20・強奪、それはとても優雅に
カルートと呼ばれた老いた男性がチェルラに向かって問うと、彼女は声を上げて笑いだした。それは哄笑。
カルートが眉根を寄せて不快感を丸出しにする。
「何がおかしい」
「あ……あーあれね。今のルクラァン王宮の筆頭御典医ね」
「そうだ! ルクラァンを裏切ってカテュリアに渡ったくせに、のこのこ戻ってきたかと思うとエルダナに取り入り、いきなりこのわしから筆頭御典医の座を奪った新参者! そればかりか! このわしを王宮から追い出した憎いあいつだ! 奴を殺す約束でわしはここで薬を作り続けている筈だ。約束の履行はまだか!?」
肩まである白い髪を振り乱し、目を血走らせてカルートは怒りに震えた。
チェルラ以下、真実の目の幹部達は白けた目でカルートを見る。
「まだなのよ。私達も機会を伺っているんだけど、エルダナはまるで先読みが出来るみたいに自分の身とシャロアンスを守っているの。そーいうワケだからもうちょっと待ってくれる?」
「ふん……早くそっちも目的を達成するんだな!」
「じゃあこの子にクスリ、投与しておいて」
チェルラが顎で指し示すと男達がハルモニアを抱えてカルートの側に連れて行く。
「なんだ? この子供は」
「ハルモニア王子よ。エルダナの息子。父親憎けりゃ……息子まで憎いでしょ?」
チェルラは唇を吊り上げて笑った。
カルートが中途半端な毒抜きを行い、一心不乱に薬を作り続けている部屋を出た一堂は、ちらちらと顔を見合わせる。
充分に部屋から離れた頃合いで誰かがふと口を開いた。
「カルートの奴、気の毒だな」
「なにがよ」
チェルラが鼻を鳴らす。
「御典医なんて最初から狙ってないだろ。俺達が狙ってるのはエルダナ」
「……と、お頭の奪還だからね」
「チェルラはまたそれかよ」
「当たり前じゃない。ああ、お頭。早く戻ってきて」
うっとりと甘い夢を見ながら廊下を歩くチェルラの後ろを付いて歩く男達が、こっそり。
そう、チェルラに気取られないようにこっそりと顔を見合わせた。
◆◆◆
ルクラァン王宮、北第二裏門──
人払いされた門の前に停められた二頭立ての、紋章も窓も何も無い黒い馬車に、外套を深く被った人物が今、まさに詰め込まれんとされていた。
御者が一人、護衛は3人。
それを塀の上から見守っているのは……エイオンとヨルデン。
塀の上に伏せて闇に溶け込み、機会を伺いながら彼らは小声で囁く。
「4人だ。いけるか?」
「勿論です、殿下」
エイオンの言葉にヨルデンが頷いた。
「行くぞ」
護衛が馬車に乗ろうとした瞬間、どちらからともなく身を起こし、軽く3階分はある高い塀から飛び降りる。
衝撃緩和にエイオンの魔法が使われているのは勿論の事だ。
おそらく護衛達は何が起きたのか解らないだろう。
夜風というには強過ぎる風が、ふわりと吹いたと同時に護衛達はバタバタと倒れ、その場には両手に剣を構えたヨルデンが君臨していた。
「いきなりすみません。ちょっと眠ってて下さいね」
剣を腰に帯びた鞘に戻しながらヨルデンは足で護衛達を転がして馬車から遠ざけた。
「殿下、どうですか?」
ヨルデンが御者台を振り向くと、丁度エイオンも御者を倒して馬車から突き落としたところだった。
「言う事を聞きそうになかったから倒した。それから……ヨルデン、殿下はやめろ。アーシャだ」
「わかりました、殿……アーシャ様。ちょっと呼びづらいですね」
ひらりと御者台から降りたエイオンはランプの灯った馬車の中を覗き込む。
中に座っているのはただ一人。
深く被った外套、その隙間から見える木枠の手枷。そこには昨日見た魔封じの札と同じものが貼られ、パリパリと音を立てて光っている。
「お前がガノッツァか?」
返事は無い。
少し苛立ったエイオンが馬車の中へと踏み込み、ガノッツァと思しき人物のフードを乱暴に捲り上げる。
「え……?」
エイオンの背後から覗き込んでいたヨルデン共々、声を失って唖然とする。
