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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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26・嘘と秘密

 寝息を立てるハルモニアをどれぐらいの時間、抱きかかえていただろう。


 背後に害意のない気配を感じて、エイオンはハルモニアを起こさないように振り返る。

 そこにはリチャードが立っていた。


「早かったな」


 エイオンがリチャードに声を掛ける。


「足の速さには自信がある。でも精霊の『道』には叶わない。何故、魔法で戻ってこなかった?」


 リチャードは息を切らしていた。相当急いで走ってきたのだろう。


 エイオンは「ハルモニア」と言おうとして、場所(彼には此処が何処なのか解らないが)を考えて言葉を選んだ。さっき咄嗟に呼んでしまった気もするが。


「『若』の身の安全の為だ。私は先ほど『道』を習得したばかりだから、何が起こるか自分でもまだ解らない魔法の道に彼を引き込めなかった」


 リチャードは息を整えるとエイオンの側へ近寄った。

彼の前で跪き、頭を垂れる。


「若の身を案じて頂き、心よりありがたく存じます。これまでの無礼をお許し下さい」


 リチャードの一変した態度に、エイオンは目をぱちくりとさせる。


「いや、大した事はしていない。頭を上げてくれ。私が『道』を覚える事が出来たのはあんたのお陰でもあるんだ」


 リチャードは頭を上げた。水色の瞳が疑問をありありと浮かべている。


「あんたの挑発的な態度が私の能力発芽に一役買ったんだ」


 エイオンはクスッと笑った。




 それから2人はどうやってハルモニアを運ぼうかと思案した。


 何せ、ハルモニアは幼子が母を求めるようにエイオンの上着を握り締めて離さなかったからだ。

 仕方なしにエイオンはハルモニアを横抱きに抱える。

リチャードはジョノの服を証拠品として抱えている。


 生まれて初めて人を抱えて、その重みにエイオンは苦笑した。

 それでも手を離す訳にはいかない。

 ハルモニアはエイオンの──大事な人になりつつあったから。




◆◆◆




 朝靄が完全に消え去り街に活気が生まれる頃、リチャードとエイオン、そしてハルモニアは王宮へと辿り着いた。

 ガノッツァを横取りした時にくぐった門から庭園へと入ると、エルダナと短い茶色の髪の男性が待ち構えていた。


「ハルモニア!」


 エルダナが駆け寄ってきて、エイオンの腕からハルモニアを受けとった。

 エルダナがハルモニアの寝顔をしみじみと見やる。


「こうして腕に抱くのは何年ぶりだろうかね。大きくなるにつれて嫌がって抱かせてもらえなかったからな。最後に抱いた時より随分と重くなったものだ。アーシャ殿、腕が痺れたでしょう?」


