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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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21・ふたつの罠

 石畳の上を馬車が駆けてゆく。

 ルクラァン市街の道路の舗装は石畳だ。


 本来なら進むごとに弾むように揺れる筈だったが、スプリングの良くきいたお忍び用の馬車は衝撃を吸収して、不快感を全く感じさせない。

 時々、揺れるランプが走行中なのだと思い出させてくれる。


 馬車の中でエイオンも、ガノッツァも口をきかなかった。


 エイオンの心中では問いつめてみたい事は沢山ある。

 だが、頭が混乱していて何から聞いてよいのか分からなかった。


 だから、まずエイオンは手首の傷について聞いてみる事にした。


「その手首はどうした? 誰にやられた?」


 ガノッツァはつまらなさそうに鼻を鳴らすと敢えてゆっくりと言ってみせた。

 まるで小さな子供に言い聞かせるように。


「捕縛されてすぐに。エルダナ国王陛下が自ら切ってくれたさ。二度と剣を振るえないように。足の腱も、二度と走れないように、ざっくりとな」


 エイオンは目を見開く。


「エルダナ様が!? そんな馬鹿な! あの優しい方がそんな惨い事をする訳……」


 ガノッツァは目を眇めた。


 髪や目の色や彼女の罪から火精だと知っていたが、火精がこんな冷めた瞳をするのだろうか。ハルモニアの瞳の輝きを知っているだけに疑問に思う。


「優しい? 何も知らない異国人は呑気だな。あの男が優しい筈など無い。優しければ自分の父を殺して即位する筈はない。エルダナは私の、無実の父を殺した。そして私からは筋肉と腱を削いだ。もう二度と戦えない。……今でも殺してやりたいと思うのに」


 絶句するエイオンに、ガノッツァは追い討ちをかけた。


「知らないのか? エルダナは80歳の時に父王を殺して、鮮血の滴る首級を中央駐屯地に晒して戴冠式を行ったのだぞ」


 エイオンは被りを振った。

視点が定まらない。

ガノッツァの手首を見たくないのに視線が吸い寄せられる。


「そんなの……知らない。知る訳ない。……待て、待ってくれ。今なんと言った? 無実の父親を殺された? エルダナ様に?」


「何度言わせる。頭が追いつかない馬鹿か? ……父は下級貴族だった。私も本来なら貴族の娘だった。エルダナは力づくで先王から冠を奪った為に敵が多い。父はエルダナを暗殺しようとしていた上級貴族の手紙を他の貴族に配達しただけだった。中身も知らなかった。なのに罪に問われ、処刑された。家名も剥奪。私は父の仇を取ろうと、似たような仲間を集めて戦った。それだけだ」


