15・花園の娼婦たち
偽鏡が一網打尽になった翌日──
エイオンとハルモニアは西区街の、とある一角にある豪奢な建物の前に居た。
建物の入り口上には巨大な看板。蔦を絡めた意匠の飾り文字が美しい。
『ヴァンティオン』
ハルモニアは納得のいかない表情で低く唸った。
「アグニーニですら何日もの尾行でようやっと見つけだし、偽鏡に至ってはアレクサンドライトからの情報とエイオンの情報が無ければ見つからないまま出港する所だった。なのに……何故、『ヴァンティオン』は場所の特定はおろか、看板まであるんだ?」
ハルモニアは手にした四角い紙を眺めては首を捻る。
幼い彼には、鮮やかに絵や文字が描かれたそれが──所謂、娼館の名刺だと気付かない。
エイオンは顔の筋肉をピクピクと引きつらせながら、真実をハルモニアに言うべきか、言わざるべきか、悩んでいた。
ハルモニアは21歳。自分よりも年上だ。人間ならば立派な成人。
けれど今、目の前に居る21歳は純血種の精霊だから、見た目は成長期の迎えたばかりの少年。エルダナから聞いた話によると、区分としてもまだ子供。
『子供』の耳に入れていい話なのか。そもそも話した所で理解出来るのかすら定かではない。
もし話して理解されなかったならば、……自分はなんと言って彼に理解出来るように説明したらいい?
頭の痛い案件だ。
別々の理由で悩む二人の前で、両開きの扉が開き、外套を被った男と見送る女が出て来た。
「ありがとうございま~す。またのお越しをお待ちしておりますっ」
見送る女は胸元が過剰に開いた赤いドレス。お辞儀をすると、はちきれそうな乳房がたわわに揺れている。
ハルモニアもエイオンも何故かそこに視線をやってしまって赤くなる。
呆然と立ち尽くす彼らの横を通り過ぎる外套の男。ほのかに甘い香りがした。
エイオンは去る男に振り向く。
「……カティの香り…!?」
「なんだって!? やはりここは悪の巣窟か!?」
ハルモニアは、相変わらず赤いドレスの女の胸元を眺めながら叫んだ。
ハルモニアが女に詰め寄る。
エイオンは全く逆の方向に突っ走ったハルモニアと、外套の男を追うかで少し迷った。
「おい! ここは悪名高いヴァンティオンか!?」
「あ~ら、よく知ってるわね~。でも坊やが来るには、ちょっと早すぎないかしら~」
「悪の芽を摘むのには遅いくらいだ!」
「はぁ?」
話の噛み合わない彼女を押しのけ、ハルモニアは館内に入った。
「ちょ、ちょっと待て! モニー!」
エイオンがハルモニアを追って館内に入った。
そこは、むせかえる程の様々な香りで混沌としていた。
場所が場所だけに、エイオンはなんだか少し胸が熱くなる。
館内は吹き抜けの二階建てになっており、中二階から左右にカーブした階段が続いている。
その手すりには露出の激しい女から、まだ咲初めの乙女までがずらりと並んで立ち、艶やかな微笑を浮かべていた。
右の壁には……料金表。
「あらあら、おませなお客様」
燃えるような赤髪の女性が言う。
「でもそちらの銀髪の若様はとても美形」
その後を継ぐように茶色の髪を巻いた女性が言った。
「銀髪の若様、わたくしをお選び下さいな」
最後に口を開いたのは黒髪を切り揃えた少女だった。
女達がころころと笑う。
からかわれるのに慣れていないエイオンは頬どころか耳まで真っ赤になり、最後の機会とばかりにハルモニアに真実を告げようとする。
「あの…モニ。 ここは娼か」
「からかうな! 誰が責任者だ!?」
ハルモニアが叫ぶと、中二階の奥から老婆が出てきた。
「館長はわしですが、何か御用向きでも? ……坊ちゃんにはまだ早いと思うけどねぇ……」
老婆の言葉を最後まで聞かずに、ハルモニアは女達の背後、カーブ状の階段を左手から駆け上る。
彼が駆け抜ける勢いで翻るヴェール、ドレスの裾。香る香水、揺れる髪。
背後をすり抜けられた女達から不満の声が上がる。
ハルモニアは中二階に到着すると、そう背丈も変わらない老婆の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「とぼけるな! ここでカティの麻薬を使っているだろう!?」
「はぁ? そんなものは……ゴホッ…使って、おりませんよ」
「甘い香りのする麻薬だ! 知ってるだろう!?」
「言いがかりも甚だしい! 知らないったら知らないよ!」
そこへ割って入ったのは、扉から客を見送った女だった。女はかつかつと階段を昇ると腰に手を当て、ハルモニアをジロリと見据える。そして口を開いた。
「おっかさんから手を離しな! 言うことをきかないと張っ倒すよ!」
すぱーん!