「ええ、まあ」


 本当は痺れたどころではなく腕、肩、腰、全てがギシギシと痛んだが、エイオンは黙っておいた。


「エルダナ様、王太子殿下は『真実の目』によって何らかの薬を盛られたようです。王太子殿下本人の口から聞きました」


「ふむ。シャロアンス、ハルモニアを診てくれ」


 短い茶髪の男性がエルダナに近寄ってきて、エイオンはポカンと口を開いた。


 額を隠す多めの前髪、眼鏡の奥のグラデーションがかった青い瞳。

 間違いなく自分の主治医であり、親友でもあるシャロアンスだ。


 ただ、彼と会ってから初めて見る短い髪型にエイオンはただただ驚いた。

 カテュリア王女としてシャロアンスに会った時はいつも腰まで伸びた後ろ髪を髪紐やリボンで一つに結って垂らしていた……筈だった。


「シャロ……?」


 エイオンの呟きには応えず、シャロアンスはハルモニアの頭に手を翳す。


 ポッ、と灯る青い光に幼さを残す寝顔が照らされる。


「睡眠薬を少々と麻薬性のものをごく微量注入されていますね。あと、反対属性からの攻撃からなるショックによる疲労も大きいかと」


「急ぎの毒抜きは必要かね?」


 エルダナの問いにシャロアンスが視線を合わせる。


「いえ、このままお休みになって頂くだけで十分です。麻薬性のものも眠っている間に抜けるでしょう。依存症が出る程の量でもありません」


「そうか。ではハルモニアを休ませてこよう。リチャード、君は私と来なさい。シャロアンス、君はお客様の手当てを」


「御意」


 エルダナはいつになく静かな歩みで王宮へと向かった。リチャードがその後に続く。


 残されたエイオンは、シャロアンスに問いかける。


「シャロ、いつ髪を切ったんだ? そんなに短くしているのなんて初めて見たぞ」


「あれ? 覚えてない? 髪を切った後に一度会ってるよ」


 口調は相変わらずだが、間近で見たシャロアンスはよくよく見ると目の下に深い隈が刻まれていた。瞳もかつての輝きを失い澱んでいる。


 一目でシャロアンスだと判らなかったのも無理ない程に人相が変わっていた。


 エイオンは記憶の底を漁ったが、シャロアンスが言う出会いは思い出せなかった。


「そう……だったかな」


「覚えてないならいいよ。おいで、治療しよう。ところで今の姿だとなんて呼べばいい?」


「エイオン。シャロがつけてくれた名前で」


「分かった。エイオン、こっちだ」


 シャロアンスが手招くまま、彼は王宮の中に入った。


 滞在中にあてがわれている部屋ではなく、シャロアンスの職場らしい医療棟の一室に案内される。


 シャロアンスは厳重に防水加工を施した手袋を填めた手でエイオンの怪我を診て、眉を(ひそ)める。


「全身筋肉痛に、左脇腹に深くはないが大きな切り傷、右手は手の甲から平まで貫通。何をしたら手の甲にこんなキレイに穴が開くのさ」


「氷精にやられた。氷の槍みたいなものが刺さったんだ」


「成程。大体想像ついたよ。傷が残っちゃ大変だから魔法で治すよ。いいね?」


「ああ」


 シャロアンスの手に光が灯る。

 暖かい光に包まれ、痛みが徐々に引いていく。


 エイオンは心地良さに目を閉じる。

 すると、脳裏に一つの映像が蘇った。


 エイオンは目を開ける。


「思い出した」


「何を?」


 シャロアンスは傷口に視線を注いだまま聞き返した。


「フィローリの葬儀の時だ。シャロの髪が短くなっていたのは」


 シャロアンスの手が一瞬ビクッと震える。

 震えた手はエイオンの傷口に触れ、乾きかけの血が手袋に付着した。


 2人の間に沈黙が降りる。


 フィローリの死は彼らにとってまだ心が血を流す程、真新しい傷だからだ。




「……手の治療、終~了~。脇腹見せて」


 シャロアンスは何事も無かったかの様にエイオンの脇腹についた長い切り傷の治療に取り掛かった。

 シャロアンスは治療しながらふと、奇妙な事に気付く。

 切り傷はエイオンの脇腹から生える翼の紋様の根元を両断していた。

 彼はそれを傷が残らないように治療していたが、何かがおかしいのだ。


 治療に必要な魔力が軽減されている。

 まるで『紋様が自ら傷を塞いでいるような』……


「シャロ?」


 エイオンに声を掛けられ、シャロアンスはハッと思考を戻す。

 脇腹の傷は既に跡形もなく消えていた。


「あ、えーと。後は……筋肉痛だけだな。それは自力で直してね」


「えー、なんで」


 エイオンが唇を尖らせた。


「筋肉痛は痛くとも数日耐えれば勝手に治ります。んで、治った後は筋肉が付く。男性の時の身体に筋肉付けたいでしょ?」


「んー、それはまあ。でも女性の時に筋肉が付いてたら困る」


「力を入れなきゃ力こぶが出来たりしないでしょ? はい、終わりー」


「えー」


 渋るエイオンをシャロアンスは侍女を呼んで追い払う。部屋に案内させる為だ。


「あ、シャロ」


 部屋を出ようとしたエイオンが立ち止まってシャロアンスに振り向く。


「何スか?」


「フィローリが亡くなる直前に……その、シャロの所へ行っただろう。そして帰ってきた時には彼の膝まであった髪が耳元まで短くなってた。それにシャロの髪も短い。それはどうして?」


 シャロアンスは生傷に塩を塗られた様な表情をしたが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「フィローリがね、頭痛がするのに髪が長いと頭が余計に重く感じるから切ってくれって。折角だから俺もイメージを変えようと思って切ってもらったの」


