27・それはまるで電撃のように
王宮東棟にあるハルモニアの部屋は侍女や衣装係でごった返していた。
9日前に王宮を出奔して、眠ったまま帰ってきたのが3日前。
3日ぶりに目覚めた部屋の主を着飾らせらんと彼女達は意気込んでいた。
何故なら、滞在期間が残り僅かなカテュリアの王女とハルモニアを対面させる為──。
「こんなに着飾らなければいけないのか?」
目覚めるなり食事が寝台まで運ばれて来て、満腹になったと思ったら湯浴みをさせられ、今は着付けの段階だ。
絹のブラウスの上に飾り帯を巻きつけられながら、ハルモニアはうんざりした顔で侍女達に聞いた。
「勿論ですわ。ハルモニア様は王太子殿下なのですよ。我が国と長年友好関係にあるカテュリア国のラゼリード王女殿下とお会いになられるんですもの、お相手に失礼が無いような服装でなければいけませんわ」
「ラゼリード王女様は殿下とお年が近うございます。将来、殿下が王妃様としてお迎えになられるかも知れません。その為にも第一印象からしゃんとしていませんと」
「カテュリアの王女を王妃に? カテュリアの王族は確か人間ではなかったか?」
ハルモニアの問いに侍女達が騒然となった。
「ラゼリード王女殿下だけは精霊ですわ!」
「ちゃんとお勉強していただきませんと、ゆくゆくはハルモニア殿下御自身がお困りになりますわよ!」
侍女達に何か質問するとすぐにこうだ。
ハルモニアは口を閉ざした。
華やかといえば華やかなのだが、女性に囲まれる事の真の意味を理解していないハルモニアにとっては雀達が勝手気儘にさえずっているのと変わりない。
女達の噂話程、情報源になるものは無いというのに。
──カテュリアの王女にこれから会う……という事はエイオンの事も聞けるだろうか──
ハルモニアには誘拐されてからの記憶が殆ど無い。
自分がどうやって王宮に戻ってきたのかも知らされていない。
聞く暇もなかった。
聞くとしても父かバートン、リチャード辺りしか彼の望む回答を返せはしないだろう。
そして確実に答えてくれるという保証も無い。父も含めて彼ら3人は狸だ。
リチャードなどハルモニアより年下の17歳なのに。生意気な。
エイオンは今、どうしているのか。
任務を完遂させたのか、それともまだ一人でカティを探しているのか。
彼がまだカティを探しているのなら、自分にとって興味などまるで無い他国の王女に会うよりも、街に出てエイオンの任務を手伝いたいとハルモニアは強く思った。
「……でもそれは失礼に値するよな」
ハルモニアの小さな呟きも侍女達は聞き逃したりはしない。
「ハルモニア殿下、何かご心配ごとですか?」
「ああ、うん。好きな人がいるんで会いたいんだが、そんな考えを持ったままカテュリアの王女に会うのは失礼かと思ってな」
「まあ! 殿下が恋をなさったんですか!?」
「何処のどなたに恋をなすったのです!? 私、憧れておりましたのに」
きゃあきゃあと侍女達がさえずる。一気に部屋が色めき立った。
ええい、煩わしい。
「ハルモニア、支度は整ったか?」
用意が整うのとほぼ同じくして、父エルダナがハルモニアの部屋を訪れた。
侍女達は先程の賑やかさとは打って変わって静かに壁際に下がり、頭を下げて跪いている。
「はい、父上」
ハルモニアはピンと背筋を伸ばした。
袖なしの立て襟ブラウスに金の飾り帯を肩から腰に巻き、下は絹の黒い細袴。爪先を覆う金の靴。
ハルモニアの年齢に合わせた夏季の礼装だ。
エルダナはハルモニアの頭の天辺から爪先までじっくり眺め、息子の頭をくしゃっと撫でた。
部屋に焚いてあった香が微かに髪に移っている。
「お前達、良い仕事ぶりだね。後で料理長より褒美の生菓子を貰うように。話はつけてある。喧嘩をせずに一人一切れ、皆で仲良く食べるのだよ」
「「「「はいっ、ありがたく頂戴致します!」」」」
侍女達がちらちらと顔を見合わせて嬉しそうに笑い合った。
エルダナは上機嫌でハルモニアを部屋から連れ出す。
ハルモニアは嫌な予感がした。
父が上機嫌な時は大抵の場合、父にとって楽しい悪戯を仕込んである。
