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第17話 永遠の記憶と幻影の庭(4)

(これは一体どういうことでしょうか)


つい数刻前にも似たような庭園を眺めたばかりだが、どうやらここはフォルシー侯爵家の庭とは違うようだ。

レイアウトや花の種類も違い、綺麗な薔薇のアーチもない。

しかし、こちらも丁寧な造りで、ここで咲いている花たちは大切に育てられていることが分かる。


『ルディ!見て、あなたが教えてくれたおかげで綺麗に花が咲いたわ!』


ふと、知らない女性の声が聞こえてきて振り返る。

手入れをしていた庭師の青年の元に、茶色い髪をなびかせて女性が駆け寄ってくるところだった。

服装は今の流行のものではなく、なんというか、古めかしく今どきの令嬢にしては違和感を覚えるものだ。


『良かったですね、ナタリア様』


『本当にありがとう!伯爵の好きな花をこんなに綺麗に咲かせられたんだから、きっと喜んでくださるはずだわ!』


『ええ、そうでしょうね』


小さな植木鉢を抱えて喜んでいるナタリアを、ルディは優しい笑顔で見守っている。


(ああ、この二人が『政略結婚した令嬢』と『庭師の青年』ということ……)


エリーゼは今自分が、この魔法書を作った人の記憶を見ていることに気づいた。

今は仲の良い友人同士に見える二人だが、彼らの迎える結末を知っている身としては、少し目を背けたい光景だった。


場面は変わり、伯爵邸の廊下に移る。

花を抱えたナタリアが伯爵の部屋を訪ねようとしているところだったが、伯爵の部屋の前は静かで、使用人も誰もいない。

コンコン、とノックをしても何の反応も帰ってこない。


『もしかしてお休みになられているのかしら……でも、花を置いておくだけならきっと許して貰えるわよね』


ナタリアはそっと扉を開けようとしたが、薄く開いた隙間から見えたものに、思わず手を止めた。


『愛しているよ、ノーラ』


ナタリアの夫である伯爵が、赤髪の女性にキスをしていた。

二人は抱き合って、愛を誓っている。

ナタリアは悲鳴をあげそうになるが、空いていた片手でぐっと口を塞いだ。


『伯爵様、わたくしも愛しておりますわ。でもいいんですの?わたくしを本邸に連れてきて、もしナタリアに見られたら……』


『あんな女のことなんかどうでもいいさ。金の為に仕方なく結婚しただけで、用が済めばさっさと捨てる。頭も悪い上にお前のように可愛らしくもない女など、この俺の妻には相応しくないからな』


『まあっ、あんまりですわ。あれでもわたくしの親友なんですから。あははっ』


どうやら伯爵はナタリアに対して酷い扱いをしているようだ。彼女のことを悪く言うばかりか、金づる扱いで捨てるとまで。

そしてさらに最悪なことに、ノーラと呼ばれていた赤髪の女性は、ナタリアの親友だったようだ。


『そんな……どうして、ノーラがあの人と……』


ナタリアのか細い声は震えている。

中に入って問い詰めたいが、きっと伯爵はナタリアに逆上して暴力を振るうだろう。

がくがくと震えることしか出来ないナタリアだったが、いつから気づいていたのだろうか。

伯爵の腕の中のノーラが、隙間から覗いているナタリアに向けて、にやりと笑った。


『……っ!』


覗いていたことに気づかれたのではない。

最初から見せつけるつもりだったのだ。

ナタリアはそれを知らず、まんまと罠に嵌められた。


(なんて酷い……)