女が言い終わる前にハルモニアの頭が彼女の張り手でかくりと傾く。
「アジェール姐さん、もう叩いてますよ」
ぼそりと階段の中頃にいた女性が呟いた。
ハルモニアは何が起きたのか解らない様子だった。
まさか王太子を殴る者など居る筈がない。
だから理解出来なくて、鳩が豆鉄砲を喰らった様な表情で老婆の胸倉から手を離し、両手を後頭部にやる。
解放された老婆はゲホゲホと激しく咳いた。
「おっかさん、大丈夫かい? ……アンタね、ウチをなんだと思ってるの!?」
まだ頭が働かないらしいハルモニアが間抜けな答えを発する。
「悪の組織?」
「ち、が~う! ここはルクラァン一の高級娼館! 『ヴァンティオン』だよ! クスリは使っちゃいるが、全て合法! 殿方もアタシ達も『ソノ気』になる香さね!」
「しょうかん……って、あの娼館か……? 父が…その…よく通ってる」
え。エイオンは階下で密かにエルダナの印象を下げた。
ハルモニアは、未だ事態を飲み込めず、アジェールと呼ばれた胸のたわわな女を見た。いつの間にか中二階には階段に侍っていた娼婦達が集まりつつあった。
アジェールは腰に手を当てたまま声高らかに叫ぶ。
「上得意様が何度もいらっしゃるのもねえ、クスリの効き目なんかじゃなく、
アタシ達の テ ク ニ ッ ク がお客様をガッチリゲットしてるのよ!」
「そうよ! クスリなんて雰囲気作りの為だけだわ。アタシは自慢じゃないけど、お初のお客様を30人斬りして、その内半数がすっかりお馴染みさんなんだからね!」
燃えるような赤髪の女性が目眩のしそうな事をサラリと言う。
「わ、私だってまだまだ駆け出しだけど、まだ幼い外見と小さな胸がイイって言ってくれるお得意さまがいるのよ! 貧乳はステータスって言うんだから!」
黒髪を切りそろえた少女が叫ぶ。
「私だって、この店一番のアジェール姐さんにはかなわないけど、人気二番手なんだから。私を忘れないで頂戴よね」
茶色の髪を巻いた女がアジェールを睨みながら髪をイライラといじる。
アジェールがハルモニアを見下ろしながら再度口を開く。
「それをなんだい、いきなり入ってきて受付も通らずにおっかさんに掴みかかって……!」
そこで老婆が非常にわざとらしくごっほごっほと咳をした。
「おお…アジェール…喉が、胸が苦しい。どことは言わないがあちこちが痛い。無理やり背伸びさせられた所為で腰の辺りも痛い気がする。わしはもう駄目じゃ、死ぬぅ~。アジェール、わしが死んだらその子供の所為じゃ。後は任せるよ……立派にお店を率いておくれ。大丈夫、お前なら出来る……」
そう言って老婆は大袈裟にふらついた後にがくりと膝をついた。
アジェールがぽろぽろと涙を流しながら、これまた大袈裟に老婆に縋る。
「ああ、おっかさん! 死なないで! なんて酷い子供だろうね! こうなったら、おっかさんの治療費に有り金置いていくか、おっかさんが治るまでここで働いてもらうよ!」
階段上にてハルモニアは娼婦達に囲まれながら白目を剥いていた。頭がショートしたらしい。
階段下にてエイオンは頭を抱えていた。彼は彼でフリーズしたらしい。
嗚呼……何故こうなってしまったのだろう。
◆◆◆
「まあ、金のブレスレット」
「こっちはルビーの耳飾りよ」
エイオンとハルモニアは、ヴァンティオンの入り口ホールに立たされ、金目の物を物色されていた。
娼館と知らずに飛び込んだハルモニアも、娼館と気付いててハルモニアを止められなかったエイオンも、ヴァンティオンの御姉様方は同罪と見なしたのだ。
彼ら二人は当然の事ながら労働による賠償を拒否し、金銭による賠償を選んだ。