「切った髪はどうしたの?」


 エイオンの問いにシャロアンスの目が暗く濁る。


「俺もまさか『あんな事』になるとは思わなくて、捨てちゃった」


「そう。変な事聞いてごめん」


 エイオンは侍女の先導に付いて立ち去った。


 パタンと扉が閉まる。





 シャロアンスは嵌めていた手袋を脱いで、それを見下ろした。

 エイオンの血が付いた場所に人差し指を這わせると……


 ジュッ…と音がしてシャロアンスの指先が『焦げた』。


 シャロアンスは軽い火傷になった指先を蒸留水で洗い流しながら呟く。


「乾いた血ですらこの威力か」




 エイオンは侍女の後に付いて廊下を歩きながら、もう一度だけシャロアンスの個室を振り向く。


 エイオンはなんとなくシャロアンスが嘘をついている気がした。


 おそらく、フィローリの遺髪は……シャロアンスが形見に持っている。


 だからどうこう言う訳ではないが、本当の事を話してくれなかったシャロアンスを思って少し寂しくなった。




 医療棟を出ると、庭園を見渡せる廊下にさしかかった。


 規則正しく並んだ柱の隙間から空を見上げると、白い朝日は消え去りいつの間にか暗雲が立ち込めていた。

 風の匂いから彼は知る。

 雨が近い。

 それも大雨だろうと彼は検討を付け、それきり空を見なかった。




◆◆◆




 予想通りその後、アド市、いやルクラァン全土を大雨が襲った。

 涼しい気候の中、ラゼリードは表面上の予定通りに外交に明け暮れていた。


 エルダナが用意したラゼリードが不在中の言い訳は意外にもオーソドックスな暑気中りだった。

 ラゼリードは雪深い国の生まれであるから暑さに弱くても何らおかしくはない。


 2日目から3日目は伏せっていると誤魔化し、その後は大臣達にわざと会談以外の任務を与え、なんとか凌いだ。

 アグニーニと偽鏡の壊滅が一役買ったようだ。


 ラゼリードは当初の予定より早く密命が片付いた事で外交に復帰した。


 数々の大臣と対話しては、エルダナと対話し、夜ともなれば夜会で貴族と交流し、踊る。

 夜会での主なダンスパートナーはエルダナだった。

 王妃レカは昏々と眠るハルモニアの側に付いて夜会には姿を現さなかった。



 外交の合間に、エルダナはバートンとリチャードから得た情報を話してくれた。


 バートンが連れ帰った老人は、シャロアンスがカテュリアから帰国した際に罷免になったジョン・カルートという元・筆頭御典医らしい。


 彼が免職に遭ったのは、即位僅か5年で当時未婚であったエルダナの病を治せなかった為。

 そしてエルダナの病を治したのはシャロアンスであり、カテュリアから持ち帰ったカティの薬湯だという。


 その功績を認められたシャロアンスはカルートと入れ替わりに筆頭御殿医の座に就き、カテュリアからカティを輸入するに至ったらしい。

 カルートはそれを長年恨みに持っており、そこを『真実の目』の者共に利用され、麻薬を作っていたのではないか、という結論が出た。



 カルートは今、牢に居る。おそらく生涯牢から出る事はないだろうとの事だ。


 ラゼリードは大事なカティを麻薬へと変えたカルートを許せそうになかったので、彼がルクラァンの法で裁かれる事を喜んだ。



 その一方でラゼリードを悩ませる事もあった。

 自害を途中で阻まれたガノッツァは病死という事で処断され、中央駐屯地にて斬り落とされた首を晒されているらしい。


 死ねば肉体が消える精霊の首をどうやって保存したかは分からない。

 それはエルダナも教えてくれはしなかったが、ラゼリードはリチャードが使った札が要因ではないかとアタリをつけた。


 カティを密輸するに至った組織の頭目。


 しかし、既に罰せられていたガノッツァ。


 チェルラが死ぬまでは自害を選ばなかった誇り高いガノッツァ。


 そんな彼女が死んでも尚、首を晒されている。


 ラゼリードはもうガノッツァを憎めなくなっていた。




 ラゼリードは、ほんの一時ハルモニアから離れたレカとも会話した。


 レカはハルモニアを救ったラゼリードに何度も礼を述べ、気高い冠を戴く頭を下げた。


 ラゼリードは酷く恐縮したが、レカは感謝の念をただひたすらに伝え、ラゼリードを恩人にして友人であると言いきった。




 王宮にはエルダナからの報奨金を受け取る為、エカミナもやってきた。

 彼女は『アーシャ』ではない『ラゼリード』を見て大層驚いていた。

 ラゼリードはエカミナと話し、笑い合い、またルクラァンを訪れる事があれば必ずエカミナとアレクサンドライトの店に必ず立ち寄ると約束を交わした。




 雨は3日間降り続いた。


 雲間からやっと太陽が顔を出した日、ハルモニアが目覚めたと、エルダナから知らされた。

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