14・もう死は要らない
「殺すな!!」
背後から鋭く掛けられた声に、階段を上りかけていたハルモニアは振り向く。
エイオンは片膝を立てたまま、座って彼を見上げている。
「敵だぞ? 国の名を汚す敵だ」
ハルモニアが冷たく言い放った。
「敵でも! ……殺すな。この敵は『アグニーニ』とは違う。人身売買なら法で裁けるだろう」
エイオンとハルモニアは暫し睨み合う。
交差する、赤い眼差しと紫の眼差し。
そこへバタバタと階段を降りてくる複数の足音。
「……わかった。やってみる」
ハルモニアはぽつりと呟くと、もう振り向かなかった。スッと彼の姿が階段上へと消える。
打撃音が幾つか聞こえて、足音が遠ざかっていく。
エイオンは立ち上がった。自分が倒れる時に巻き添えにしてしまった樽から、震える少女を引き出す。
少女を床に横たえると、次に彼は一番最初に見つけた樽から男性を引きずり出した。
力を失った人間……しかも男性はひどく重かった。
エイオンは次々に樽の蓋を開け、中に込められた人々を助け出す作業を始める。
蒸気船の船倉。それに加えて夏のルクラァンの熱気。すぐにエイオンの額に玉の汗が浮かび、頬を、背中を、脇腹を汗が伝う。
五人程救出したあたりで、エイオンは最初に横たえた少女の消耗が激しい事に気付いた。熱気と、薬の副作用にやられているのだ!
エイオンは空の樽を掴むと、小さな窓しかない船倉の壁に向かって大きくふりかぶり、叩きつけた。
まず、小さな窓がパリンと澄んだ音を立てて割れる。
何度も何度も意地になったように樽を叩き付け、樽が割れるとまた新しい樽をぶつけて壁に上半身が辛うじて出せるかどうかという穴を開けた。
吹き込んでくる風──
ああ、なんという濃い、潮の香り。碧の海。胸一杯に潮風を吸い込む。
そして彼は声の限りを尽くして叫んだ。
「『不審な積み荷』だ! 積み荷の中に人が混ざっている! 香辛料輸出船、ベルナンド号の積み荷の中に人間が混じっている! 医者を呼べ! 酷く消耗している!」
その声は、朝の港に広く響き渡った。
港で出航の準備をしていた船乗り、朝の漁を終えて魚を売りさばいていた漁師、警邏兵、皆が皆、そのエイオンの声を聞いた。
港に居る誰もが、豪華な造りのベルナンド号を──正しくは突然、穴の空いた船体を見上げた。
◆◆◆
その頃、ハルモニアは中二階にて6人の屈強な男に取り囲まれていた。
彼は正直、面倒臭いと思っていた。
敵など殺してしまえばいい。ルクラァンの紋を背負った船が逆賊だなんて、恥以外の何物でも無い。生かしておく価値も無い。
けれど……
けれど、エイオンは殺すなと言った。
従う義理は本来はないのだが、なぜか彼の言葉が胸から離れない。
男の一人が曲刀で斬りつけてきたのをハルモニアは『火の道』による瞬間移動で避ける。獲物が目の前から掻き消えて驚く男の背後に現れ、首筋に炎を纏った手刀を叩き込んだ。
「このっ…餓鬼!」
曲刀とはまた違う刃物を振りかざして飛びかかってきた男も、ひょいとかわして、ハルモニアは回し蹴りを放った。曲刀の男の上に被さるように倒れる。
踊るように、ハルモニアは敵を倒していった。
ハルモニアは体術には自信があった。何せ彼に体術を教え込んだのは、父エルダナだからだ。
父は強い。そして父は賢い。
ハルモニアにとって父は憧れ、目標そのものだった。
もしも、この血に染まった手がいつか白くなる時が来たら、自分も至上の王冠を戴く事が出来るだろうか。
そのきっかけを、エイオンはくれた気がする。
残りの4人も難なく倒してしまうと、ハルモニアは甲板への階段を昇った。船首にある階段。
それがハルモニアには成長への階段に思えた。
程なくして見えたのは、帆に描かれたルクラァンの国旗。
アド市の元となった王国アドを作った七人の始祖。
通称『最初の七人』を表す七本の火柱が上がる日輪。
ハルモニアは苦虫を噛み潰したような表情になる。
国の名を汚す敵。殺したい殺したいコロシタイ……!!