堪らずナタリアは扉の前から逃げ出して、庭へ戻っていく。


『ナタリア様、喜んでいただけましたか……えっ!?』


『ルディ!どうしよう、私、私……』


ナタリアはルディに抱きつき、今見た光景を洗いざらい全て話す。

伯爵の不倫。

そして、その相手はナタリアの親友。

二人は、ナタリアを笑い、金だけむしり取って捨ててしまうつもりだと。


『ナタリア様……私なら、ナタリア様にそのような顔はさせません』


『ルディ……』


『愛しています、ナタリア様。あんな酷い男のことなんて忘れて、私のことだけ見ていてください……』


ルディがナタリアを強く抱き締める。

突然の告白に戸惑っていたナタリアも、次第に彼に腕を回し、二人は口づけをした。

邪魔をするものは誰もいないこの静かな庭園で、運命の歯車はついに回り始めた。


(これこそが悲劇の始まりですね……)


もしここで彼がナタリアを抱き締めなければ、違う未来があっただろうか。

もし伯爵にほんの少しの良心があれば、彼女たちが過ちを犯すことはなかったのではないだろうか。


いや、考えても仕方がない。

エリーゼは首を横に振った。

これは過去のことであり、全て起きてしまったことだ。

エリーゼはそれに干渉することはできず、ただ悲劇を眺めるのみ。


再び場面は変わり、今度はナタリアと伯爵が言い争っているところだ。

地下室に向かっているのだろうか、ナタリアは伯爵に引き摺られながら、暗い廊下を進んでいく。


『お前のような無能は、我が伯爵家には相応しくないんだよ!』


『きゃあっ!』


地下の一番奥にある、小さな古い部屋だった。

伯爵はナタリアをそこへ放り込み、外から鍵をかける。

物置だったのだろうか、埃だらけで汚れたその部屋に灯りなどはなく、ナタリアは暗闇の中でどうすることもできない。


『そこで大人しくしているといい。しばらくすれば目も覚めるだろう。誰に何を吹き込まれたか知らないが、自分の立場を忘れるな。たかが書類上だけの妻が、この家で偉そうな顔が出来ると思うなよ』


