17・捕縛
極小規模の戦争が終わり、ハルモニアとエイオンは、互いに泣き腫らした目を擦り、気まずそうに視線を逸らし続けていた。
ハルモニアは豚貯金箱から金を出せるだけ出して小袋に詰めている。
エイオンはヨルデン謹製弁当の後片付けを済ませた。
互いにやるべき事が終わってしまうと、居ても立っても居られないぐらいに気まずく、結局ほぼ同時に頭を下げた。
「ゴメン」
「いや、こちらこそ……」
ハルモニアは部屋を出て、梯子部屋に向かった。エイオンも後に続く。
「行こう。ヴァンティオンで鞘を返して貰わないと」
軽快な音を立てて二人は梯子を降りて、大時計台を後にする。
◆◆◆
立派な看板のついた豪奢な娼館。
ヴァンティオンを目の前にして、ハルモニアとエイオンの二人は、キュッと唇を引き締めた。
今度は負けてはならない。
二人は顔を見合わせて頷き合うと、両開きの扉を再び潜った。
館の中で真っ先に出会ったのは燃えるような赤髪の女だった。彼女は特に説明もせず、中2階奥の支配人部屋に通してくれた。
その部屋には低い寝台に横たわる老婆と、薄い紫のドレスの裾を花の様に広げ、床に直座りしたアジェールが待っていた。アジェールの目は静かで、昨日の荒ぶりを微塵も思い起こさせない。
ハルモニアは彼女の前に立った。
「あ、あの…少額だが昨日よりは金を用意した。どうか昨日の護り刀の鞘は返してもらえないだろうか」
「その前に聞きたい事があるのよ」
「なんだ?」
「ハルモニア王子殿下ですね?」
「……っ」
言葉に詰まったハルモニアに、アジェールは穏やかに言った。
「誤魔化さなくてもいいのよ。昨日、貴方からお守りの剣を奪った時。鞘から剣を抜いたのはアタシなの、覚えてるでしょう。その時、刃の根本にルクラァンの紋が見えて……アタシ、青くなって慌てて自分のスカーフで刀をくるんだわ。けれど、その場で手のひらを返す訳にもいかなくて高飛車な態度を取って剣を突っ返したのよ」
ハルモニアは腰帯から布に包まれた曲刀を取り出し、刃の根本を確認した。7本の火柱の上がる日輪。ルクラァンの国旗にも使われる紋章。
ベルナンド号の帆にもあった由緒ある図案である。
「本当だ。この剣を抜く事など一度も無かったから知らなかったな。国宝だから紋が刻まれてるのは当たり前といえば当たり前か」
「やっぱり王子様なのね」
「ああ」
「昨日のご無礼、お詫び申し上げます。ここはどうか私の首一つでお許し下さい。どうか、どうかおっかさんと、館の皆は見逃して頂きたいの」
アジェールは静かに、頭を下げて額を床に擦らんばかりに伏した。
「待て! 首一つって何だ」
狼狽するハルモニアに、アジェールはひれ伏したまま答える。
「王族への無礼を命で贖おうと」
「誰がそんなものを要求したんだ! 少なくとも俺はアンタの首なんて欲してない! 勿論、他の誰の命もだ」
アジェールはゆっくりと頭を上げた。
「アタシ、王子様の頭を叩いたのよ?」
ハルモニアが憮然とした表情を浮かべて腕を組む。
「分かってる。父以外で俺に軽い暴力を振るったのはアンタぐらいだ。でもそれは俺が悪かったから……そうだろう? だったら、おあいこだ」
ハルモニアが照れくさそうに頬を膨らませると、アジェールは突然腹を抱えて笑いだした。
吃驚しているハルモニアとエイオンの前で、ひとしきり笑ったアジェールは次第に泣き笑いの表情になり、最後には安心したように啜り泣き始めた。
「やだ……アナタ、エルダナ様にそっくり。変わった人。なんで父子ともにアタシ達に優しくしてくれるの?」
「父の意図など俺ごときが解る筈が無い。それに俺も優しくした覚えはない。……というか、父を知っているのか?」
「ええ、上得意様よ」
アジェールの言葉にエイオンとハルモニアが顔を突き合わせてげんなりした表情になる。
エイオンが見る限り、ハルモニアの顔には「またかよ」と書いてある気がした。
「違うの、違うの。エルダナ様はここで色遊びはなさらないわ。どんなにおねだりしても、お酒を召し上がられるだけ。けれど裏ではアタシ達に援助をして下さってるのよ」
「援助?」
アジェールは小声で話をしてみせる。
エルダナが金銭的な援助の他、現在の最高技術で作られた避妊薬をヴァンティオンに渡している事など。
だからこそ望まぬ妊娠を回避し、欠員が出ることもなく、ルクラァン一の高級娼館であり続けられること。
話を聞き終えたハルモニアとエイオンは、エルダナの真意を図りかね、顔を見合わせる。
やがてエイオンが口を開いた。
「この国にとっては娼館も必要悪だと?」
「悪、ねぇ。王子様は私を見るなり『悪の巣窟』か! って叫んでいたけど」
ハルモニアが俯いた。