馬車の中に居たのは手配書の人相書きとは似ても似つかない女性だったからだ。
鮮やかな赤い瞳に強い警戒心を見せているものの、顔立ちは美しい。
外套の襟から覗く囚人服には赤紫の染みが大量に滲んで、酒の香りを放っていた。
否、酒の香りが最も強いのは汚れて赤黒く濡れたままの髪だった。
「女性……? 人相書きと全然違う……まさか替え玉?」
エイオンが腰の荷物入れから処刑告知の紙を取り出す前に、女性は低く笑ってみせた。
「誰がさらいに来たかと思えば、『焔のガノッツァ』の性別も知らない異国人か。何の用だ」
「……お前が本当にガノッツァなのか?」
まだ確信の持てないエイオンに、ヨルデンが声を掛ける。
「アーシャ様、その女の右手首をご覧下さい。腱が切られています」
普段は子犬の様な侍従は鋭い観察眼で女性をガノッツァ本人と断じた。
エイオンは手枷の辺りに目をやり、惨たらしく抉られた手首を見て蒼くなった。
「アーシャ様、時間がもうありません」
「そう…だな…。ヨルデン、お前は馬車の操縦を」
「なっ!? 敵と2人きりとは危険です! アーシャ様が馬車を……」
「私はこの女に聞きたい事がある。いくぞ、ヨルデン」
エイオンは聞く耳を持たず、勝手に馬車に乗り込んで扉を閉めてしまった。
ヨルデンは不満げに肩を竦めると、倒れている御者の胸元から地図を抜き取り、御者台に飛び乗った。
◆◆◆
コツ、コツ。
北第ニ裏門へと至る消灯された廊下を一人の男が歩いていた。
目深に下ろしたフードの下には更に仮面。
その男の表情を垣間見せるのは仮面の下の唇のみ。
その唇は引き結ばれていて、彼が強い意志を秘めている事が判る。
キィ……と微かな音を立てて裏庭への扉を開けた彼は、少し離れた場所に月光を浴びて立つ王妃レカを見て息を飲む。
「お待ち下さい。あなた」
そう呼び掛ける声は優しく甘かったが、レカが仮面の男──エルダナを行かせるつもりが無いのがありありと解った。
「何故解った?」
彼は多くは語らない。何故、王自ら出ると悟られたのか。その答えも予測しながらエルダナは敢えて問う。
「時編む姫が教えて下さりましたの」
そこまでは予測通りだった。
しゃらん……とかんざしの飾り玉が擦れあって生まれる音を聞くまでは。
背後から近付いてくる、沓音。
しゃらん。しゃらん。
仮面を被ったままのエルダナはバツが悪そうに顎髭を扱きながら戸口から退く。
まもなく、月明かりの下に銀髪の女性が現れた。
下ろせば足元まであるだろう、長い髪を高く結い上げ、幾つも挿したかんざしに横髪を垂らした、一風変わった髪型。
かんざしの先には鎖が長く垂れ、途中にいくつも飾り玉が光っている。
そんなかんざしや何やかやで重そうな頭を支える頸は細く、折れそうに見えた。
纏う衣装は純白。襟の高い袖無しのドレスに同じく純白のショールを添えている。
彼女を色に例えるならば、銀か白しか無いだろう。
はた、と瞬く長い睫毛に至るまで白く、その下の瞳は銀色。
彼女がその銀色の瞳でエルダナを見据えると、エルダナは無言で仮面を外した。
それが今のエルダナに払える最高の敬意。
「また貴女の入れ知恵ですか。レディ。いや、時編む姫」
時編む姫と呼ばれた女性は『心外な』とでも言いたそうに小首を傾げた。
しゃらん。飾り玉同士がぶつかる。
「わたしから駒を動かした訳ではなくてよ、エルダナ。レカがそうしたいと願うから手を貸したまで」
ふと時編む姫が瞬きをした。遠くを視る様に目を凝らす。
「……ガノッツァを乗せた馬車は無事に目的地に着いたようね」
エルダナが驚いて時編む姫に問う。
「!? 一体誰が!?」
「……わたしのお気に入りとその従者」
時編む姫はにんまりと笑ってみせた。
その顔に、エルダナはしてやられた、と思った。
「誰がラゼリード姫に情報を与え……。……レカ。そなたか」
エルダナは振り向き、レカは目を伏せて肯定する。