「それが『真実の目』か?」


「そうだ。『曇らない目』を目指して私が名付けた」


 エイオンは狭い馬車の中で天井を見上げて頭の中を整理しようとした。

ガノッツァの身の上話など二の次だ。


 暫く沈黙が降りた。

 エイオンが口を開いた。


「真実の目は……何をしていた? 例えば……カティを密輸したりしたか?」


 ガノッツァが面白そうに唇の端を吊り上げた。


「私が知るか。聞きたければ私の仲間から聞くんだな」



 それが『答え』であると、エイオンは本能的に悟った。



 真実の目はハルモニアとカティを握っている。



 カタン、と衝撃があり、馬車が止まった。

 まもなく扉が外から開けられる。

 ヨルデンだ。


「アーシャ様、ここからは徒歩です」


「分かった。ガノッツァ、降りるぞ」


 ガノッツァを促して馬車を降りると、裏路地の行き止まりに出た。


「何もないじゃないか」


「アーシャ様、この足元の鉄板から下水道に降りられるそうです。待ち合わせ場所はこの下水道の先です」


 言われてみれば小さな絨毯程度の赤い鉄板が足元にある。

 エイオンはガノッツァに逃げられないように手枷の先の鎖を握り締めたまま、ヨルデンと力を合わせて鉄板を退かせた。


 もっとも、ガノッツァは逃げる素振りなど全く見せず、エイオンの杞憂に終わった。

 鉄板を避けてみると鉄板より二周り程小さい穴が空いており、鉄の梯子が暗い穴の底へ続いている。


「梯子か……厳しいな」


 ガノッツァは左足を引き摺って穴の側へ近寄る。


「そうか、足が悪いんだったな。……ヨルデン、明かりを持って先に降りろ。私がその次だ。ガノッツァは……」


 エイオンはガノッツァに近寄ると細い腰を掴んで肩に担ぎ上げた。


「なっ……何をっ」


 ガノッツァが慌てたような恥じらった声を上げた。


「足の悪い女性に梯子を使わせると思うか? しっかり掴まってろ」


 エイオンはそのまま梯子を降りる。

 牢獄生活の所為か、やせ細っているとはいえ女性を肩に担いで梯子を降りるのは容易い事ではなかった。

 エイオンの額に汗が玉のように浮かぶ。

 ガノッツァは暴れはしなかった。


 エイオンの肩に心細そうにしがみついているガノッツァはとても罪人とは思えなかった。

 それは最早、生きる事を諦めているからだと、彼には気付けなかった。



 下水道の中は独特のツンとした匂いに満たされていた。

 エイオンはガノッツァを肩から降ろすと。まず鼻を手で覆った。そんな事をしても気休め程度にしかならない程、匂いは強い。

 エイオンは外套を被ってくるんだったと後悔した。


「さあ、行きましょう」


 ヨルデンがランプを翳して地図を片手に歩き始めた。


◆◆◆


エイオン達が下水道に入った頃、真実の目のアジトは──大変な騒ぎになっていた。


「た、助けてくれぇ!!」


 カルートが白髪を焦がしながら調合部屋から転がり出てきたのだ。


「何があったの!?」


 バタバタとチェルラ他、幹部が駆けつける。カルートが泣きそうな声で訴える。


「王子が! 王子が部屋に火を放った!」


「何やってんのよ!? だからたっぷり薬を注入しておけって言ったでしょう!?」


「あの体格の子供にあれ以上薬を投与すればどうなるか……」


「知らないわよ! これだから医者はキライなのよ!」


 チェルラが部屋に飛び込むと、ハルモニアは床に伏して倒れたままだった。

 カルートが座っていた辺りに火が放たれたらしく、窓の側のカーテンと壁の一部が燃えていた。


 それはさしたる問題ではない。だが、その部屋には氷漬けのカティの在庫があるのだ!


