第19話 永遠の記憶と幻影の庭(6)
エリーゼは、スミスター一家への復讐など考えていない。
ただ、これ以上関わりたくないだけだ。
しかし、魔法書がわざわざこんなことをしてくるということは、エリーゼでも気づかないうちに、心のどこかに恨みつらみが残っているということなのだろう。
復讐に囚われて亡霊になるのか。
お前も、ナタリアと同じなのか。
魔法書からそう聞かれているような気がして、エリーゼは目を伏せる。
魔法も、長い時間を経れば自我を持つことがある。
この魔法書はそれの典型的なものだろう。
エリーゼの心を見抜き、わざと創造者であるルディの凄惨な記憶を見せた後に、エリーゼの記憶を幻影に写した。
だが、エリーゼは復讐など本当に考えていないのだ。
あの古傷は、復讐へ心を捧げるために残したものでは無い。
ただ、当時の幼いエリーゼの苦しみを消し去るように忘れてしまうのを躊躇っただけ。
(禁忌魔法なんか、興味ありませんよ)
『本当に?大魔法使いの弟子である君なら、簡単に扱えるんじゃないのかい。自分をあんなふうに傷つけた家族が、憎くないのかい』
ふとどこかから声が聞こえてきて、ぱっと目を開ける。
すぐ側で、冴えない庭師の青年が濁った目でエリーゼを見つめていた。
魔法書がルディの形をそっくりに写し取ったのだろう。
その姿は、幻影で見た彼そのものだ。
『僕ほどの魔法を騙せると思うのか。君は彼らのことを恨んでいる。絶対に同じ目に合わせてやるという気になるはずだ』
復讐が不毛なものであると見せつけられても尚突き進むような人間ではないかと、魔法書が疑っているのだ。
じゃあもし、エリーゼが頷いたら、魔法書はエリーゼをどうするつもりなのか?
そう聞けば、魔法書は淡々と当たり前のことのように答えた。
『もちろん、その心を捻り潰すのさ。それが僕の創造者の望んだことだから』
ずいぶん恐ろしいことを言うものだ。
心を潰す、つまり精神を改変されるのだろう。
おそらく、この魔法書の創造者の望みは、自分やナタリアのように間違った道へ進んでしまう人がいなくなることだ。
魔法書は人では無いので、容赦なくその願いを言葉通り遂行しようとする。
だから脅しているかのような形に行き着いてしまうのだ。
だがいくら問い詰められた所で、エリーゼがスミスター一家のために何か復讐してやろうなどと考える日は絶対に来ない。
今尚エリーゼを悪用しようとする彼らに対して、あまりにも疲れすぎた。
確かに、エリーゼは彼らを恨んでいる。
一生許すことはないが、今は復讐よりも縁を切ることを望みたい。
師匠はそんなことのために、エリーゼに魔法を教えたわけではないのだ。
彼の人がなぜエリーゼを見つけ、なぜエリーゼに魔法を、生きる術を教えたのか。
その理由が分からないほど、エリーゼはもう幼くはない。
それに、復讐に命を捨てるような人は……ダリウスの隣に並ぶのに相応しいとは、絶対に言えない気がするのだ。
セラフェン公爵家の若き主。
輝く青き焔。
孤高の銀狼。
いくつもの素晴らしい称号を獲る彼の隣に立つには、エリーゼにはまだ栄誉が足りなかった。
いつか、堂々と胸を張ってセラフェン公爵と対等になるためには、エリーゼに必要なのは復讐の為に一家を追いかけることではなく、魔法鑑定士として仕事に専念することだ。
もちろんダリウスはずっとエリーゼを対等に見てくれていただろうが、その優しさに甘えるわけにはいかない。
帝国一の魔法鑑定士として賞賛されれば、セラフェン公爵とは対等になれる。
立派な一人前の鑑定士に、魔法使いになること。
それこそが、エリーゼの一番の望みである。
それを、妄執に囚われて忘れることなんて、絶対にあるものか。
「いいえ。私は間違った道になど進みませんよ。私の目指す先はただ一つ、初恋の人がいる場所ですから」
エリーゼはぐっと彼の襟元を掴み、顔を寄せた。
「そういうことなので。すみませんが、私は復讐者ではなくただの魔法鑑定士ですので、帰していただけますか」
きっぱりそう言えば、魔法書はただ優しく笑っただけだった。