『お願いです!ここから出してください!』


そう言い捨てて去っていく伯爵に、ナタリアは必死で扉を叩いて引き留めようとするが、足音は遠ざかっていきやがて物音一つ聞こえなくなった。


『どうして……どうして、こんなことに……』


膝を抱えて蹲り、涙を流す。

不倫の事実を伯爵の元へ訴えに行ったのだろう。

その結果、伯爵は逆上してナタリアをここへ監禁した。

あらすじで聞いたとおりに進んでいる。

ナタリアはきっと、ルディに相談することなく考え無しに突き進んでいったのだろう。

何度も後悔の言葉を呟くも、食料や水どころか灯りさえないこの部屋で、体力が持つわけが無い。

ナタリアは力尽きたように倒れ、固く目を閉じる。

しばらく時間が経った後、そこへ現れたのはルディだ。

彼はナタリアの居場所を突き止め、地下室の鍵を盗み出してきたのだ。


『ナタリア……!』


『ルディ!』


扉が開き、ナタリアは久々に感じた灯りの眩しさに目を細める。


『遅くなって本当にすまない!怪我はないか、今すぐ逃げよう』


ルディはナタリアを抱き上げると、地下室から離れていく。


『外は大変なことになっている。伯爵は君との離婚を決定して、愛人を正式に妻として迎え入れるつもりだ』


『そんなっ……!』


ナタリアはルディの腕の中で顔を覆った。


『あの二人に使い込まれたおかげで、私の財産はもうほとんど残ってないのよ……!いまさら実家には戻れないわ、私は一体どうしたら……!』


『僕がいるじゃないか。少しの間、匿ってあげる。その間にあいつらへの復讐を計画しよう』


『ルディ!ああ、ありがとう……あなただけが私の味方よ』


ナタリアはもはや当たり前のように復讐することを受け入れている。

伯爵との和解を第一に考えていたものだから、直訴なんてして地下室に監禁されたことで目が覚めたのだろう。

彼との和解は無理だと。

二人には、報復するしかないと、彼女の昏い瞳が語っていた。


それから二人は隠れ家を用意し、復讐への準備を始める。

ナタリアが復讐の道具として手を出したのは

、「禁忌魔法」だった。

それは恐るべき呪いの魔法で、今は封じられているものだ。

エリーゼは魔法鑑定士の仕事で一度だけ目にしたことがあった。

といっても、魔道具を鑑定したら、禁忌魔法に使われたものだと判明しただけなのだが、100年以上前は禁忌魔法はまだ今ほど厳しく規制されてはいなかったのだ。

それを使うことができれば、人を呪い苦しませ、死に至らしめることができる。

ナタリアはそれに目をつけたのだろう。


ナタリアは魔法使いではなかったが、あらゆる手を使い、裏社会で流通している魔力増強剤を入手し、禁忌魔法の鍛錬を行うようになった。

薬のおかげで、ナタリアは以前のようにただ泣くだけの弱い娘ではなくなったが、その代わりに頬はやつれ、美しかった瞳は曇り、滅多に笑顔に見せなくなった。


(こんなの、見ていられない)


瞬く間に恐ろしく変貌していくナタリアに、以前の朗らかな面影はない。

次第にルディへの恋心も忘れ、ただひたすら伯爵とかつての親友への報復に命を燃やすようになった。


そうして、一つ目の復讐は実に簡単に行われた。


『は、ははっ……!ようやくノーラのその顔が見られて嬉しいわ!』


『あ、ああ、あああぁぁぁっ!』


ノーラが一人で夜会に出席するとの情報を掴みました、会場へ潜入したナタリアは、皆の面前でノーラに魔法をかけた。

ナタリアはひれ伏したノーラの前で、高らかに笑う。

夜会の参加者たちは恐れおののき、我先にと会場から逃げ出していった。


まず最初にナタリアが行ったノーラへの復讐は、命を奪うことではなかった。

彼女の姿をみすぼらしい老婆へ変化させることだ。

ノーラの美しかった顔は皺だらけで薄汚れ、歯は抜け落ち、赤髪は縮れてごっそりと抜けてしまった。

しゃがれた声でヨボヨボと歩くその姿に、ノーラの面影は一切ない。

その上ナタリアは、ノーラの寿命を縮めるのではなく、精神も年齢もそのままに姿だけ老婆にしてしまったので、ノーラはこの先何十年もその姿で生きていかなくてはならなくなる。


『ひぃ……ひぃ……わたしよぉ……ノ、ノーラよ……かえって、きたわ』


『おいなんだこのお婆さんは。あんたみたいな人は貴族の家に近寄っていいもんじゃないよ』


『汚らしいな。どこから来たんだ。まともに話せもしないのに、ここで物乞いなんてするんじゃない』


当然、伯爵家にも実家にも入れて貰えず、誰も老婆の正体がノーラであることに気づきはしない。

必死に息を切らして帰ってきてもこの扱いだ。

愛してくれていたはずの伯爵に会うどころか、門前で物乞い扱いされて玄関に入ることすらできないなんて、今までのノーラは経験したこともない出来事だっただろう。

ナタリアに怒りを向けようにも、歯すらない老婆では歩くだけで精一杯だった。

伯爵はノーラが財産を持ち逃げしようとしたと考え、怒り狂って金輪際ノーラが現れても一歩たりとも家に入れるなと命令していたが、ノーラが現れることは二度とない。

社交界の華のようであったノーラは姿を消し、代わりに伯爵邸の周囲をうろつく物乞いの老婆が現れるようになっただけで、誰一人として消えたノーラを探そうとはしなかった。


『ふふっ、次はあなたよ……!』


ナタリアの次の標的は、もちろん夫であった伯爵だ。


(ひどいものですね)


何がひどいかといえば、止まることないナタリアの復讐ではない。

彼女の心の変わりようだ。


以前は花を育てて笑っているような娘だったのに、今は路傍の花など気にもとめずに踏みつけている。

もちろん、彼女の心を傷つけた伯爵たちが一番悪いのだが、見ているとなんとも言えない気持ちになった。


しかし、エリーゼの気持ちを他所に物語は続いていく。

場面がまた一つ、変わっていった。


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