「父上、カテュリアの姫とはどちらでお会いするのですか?」
「うん? 言っていなかったか。中庭だ。姫の元には近衛騎士を迎えに向かわせてある。お前はラゼリード姫をエスコートしなさい。お前一人でルクラァン随一の庭師が整えた夏の王宮庭園をご案内するのだ」
「ち、父上! 俺一人でなど……!」
ハルモニアが隣を歩くエルダナを見上げて父の腕に縋る。
エルダナはびし、と指を突き付けた。
「初対面の淑女の前で『俺』などと乱暴に言ってはいけない。『私』か『僕』にしなさい」
「……僕一人でなど無理です」
ハルモニアが自信を失い、俯く。
「どうして無理などと言う。お前は9日前から一人でなんでも行っていたではないか。そうだろう? 脱走王子」
父の視線がハルモニアに刺さる。
いたたまれなくなってハルモニアは身を縮こませた。
「それとこれとは話が違います。荒くれを相手にするのと女性を相手にするのは全く違います。僕には女性をエスコートした経験が……」
「なに、時編む姫に接する時と同じように接するといい。そう難しい事ではない」
なにその凄い難関。
ハルモニアの眉間に皺が寄る。
その皺を立ち止まったエルダナが指先でぐにぐにと伸ばした。
心なしか呆れた顔をしている。
「今のお前に出来ぬ事など、飲酒と喫煙ぐらいだ。お前は私の子だ。為せば成る」
為せば成る。その言葉に勇気づけられたハルモニアが瞳に輝きを取り戻した。
彼の背がピンと伸びる。
「重ねて言うが、ハルモニア。お前は私の子だ」
「はい」
真っ直ぐに見上げてくるハルモニアに、エルダナは同じく真っ直ぐに視線を注ぐ。
エルダナの大きな手がハルモニアの両頬を包んだ。
「あまり親を心配させるな。私もレカも、どれだけお前の身を案じて胸を潰しそうになったか。解るか。解らないだろう、私の小さな王子」
エルダナの瞳に悲痛なものが宿った。
その瞳の真剣さに打たれ、ハルモニアの胸に痛みが走る。
「父上……。ごめんなさい」
「今と同じ気持ちで母上にもお詫び出来るか?」
「はい。今すぐにでも」
「今すぐは無理だ。そら、ラゼリード姫がいらしたぞ」
彼らは渡り廊下にある庭園への出口前に居た。
廊下を曲がってくる足音に、エルダナはハルモニアの頬から手を離して姿勢を正す。
ハルモニアもエルダナに倣うように背筋を伸ばした。
やがて、真珠のような純白の乙女が近衛騎士にエスコートされて現れた。
ハルモニアは息を飲んだ。
ティアラを戴く髪は月の様な銀色。
その髪が縁取る卵形の顔は白く輝いていた。
頬は滑らかで唇は淡く桜色に色付いている。
身に纏う純白のドレスは細い肩紐から胸へと流れ、ウエストでくびれたかと思うと花の蕾のように裾がふんわりと膨らんでいる。
真珠の首飾りを掛けた細い首の下、左胸の上部には蝶の紋様。
──美しい。
だが何よりもハルモニアの視線を奪ったのは、左が赤、右が紫の異彩を放つ瞳。
その瞳に射抜かれ──胸が高鳴る。
──それはハルモニアの二度目の一目惚れ──
彼女に魅入られたままのハルモニアの背をエルダナがぽん、と軽く叩く。
ハルモニアがその衝撃で我に返った。
「ラゼリード姫。こちらが私の息子、ハルモニア・ラ・ルクラァンです。ハルモニア、この方がカテュリア第一王女ラゼリード殿下だ」
「は、初めまして」
動揺の余り、ハルモニアは舌をもつれさせる。
しかも挨拶の体裁さえ整っていない。
無理もないかとエルダナは思う。
何せハルモニアの一目惚れの相手が正式に『女性として』目の前に居るのだから。
「ハルモニア殿下、初めまして。ラゼリード・エル・グランデル・カテュリアです」
ラゼリードが手首までの短い白手袋をはめた指先でドレスの裾をつまんで腰を屈める。
そのお辞儀の仕草にもハルモニアは見とれてしまっていた。
エルダナは内心で大爆笑したいのをこらえながら、彼らを庭園散策へと送り出す。
笑うにはまだ早い。面白いのはまだまだこれからだ。
◆◆◆
ハルモニアは全身をカチコチに強張らせながら、ラゼリードを庭園に連れ出す。
成長期で身長の低いハルモニアと、女性にしては背が高めなラゼリード。
