24・失われるもの、返ってくるもの、返らぬ者
下水道の中をエイオン達一行は進む。
足の悪いガノッツァが居る為、歩みは遅かったが、捕らえたチェルラの案内で闇雲に歩き回る事がなくなった分、ロスは少ない。
エイオンが捕まえているチェルラは相変わらず負傷した右手を庇いながら俯いている。
一方、ヨルデンが連れて歩くガノッツァはエイオンの背中に刺すような視線を向けていた。
「ここを右」
チェルラが小さな声で呟く。
暫く進むと下水道は終わり、地下通路に入った。
通路はあっけなくレンガ造りの壁で途切れている。
「行き止まりじゃないか」
ヨルデンが背後から不信の声を上げた。
エイオンはチェルラの顔を覗き込み、問い質す。
「騙したのか?」
「違うわ。ナイフを返して。壁に仕掛けがあるのよ」
ヨルデンとエイオンは顔を見合わせ、暫し考えた後でチェルラにナイフを返した。
チェルラは左手でナイフを握り、覚束ない手つきでレンガの隙間に刃を突き立てた。
彼女はおそらく右利きなのだろう。
二、三度繰り返すと明らかにレンガがズレたのが判った。
チェルラはズレたレンガを手で引っ張り出す。
横でチェルラの動作を見ていたエイオンは、レンガ壁の隠し戸の奥にある取っ手を彼女が引いたのを見た。
カタ、と音が鳴り、地下通路の天井が開いて縄梯子が落ちてきた。
「やれやれ、また梯子か。しかも今度は縄梯子」
チェルラからナイフを取り返しながらエイオンが呟いた。
腕も足も不自由なガノッツァと右手を痛めたチェルラには難関だったが、チェルラは自力で上りきり、ガノッツァはエイオンとヨルデンの連携でどうにか引き上げた。
地下通路から上がった先は小さな部屋だった。飾り気も色気も何も無い部屋に扉が一つあるだけだ。
「ここは?」
「あたしたちの今のアジト……あたし、殺されるわ。仲間を売ったんだもの。きっと殺される」
チェルラは小さく震えていた。
エイオンはかける言葉もなく、ヨルデンにチェルラを託した。
その時、突然ドアノブが回り、扉が開いた。中を覗いた男がぎょっとした顔で一同を見回す。
「なんだお前ら……!? チェルラと……おかしら!?」
エイオンはすぐさま立ち上がり、扉を開けた男に拳を叩き込んだ。
だが扉を開けた先は廊下ではなく、大部屋だった。
そこには他の『真実の目』のメンバーが居た。
彼らは倒された男と現れたエイオンを見て次々に剣を抜く。
「ちっ!」
エイオンが王族に相応しくない舌打ちをしながら剣を抜く。
と、同時に風魔法で相手を数人吹き飛ばした。
ヨルデンは懐にしまってあった細い短剣を取り出すと、ガノッツァの手枷に繋がった鎖の目に狙いを定め、思い切り床に突き刺した。
短剣は木の床に柄まで刺さり、文字通りガノッツァを縫い止める。
そして急いで主人の元へ走り、加勢する。
エイオンはヨルデンが走ってきたのを見て「殺すな!」と叫んだが、彼は聞く耳を持たなかった。
その時だった。
隣の部屋……つまりエイオン達が地下から上がってきた部屋で、チェルラの悲鳴が上がった。
「チェルラ!?」
エイオンは斬り結んでいた敵を押し返すと、小部屋へと駆け込んだ。
派手な血飛沫が上がった。
喉を掻き切られたチェルラが両目を見開いたままガノッツァの腕へと寄りかかるように倒れ込む。
傍らには黒い外套を纏った男が白刃から血を滴らせて立っていた。
「チェルラ……!」
チェルラの血を浴びたガノッツァが初めて顔を歪め、泣きそうな声を上げた。
「ガノ……」
微かにチェルラの唇が動いた、と思った瞬間。
チェルラは服だけを残して水飛沫と化した。ガノッツァが声にならない悲鳴を上げた。
「……!」
エイオンは息を飲む。
その現象は精霊の『死に方』だった。
