして、でしょう」
「女の子として可愛いんだ。茶色の髪も瞳も陽の光にあたるとキラキラして。顔立ちだって、可憐で愛らしい。あのな、地味な美しさというものは決してみすぼらしくないし見苦しいものでもないんだぞ」
「……私、みっともなくないの?」
「可愛い! 小動物にならなくても人間の女の子の姿で凄く可愛いって! 俺を信じろよ、そうだ、王国で来週に国王の即位20年を祝う大夜会があるだろ。あれに出よう、よし、俺がエスコートして可愛いルルージェンを皆に見せびらかしてやろう!」
「え? ドレスなんて持ってないわ。夜会なんて出席したことないもの」
「俺が用意する、任せろ!」
人のいない路地に駆けこむと、オリウスは帝国へ転移した。
「母上! 来週ルルージェンと夜会に出るから宝飾品とドレスを」
いきなり執務室にあらわれた息子に皇后は驚きもせず、腰掛けていた椅子から優雅な所作で立ち上がった。
「皇后様」
私は皇后様の執務机に降りて、子リス姿でペコリとお辞儀をする。
「おお、ルルージェン!」
すかさず皇后様は私を抱き上げてスリリと頬ずりをした。
「今日は子リスかえ。ほんにルルージェンはかわゆいのう」
「母上、ルルージェンを堪能しながらでいいので、俺の話に耳を傾けて下さい」
オリウスは私の王国での辛い立場から側妃である母親のことまで詳しく皇后様に語った。来週の夜会のことも。
「なんということじゃ! 妾の可愛いルルージェンに! 陛下、陛下!!」
皇后様は私を抱いたまま皇帝陛下の執務室へ突入してーー結果、「わしの可愛いルルージェンに! 許さぬぞ!!」と皇帝陛下が激怒して、「滅ぼそう」と皇太子殿下が冷酷な口調で宣った。
マズイ。
私は、あざとく可愛い仕草でふわふわの尻尾をちまこい手で持って、ぶるぶる震えた。
「怒らないで……」
こわいよう、と涙をたたえた大きな瞳で皇帝陛下と皇后様と皇太子殿下をじっと見る。
うっ、と胸をおさえる3人プラス部屋の壁側に立つ護衛たち。
「私のせいで王国が滅びるなんて嫌です……」
ぶるぶる震えて、ちんまい茶色のお耳をペションとさせて訴える。私は女優。私はやればできる子。うるうるの目を瞬きさせて、涙をぽろぽろこぼした。
研究に研究を重ねた超絶かわいく見える角度で首を傾げて、3人を見上げる。
枯れ葉王女と貶されて否定されて、せめて小動物の時は可愛く思われるように一生懸命に勉強をしたのだ。
「父上、母上、兄上、ルルージェンを泣かせないで下さい。王国はどうせ自滅しますよ、大貴族たちの勢力争いが凄まじいですから。20年前の少年王だった国王は王国の全権力を保持していましたが、現在の国王は貴族たちに喰われて削り取られて落日一直線ですから」
私に泣かれてオロオロしている3人に、オリウスは悪い笑顔を向けた。
「しかし、ちょっとばかり仕返しをしたいので、父上、母上、兄上、協力をお願いできませんか? それと俺、ルルージェンと結婚しますから」
さらっと最後に、とんでもない発言をしたオリウスに私を含めて部屋中の人間が驚愕の叫び声を立てたのだった。
豪華なシャンデリアが光の滝を溢していた。
国王の即位20年を祝う大夜会である。
四季の女神のレリーフが刻まれた華麗な柱の間には、美々しい礼服の近衛兵が整然と並び、贅を極めた礼装の貴族たちが大会場を埋めつくしていた。
国外からの賓客の姿も数多く見られて、斜陽とはいえ王国の国力の高さをうかがわせた。
「ねぇ、ご存じ? 北の帝国からの来賓の方は第三皇子殿下と第四皇子殿下ですって。しかも夜会には婚約者の方を伴って来られるとか」
「ええ、残念ですわ。当家の娘をぜひ皇子殿下方に紹介したかったですのに」
「夫は皇子殿下方と繋がりが欲しいと、目をギロギロさせておりましたわ。ほら、あちらの侯爵や伯爵も。そわそわしている殿方が今夜は沢山いらっしゃること」
豪奢なドレスに身をつつんだ貴婦人たちが、扇子の影で海の波のようにさざめく。
その時、どよめきが起こった。
