28・告白
「わたくしは既に結婚しています」
ハルモニアは頭を鈍器で思い切り殴られたような衝撃を感じた。
結婚……結婚だと?
再び口の中がカラカラに干上がってしまい、ハルモニアはグラスに口をつけて喉を潤した。
それでもなお、乾きを覚える喉から絞り出すように言葉を紡ぐ。
「そのような話は聞いた事がない。大国の王女の婚礼ならば、大々的に式が行われる筈だ。いくら俺が勉強をさぼっていても、そんな重要な情報なら嫌でも耳に入ってくる」
ハルモニアはラゼリード同様に猫を被るのを忘れて反論する。
信じたくなかった。
諦めなければいけない恋に差した一条の光が、再び消し去られようとしている。
そんな事あってたまるものか!
ラゼリードはそんなハルモニアに冷たい視線を向ける。
「貴方はわたくしの噂をご存知ないのね。良い環境で育てられている証拠だわ」
「噂?」
「知らないならいいの。それより真実を知って。わたくしが婚儀を挙げていないのは当たり前よ。だって、事実婚ですもの」
ラゼリードがハルモニアから少し目を逸らした。
「事実…婚?」
ハルモニアが首を傾げる。そんな単語知らない。
ラゼリードが居心地悪そうに脱いだ手袋を握りしめる。
「神前で公に誓わずに2人だけで内密に華燭の典を挙げたという感じの意味よ」
「何故そんな事をする必要があった? 堂々と婚儀を挙げればいいんじゃないか?」
未だに意味を飲み込めないハルモニアに、ラゼリードが少し頬を赤らめてすっぱりと言い切る。
「華燭の典に持ち込む前にしとねを共にしたんですもの! そんな暇なかったの!」
「なっ!」
そこまで赤裸々に言われると、精霊基準で幼い部類のハルモニアでも流石に意味が解る。
合点がいくと同時にハルモニアの頬が真っ赤に染まった。
「なぜ、そんな……。身分違いの恋だったのか?」
「身分は相応……だったと思うわ」
「相手は」
ハルモニアがその言葉を発した途端、ラゼリードの瞳から輝きが消えた。
「相手は?」
それに気付かないハルモニアが追い討ちをかける。
ラゼリードの唇がひくりと震えた。
強張る桜色の唇がたどたどしく言葉を紡ぐ。
「フィローリ・アーシャ・カテュリア。カテュリアの先代守護者です」
アーシャ。
その家名を聞いた途端、ハルモニアの理性が弾け飛んだ。
「馬鹿な! その方は昨年亡くなっ……」
「解ってるわよ!!」
ハルモニアの言葉を遮る怒声が中庭に響いた。その声は……涙混じり。
ハルモニアはラゼリードの頬を伝う大粒の涙を見て息を飲む。
隠す事無く涙を見せた彼女に、ハルモニアは言ってはいけない事を言ったのだと悟った。
「馬鹿な事言ってるって、解ってる! それでもわたくしはまだ、フィローリの事が…すき……」
片手で涙を拭おうとするラゼリードに、ハルモニアがハンカチを差し出した。
ラゼリードはそれを受け取るも、嗚咽をこらえるように口元に強く押し当てたまま、涙を拭う事はしなかった。
ぽろぽろと、涙が白い頬を転がり落ちて尽きる事は無い。
女性をエスコートするのは初めてのハルモニアは、女性に泣かれるのも初めてだった。
居心地が悪い。そして何より胸が痛い。
俺がこの人を泣かせている。
「先の守護殿の名に『カテュリア』が含まれているのは何故だ? 貴女と結婚したからか?」
「違うわ。フィローリの名に王族しか冠する事の出来ない『カテュリア』が付いたのは彼が亡くなってから。400年間カテュリアを護ってくれた守護神に最大の敬意を払って父がフィローリに贈ったのよ。尤も、父がわたくしの為を思っての事かも知れないけれど」
ラゼリードは涙を漸くハンカチで拭くと、初めて紅茶に口をつけた。グラスに浮いた水滴が彼女の手を濡らす。
「続きを話すわ。取り乱したりしてごめんなさい。わたくしはフィローリとしとねを共にした日……わたくしの昨年の誕生日に精霊へと化したわ。その日はちょうどわたくしの成人の儀が行われる筈だった。けれど、髪と左目から色素が抜けてしまって別人のような姿になってしまったの。だからわたくしが成人の儀を行ったのは今年の誕生日なのよ」
「それが貴女の言う『噂』か?」
黙って話を聞いていたハルモニアが口を開いた。