精霊は死ぬと肉体を残さない。それぞれの属性の元素へと還ってしまう。
──1年近く前、フィローリが風となって消えて死んだのと同じように、チェルラも今……死んだのだ。
エイオンは震える声で問う。
「お前は……?」
黒い外套の人物は返事の代わりにフードを下げてみせた。
現れたのは淡い金髪に水色の瞳の男性。
ルクラァン王宮の庭でハルモニアと共に走っていた時に見た。そしてハルモニアに『魔封じのフダ』を貼った人物だ。
「お前は……リチャード?」
◆◆◆
一方、大部屋の方でも異変は起きていた。
エイオンが抜けた直後に、扉を破って黒い外套の人物がなだれ込んできて、次々に『真実の目』の者達を斬り捨てた。
ヨルデンは新たな敵かと身を強ばらせたが、黒い外套の者達はヨルデンに害をなす事無く他の部屋へと残党を狩りに行った。
ただ一人、黒い外套の者の中でも一際小柄な男性が小部屋に近付こうとしたので、ヨルデンは剣で制した。
「カテュリアの侍従にして若き剣士殿。敵ではありません。御安心を」
そう言うなり彼はヨルデンの剣をひょいとくぐり抜けて小部屋へと入っていった。
「爺様」
リチャードがエイオンの背後から現れた男に声を掛けた。
その後に拍子抜けした顔のヨルデンが続く。
青ざめたエイオンが唇を震わせながら振り向く。
小柄な男がエイオンに声を掛けた。
「ラゼリード姫ですな?」
「……『今は』エイオン・アーシャです」
「ではアーシャ様、この姿ではお初にお目にかかります。『遊び心の君』の直下部隊『暗軍』指令のバートンと申します。そこに居るのは孫のリチャード」
そう言って男がフードを下げると、意外な顔が現れた。エイオンが目を瞬く。
「……じいやさん?」
そう、そこに居たのはルクラァン市内に到着した日、エカミナの店の前で会った老人だった。
あの時はハルモニアを「若様」と呼んで息も絶え絶えに追い掛けていた。
そのじいやさんが何故ここに?
「普段は若の守り役を仰せつかっております」
エイオンの心を読んだかのごとく答えが返ってきた。まず第一の疑問は解けた。
エイオンは次の疑問をぶつける。
「何故……チェルラを殺した」
チェルラの名にガノッツァがぴくりと反応するが、それ以上の動きは無かった。
水に濡れたチェルラの服を抱えたまま俯き、表情が見えない。
バートンは口を開いた。
「罪人だからです」
「法で裁けないのか」
エイオンの追求にバートンが重々しく言葉を紡ぐ。
「若を誘拐した時点で彼ら『真実の目』を皆殺しにするよう『遊び心の君』から命令が出ておりました。この事件は外へ漏れてはならないのです。ルクラァンの威信に関わります故。貴方様の立場に置き換えれば、国から花が盗まれた事が公にされていない事の意味がお解りになる筈」
ぐうの音も出ない。
カティの生花が密輸にあったなどとカテュリアの民に明かせる訳がない。
今回の事件はそれと同じ。あまりに外聞が悪く、国の紋に関わる。
エイオンはギリ、と唇を噛んだ。
「ガノッツァはどうなるんです?」
「彼女はこのまま連れ帰り、予定通りの日に処刑されます」
その時、押し黙っていたガノッツァが低く笑った。
くくく……と室内に響く笑い声にその場に居た全員がガノッツァに視線を向けた。
ガノッツァがニヤリと笑う。
「何もかも奪われた私からまだ更に奪うか。私の死に様は私が決める。お前達に決めてもらう必要などない」
ガノッツァが口を開けて一瞬舌を覗かせた。
舌の上には白く小さな玉。
見えたと思った時には彼女は口を閉ざし。
ガリッ、と噛み砕く音がした。
ガノッツァの唇からつぅ、と血が一筋垂れた。
彼女の赤い瞳は揺らがないまま指先が炎に包まれる。
おそらく歯に仕込んであったのだろう毒で自害しようとしているのだ!
