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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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19/28

19・囚われの

夜遅く。

不意にラゼリードにあてがわれている部屋の扉がノックされた。その音は酷く性急で。


「どなたですか?」


 昼間の男性の姿を洗い流し、今は姫君としての装いの彼女はヨルデンを呼ぶ事なく、黒いドレスの裾を摘んで自ら扉に近寄る。

 こんな時間に訪れるのは一人しかいないと分かっているからだ。


「私です。エルダナです」


「今開けますわ」


 ラゼリードが扉の鍵を開けると、こじ開けるようにエルダナが部屋に侵入してきた。

 何をするのかと問い質す暇も無く、強引に左手を引き寄せられ、薬指に嵌った指輪を確かめられる。

 彼女の指には未だハルモニアの指輪。

 エルダナの瞳が凍り付く。

 ラゼリードの背筋が粟立った。


「ラゼリード姫、何故ハルモニアにこの指輪を返さないのです! これではあやつの居場所が分からないではないか…!」


「あ、あの…わたくし……ハルモニア殿下にお断りしたのですが、聞き入れてもらえなくて……」



「あなた」


 俯き、しどろもどろに答えるラゼリードと、憤りを露わにしたエルダナの背後から鈴の音のような声がした。


「あなた。王女殿下が怖がっていらしてよ。ハルモニアの居場所ならば時編む姫に……」


 ラゼリードが顔を上げると、エルダナの背後にすっぽり隠れるように小柄で幼い外見の女性が立っていた。

 長い黒髪の耳元に一輪だけ挿した白百合の花が美しい。


「ああ……そうだな。私とした事が。ラゼリード姫、無礼をお許し下さい。……ではレカ、後を頼む」


 まさに言いたい放題言って、エルダナはいつも通り派手な足音で去っていった。

 残された女性が少し背伸びして、ラゼリードの額の冷や汗をハンカチで拭う。


「あ、あの……貴女様は……?」


「申し遅れました。私はレカ・リリスと申します」


 衝撃の名を耳にしたラゼリードの背筋を汗が伝う。


「レカ・リリス・ラ・ルクラァン王妃陛下ですね。お初にお目に掛かります。わたくしはラゼリード・エル・グランデル・カテュリアと申します」


「初めまして。夜分遅くに失礼ですが、少しお話相手になって頂けますでしょうか」


 そこで初めてラゼリードはヨルデンを呼んで、お茶の支度をさせる。

 ラゼリードは緊張でかちこちになりながら、レカに席を勧め、自らもまた椅子に座る。


 レカの身体は小さい。小さな頭に細い首、夏のルクラァンでは暑いだろうと思われる広がった袖の白いドレスに隠した体躯もおそらく小さい。

 それを裏付けるように手が小さいのだ。

 桃色に染められた小さな貝のような爪。


 なんて美しい。


 身長の高いラゼリードは手も大きい。指が長いというのが正確な所だが、並みの女性からは規格外れな身体を彼女自身は厭うていた。



「王妃陛下」


「私の事はレカとお呼び下さい、ラゼリード姫」


 ヨルデンが茶菓子と紅茶をカートに乗せてやって来る。

 丁寧に淹れられる紅茶。しかしその指がほんの微かに震えている事でラゼリードがヨルデンもまた緊張している事を知る。


「どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ」


 ヨルデンの堅い挨拶に、レカは柔らかく微笑んでみせる。


「ありがとう。いただきます」


 ディナーの時間も過ぎ、夜食に近い時間帯。何故、王妃が、いやエルダナと王妃レカが訪ねて来たのかが解らない。

 自らも紅茶を口にしながら、ラゼリードは暫し考える。


 …………。

 指輪?


 エルダナは指輪が何故ここにあるのかと言っていた。そして、居場所が分からないとも。

 もしかすると、このハルモニアの指輪は彼の居場所を教える魔法も掛かっているのではないだろうか。


 だとすれば、考えられる事は一つ。

 今までは指輪が無くともハルモニアが安全な場所───エカミナの家に居る事が解っていた。


 それが今は解らないとすれば……?