人の波が左右に割れる。
そこに第三皇子殿下にエスコートされた母が進む。まるで天に咲く花のごとく美しい。純血種の王族として誕生した母は、歩き方、微笑み方、裾のさばき方、首の傾げ方、美しさは顔だけに宿るのではなく、指先の動き、眼差し、呼吸に至るまで品位ある所作ふるまい全てにおいて誇り高く優美であった。
国王の隣に座る王妃の顔が強ばる。
王族とは、かくあれかしという見本のような高貴な母と、未だに下級貴族のふるまいが抜けない愛らしいだけの王妃。
その上、母の宝飾品もドレスも王妃の数段上の価値があるものばかりであった。
母の細い首を飾るネックレスは、青い炎のような色と透明感の大粒のブルーダイヤモンドを中心に、しなる蘭の茎のように無数の輝くダイヤモンドが取り囲んだ逸品。イヤリングも浮遊する花のごとくブルーダイヤモンドが煌めく。
ドレスは、銀の糸でたっぷりと刺繍を施し極上のレースを重ね、小粒のダイヤモンドが光を取り込んで光彩を放っていた。
母を誘拐すれば豪遊生活を耽溺できること間違いなしの、生きた財産であった。
私のドレスも宝飾品も、母に負けず劣らず超高価格。小リスの時みたいに嘘っこぶるぶるではなく、本気で震えが走ったくらい豪華絢爛だった。
「対面する前から勝負がついていない?」
「ルルージェンの母上って超美人だったんだね」
「うん。16年前に後宮に入れられた時は、化粧で顔色を悪くしたり仕草を粗雑にしたりして、わざと国王に目をつけられないようにしていたんだって」
私とオリウスがひそひそと会話をする。母と第三皇子殿下の後ろに私たちはいた。さらに後方には帝国の騎士に変装した第二皇子殿下もいる。
「ルルージェンも綺麗だよ」
「えへへ、ありがと。オリウスが素敵なドレスと宝石を贈ってくれたから」
「ちがうよ。ドレスと宝石がなくても、ルルージェンは可愛くて綺麗なんだよ。ほら、周囲を見渡してごらん。みんな見とれて、若い貴族たちなんて顔を赤くしてボーッとしているし、なんか腹が立つ」
確かに私の耳には称賛の声が届いていたが、それ以上に、
「帝国の第三皇子殿下の婚約者は……」
「あの容貌は……」
「先の王弟殿下のご息女である、崖崩れでお亡くなりになった姫君では……」
と言う王国の年配の貴族たちのざわめきが聞こえてきていた。
「バカな、第三皇子殿下の婚約者は20歳前後の容姿ではないか」
「それこそが姫君の証拠なのだ。姫君のギフトは、若さの維持だ。姫君はお美しいまま年をとられないのだ」
貴族たちの声に国王は顔色をかえた。
王座から降りて、急ぎ足で第三皇子殿下と母の前に立つ。
「まさか、まさか、ルディリアナなのか?」
第三皇子殿下が守るように母の肩を抱き寄せる。
「わたしの婚約者のルディリアナです。この国の礼儀はどうなっているのですか? 国王みずから他国の皇族の婚約者を呼び捨てとは」
「失礼をした。だが、ルディリアナは従姉でわたしの側妃となる予定の姫だったのだ」
「側妃?」
第三皇子殿下は鼻で嗤った。
「王族の姫が側妃ですか。しかも、その優雅さもなく突っ立っている王妃の下に? この国は次代が純血となることを捨てた時に王族の誇りも泥沼に沈めたみたいですね」
国王は羞恥に唇を噛んだ。
周囲からの美辞麗句を浴びて育ち、恋だの愛だのに溺れた世間知らずの少年王も20年の月日に夢から覚めて現実というものを嫌が応でも見ることとなった。
ましてや即位した時は対等に接していた他国の王族たちが、結婚を境に自分を見下すようになり、屈辱という煮え湯を長年の間呑み続けてきたのだから。
言葉につまった父国王の前に、私はオリウスとともに歩み出た。
「お父様、ルルージェンです。と言ってもお父様と顔を会わせたこともありませんから、はじめまして、と言った方が良いでしょうか?」
国王が目を見開く。
「ルルージェン? 第三王女の」
「私、帝国の第四皇子であるオリウス様と結婚することになりましたの。そうそう、私のお母様を紹介しますわ」