「ジョノ、火を消して! アイボリー! 王子に……」


 チェルラが言いかけた瞬間、ハルモニアは虚ろな表情のままガバッと起き上がり、チェルラに火を放った。


「きゃあああああああああ!」


 ひらひらとしたドレスはすぐに火にあぶられ、羽衣のように広がる。チェルラは甲高い悲鳴を上げて転げ回った。


「チェルラ! 大丈夫か!?」


 背後から来た仲間がチェルラに(かめ)に溜めた水を浴びせかけた。

 アイボリーと呼ばれた男がハルモニアを取り押さえる。


「…………」


 チェルラにまとわりついていた火は消えた。

しかし、ふわふわに巻いた髪は焦げ、ドレスは見るも無惨に溶けていて卑猥だった。


 チェルラの目は死んだ魚のように仄暗く、怒りをはらんでいた。

 チェルラが悲鳴のような雄叫びを上げたのはジョノが壁の火を消した瞬間だった。


「こんのガキぃぃぃぃぃぃ!!」


 アイボリーが取り押さえたハルモニアの髪を掴み、風呂場に引き摺っていく。


「痛…っ…」


 ハルモニアが痛みに呻く。

 それはとても女性の仕業とは思えない程に乱暴で狂気を孕んでいた。


「頭を冷やしな!」


 再び火を放とうとするハルモニアの襟首を掴んで浴槽に頭を叩き込むと、ハルモニアが両手を振り回して抵抗する。

 その爪が、ガリッとチェルラの頬に傷を付けた。

 チェルラの目から理性が消える。


「凍え死ね!」


 チェルラが一際高く叫ぶと同時に浴槽にバリッと音を立てて無数の氷片が張った。


 びくっとハルモニアの身体が跳ね、そしてゆっくりと力が抜け、静かになった。


 そんな彼をチェルラは更に全身水に浸す。


 背後から様子を見ていた男が、肩で息をするチェルラに声を掛ける。


「お、おい……チェルラ。殺してないだろうな」


「死んでないだろうけど、あんなガキ死んだって構わないわ!! ああ、もう! もう! お頭の為に着飾ったのに!」


 長かった水色の髪は焼け焦げてチリチリに縮んでいた。胸元の辺りで切らなければならないだろう。

 ドレスも同じく乳房まで露わになってしまっており、ただの襤褸着と言うにはあまりに破廉恥だった。

 あまりに異常なチェルラの様子に、男は『ひらひらしたのを着てるからだろ』という言葉を飲み込んだ。



◆◆◆



 エイオン達は下水道を進んでいた。

 と、いってもガノッツァの左足は腱を切られている為、引き摺りながらの亀の歩みで一向に進まない。

 ヨルデンは離れ過ぎないように立ち止まりながら地図とにらめっこをしている。


「アーシャ様、多分この梯子の上が合流地点です」


「やれやれ、また梯子か。……ガノッツァ、いいな?」


 ガノッツァは嫌そうな表情をしたが、大人しくエイオンの腕に抱え上げられた。

 ヨルデンが鉄板をこじ開けて地上に出て、手を伸ばす。エイオンはガノッツァの身をヨルデンに託す。


「ここは……?」


 辿り着いた場所は建設途中で放置されたらしい建物の外庭だった。

 外庭といっても建設途中だけにぐるりと布を張られていて、どこにも出口が無い。

 切り取られたような四角い夜空には満天の星。


「よく来たわね」


 辺りを見渡していたエイオン達は不意に響いた女の声にびくりと反応して振り向いた。

 そこにはランプを持った女が一人と、その背後に三人の男。


「お前達が『真実の目』か」


「そうよ。まずは私たちのお頭、ガノッツァ本人かどうか確かめさせてもらうわ」


 女がランプを翳すと、肩程の水色の髪が垂れた横、頬に真新しい傷があるのが見て取れた。

 ヨルデンも応じてガノッツァの顔の側にランプを掲げる。


「お頭……!」


 女が感極まった声を上げる。


「チェルラ……か?」


 ガノッツァも相手を認めたようだ。

 エイオンは唇をぐっと噛みしめた。


 こいつらが『真実の目』。

 おそらく……カティの密輸の実行犯。


「ハルモニア王子はどこだ!? ガノッツァと引き換えの約束の筈だ」


 エイオンの言葉に、女の背後に居た男が一歩踏み出した。


「その前にお頭に質問だ」


「ジョノ?」


 チェルラと呼ばれた女が戸惑いを見せる。


「なんだ?」


 問われたガノッツァ本人は落ち着いた様子で答える。


「お頭、『墜』の血判状はどこにある? それと『墜』からカティの麻薬と交換で受け取った金も」


「カティがあるのか!?」


 エイオンが口を挟むとジョノと呼ばれた男が煩そうに手を振る。黙っていろ、と言いたげだ。

 ガノッツァが口を開いた。


「『墜』がエルダナの暗殺を目的に、自らの結束を強める為に作った血判状なら金と一緒に保管してある。鍵は……」


「鍵は……?」


 ジョノの目が冷たく光る。

 ガノッツァが笑ってみせた。


「鍵は無い」


「なんだって!?」


 ガノッツァはさもおかしそうに高笑いした。


「あははははは! ある訳ないだろう。捕らえられた半年前にエルダナが奪ったんだから。場所は吐いてないが、エルダナならどこの鍵か意地でも突き止めただろうな」


「そ、そんな……じゃあせめてお頭だけでも渡しなさいよ!」


 女が叫ぶ。エイオンが声を張り上げる。


「ハルモニア王子の身柄を渡すのが先だ!」


「うるせえ! そこからお頭を歩かせろ! そうしたら返してやるよ!」


 エイオンとヨルデンは顔を見合わせた。

 暫し考えた挙げ句、エイオンが鎖を持ったままガノッツァが前へ進み出た。


 ずるり、ずるり、と引き摺った足。

 だらりと垂れた腕。


 男達が頭を横に振った。

 エイオンの背筋に寒いものが込み上げる。



「こりゃ駄目だな。お頭、アンタもう『俺達』には必要ない」


 ジョノの言葉にチェルラが半狂乱になる。


「必要ないって何よ!? どういう意味!?」


 ジョノに詰め寄ったチェルラが頬を張られ、残りの男達に突き飛ばされて姿が消えた。


「チェルラ!」


 ガノッツァの声も届かない。

 遠ざかる悲鳴。暫くして上がる水音。

 どうやらチェルラは下水道に突き落とされたらしい。


 ジョノが言い放つ。


「ガノッツァ、残念だけど、そこの二人と一緒に死んでもらうぞ」



 ガノッツァが諦めたように目を閉じた。



 ──気が付けば、エイオン達三人はいつの間にか物陰から現れた大勢の男達に取り囲まれていた──

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