まるで、冒頭で見たあの笑顔と同じように。
エリーゼは魔法書に許してもらえたのだ。
ほっと安心するとともに、次の瞬間、エリーゼの視界が急に明るくなる。
「───────エリーゼ」
それは、聞き馴染みのある心地よい涼やかな声だった。
目の前いっぱいに広がっているのは、ついさっき思い浮かべていた綺麗な青い瞳の青年だ。
お互いの顔がくっついてしまいそうなぐらいの近さで、まだ夢の中にいるのかと一瞬思った。
なぜ、ダリウスがこんなに至近距離にいるのか。
エリーゼはぱちぱちと瞬きした後、自分が彼に抱き抱えられていたことを確認する。
それから、自分の手が何か布のようなものを掴んでいることも。
エリーゼは不自然に歪んでいるダリウスのネクタイに視線を向ける。
自分の手が一体何を掴んでいたのか、もうこれ以上見たくなかった。
「すみません、そんなつもりじゃなかったんです!」
慌てて握り締めていたダリウスのネクタイから手を離し、顔を背ける。
「俺はそんなつもりでも構わないが」
ダリウスの戯言は流すとして。
腕の中から離してもらい、スカートを整えた。
「私、どうなってました……?お二人も、あの幻影魔法は見たんですよね」
エリーゼより先に現実に戻っていたということは、二人はエリーゼの記憶は見てないと考えていいのだろうか。
正直言って、あれはあまり人に見られたいものでは無い。
ダリウスにさえ過去のことは詳しく語っていないのだ。
「ええ。しかし、幻影魔法が終わって現実に戻ってきたところ、あなただけが一向に目を覚まさずに苦しみだしたんですよ」
「そうだったんですか!?」
「少し休んだ方がいいでしょう。いますぐ部屋を用意させますから……」
メイナードがおろおろと心配している。
だが、エリーゼにはどこも悪いところはないのだ。
記憶が見られていないということが分かっただけでも、十分落ち着けた。
「いえいえ!いいんです、全然平気なので」
「本当か?どこか悪いかもしれない、やっぱり休んだ方がいい」
「本当に大丈夫ですから、気にしないでくださいな」
ダリウスもメイナードも心配でたまらないという様子だ。
たしかに、いきなり倒れて苦しみだしたら心配にもなるだろう。
驚かせてしまって申し訳ない。
「何か、見たのか」
ダリウスが、やけに神妙な顔をしてエリーゼを見つめた。
「え?」
「眠っている間に、何か見たんだろう。顔色が悪い」
そのまま頬に手を添えて、青い瞳に覗き込まれる。
「だ、大丈夫ですよ……?」
そのやけに近い距離に緊張してしまい、声が小さく萎んでいく。
この状況はまずい。心臓が破裂する。
エリーゼはそう思い、なんとかダリウスを押し返した。
「とにかく、本当に何も無いので気にしないでください」
「そうですか……。でも、無理はいけませんよ。辛くなったらすぐに言ってくださいね」
エリーゼは元気だということを示すように、にっこりと笑ってみせた。
「お気遣いありがとうございます。それで、先程突然魔法が発動したのは魔法書の暴走によるものだと思われます。力の強い魔法書は、長い時を経ると自我を持つことがたまにあるので。きっと、私たちに彼の記憶を見て欲しかったのだと思います」
「なるほど……。そういうことでしたら、もっと早くに見つかっていれば良かったんですけれどねぇ」
「もし、この魔法書が侯爵家の方々の手に負えないと判断したら、その時は皇宮の魔法研究機関の、テレンスさんという方に預けてください」
エリーゼの言葉に、メイナードは首を傾げた。
テレンスの名前を出したことで、ダリウスが少し殺気立つが、今のエリーゼにとってダリウスや自分たちの他に信頼出来る魔法使いと言えば、彼しかいない。
「その方でいいんですか?貴方ではなく?」
「はい。どうやらこの魔法書は、もう私には応えないでしょうから」
「それは、どういう……」
メイナードの言葉を遮るかのように、エリーゼは魔法書をぽんと手渡した。
いつまでも過去に囚われているわけにはいかない。
エリーゼが生きているのは、今なのだから。