「はい。ラゼリード姫にハルモニアが『真実の目』に誘拐された事を告げました。ラゼリード姫は酷く胸を痛めていたようでした。その上で私がお願いしたのです。……ハルモニアを助けてほしいと」
「馬鹿な! あの世間知らずの子供に何が出来る!?」
「初めから何も出来ないと決めてかかるのはどうかしら。エルダナ、貴方は最初から万能だった?」
エルダナが珍しく見せた焦りに、時編む姫が冷たく言い放った。
エルダナがぐっと押し黙る。
「わたしには見える気がする。あの子がハルモニアを取り戻してくれるその様が」
時編む姫がぽつりと呟いたのをエルダナが聞き逃す筈も無い。
「見えるのですか、レディ」
「いいえ、わたしに未来は見えない。けれど過去なら見える。現在に限りなく近い過去が。世界中の全てが。……あらあら。大変だわ」
時編む姫がまた遠い目をして何かを『視て』いる。エルダナは食い下がった。
「レディ! 場所を教えて下さい! ハルモニアは何処に!」
「教えない」
「何故!?」
「貴方に教えたらラゼリード姫の目的が果たせないわ。あの姫が今回の任務に失敗したら……廃嫡の可能性もあるのよ」
時編む姫は不意に強い視線でエルダナを見た。
「それに王太子が行方不明になったからと、国の柱である王が簡単に動いていいと思っていて?」
「……試しているのですね、レディ。私と、ラゼリード姫を」
エルダナは唇を噛んだ。レカがそっとエルダナに寄り添う。
「あなた。信じましょう。ラゼリード姫はそんなに弱くないと。きっとハルモニアと共に戻ってくると」
エルダナはレカを見る。彼女の泣きはらした痕のある目に気付き、肩を抱き寄せるとそっと瞼に口づけた。
「レディ」
エルダナはレカの肩を抱いたまま時編む姫に言い放った。
「私が動いてはいけないのならば、せめてバートンとリチャード達ならば出しても?」
時編む姫は笑った。
「ええ、貴方の直下部隊『暗軍』。お手並み拝見しましょうか」
◆◆◆
誰も居ない王宮深くの秘密の場所。その居室で時編む姫はひとり、座っていた。
彼女の手の平の上で、時間が巻き戻っていく。
それを彼女は息を吐いて再生する。
ラゼリードにあてがわれた部屋で、レカは涙を零していた。
こんな筈じゃなかった。夫からの命令はラゼリード姫を足留めする事。
なのに、ハルモニアの名前がラゼリード姫の唇から紡がれた瞬間、涙の膜が瞳を覆ってしまい、それは乾く事なく溢れてしまった。
「レカ様!?」
慌てたラゼリード姫がハンカチを差し出す。
「ハルモニアは……」
レカの唇が震える。過ちを犯しそうな、唇を諫めようとするも……
「……さらわれました」
言ってしまった。
その途端、我慢していた涙が堰を切ったようにぽろぽろと零れ落ちる。
王妃としての責任より、息子を案じる母親の気持ちが勝ってしまった。
「どうして!? あの、レカ様。ハルモニア王子は誰にさらわれたのですか!? ……まさか、あの時の……」
「何か知っているのですか!?」
ラゼリードの言葉を聞いたレカは彼女の肩を掴んで縋る。王妃のプライドも何もなかった。
「ハルモニア王子はエカミナの家に泊まると言っていました。けれどもその前に時計台へ寄ると。わたくしとハルモニア王子は中央区街で別れ、その後……北区街へ向かう怪しい者を見ました。ハルモニア王子らしき子供を抱えた者達を」
その言葉にレカは泣き崩れた。
「わたくしがあの時、見逃していなければ……」
ぎり、と唇を噛む音がしたかと思うと、今までレカが縋っていたラゼリードの肩が急に逞しくなった。衣服もドレスではなく、白い薄袴に黒の上着。
レカは驚いて顔を上げた。
そこにはラゼリードと同じ顔をした青年が居た。
「レカ様、私の失態です。ですから私が必ずハルモニア王子を救い出します」
「あなたは……」
涙に濡れたレカの瞳に輝きが戻った。
時編む姫は過去の再生を止める。
長い白い睫毛を伏せ、唇に笑みを掃く。
「貴方もお手並み拝見させてもらうわ、ラゼリード。わたしのとっておきのお気に入り」