「ガノッツァ!!」
エイオンが叫んだ。
バートンが慌てた声を上げる。
「いかん! リチャード、札を!」
リチャードがそれに応えてガノッツァに札を叩きつけるように貼る。
火の元素に還ろうとしたガノッツァの指先の炎の揺らめきが止まった。
まるで時間を切り取られたかのように。
ガノッツァは目を開いたまま瞬きもしない。
「? 一体何をした? ガノッツァは……何故消え去らない?」
エイオンの問いに、今度はリチャードがそっけなく答えた。
「時間を止めた、とだけ。詮索無用」
「時間……!?」
「機密事項。詮索無用!」
リチャードがぷい、とエイオンから顔を背けた。
これ以上語る気は無いと態度が物語っている。
この手の相手から情報を得られる事はない。
何故なら彼はヨルデンと仕草が似ているのだ。ヨルデンは口下手だが、秘密は決して漏らさない。
エイオンは腑に落ちないながらも追求を止める事にした。
「指令!」
大部屋に一人の隊員が戻って来た。バートンが小部屋から出た。
「なんじゃ」
「一部屋を除いて制圧しました! 王太子殿下は見当たりません」
「何故一部屋だけ制圧出来ておらんのだ?」
「部屋からおかしな香りが漏れてくるのです。扉に近寄った者が数名倒れました!」
エイオンの耳はその言葉を聞き逃しはしなかった。
小部屋を出てバートンの傍らに立つ。
「私が行こう。心当たりがある。それに私は風精だから毒煙であろうと暫くの間なら耐えられる」
急に現れたエイオンを見て、隊員がキョトンとしているのには構わずバートンは頷いた。
小部屋にガノッツァと見張りの隊員を残し、エイオンら一行は問題の部屋の前まで移動する。廊下には口元をフードで覆った『暗軍』の隊員が一人立っていた。
「指令!」
「任務ご苦労。下がっておれ」
「はっ」
エイオンは大胆にも扉に近寄り、空気の匂いを嗅いでみた。間違いなくカティの香りだ。
バートンが背後からエイオンに声をかける。
「アーシャ様、大胆が過ぎますぞ」
「この場で私以外の誰が扉に近寄れるというんだ? 私しかいないだろう。扉を開ける。皆、下がって口元を覆え。煙は絶対に吸うな!」
エイオンは廊下に集まった者達が口と鼻を覆うのを確認すると、ドアノブを捻った。
即座に煙が漏れ出て視界が白く遮られたが、エイオンは頓着せずに風を纏って室内に踏み込んだ。
室内は白い煙に満たされて何も見えない。
だが、煙が立ち込めているなら発煙元が確実にある。
エイオンは煙の流れ──即ち風の流れを読み、煙を発している調合鉢を見つけると中身をひっくり返した。
サンダルの底でぐりぐりと踏みつけ、微かに燃えている火を消す。
すると、近くに両開きの窓がある事に気が付いた。
エイオンは取っ手を掴んで思いっきり開ける。
──吹き込む力強い風。
まるでフィローリが纏っていたような強く優しい風に頬を撫でられ、エイオンは胸の痛みを覚えた。
風はエイオンの頬を撫でたと同時に視界を遮っていた煙を吹き飛ばし、彼に夜明け前の空を見せる。
(そうか、歩き回っていたが……もう夜明けが近いのか)
彼は吹き込んで来る自然の風に自分の魔力を添わせ、室内の煙を薄めて外に流す。
視界が鮮明になると、彼はゆっくりと室内を見回した。
するとすぐ側に白髪の老人が倒れているのに気付いた。
エイオンは膝をつき、男を揺さぶってみる。
「おい! 大丈夫か!?」
「う……うう……」
男は苦しそうに呻いたかと思うと、いきなり笑い声を漏らした。
「いひ、ひひひ……煙、煙をもっとくれ……」
「何を言ってるんだ、しっかりしろ」
老人は部屋の入口を指差す。
「カティだ! そこにカティがある! もっともっと燃やせぇ! ひひひひひ……」
「!」
煙がほぼ晴れた室内。老人が指差した場所に氷の塊がいくつも積み上げられていた。
エイオンはそれを見るなり、老人を構うのを止めて氷塊に近付いた。
胸が熱く、鼓動が早くなるのが自分でも判る。
白く曇ったそれに手の平を当てると、エイオンの手の熱で表面が溶け出す。
己の手がしっとり濡れた頃合いを見て手を離すと氷塊の中に紫色の花の束が見えた。
それはラゼリード及びエイオンの祖国の国章と同じ、5枚の花弁を持つそれは……カティ。
薬草でありながら、毒の花粉を持つ花。
401年前、ベラ大陸戦争の折に山ごと焼け落ちる所を風の精霊フィローリと氷の精霊シャロアンスが守った、そして昨年までフィローリが育てていた花。
「カティ! フィローリ……やっと見つけた、貴方の遺した…」
エイオンの表情が泣き笑いに変わる。
総てが報われた気がした。例え前のカテュリア守護が還らずとも。
「アーシャ様!」
ヨルデンが口元を押さえるのも忘れて部屋に飛び込んで来た。
「ヨルデン、見つけた! カティを見つけたんだ!」
エイオンが歓極まってヨルデンを抱き締める。
ヨルデンは目を閉じ、エイオンの背中を撫でた。
主従はこの瞬間、喜びを分かち合う。十年連れ添った相棒のようなものだ。嬉しくない筈がない。
続いてバートンとリチャードが室内に入ってきたが、しかし彼らは喜びはしなかった。
「若が…いらっしゃらぬ」