既に所持金は全額没収された。
元々ハルモニアもエイオンもあまり金を持ち合わせていなかったので、今は貴金属を狙われている最中だ。
エイオンの手首からブレスレットが消え。
ハルモニアの耳から耳飾りが消える。
化粧の若干濃い女が、エイオンの左薬指の指輪に気付いて興奮した声を上げた。
「ねぇ! 凄い値打ち物よ!」
ハルモニアがハッと息を飲み、女性達がエイオンの手元を覗き込む。エイオンはチラリとハルモニアを見てから女達に向かって言った。
「この指輪は魔法が掛かっていて外れない。外せる者を今、追っている最中なんだ」
「ええ~? 嘘吐かないでよ」
「嘘だと思うなら引き抜いてごらん」
黒髪の少女がエイオンの指輪を抜こうと試みる。すぐに驚きの声が上がった。
「うそ~! 本当に外れない!」
本当に~? 私も試させて。そんな声が多数上がり、エイオンは暫し左手を女達の好きにさせる。
視線はハルモニアに。
ハルモニアはあからさまに安堵した顔をしていた。
本当はハルモニアとエルダナだけが外せるのに、エイオンは素知らぬ振りをする。
やがてヴァンティオンの御姉様方がエイオンの指輪を諦め、標的をハルモニアのみに定めた。
エイオンはブレスレットとハルモニアの指輪以外、装飾品らしい装飾品を殆ど身に付けていなかったのである。
「あっ! この子、物凄い装飾の短剣を持ってるわよ!」
燃えるような赤髪の女がハルモニアの布腰帯の中から色とりどりの宝石で飾られた短剣を見つけ出し、それに気付いたハルモニアは切羽詰まった声を上げる。
「それは……! それだけはやめてくれないか? それは父から貰った御守りなんだ!」
「御守り~? 護身用にしてはゴテゴテしてるじゃない」
「それは国……いや、家宝だから……」
胸のたわわな女アジェールがフーンと鼻で笑う。
「じゃ、鞘だけ置いていきなさい。護身用なら剣だけあればいいじゃない。アンタ、どっかの裕福な家のお坊っちゃんでしょ? おっかさんの治療費を持ってきたら返してア・ゲ・ル」
堅い音を立てて無情に扉が閉まった。
エイオンとハルモニアはヴァンティオンからつまみ出されて、店の前で立ち尽くしていた。
ハルモニアの手の中には鞘を奪われ、替わりに鮮やかなスカーフを巻かれた短剣。
彼は無惨な姿と化した短剣を見つめながら呆然としている。エイオンはそれに対し、やや同情めいた視線を送る。
「……モニ」
「……これは『所持するだけで災いを祓い、抜かなくても良い』とされる護り刀なんだ……。しかし、その効力を俺は今、疑っている……」
「モニ……」
やがてどちらからともなく口を開いた。
「また明日出直そう……」
「またあの女性達を相手にするのか」
「嫌だが仕方ないだろう」
会話の最後に響くは、二人の盛大な溜息。
二人の脳裏にあるのは、同じ思い。
女って怖い。
◆◆◆
そこはどことも知れない場所。
豪奢な室内で男は蜜蝋の封を切り、手紙に目を通す。
「何……? カティの麻薬の香りに気付いた者だと……!?」
手紙を持った手に力がこもり、紙に皺が入るが男は気にしなかった。
読み終わると彼は手紙をグシャグシャに丸め、巻き煙草の為の灰皿の上で手紙を燃やす。
それが無事に燃え尽きるまで見届けると、彼は引き出しから紙とペンを取り出した。
「誰だ。一体何者だ。早急に対策を取らねば、このままでは奴を仕留め損なう。そればかりか、事が明るみになれば我らの立場、いや、命すら……」
彼は何通も手紙を書いた。同じような内容を相手の立場によっては文章を変え。何通も。
しかし、その文末には必ず同じ内容が綴られた。
『明日、ヴァンティオンにて集いを』