ラゼリードは被りを振る。
「そのようなものね。わたくしは精霊化した時からフィローリが亡くなるまで病気という名目で軟禁されていたから、公の場に出たのは彼の葬儀の時なの。その時の事はあまり覚えてないけれども、姿が変わったわたくしはさぞ噂になったでしょうね」
ラゼリードの瞳からまた一粒、涙が転がり落ちた。本人も驚いたようだ。
「あ、あら? もう泣くつもりはなかったのに。何故かしら、涙が止まらな……」
「泣いていい」
困惑しながらも取り繕おうとするラゼリードにハルモニアが静かな声で言った。
「え?」
ラゼリードが涙の滲む瞳を瞬く。
「覚えてないんじゃなくて、思い出すと心が涙を流すのだろう。それに、今までその話を誰かにしたか?」
「……いいえ。城の者には周知の事実ですし」
「だろうな。言えなかった事、俺に話して泣けばいい」
ラゼリードの両目から涙がとめどなく落ちる。
彼女はハンカチに顔を埋めた。
「あり…がと…う」
夏のルクラァン王宮中庭は涼やかな風が吹いていた。
泣きじゃくる王女をあやすように、宥めるように優しい風がラゼリードとハルモニアを撫でた。
「俺にアーシャと呼ばせなかったのは、守護殿を思い出すからか?」
ラゼリードがこくん、と頷いた。涙声で小さく呟く。
「貴方にはアーシャと呼ばれたくなかった。でも、勘違いしないでね。『私』に、シャロアンスとフィローリの2人から『エイオン・アーシャ』の名が付けられたのは11歳の時で、フィローリと結婚したからじゃないの。わたくしとフィローリは本当に中途半端だったわ、なにもかも」
「それでも好きだったのだろう? ……今も好きなのだろう?」
再びの問いにラゼリードが頷く。
「左手を」
ハルモニアが手を伸ばした。ラゼリードがおずおずと左手を伸ばす。
ハルモニアは慎重に紅玉の指輪を彼女の左薬指から抜き取り、自分の左手中指に填めた。
ルビーがキラリと光り、環がハルモニアの指にぴたりと吸いつく。
「今はこの指輪を返してもらう。けれど俺は諦めない」
「……?」
ラゼリードがのろのろと顔を上げ、泣き腫らした目でハルモニアを見る。
ハルモニアは恋に敗れたなどとは微塵も感じさせない強い眼差しでラゼリードを見つめた。
「今の俺では貴女へ届かないのは明らかだが、俺はいずれ成人する。
何年先かは分からない。
だけれども、俺の父の背が高いように俺の背も伸びるだろう。
腕も胸も貴女を抱き締められるぐらいに逞しくなるかも知れない。
その時が来たら、俺はまた貴女に告白する。だから待っていてほしい」
「なにそれ……勝手な事言わないで」
ラゼリードが泣きながら、それでも笑った。生きた笑みだった。
──そこへ現れたのはラゼリードの侍従。
ヨルデンはラゼリードが泣いているのに気付き、一瞬目を見張ったが、すぐに跪いて報告する。
「ご歓談中失礼致します! ご無礼をお許し下さい! ラゼリード様、アド港への帰路が土砂崩れで塞がれました!」
「なんですって!?」
ラゼリードが立ち上がる。
「幸いな事に迂回路は無事でした。そちらの道を使います。そちらの道ならば2日で港に着きます。なので只今よりご出立を!」
「わかりました。……ハルモニア王子、慌ただしく出立する事をお許し下さいませ」
「あ、ああ」
ラゼリードは手袋を填め直すと、ハンカチを持ったままハルモニアに一礼して東屋を後にする。
立ち上がったヨルデンがその後に続くかと思われたが、彼はハルモニアを振り向いて。
ギロリと睨んだ。
ハルモニアがムッと、むくれるのとヨルデンがラゼリードの後を追って立ち去るのは同時だった。
◆◆◆
中庭の入り口ではエルダナが待ち構えていた。
ラゼリードはヨルデンに先に行くように命じ、エルダナにお辞儀をした。
「この度はお招き頂き、ありがとうございました。御陰様で花も見つかり、賊の討伐も出来ました。エルダナ様の寛大なお心に感謝を申し上げます」
「いや、私の方こそ礼を言わせてほしい。ハルモニアを助けてくれてありがとう」
ラゼリードが挨拶もそこそこに、その場を辞そうとした時、エルダナは声を掛けた。
「ところでハルモニアの印象は如何でしたかな?」
「……本当は強く優しい方ですのね」