私は、紅玉のような唇が笑みを描く母の白い手をとった。
「私の母の名前はルディリアナと申しますの」
「ルディリアナ!? ルリリア?」
国王が唖然と母を見て、まさか、と呟く。
「第七側妃のルリリアなのか? ルリリアがルディリアナ?」
母に手を伸ばそうとした国王だが、第三皇子殿下に払いのけられる。
「わたしの婚約者に無礼な!」
美しい顔を怒りに染めた第三皇子殿下は、
「王国の王族ならびに貴族は、その場から動いてはならぬ。〈停止〉せよ。明日の朝日が昇るまで」
とギフトを発動した。
「あ、足が動かない!」
「手も、嘘、このまま朝まで!?」
床に足が縫い止められて人形の如く身動きすらできなくなった貴族や王族が非難して叫ぶ。
「こんなこと、いかに大国である帝国でも横暴すぎる!!」
私は青い顔色の父国王に、にっこり笑いかけた。
「お父様にご挨拶をするのは、今夜が最初で最後です。在位20年おめでとうございます。では、私からお祝いを。私のギフトを披露いたしますわ」
後方にいる第二皇子殿下がギフトを口の中で唱える。それを、さも自分のギフトのように私が両手を広げて唱えた。
「因果応報。国王を除く王族は己れがしてきた悪事をひとつ残らず白状せよ。ギフト〈真実の口〉」
壇上の王族席にいる王妃と側妃たち、そして私の異母兄弟である王子王女が蒼白になった。
「い、いや、いや、しゃべりたくない。あ、ああ、わたくしは毒を第二側妃に」
「あ、あたくしは第一王子が乗馬する時に、う、馬に細工を」
「ルルージェンの王女費を横領して」
「ルルージェンの名前を使って殿方と火遊びを」
「ルルージェンに罪を擦り付けて」
私への冤罪はもちろん、洪水のように陰謀や暗殺や乱暴狼藉の数々があふれ出てくる。
そして王妃は、
「国王なんて愛していない。王妃の地位は魅力的だけど、命令ばかりして自分勝手でうんざりする。早くお茶に入れている毒で死なないかしら。そうしたら、もっと若くてイイ男と再婚するのに」
と可愛らしい顔を歪めて赤裸々に白状した。
大勢の他国の来賓と自国の貴族たちの前で。
オリウスが喉で嗤って、
「ルルージェンをもらっていく。文句があるならば戦争でも受けて立つ、俺ひとりでも王国軍に勝てるからな。万が一にも帝国に負ける要素は何もない」
と絶望に顔も上げられない国王に向かって冷たく告げた。それから動くことのできない貴族たちに、
「今夜は冷えるな。俺の大事なルルージェンを侮辱してきた貴様らも、長い夜にお漏らし貴族にならないように我慢しろよ」
と愉快そうに吐き捨てた。
兄上が利尿薬を飲み物に混入するように部下に命令していたからムダだと思うけど、ついでに王宮の使用人の飲み水に下剤を投入させたから今夜は使用人もアテにはできない、とは追加で言わずに笑いを噛み殺したオリウスだった。
そして大混乱の夜会会場を横目にして、私たちはオリウスの瞬間移動で姿を消したのであった。
翌日。
帝国の宮殿にふさわしい美しさと芳香を兼ね備えた薔薇の庭園で、オリウスは私に正式に求婚をしてきた。
豪華なフリル咲きの、ラ・カンパネラ。
ピンクとオレンジ色の複色の、ベビーロマンティカ。
濃淡のピンクのグラデーションの、ハロウィン。
フリルの花びらが緑色がかった白色の、オートクチュール。
鮮やかな黄色の、ゴールドストライク。
大輪の紫色の、クールウォーター。
ビロードのような赤い花びらの、ウォンテッド。
花色も咲き方も大きさも大輪から小花までたくさんの品種が咲き誇る薔薇園で、でも、オリウスが私に捧げてくれた花束は。
幸運をもたらすと言われる白いスズランとひらひらと飛び立つ蝶のような花びらの白いスイートピーの、小さく可憐な白い花束だった。刺を持たない可愛い姿の花。花嫁の色の白い花。私の大好きな花々。
どこまでも私に優しいオリウスに涙がこみ上げる。
「愛しているよ、ルルージェン」
凛々しいオリウスの顔が私に近づく。
3秒後、私の呼吸が止まった。
読んで下さりありがとうございました。