第14話 永遠の記憶と幻影の庭(1)
ある晴れた午後のこと。
花々の咲き誇る美しい庭園の中を、エリーゼは歩いていた。
ここは、フォルシー侯爵家のタウンハウスだ。
侯爵家自慢の庭園は華やかで、日頃から丁寧に手入れのされていて、眺めているだけでも心躍るよう。
しかし、今のエリーゼはそれどころではなかった。
薔薇のアーチをくぐると、その先の東屋に目的の人物がそこにいた。
「こんにちは、メイナードさん」
真面目な顔をして本に熱中していた彼、メイナードは、エリーゼの言葉にぱっと顔を上げる。
「やあやあよく来てくれましたね、エリーゼさん!それから、また会いましたね、セラフェン公爵!」
「……」
にこやかに挨拶してくれたメイナードに、エリーゼは苦笑いでなんとか取り繕う。
すぐ隣にいる恐ろしい形相のダリウスが見えていないとでも言うのか、この場で上機嫌なのはただ一人メイナードだけだった。
メイナード・フォルシー。
フォルシー侯爵家次期侯爵であるが、現在は侯爵家のほとんどの執務を一人で担っており、実質的に侯爵と言えよう。
そして彼は、ダリウスの学生時代の友人でもある。
そして何故エリーゼがダリウスと共に彼の友人であるメイナードの前にいるのか。
エリーゼは彼から依頼を受けて侯爵邸まで来たのだが、ダリウスと共に来たのでは無い。
ダリウスとはついさっき偶然そこで会った。
お互いどうしてここにと驚いたが、ダリウスもメイナードに用があったとのこと。
それはもう終わらせて、今から帰るところにばったりエリーゼが遭遇したのだが、見逃すわけにはいかないとなぜかついてきたのだ。
「お前、わざとだろ」
「どうしたんです?そんなに怖い顔をして」
「はぁ……まあいい。お前とエリーゼが二人きりになるよりマシだな」
普通なら怯えてものも言えなくなるようなダリウスの気迫を、微塵も感じていないとでも言うかのようにメイナードは笑っていた。
「公爵、毎度のことながらお仕事はいいんですか?」
「いや、メイナードに会うといつも長々も引き止められるからな。それを見越して先に仕事は片付けておいたんだ。今日はやけに早く帰してもらえたと思っていたが、どうやら違ったらしいな」
さすが有能なだけあって、先を見越していたらしい。
まさかここで会うとはお互い思わなかったが。
「で、エリーゼにどんな依頼をしたんだ?」
「エリーゼさんには、先日我が家で見つかった魔法書を鑑定していただきたいんです」
エリーゼは数日前にメイナードから依頼を受けていた。
最初はフォルシー侯爵家から急に依頼が来たと思ったら、アーネスト第二皇子の誕生日パーティーで会ったメイナードがフォルシー侯爵家だと知って驚かされた。
「確か、魔法書の効果が不明なんでしたよね。魔法を発動させても何も起きないと……それで、実物を見せていただいてもよろしいですか?」
エリーゼの言葉に、メイナードは頷いた。
「これです」
メイナードが差し出したのは、彼がさっきまで読んでいた本だった。
随分熱心に読んでいると思っていたが、まさかそれだったとは。
エリーゼが本を受け取り、ページをめくっていると、ダリウスが横から覗き込んでくる。
分厚い本で、辞書のような大きさとも言えるかもしれない。
しかし、その半分ほどは何も書かれておらず白紙だった。
「これが魔法書か?」
「小説、のようですね……」
この奇妙な本は、どのような内容なのかと読んでみたところ、何やら物語が綴られていた。
魔法書というよりも小説のように思える。
「ですが、ちゃんと魔力を感じますよ。魔法書で間違いなさそうです」
「書斎を掃除していた時に偶然見つかったもので、僕もその正体はよく分かってないんですよ。処分しようと思ったんですが、妹から魔法鑑定士さんに視てもらったらどうかと言われまして」
そういえばパーティーで会った時に、メイナードには妹がいると言っていたのを思い出した。
パーティーでの宣伝が上手くいっている証拠だろう。
貴重な魔法書かもしれないのに捨てられてしまうところだったと思うと、知名度を上げておいてよかった。
「かなり古いものなんですね。色々なところが掠れてます」
文章の中で、部分に掠れて読めない部分がいくつもある。
黒いインクのような液体が滲んで、染みついている箇所もあったり。
「家族に聞いても誰も知らないようで、我が家で一番長く勤めている執事も見たことがないと言うんです。でも、この魔法書に関するそれらしい記録も何も無いですし、もしかしたら我が家のものではないのかと思うぐらいですよ」
誰も知らない魔法書、ということか。
その魔法の力も、存在自体も知られていない、侯爵家にとっては奇妙な物だろう。
「なんだか、見覚えがあるんだがな……」
そっと、ダリウスが呟いた。
思いがけないその言葉に、エリーゼは聞き返す。
「見たことあるんです?」
「どこで見たんだったか……アカデミーか、アイツの魔法書か……」
「大魔法使いさんの魔法書だとしたら、この魔法書は、実はとても価値のある物だということになりますねぇ」
これは面白そうだとメイナードは笑っている。
「師匠のところで見たのなら、私も知っているかもしれませんよね」
「かもしれないが……」
ダリウスにしては珍しく、なかなか思い出せないと考え込んでしまった。