「その、少し事情があってな」
「アタシ達は、疲れた男の人達を我が身を持って癒す役割があるのよ。確かにしている事は子供の教育には悪いし、何人もの男とも肌を合わせるから、尻が軽いとか罵られる事もある」
アジェールは一息ついて、話を続ける。
「けれど娼館が無くなれば、欲を持て余した男達は一般の女性を狙うわ、きっと。だから娼館は必要。その上で娼婦を悪と断じるなら、王子様とそちらの若様の言うとおり、私達は必要悪だわ」
「逃げたいと思った事は?」
ハルモニアが問う。
「そりゃ勿論、初めて客の前に出る時は怖くて怖くて足が震えたわよ」
「何故逃げなかった?」
「逃げても行くところなんてなかったもの。それにアタシにはお金が必要だった。だから残ったの」
「本当に逃げたい娘はいないのか? なんだったら俺が父に話をつけて再就職場所を用意するが」
「さぁね。若い子の中にはいるかもしれないけど、アタシも含めて番付に載ってる子は逃げる気なんてなさそうよ。アタシ達は、おっかさんを中心に、もう家族みたいなものになってるからね」
アジェールは背後にあった宝石箱を開ける。
「あ、あら?」
「どうした?」
エイオンが声を掛ける。
「無いのよ、ここに入れておいた筈の王子様の耳飾りと、銀髪の若様のブレスレットが」
その時、支配人室にふらふらと足取りの覚束ない、黒髪を切りそろえた少女が入ってきた。
「アジェール姐さ~ん」
「ニニシャ、今は大事な話の最中よ」
「こっちも大事な話なの~」
フラフラしていた少女がアジェールの元へと進む間にエイオンにぶつかり、二人はもつれ込むように倒れた。弾みで少女……ニニシャの片耳からハルモニアの耳飾りがぽろりと落ちる。
「ニニシャ、アナタ何やってるの! 預かり物を勝手に身に着けるなんて!」
アジェールの剣幕に、ニニシャは笑ってみせる。
「だって~今日はいつものお得意様がいらっしゃってるのよ。着飾らなきゃって思って……。でも変なの。さっきお酒を注ぎに行ったら睨まれたの。それどころか、女の子も侍らせずにテーブルに置いた香炉で何か焚いて男ばっかりで何か話し合ってるのよ。あの匂い、もうクラクラ~」
エイオンがピクリと反応した。
「ちょっと失礼」
黒髪の少女のショールを手に取り、または髪の束を取り、香りを嗅ぐ。
ニニシャはポッと赤く頬を染め、エイオンにしなだれかかる。手首にはエイオンのものだったブレスレット。
「銀髪の若様……私を気に入って下さいました?」
「違う。これは……カティの香りだ! ねえ君、その部屋には何人居た? どんな身分の人だ? 顔は解るか?」
矢継ぎ早に問うエイオンに、ニニシャはゆっくりと回想する。
「えーと…7人? お貴族様みたいな服だけど、仮面で顔は解らなかったわ」
ハルモニアがアジェールに話し掛けた。
「アジェール、俺達が追っているものが、この館の中にあるかもしれない。その部屋の鍵を貸してくれないか? 間違っていたら、俺達の事は酔っ払って他の部屋に乱入した馬鹿だとでも片付けてくれていい」
「ええ、いいわ。ニニシャ、鍵を。それからその耳飾りとブレスレットも返すのよ!」
◆◆◆
「ここ先日から何者かがカティの行方を追って動いているらしい。アグニーニと偽鏡の壊滅、その全てがこの国の王子の仕業の様だ」
ハルモニアとエイオンは扉にそっと耳を当てる。エイオンの風魔法が音を拾って彼らの耳に届ける。
「いや、王子は一人で行動しているのではない。銀髪の青年を従えている。カティの匂いに気が付いたのは青年の方だ。私が昨日ここから出る際に気取られた」
「なんだそれは。犬のようだな」
部屋の中でどっと笑いが沸き起こった。
エイオンがムッとして扉を開けようとするが、ハルモニアがそれを制した。
「まずは、その犬のような青年を始末しなければなりませんな。その次は王子……」
「いや、それはまずい」
「何故まずい? 我々の最終目標はエルダナの首ですぞ。その前に王子を潰しておくべきです」
「何か勘違いしておられるのでは? エルダナの首を取るのは第一目的ではなかったですかな? 王子を先に殺せばエルダナの警戒は強まるでしょう」
「おお、そうだ。薬で頭が惚けていたようだ。しかし、毎日のように暗殺者を送り込んでも奴は死なぬ。運の良い奴め」
聞こえた言葉に、ハルモニアがうなじの髪を逆立てた。
エイオンは黙って口元に布を巻くように彼に促す。ハルモニアは大人しく従った。
「しかし、暗殺者を雇う資金も心許なくなってきた。アグニーニが潰されたのは大きな痛手だ。アグニーニが、あの者達が作った麻薬を高く買ってくれていたのにな」
エイオンは目を見開いた。アグニーニに麻薬を販売したこやつらは、受け取り主ではない?