「まあ、美味しい焼き菓子」


 レカが出された菓子を上品に一口サイズに割ってから口に運ぶ。王妃だというのに威圧感はまるで無く、かえって可憐に見せる仕草。


「お口に合って何よりですわ。それは我が国に伝わる伝統的な焼き菓子です」


「とても美味しいわ。どなたが焼いたものなのかしら」


「焼いたのは先程、御茶を用意させたわたくしの侍従ヨルデンです」


「まあまあ、侍従にさせておくのが勿体無いくらいの腕ね。菓子職人でもおかしくないわ」


 レカは屈託なく笑う。ラゼリードは焦りのあまり余裕が無い。


「ありがとうございます。ヨルデンもレカ様のお言葉を頂戴すれば、天にも上る心地でしょう」


 王妃と王女は暫し当たり障りの無い会話を続ける。


 例えば今着ているドレスがどうだこうだとか、

 カテュリアの情勢や、

 病を得ているラゼリードの父の話。


 ルクラァンの印象や、

 ルクラァンの食べ物の話。

 それから慣れない気候で体調を崩していないか、など。


 ラゼリードは、ずばりハルモニアの事を訊ねたいのだが、会話の主導権はレカが握っていてなかなか機会が訪れない。

 そんな中、レカの赤い瞳がチラリとラゼリードの左手の指輪を見たのを彼女は見逃さなかった。


「レカ様。あの、わたくし、ハルモニア殿下とご年齢が近しいとエルダナ様からお伺いしました。どのような方ですか? 折角の滞在ですから、一度正式にお会いしてみとうございます」


 レカの瞳から笑みが消え、薔薇色をした唇が微かに震える。


 ラゼリードが内心で勝ったと思った。

 後は畳み掛けるだけ。


◆◆◆


 エルダナは王宮西地下の牢に向かって歩いていた。

 手には開けた形跡のある赤ワインの瓶。


 牢屋の前で当直をしていた兵が国王の到来に気付き、直立不動で敬礼をした。


「敬礼など今はどうでもいい。ガノッツァの牢の鍵を出しなさい」


「はっ! しかし……ガノッツァは……その」


「生きているんだろう?」


「は、はい……」


「ではもう一度言う。ガノッツァの牢の鍵を」


 普段見せないエルダナの威圧感の前に、牢番は無力だった。大人しく鍵を差し出すと、エルダナは引ったくる様に鍵を持って牢の奥へと進んだ。


 足下に食料を差し入れる小さな窓しか無い鋼鉄の扉を、鍵を使って開ける。

 開口一番、彼はこう言い放った。


「やあ、ご機嫌如何かな、麗しのガノッツァ」


 暗い独房の奥に居た人物が身じろぎする気配。


「……国王陛下が直々にいらっしゃるとは、ご足労な事で」


「ふむ、暗いな。これでは君の顔も見えない」


 エルダナが一人ごちると同時に空中に火の玉が幾つも浮かび、独房の中を真昼のように照らし出した。


 独房の隅に居たのは手足を鎖で戒められた──赤髪赤目の女。


 目の下を縁取る隈と、警戒心を剥き出しにした鋭い目つきさえなければ上玉と言える。


「ふむ。随分と美人だな。それに私が付けた傷以外は大きな怪我も無い。実に健康そうだ。もっと美しく、人相が変わるまで毎日拷問しておけと命じた筈なのに……一体、誰の介入だろうかねえ」


 エルダナは独り言の様に呟くと、独房内の粗末なテーブルの上にワインの瓶を置いた。


「何の用だ? こんな場所で酒盛りするつもりではないだろうに」


 ガノッツァが掠れた声でエルダナに話し掛ける。


「『真実の目』が動いたよ、ガノッツァ。私の息子の身柄と引き換えに、お前の釈放が望みだそうだ」


「ほう。捕らえられてもう半年。仲間からは捨て置かれたと思っていたのにな」


「お前の処刑まであと3日、今夜を過ぎれば2日。『真実の目』はどうしてもお前を取り戻したいみたいだな」


 ガノッツァはジャラリと鎖を鳴らして、伸ばしっぱなしの赤い髪を摘んで首を傾げる。


「今更、私に価値など無いだろうに。……それで? 偉大なる国王陛下はどうなさるおつもりで?」


 エルダナはガノッツァに背を向けた。顎髭を常の癖で扱きながら、平坦な声でガノッツァに告げる。


「私はお前を釈放しようと思う。私は確かに国王だ。だがそれと同時に2人の子を持つ父だ。『真実の目』に誘拐された私の息子は次代の国王。大罪人と秤に掛けるまでもない。私はお前を解き放つ事で愚王と罵られても構わない」


