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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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13・売り物は命

 ──昼過ぎにルクラァン首都アド市西区街で発生した火災は、付近の建物3軒を焼きつつも、魔導隊の決死の消火活動により夕方には消し止められた。

 火災直後に降り出した大粒の雨も、鎮火に大いに貢献しただろう。

 水を属性に持つ者達は『母なる水の姫』に感謝の祈りを捧げ、水の魔力を持たぬ精霊、あるいは魔力そのものが無い人間達は、勇敢な魔導隊に尊敬の念を捧げた。


 その夜、アド市は雨粒が屋根を叩く音以外の、音という音が消えたように静まり返っていた。


 とりわけ、西区街は昼間とは裏腹に静かだった。

 火災に巻き込まれた者の多くは中央駐屯地に避難している。

 避難しなかった者も、これ以上の災いが降り懸かる事なかれと、家の中でじっと息を潜めている。



 そんな夜の西区街の、よりにもよって火災の起きた建物跡に踏み込む者が居た。

 細身の男と、少し小柄な男。

 頭部まですっぽりと黒い外套を着込んだ彼らは、鎮火したとはいえ、まだ所々煙の上がる焼け跡を平然と歩く。

 炭となった柱を踏み越え、崩れて折り重なっている天井の前で立ち止まり、小柄な男が顎で示した。細身の男が胸元から一枚の札を出す。

 札には、淡い光を放つ緑の文字が複雑な模様を描いていた。

 細身の男がその札を焼け跡に翳すと、文字が一層光を放ち、微かな音を立てて瓦礫が空中へと浮かび上がった。

 男が更に札を高く掲げると、瓦礫もまた高い位置へ上がる。

 小柄な方の男がその瓦礫の下に滑り込む。


「そのまま浮かべておけ。くれぐれも落とすなよ」


「承知。爺様、早く」


 小柄な男は爺様と呼ばれただけに嗄れた低い声。対する細身の男はまだ幼さの残る若い青年の声だった。

 小柄な男が消えた先、瓦礫の真下でゴソゴソと焼け跡を漁る音が聞こえる。

 間もなく、小柄な男が何かを抱えて現れた。


「もういいんですか、爺様」


「ああ、もういい。ゆっくり、ゆっくり下ろすんじゃぞ、リチャード」


 リチャードと呼ばれた若い細身の男は、言われた通りゆっくりと札を下ろした。瓦礫が元の位置に収まると同時に、札からも光が消えた。ピンと張っていた札が、まるで傷んだ紙のようにボロリと崩れる。