まだ更に、花を麻薬にしている奴が居る!?
「ところで割符はどうした? アグニーニの札が回収出来なかったという事は、王子側の手に回ったやもしれん。我々『墜』の札はここで壊しておこう」
ハルモニアとエイオンが顔を見合わせた。
こいつらが『墜』!!
エイオンはカチャリと鍵を開けた。
中から声がする。
「なんだ? 酒ならまだ注文しておらんぞ」
ハルモニアがスッと滑り込むように中に入る。エイオンも後に続いた。
いずれも仮面をつけた男が7人、入り口の彼らに視線を向ける。
部屋の中は息苦しい程に甘い匂いで満たされていた。
これが、純度の高いカティの麻薬。
こいつらが、カティの麻薬の受取人。
「お食事の用意が整いました。……牢で食べる不味い飯のな!」
すらり、とハルモニアが腰に帯びた剣を抜いた。エイオンも両手に剣を帯びた。
異常に気付いた男達が剣を抜く。
「ハッ!」
短い気合いの声と共に、エイオンの起こした風が男達を吹き飛ばす。
一番手前で不意討ちを食らった者が壁に叩きつけられ、剣を落とす。
ハルモニアは心得たもので、素早く回り込んで剣を落とした者の鳩尾に蹴りを叩き込み、気絶させる。
エイオンは、テーブルの真ん中に置かれた『墜』の割符を奪い、服の中に仕舞った。
それを見て、男の一人がエイオンに向かって切りかかるのを、彼はなんなく左手の剣で受け止め、右手の剣で仮面を切り裂く。
頬を裂いて飛び散る血とともに割れた仮面は床に落ち、彼の素顔をさらけ出す。
くすみの無い金色の髪、ギラギラ光る緑の瞳。まるで蛇みたいな目。
「パンドーラ公爵!?」
「!?」
忘れる筈が無い。ルクラァンに来て初日の夜会でラゼリードにしつこくつきまとってきた男、パンドーラ公ジョルジオだった。
相手も驚いている様子だったが、エイオンはパンドーラ公の顎に蹴りを叩き込んで静かにさせた。
ハルモニアもその声に反応して気を失った男から仮面を剥ぎ取る。
「……!! エソラル領主!?」
「モニ! 後ろ!」
エイオンが叫び、ハルモニアの背後から襲い掛かる敵を、彼は炎でなぎ払う。
火傷を負った男がフラフラと倒れ込んだ。
奥に居た二人はそれぞれ風と水の『道』に入って逃げ出した。
エイオンの口から知らずの内に漏れる舌打ち。
残り二人を倒すのは簡単だった。
どちらもカティの麻薬で酩酊状態だった為、大した手間も掛からず片付ける事が出来た。
「エイオン、こいつらを父の元へ連れて帰るぞ!」
ハルモニアは2人、エイオンは3人の『墜』をそれぞれ襟首を掴んで『火の道』を通って連れ帰る。
眩い炎、灼熱の地獄。それでもエイオンは真っ直ぐに目を見開いたままハルモニアの背中を見る。
「出口だ!」
どざざっと音を立てて絨毯の上に彼ら7人は転がる。
「これはまた、随分派手に出てきたね」
顔を上げた彼らの前にエルダナが呆れた顔をして立っていた。