「おや、それだけですか? お気に召して頂けませんでしたか? 私は言った筈ですよ。
もしお気に召して頂けましたら、ハルモニアを貴女の夫に、と」
エルダナは顎髭を扱きながらにっこりと笑う。ラゼリードが腫れた目でエルダナを軽く睨んだ。
「……どうせ先程の会話を聞いていらしたのでしょう? わたくしは」
「当然。私は今すぐ答えが出る話をしているのではありませんよ、姫。
ハルモニアはまだ子供です。
あれが成長するにはあと20年、いや30年掛かってもおかしくない。
私はその時の話をしているんですよ」
「その頃にわたくしが老いていない保証もありませんわ」
エルダナはニヤリと笑った。
「いいえ、姫は老いませんよ。精霊だからです。
それに30年もあれば、失った恋に墓標を立てる事も可能。
ヒトは何十年も悲しみだけを糧に生きていけませんからね。
今の貴女が拒んだものも、いずれは受け入れられるようになる。
ひょっとしたら恋の花が咲く事もあるかも知れない」
ラゼリードがエルダナを真っ直ぐに見た。
「……わたくしが成長したハルモニア殿下を選ぶかも知れないと?」
「ええ、そうです」
ラゼリードは、ふいと顔を背けた。
「『その時』が来たら考えますわ」
「それで宜しいのですよ、今は」
一人、廊下に取り残されたエルダナは近い将来を思い描いて苦笑する。
「私は『その時』にまだ生きているかねぇ。もう私も随分と老いた事だし」
「あら、貴方らしくもない。なんなら時間を止めて差し上げてよ?」
背後から声を掛けられ、エルダナはゆっくりと振り向く。
ラゼリードと較べても遜色ない純白の女性が立っていた。
銀髪、銀色の瞳、白いドレスに白い顔。そこだけ鮮やかに色付いた紅色の唇。
高く結い上げた髪に挿したかんざし。そのかんざしから垂れる鎖と飾り玉。
飾り玉同士がぶつかってしゃらり、と音を立てる。
「レディ、いや時編む姫、またこんな所まで出歩いて。誰かに見つかっても知りませんよ」
「大丈夫よ。わたしの姿を見た者は須く記憶が消えるように結界を張ってあるから」
「それはまた物騒な結界ですね」
エルダナが顎髭を扱く。
時編む姫はすぃっ、と顔を上げると遠くを視た。
小首を傾げると、また飾り玉が音を立てた。
「あの子は無事に馬車に乗ったみたいね。会いたかったわ」
「おや、会わなかったのですか? あんなに会いたがっていたのに」
エルダナがさも意外そうに尋ねる。
時編む姫は銀色の睫毛を瞬いた。
無表情な彼女は瞬きや首を傾げる事で感情を表に出す。
「あの子、カティが見つかった後は忙しくしていたから。
睡眠時間まで削っていたのよ。
わたしと話す事で時間を無駄にはさせられないわ。
今回が無理でも次回という手も……。それに、時間ならたっぷりあるわ。
わたしにも、ラゼリードにも」
時編む姫は、うっすらと微笑んだ。
エルダナが苦笑を返す。
「羨ましい限りですよ、レディ」
「羨ましいなら不老長寿に……」
「いえ、結構です」
エルダナは即座に両手の平を前に出して断る。
「そう。残念だわ。ところでハルモニア、そんな所でいじけてないで私の部屋へいらっしゃい。勉強しましょう。貴方が好きなラゼリードの国の事を」
時編む姫が振り向かずに背後のゾウの木の陰で拗ねるハルモニアを手招いた。
◆◆◆
ラゼリードは馬車に揺られながら物想いに耽る。
30年。
それだけあればこの胸の痛みは消えてなくなるのだろうか。
フィローリを想うと胸が痛くなる。
けれどもハルモニアの事を考えると胸が温かくなるのだ。
これはなにかしら?
ラゼリードは借りたまま返しそびれたハンカチをぎゅっと握ると、馬車の振動に身を任せた。
緩やかに眠気が襲ってくる。そのまま彼女は赤と紫の色違いの瞳を閉じた。
夢の中で彼女はハルモニアと一緒にエカミナ印の林檎を齧っていた。
それはとても甘い夢だった。
END
初出2020/08/25-2022/06/11
2004/07/16-2009/09/14
Thank You!!
第二章「戴冠」は此方から。こちらも完結してます。
https://ncode.syosetu.com/n6302hr/