『殺すな!! 人身売買なら法で裁けるだろう』
またあの青年の声が脳裏に響く。
ハルモニアは人の気配がする方へ向かった。
甲板には船長らしき男と、それを取り巻くように船員がずらりと立っていた。
どいつもこいつも海賊のような面構えをしている。それが奴らの本性なのだろう。
ベルナンド号の周りには好奇の目を向ける港の民。
船長が一歩前に踏み出した。
「一体何処から紛れ込んだ坊ちゃんですかな。こんな質の悪い悪戯をして……この船は王宮御用達の香辛料輸出船ですぞ。王室の名を汚すような悪戯は……」
「黙れ下郎」
ハルモニアの切り口上に船長がたじろぐ。
ハルモニアが続ける。
「俺はこの目で見た。樽に詰められた人間を。香辛料と一緒に人を積んで……何処へ売る? 貴様こそルクラァンの名を汚す国賊め!」
「言わせておけば……! おい、この餓鬼をつまみ出せ」
船長の指示に従おうと、ハルモニアに船員が掴み掛かる。
ハルモニアはただ一言、高らかに言い放った。
「無礼者! 私の顔を見忘れたか!? このたわけどもが!!!」
船員はその場にて固まり、船長モルドン卿は稲妻に撃たれたように、立ちすくんだ。
船長の脳裏に幼い王子の顔が蘇る。
その顔は今、目の前に居る少年と寸分違わない。
「ハルモニア、王太子殿下……!?」
船長の目にみるみる絶望の色が宿る。
「いかにも! 私はハルモニア・ラ・ルクラァン! 事実上のルクラァン王太子だ。警邏兵! 船長モルドン卿を捕らえよ! 誰ぞ、手を貸せ! 積み荷の中の人間を助ける!」
ワァッと港に居た者達から歓声が上がった。
その時になって、ハルモニアは初めて自分が人をを殺さずに罪人を捕らえたと気付き、呆然となった。あんなに殺したかったのに。
次々に甲板に人が上がってくる。船長は最早、抵抗もせずに縛に付いた。
漁師や警邏兵が船室に向かおうとして、ハルモニアは焦った。
「待て! 私が先に行こう! まだ危険が無いとは限らない。お前達はきっかり50数えてから来い!」
「あっ、王太子殿下…!?」
ハルモニアは慌てて船倉へと降りる。
船倉には約20人もの被害者を樽から救出したエイオンが疲れきって座り込んでいた。
「あ…ハルモニア…」
エイオンは安心したように微笑んだ。汗に濡れたその笑顔にハルモニアの胸がときめくが、それどころではない。
「人が来る。見られたらマズい。先にお前を逃がす」
「えっ、まさかまた…?」
「心配無い。俺が護る」
ハルモニアはエイオンの手をしっかりと掴むと、『火の道』へと駆けた。
エイオンが意識を失ったのは秒を数える程の時間もなかった。
◆◆◆
同じ頃、エルダナは一人、執務室で朝食を取っていた。
外交に来た筈のラゼリードがエイオンとなり、日中を駆け回っている。
貴族や政務官に顔を合わせさせたくとも合わせられない。その言い訳をどうするか。
それを考えながら、書類に目を通し、薄いカリカリのトーストをかじっていた。
書類を伏せ紙石を置くと、エルダナは卓上に置かれた鈴をチリンと鳴らした。
お茶のおかわりを言い付ける鈴だ。
だがその時、エルダナの脳裏に声が響いた。
──エルダナ!──
──そのお茶を飲んではいけないわ!──
「!?」
突然の念話に、エルダナが問い掛けようとした瞬間、妙に青い顔をした女官がポットを持って執務室に入って来た。
「おかわりを、お持ちしました」
女官はカタカタと震える手でエルダナのカップに茶を注ぐ。
それを見つめながらエルダナは口を開いた。
「随分緊張しているね。そんなに堅くならなくていいんだよ、可愛い子」
「は!?」
女官が驚いて茶器から茶を零す。
「も、申し訳ありません!」
「謝らなくていいよ。さあ、私の膝に座って」
「あ、あの……」
ポットを握る指を解き、その手を引き、腰を抱き寄せ……女官がエルダナの膝の上に収まるのはあっという間であった。
「見ない顔だね」
「はい…、本日から女官に取り立てて頂きました」
「やはりね。君のような美人を見忘れることなんて有り得ないからね」
女官の耳元でエルダナが囁く。それまで青かった女官の頬が赤くなったのをエルダナは見逃さない。
そのまま耳元に口づけるように甘い言葉を囁き続ける。
エルダナが勢いで女官の唇を啄もうとすると、女官は慌てた。
「あ、あの! 王妃様がいらっしゃるのでは……」
「ああ、レカかい? 今の時間は親しい人と朝食を取っているだろう。……だから今しか無いんだよ」
そう言ってエルダナは女官の唇を己のそれで塞ぐ。
朝日が生む長い影は、床に絡み合う二人をタピストリの模様のように描いた。
唇を離したエルダナが女官の唇を指でなぞる。
「唇が乾いているね。喉も渇いているんじゃないかい? このお茶をお飲み」