エリーゼには見覚えは無いのだが、ダリウスは一体どこで見たのだろうか。
「ともかく、試してみましょう。そうすれば、なにか思い出すかもしれませんよ」
「僕が魔法を使った時には、特に何も起きなかったんですが、どうでしょうか。なにか、分かりそうです?」
メイナードは魔法の心得があるようで、彼が使った時に反応しなかったということは、手順に問題があったか、それとも使える人間が限られているのかということになる。
悩んでいるより、試してみるしかなさそうだ。
先頭のページに戻り、呪文らしきものを読もうとする。
「これが呪文ですね、えーっと」
「待て、俺がやる」
「あっ、ちょっと」
魔法を発動させようとしたタイミングで、見事にダリウスに本を奪われた。
エリーゼが止める間もなく、ダリウスは魔法を使う。
「───────彼方にて誓う。真の記憶を今こそ示せ。幻影の庭園」
凛とした彼の声が響き、魔法書からは光が溢れる。
ダリウスの魔力と反発しているのだろうか、バチバチと青い火花のようなものが散る。
「わっ……!」
「眩しいですねぇ」
思わず腕で目を覆い、光から逃れようとするが、次の瞬間、エリーゼの目前に何かが映る。
どこかの雪の降り積もった森の中で、雪と見まごうような美しい白い髪の男性と、彼に良く似た少年が並んで歩いている。
少年は木の枝を振り回しながら、小さな果物のようなものを拾ったり、あちこち動き回ってせわしない。
目を離したら遠くへ行ってしまいそうな勢いで走る少年が、雪で滑って転びそうなところを、白髪の男性が魔法でぷかぷか浮かばせて笑っている。
間違いない。
幼い頃のダリウスと、師匠シルヴァルドだ。
恐らくこの森は、シルヴァルドの塔の近くにある森だろう。
エリーゼにも見覚えがあった。
だとすると、これは、ダリウスの記憶ということだろうか?
「……今のって」
映し出されたものは消えて、元の定演の景色に戻ってきた。
「これが魔法の力なんでしょうか。なんだか、ダリウスによく似た小さな子がいましたけれど」
「今のは俺の記憶だ。子供の頃の俺と、いけ好かない師匠だな」
エリーゼがダリウスと初めて会った時は、もう少し彼は成長していたので、これはエリーゼが師匠に救われる以前の出来事だ。
「子供の頃のあなたって、結構可愛かったんですね。今はこんな大男に成長しちゃいましたけど」
「うるさい黙れ。怒るぞ」
「もう怒ってません?」
メイナードにからかわれているが、確かに先程見た小さな頃のダリウスは、黙っていると人形のようで、天使のような愛らしさがあった。
まさかそんな天使が、将来世間では獅子扱いされる俺様公爵に成長するとは、誰も思わなかっただろう。
「しかし、記憶を読み取る魔法だと思ったが、恐らくこれは……」
エリーゼにもこの魔法の正体について察しはついていた。
ダリウスの言葉を引き継ぎ話す。
「ええ、はい。これは、術者の記憶を読み取り再現する、記憶探知と幻影魔法を混ぜ合わせたものですね」
「へぇ、そんな魔法があるんですか!」
「おそらく、この魔法書の製作者が独自に作り上げたものでしょうね。こんな変わった魔法、ほとんど見たことありませんから」
「でしたら、どうしてそんな貴重な魔法が僕の家に眠ってたんですかねぇ」
メイナードは不思議そうな顔で首を傾げた。
もし製作者が侯爵家の者であると仮定すれば、尚更、誰に知られることもなく眠っていたというのも奇妙な話である。
こんな大掛かりな幻影魔法を、呪文一つで発動させられるような魔法書を完成させたのなら、もっと大々的に発表したっておかしくない。
それこそ、皇宮の魔法研究機関だって驚かせることができるだろう。
「それに、この魔法書に綴られている物語が気がかりですね……」
「ああ、それ。最初は恋愛物語かと思ったんですけど、読み進めると愛憎劇になっていくんですよね」
「えぇ……ちなみに、あらすじを聞いても?」
まさか愛憎劇だったとは。
恐る恐るメイナードにあらすじを聞くと、彼は待ってましたと言わんばかりに生き生きと語り出す。
「政略結婚した令嬢が、庭師の青年と恋仲になるんですけれど、彼女の夫の不倫が発覚して、不倫相手も交えた復讐劇と争いが始まるんですよ。早く夫と別れたくて画策するんですけど、逆上した夫に暴力を振るわれて監禁されるんですよね」
「ひぇ……結構怖い話なんですね」
「庭師の青年に助けられてなんとか脱出するんですけど、その後が大変で。紆余曲折を経た後、ようやく彼女は青年と共に夫を殺害するんですが、その直後に青年が侯爵家の隠し子だということが発覚して正式な跡取りとして迎えられるんです。もちろん令嬢は青年との恋仲を継続させようとするんですが、地位を得た青年は彼女をあっさり捨てるんですよ」
「な、なんて酷い!」
「物語はそこで終わっていて、まあ結末としては誰一人幸せになれなかったという終わり方ですね」
まさかその手のストーリーだったとは。
きっと自分では途中から怖くて読めなくなっていただろう。
だが、怖いだけでなく、エリーゼには気がついたことが一つあった。
ダリウスも同じようで、なんとも言えない顔をしている。
「それ、もしかして史実じゃありませんか?」
「……おや、貴方、なかなか察しが良いですねぇ」
エリーゼの言葉に、メイナードはにやりと笑った。