「一枚破損。無駄になった」


「いやいや、無駄ではないぞ。これを見ろ」


「爺様、それは……?」


◆◆◆


 ルクラァン王宮のある一室にて。

 ラゼリードの侍従であるヨルデンは卓に着き、口元で指を組み合わせ、苛々と唇を噛み締めていた。

 いつもにこやかな彼にしては珍しい、しかめ面。眉間の皺が彼の悩みの深さを物語る。


 そんな彼の耳が、木枠の小さく軋む音を捉えた。

 隣室──ラゼリード姫にあてがわれた部屋の窓がこっそりと開けられている。


 ヨルデンは立ち上がり、躊躇わずに隣室へと続く扉を開けた。

 本来ならば主に無断で部屋に入るなど、もってのほか。

 侍従の職を剥奪されても文句も言えない無礼な行為だったが、鍵を掛けていない窓から侵入したのが賊だったならば、ヨルデンが応戦しなくてはならない。


 だが、ヨルデンの杞憂は杞憂のまま終わった。

 窓枠に腰掛ける銀髪の青年。左目を青硝子の片眼鏡で隠していても解る、ヨルデンのたった一人の主。

 雨に濡れた外套を脱ぎかけたエイオンがそこに居た。

 エイオンがヨルデンに気付いて視線を向ける。

 ヨルデンはエイオンに近寄った。顔には悩んでいた形跡は無く、いつもの笑顔。


「お帰りなさいませ。ラゼリード様、よくぞご無事で。お怪我は御座いませんか?」


「ああ……特には」


 濡れた外套を脱がせると、ヨルデンは恭しく頭を下げた。

 彼の栗色の短い髪がふわんと揺れる。


「湯浴みの用意が整っております」


 エイオン──ラゼリードの表情が引き攣った。

 風呂にはのぼせるまで入った。しかもこの国の王子と。

 性別が男の方だったとはいえ、充分醜聞だ。

 だが、それをヨルデンに言う訳にはいかず、どうしたものかと彼は思案する。


「湯浴みが終わりましたら、洗いざらい吐いて頂きますので、そのおつもりで」


 顔を上げながらのそのヨルデンの発言が恐ろしい。琥珀色の瞳が怪しく光っているではないか。

 つまり、ヨルデンは怒っているのだ。


 ラゼリードは戦慄(せんりつ)した。ヨルデンは普段は子犬の様にまとわりついてくるだけだが、実のところ怒らせるとかなり怖い。

 どう言い訳したものかと考えあぐねていると、不意にラゼリードの部屋の扉が叩かれた。


「ラゼリード姫、お伺いしても宜しいですかな?」


 エルダナの声だ。


「エルダナ様……っ、っと」


 ラゼリードは瞬く間に性別を切り替え、男性物の服を分解してドレスに組み立て直してしまった。

 片眼鏡を外して、ドレスの胸元に突っ込む。ヨルデンには濡れた外套を隠す様に目配せする。

 ヨルデンも心得たもので、侍従部屋へ外套を抱えて引っ込んだ。


 ラゼリードは自ら扉を開ける。

 そこには布にくるまれた何かを手にしたエルダナが一人で立っていた。


「少しお時間を頂けますか?」


「はい、勿論です。今、お飲み物を手配致しますわ」


 ラゼリードの言葉にエルダナが手を振って遮る。


「いや、いいよ。長居するつもりは無いからね。手短に話そう」


 そう言うとエルダナは手にした布の包みをテーブルに置き、開いた。

 そこにあるのは精緻な模様を彫られた金属の板。

 しかし、その柄は不自然に途中で途切れている。

 ラゼリードが怪訝な表情を浮かべるのを見て、エルダナが答えを明かす。


「割り符ですよ。契約を結びし時に柄を彫り、それを二つに割って二枚で一つの証とする。これがアグニーニの焼け跡から出ました」


 ラゼリードの目が煌めく。


「アグニーニと『偽鏡』の割り符ですか? それとも、アグニーニと『上』……」


 エルダナは少し笑った様子だった。


「よく一日でそれだけ調べましたね。『上』との割り符の様子です。というのもアグニーニから見つかった割り符は右側……『受け取る者』が描かれているのですよ」


 ラゼリードは割り符をじっと見つめる。火を纏った鳥が、嘴に何かをくわえている模様。だが、嘴から先が途切れていて何か判らない。


「この割り符は貴女が持っているといい。国へお帰りの際は返してくれると有り難いのですが」


「エルダナ様……良いのですか?」


「ルクラァンは全面的に協力すると決めてありますからね」


 ラゼリードは布ごと割り符を手に取り、エルダナに向かって頭を下げた。

 エルダナは窓際に寄り、雨に濡れた窓に触れる。


「今日は酷い雨でしたね。お陰で火事が早々に鎮火したから良いものの、明朝七時に出港予定の香辛料輸出船『ベルナンド号』が時化に襲われなければいいのですが」


「は、はぁ……」


 急な話題転換についていけず、ラゼリードは間の抜けた声をあげた。


「まずそもそも、ベルナンド号が出港出来るかどうかすら。あの船は蒸気船ですから心配無いとは思いますが……どうだか。王宮御用達の船のクセに、しょっちゅう蓋を開けては香辛料の香りが落ちるからと、王である私ですらなかなか立ち入り出来ない船ですから、全貌が掴めないというか」


 ラゼリードはエルダナが言わんやとするところを直感で悟った。

 意味が何かは解らない。

 けれども聞き流してはいけない話だという事が、今の彼女には解る。


 エルダナが不意に顔を上げた。


「おや、もうこんな時刻か。姫君のお部屋に立ち寄るには遅すぎましたな。では、これにて失礼」


 カツカツと派手な足音を立てて、あっという間に立ち去ってしまった国王を、ラゼリードは呆気に取られて見送る。


「この部屋……時計は出口側にしか無いのに、何故分かったの……?」


 ラゼリードの疑問に答えてくれる者は、もうそこには居なかった。


◆◆◆


 翌朝、日が昇ると同時にラゼリードは起き出し、エイオンへと姿を変えた。

 なんとしてもヨルデンに捕まる前に部屋を出なければいけない。

 そうでなくとも昨夜は結局、湯浴みをさせられたのだ。その時にヨルデンと約束してしまった。


「落ち着いたら話す」と。


 今、ヨルデンと戯れている暇は無いのだ。

 エイオンはまたしても勢い良く窓から飛び出していった。

 ヨルデンが朝食を持ってきたのは、その数分後だった。


◆◆◆


 エイオンがエカミナの店に辿り着いた時、既にハルモニアは身支度を整えて店の奥で立っていた。室内にはアレクサンドライトも居る。


「遅いぞ。お前、『道』は使えないのか?」


 ハルモニアがジロッとエイオンを見る。


「残念だが使えない。私の師は……それを伝授する前に亡くなってしまったから」


 エイオンが目を伏せると、ハルモニアが言葉を詰まらせた。


「すまない、嫌な事を思い出させて」


「いや、いい」


 エイオンはハルモニアから目を逸らした。それに気付いて、ハルモニアも口を噤む。

 ぎこちなさが漂うその場の空気を変えたのはアレクサンドライトだった。


「若、さっきの話を最初からしても?」


「お願いする」


 ハルモニアがパッと顔を上げる。

 エイオンもアレクサンドライトに向き直った。


「まず、昨日の薬の件だが……カティの花を挽いた粉を下地に一割使っている。誰がやったか知らないが、中途半端に毒を抜いたものをな。カティ以外にも阿片などごちゃごちゃと混ぜ物も……ロクでもねぇもんばっかりだった」