「え……」
女官が再び青ざめた。
「わ、わたくしなどが国王陛下の…! もったいのうございます!」
エルダナはカップを女官の口元へ持っていった。
「いいから」
にこやかなエルダナに相反するように、女官の顔は青を通り越して真っ白になり、がくがくと震え始めた。
そんな彼女に向かって、エルダナは歌うように言う。
「お飲み」
朝日が一瞬の恋人達を描いた床には、血泡を吹く女官が倒れていた。
息はあるらしく、今もビクビクと痙攣を繰り返している。
その光景をエルダナが冷ややかに見下ろす。
「馬鹿な子だ。本当に飲むだなんて。雇い主さえ吐けば許してやらない事も無いのに」
「それとも雇い主さえ言えぬ程、弱みや人質を取られているか……。なんにせよ愚かだ。命ほど大事なものなどなかろうに。……息も絶えぬようだし、シャロアンスに引き渡すか」
エルダナは執務机の引き出しから青い硝子玉を取り出すと、飲用とは別のグラスに注がれた水に硝子玉を投げ込む。
「─おいで、シャロアンス─」
執務机の上のグラスの中の水が波打ち、やがてグラスという入れ物から溢れ、まるで生き物のように空中に円を描いたかと思うと、そこにはもう白衣を着た髪の短い男が立っていた。
「やぁ、シャロアンス」
「今度は何です?」
「暗殺者。毒殺だったよ」
「何故いつもいつも私に始末を任せるんですか?」
「君を信用しているからだよ。この子も、始末してくれるね?」
エルダナは火の精霊とは思えない程、冷たく笑った。
◆◆◆
大人達が恐ろしい会話を交わしている頃、気絶から立ち直ったエイオンと、ぼんやりしているハルモニアは港の倉庫裏に座っていた。
ベルナンド号からエイオンを脱出させた後、気絶しているエイオンに外套をすっぽりと被せておいてハルモニアは『火の道』で船倉に戻り、漁師や警邏兵らと共に被害者を救出した。
王太子自らが被害者の少女を抱えて降りてくる姿に、人々は感心し、ハルモニアの名を讃えた。
下船したハルモニアの頭をクシャクシャと撫でた漁師も居た。
あまりの騒ぎに、ハルモニアは歓迎の渦からほうほうの体で逃げ出してきたのである。
ハルモニアは今、その撫でられた髪を摘んで物思いに耽っている。
本来ならば無礼にも程がある行いである筈なのに、何故かハルモニアは嬉しかった。
「本当に殺さなかったんだな」
エイオンがその左隣でハルモニアの顔を覗き込んで微笑んでいる。
「お前が殺すなって言ったんじゃないか」
ハルモニアは髪を気にするのをやめてエイオンに向き直る。
エイオンは軽く頭を下げた。
「約束を守ってくれてありがとう」
エイオンの礼に、ハルモニアが口をポカンと開けた。
「なんだその顔」
エイオンが眉をひそめる。
「何故、礼を言うんだ?」
訝しげなハルモニアに、エイオンは目を伏せて言う。
「昨日まで信用出来なかった。それが、今日は信用出来るようになった。たった一日で変わってくれて、ありがたい。もう人が死ぬのは見たくないんだ」
何か訳有りそうなエイオンに、理由を訊く事をハルモニアはしなかった。
代わりに呑気な事を呟いた。
「腹が空いたな。もう昼に近い」
腹の辺りをさするハルモニアに、エイオンがクスッと笑う。
「リンゴならある。食べるか? エカミナに貰ったものなんだ」
「リンゴは大好物だ」
「じゃあ半分こだな。私も朝からなにも食べていない」
エイオンは荷物の中からリンゴを取り出すと、腰に帯びたナイフで半分に切る。
それをハルモニアに手渡し、二人は暫し甘い果実を貪った。
リンゴは汁が滴るほど甘く彼らの喉を潤した。
半分のリンゴでは物足りないかと思った二人だが、不思議と満足感が代わりに腹を満たした。
「なあ、エイオン」
「なんだ?」
「俺は、今まで血の粛正が無ければ裁く事など出来ないと思っていた。……それが、今日は違った。大量の血など流さなくとも、事態は変わる事もあるのだと、身をもって知った。不思議な気分だ」
「大きな収穫だな。このまま、血など流れずにカティが見つかればいいのにな」
「それは無理だろう」
ハルモニアは立ち上がり、食べたリンゴの芯を海に向かって投げ捨てた。
「何故?」
エイオンが立ち上がったハルモニアの横顔を眺めて問う。
「お前は、カティを盗んだ張本人を目の前にしたとして、斬り捨てずに居られるか?」
「…………」
口ごもるエイオンに、ハルモニアが言葉を重ねた。
「ほらな。言葉に詰まる。今日だけは例外で、血はまた流れるぞ」
エイオンは、予言めいたそのハルモニアの言葉がどうか当たりませんようにと、祈った。
──アグニーニは焼け落ち、偽鏡は割れた。
花はどこから出てくるのだろうか。