 エルダナがクルリと振り向いた。その手には、飴玉程の大きさも無い小さな宝石。


「しかし、ただでお前を釈放する気も無い」


 エルダナはガノッツァに近寄ると彼女の顎を掴み、無理矢理に口を開けさせ、口の中に宝石を放り込んだ。


「なにを……っ」


「飲め。嚥下しろ」


 ガノッツァはいやいやをするように頭を振って拒むが、エルダナはガノッツァの頭を仰け反らせ、彼女の鼻を摘んだ。

 こくり、ガノッツァの喉が動き、宝石が飲み下される。

 エルダナが彼女の頭から手を離すと同時に、ガノッツァがエルダナの顔に向かって唾を吐き掛けた。


「行儀が悪いな。私はお前を女だと認識はしていないが」


「私の方こそ貴様に女だと認識されては困るな」


 頬にガノッツァの唾を受けたエルダナはまず左手で顔を拭い、それから彼女の頬を力一杯叩いた。

 ガノッツァがぐらりと目眩を起こし、壁にもたれ掛かる。


「今お前に飲ませたものは爆弾だ。私がある言葉を唱えれば、即座に爆発するように作ってみた。いくら火精のお前でも体内から爆発しては命が保つまい。お前は『真実の目』の元に戻った途端にバラバラに飛び散るだろう。見ものだな」


 エルダナはきびすを返すと、テーブルに置いた赤ワインを手に取る。

 キュポン、と栓を抜くと彼は瓶に口を付けて中身を飲んだ。


「ガノッツァ、最後の晩餐だ。ゆっくり飲みなさい」


 そしてガノッツァの側に戻ると



 彼は彼女の頭からワインを浴びせかけた。



 赤い髪が赤い液体に濡らされ、ほの暗い赤色に変色する。

 とくとくと瓶から零れるワイン。


 その赤い液体を頭から浴びながらもガノッツァはエルダナを睨み続ける。

 その視線は今にもエルダナを射殺さんばかり。


 一瓶分、全てをガノッツァに浴びせたエルダナは空の瓶を手に独房を後にする。


「ガノッツァ、後で迎えに来るよ。それまで内側から吹き飛ぶ瞬間を想像して震えているといい」


 フッ、と室内を照らしていた炎が消え、鋼鉄の扉が閉まる。


「エルダナ……!」


 ガノッツァの怒りに満ちた叫びは、エルダナには届かなかった。



◆◆◆



「これが、エルダナの息子?」


 ひらひらとしたドレスを身に付けた女が床に倒れ伏したまま眠っているハルモニアをしげしげと眺める。


「なんか小汚いガキね。人違いじゃないの?」


「間違い無い。連れの男とカティの行方の話をしながらヴァンティオンから出てきた。王子だ」


「ふぅん。まぁいいわ。この子にクスリを与えておきなさい。動けないようにタップリね」


「おい、チェルラ。なんでお前が指図してんだ。元はといえばお前が騎士団に見つかりさえしなけりゃ、ガノッツァがとっ捕まる事も無かったんじゃねぇか」


「なによ。あたしがいなきゃ、カティは腐ってたか枯れてたかのどっちかよ。私が氷精で良かったと思いなさいよ」


 周りに居た男がチェルラと呼ばれた女の発言に口ごもる。

 『真実の目』には、チェルラ以外に氷精はいない。だからチェルラは失策を犯しても表立って非難されない。

 カティが彼らの元にある今は。


「チッ、いい気になるなよ。大体なんだ、その派手な服は。髪だって綿菓子みたいにふわふわしやがって」


「え? だってあたしの愛しいお頭が戻ってくるのよ。これぐらい着飾らないと」


 別の男が溜息を吐いて、自分の頭を指で指す。


「お前、アタマがイカレてるのか? お前ら女同士だろうが」


「なぁに? 負け惜しみ? お頭はあたしを恋人として認めてくれているわよ。お頭の愛人にも選ばれないあなた達の方がカワイソー」


 綺麗に、こてで巻いた水色の髪をいじりながら、彼女はうっとりと呟く。


「ああ、お頭。早く帰ってきて、あたしを抱き締めて」


「駄目だコイツ。色ボケしてやがる」


「今に限った事じゃねえだろ。何かあればオカシラオカシラ煩いのなんの」



「う……」


 床に転がっていたハルモニアが呻く。

 その声に、我に返った一同がハルモニアを引き摺って奥の部屋に連れていく。


「カルート、クスリ作りは進んでる? 王子様に投与するクスリが欲しいんだけど」


 奥の部屋でカティを扱っていた老人が顔を上げる。


「ああ。……ところで、あの憎いシャロアンス・シアリーを仕留めてくれるのはいつなんだ?」

2022/06/11 連載再開しました。

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