 エイオンの表情が強ばる。知らずの内に唇を噛み締めていた。


「アグニーニの幹部はその薬を使っていたが、偽鏡にはそれより質の悪いものが回された。カティの花も一割以下だろう。つまり純度が悪く、長時間保ちはしないってぇ訳だ。薬が切れれば正気に戻る。奴隷密売組織『偽鏡』の唯一の弱点だ」


「『偽鏡』は奴隷密売組織なのか。 それで、何が言いたい?」


 エイオンの表情は最早怒りに近い。


「夜中に積み込まれたらしいぞ、叫び声を上げる樽が、王室御用達香辛料輸出船ベルナンド号にな」


「なんだって!?」


 エイオンは慌ててエカミナの家の中で時計を探した。──もう6時。


「ここから港までどれぐらい掛かるんだ!?」


 エイオン一人が慌てる中、ハルモニアがあっさりと言い切った。


「馬車なら1日、早馬なら二刻。『道』なら今すぐに。どうかしたのか?」


「ベルナンド号があと半刻で出港予定なんだ!」


「何!?」


 驚くハルモニアと焦るエイオンを交互に見、アレクサンドライトが面白そうに笑った。


「王室御用達の奴隷密売船たぁな。若、いっちょ暴れてやってきて下せぇ」


 ハルモニアは真面目な顔をして頷いた。


「任せろ!」


 ハルモニアはエイオンを見上げると、彼の手を取った。


「え……何。まさか」


「ベルナンド号は国内きっての蒸気船だからな。つまり、中で火を燃やしてるってことだ!」


 ハルモニアとエイオンの周りを火の輪が何本も取り巻いた。エイオンの顔に怯えの色が浮かんだ。


「ま、待て! 『道』は嫌……」


「とか言ってる場合じゃないだろ!」


 ハルモニアが叫んだ瞬間、炎が一際大きくなったかと思うと、ハルモニアとエイオンの姿も、炎の輪も掻き消えていた。


「若ぇな。『もう裏世界に戻らない』なんてぇ掟さえなければ俺も交じりたいぐらいだ。情報屋も悪くはねぇが」


 残されたアレクサンドライトがくつくつと笑ってみせた。

 彼は一人回想する。

 裏世界の中でも義賊的立場の組織の(かしら)であった自分。

 その情報をエルダナ国王の密偵だった幼馴染のエカミナに掴まれ、すったもんだの戦闘ののち、組織から足を洗って彼女と添い遂げる決心をした事。

 けじめをつける為、アレクサンドライトは自らの片足を石化させた事。

 そして表向きは果物屋、裏では情報屋を始めた事。

 昨日の事のようだ。


「懐かしいなぁ」


正確には二年しか経過していないが。

 


◆◆◆


 熱い、暑い、あつい……


「エイオン、エイオン!」


 幼い声に呼ばれて目を開けると、真っ赤に燃える炉が背後にあった。


「私は……?」


「『道』を通過中に気を失ったみたいだな。ここはベルナンド号の機関室だ」


 ハルモニアの言葉に、エイオンが歯噛みする。


「立てるか?」


 差し出された手を振り払って、エイオンは一人で立ち上がった。くらり、と目眩がする。


「それにしても暑いな」


「機関室だから当たり前だ。見張りは倒しておいた。船倉から調べよう」


 機関室から船倉へ向かうと、そこらかしこに樽が置いてあった。


「普通の香辛料船に見えるが……」


 ハルモニアが首を捻りながら樽を一つ開けてみる。中身は粒のままの黒胡椒だった。


「待て、奥から何か聞こえる……」


 エイオンは、胡椒の樽を縦に回して退かし、奥の樽に近付く。

 エイオンがハルモニアと同様に蓋を開けると




 虚ろな目をした男性が樽の中に詰まっていた。




「うわああ!」


「エイオン!?」


 ガタン!


 樽の中身に取り乱したエイオンが腰を抜かし、周りにあった樽を巻き込んで倒れ込んだ。

 倒れた弾みで違う樽の蓋が外れ、その樽からは少女が投げ出された。

 少女はかたかたと震え、目の焦点が定まっていない。


 それを見て、ハルモニアの顔色が青くなる。

 バタバタと、甲板を走る足音が聞こえた。


「我が国の紋を背負った敵……か」


 ハルモニアが階段へと向かおうとする。

 立ち直ったエイオンが一言だけ叫んだ。


「殺すな!」

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