本来なら男性の腕に寄り添うところだが、身長差故にラゼリードの手はハルモニアの二の腕に絡められている。
あまりに距離が近過ぎて、ハルモニアの心臓は壊れそうな程に早鐘を打っていた。
その音が聞かれないかどうか不安で、ハルモニアはぎこちなく庭の名所を案内していく。
中庭を一周し、絶妙なタイミングで飲み物が用意されていた東屋に辿り着いた時にはハルモニアの喉は乾ききっていた。
ラゼリードとはテーブルを挟んで向かいに座る。
するとまた赤と紫の色違いの瞳に捕らわれた。
にっこりとラゼリードが微笑む。
ハルモニアの心臓がどくんと跳ねた。
「ハルモニア殿下はお話上手ですわね。わたくし、こんなに素晴らしいお庭を殿下に案内して頂けて大変楽しゅうございました」
「そうだとよいのですが、僕は父の話術に比べるとまだまだ至りません」
ラゼリードに誉められても、何をどう説明したのかすら覚えていない。
花を大樹だと言っていてもおかしくない。
ハルモニアは冷えた紅茶に口をつけながら、ラゼリードをまじまじと観察した。
似ている。いや、同じ。
「わたくしの顔に何か付いていまして?」
ラゼリードがまた花が開くようにふわりと笑いながら己の顔を手で示す。
「い、いえ。そうではなく……。お聞きしたい事があるんです」
「まあ、わたくしに? 何でしょうか。答えられる事ならなんなりと」
笑顔を崩さないラゼリードにハルモニアが、よし、と内心で気合いを入れる。
「ラゼリード姫には存在を伏せられた双子のご兄弟がいらっしゃるのではないですか? もしくは顔のよく似た影武者か……」
ラゼリードの笑みが急に作り物めいた。
「わたくしに兄弟はおりませんわ。カテュリア国王セオドラの子はわたくし一人。王位継承権のある従兄妹はおりますけども。ハルモニア殿下はわたくしの事をどのくらいご存知かしら」
歌うようにラゼリードは言葉を紡ぐ。
けれどその問い掛けはハルモニアを明らかに試している。
「ラゼリード姫の……?」
ハルモニアは必死で頭を回転させる。
時編む姫に叩き込まれた思い出せる限りの情報を引き出す。
「まず、セオドラ陛下の唯一の御息女で王位継承権第一位の王女殿下。先月20日に19歳になられたばかりで、両性……」
ハルモニアの目が鳩の眼のようにまんまるくなる。
「両性……まさか」
「そのまさかよ、『モニ』」
ラゼリードが悪戯っぽく笑ってみせた。
それは今までの宝石のような飾られた笑みではなく、生きた笑みだった。
「も、モニって今……! エイオン、貴女がエイオンなのか!?」
ハルモニアは信じられないとばかりに身を乗り出して彼女の顔を覗き込む。
「何故言ってくれなかったんだ? 俺……いや、僕、貴女の事が好……」
「『だから』言わなかったのよ。わたくしが真実を話せば、貴方は間違いなくわたくしを意識する。カティを探す間、余計な感情を向けられたくなかったの。……座って。何かあったのかと怪しまれるのは御免だわ」
ここは中庭だ。確かに中腰の体勢では、廊下を渡る侍女達に何事かと用を聞かれかねない。
ハルモニアは言われるままに椅子に腰を下ろした。
「花は……見つかったのか?」
「ええ、お陰様で。無事に残っていた花は正式に納品が済んだわ」
「何処にあったんだ?」
「覚えていないの?」
ハルモニアの質問に質問が返ってくる。
2人は暫し情報を交換しあい、結果、ハルモニアは自分がエイオンに抱えられて帰還した事を聞いて赤面した。
「好きな人に抱えられたなんて、一生の不覚だ……」
ハルモニアが火照る頬を押さえていると、ラゼリードが視線を尖らせた。
口調もまた同様にきつくなる。
「まだわたくしに好きだとか言うの? わたくしは貴方の愛を受け入れられない。そんなゆとりなど、この身には欠片も無いの。これを外してちょうだい」
ラゼリードは左手の手袋を外した。
現れる紅玉の指輪。
「それは貴女に差し上げた俺……僕の気持ちです」
ハルモニアの言葉に、被せるようにラゼリードの口から放たれた言葉は。
「わたくしは既に結婚しています」




