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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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11・名前

「──あの時、何故、俺は奴らの松明まで跳ばなかったのだろうと……未だに悔やんでいる。致命的な判断ミスだ」


 ハルモニアは口元まで湯に浸かって唇を尖らせている。


「その時にはその花がカティだと確信出来なかったんだろう? もしそれが密輸入者ではなかったら、お前の身が危なかったんだぞ」


 ラゼリードは湯殿の縁に凭れ掛かり、目を閉じたまま話を聞いている。


「しかし、現にあれは密輸入者だった。俺が食い止めていれば」


「密輸入者なら尚悪い。一人で突っ込むなど自殺行為だ。お前は自分の立場をわきまえているのか? 王族だろう? 自分の身を守るのも責務の一つではないのか」


「じゃあ、アーシャはカティを見逃してしまった俺に腹が立たないとでも」


業腹ごうはらだとも! しかし過ぎた事をとやかく言っても仕方ないだろう!」


 ラゼリードは変わらず目を閉じたまま、鬱陶しげに被りを振った。明らかに裏返った声で話を遮る。

 上目遣いでラゼリードの顔色を伺っていたハルモニアは、その声で彼に起きた異常を察知した。


「アーシャ? おい、肌色が変だぞ。……のぼせたのか?」


「暑いだけだ」


 ラゼリードが薄目を開けた。声を出すのも億劫そうな様子で短く返事をする。


「アーシャ? 強がらずに上がった方が」


「うっさい」


 ぐったりと湯殿に頭を凭れさせてもまだ強がりを言う彼の腕を、ハルモニアは無理矢理掴んで引いた。

 湯水の浮力が手伝っているとはいえ、体格差のあるラゼリードをあっさりと湯殿の縁まで引き寄せられた事に驚きながらも彼の様子を伺うと。


 ラゼリードは完全にのぼせて、湯の中に沈みつつあった。


「あ、アーシャっ、早く上がらないと! アーシャ、アーシャ! 意識をしっかり持て!」


 あ。そうか……。

 こいつ、火の精霊だったな。

 湯の温度が上がるは…ず……だ……



◆◆◆


 初めて自分の身体に絶望を感じたのは11歳の時。

 王女の時に好んで着るネグリジェを着たまま迎えた朝。

 目覚めたら男の身体に変わっていて。

 お気に入りのネグリジェは肩の部分が破けて、下腹が汚れていた。

 男女の性差が顕著でなかった頃はまだ割り切れた事が、その瞬間に割り切れなくなった。

 男の道が通ったのだと本能的に悟ったが、恥ずかしくて誰にも言えなくて。

 脱いだネグリジェを寝台の下に隠し、衣装室に潜り込んで泣いた。

 瞼が腫れないように、溢れる側からお気に入りのハンカチで必死で涙を拭き取った。涙で汚れたハンカチもネグリジェと一緒に隠した。


 そして王子の為に用意された衣服に袖を通した。

 後で現れた侍女に、一人で身支度が出来た事を誉められ、無性に腹が立ってうろちょろしていたヨルデンを張り倒した。


 そんな朝に限って『アイツ』がやって来た。


───


「ひーめーさーまー」


 やたら上機嫌に現れた『アイツ』は手に大きな包みを抱えていた。リボンと愛らしい包み紙で飾られた贈り物。

 『アイツ』が以前来た時に自分がねだった図鑑集だろう。

 本当に持ってきてくれた。久し振りに会えた。何ヶ月ぶりだろう。

 嬉しい事なんだけれど、間違った呼称が許せなくて彼に駆け寄り、向こう臑を力一杯蹴っ飛ばした。

 『アイツ』が思わずうずくまる。彼の手から贈り物が離れてドサリと音を立てて落ちる。


「つっ! 何すん……あ。……ごめん。今日は『王子様』か。ごめん、ごめんなさい。殿下」


 すまなそうな顔をした『アイツ』が憎かった。それでも頭を撫でてくる手を拒めない。

 だって、好きだもの。大好きな友達だもの。

 目が潤みそうになった。


「殿下、ごめん」


 包みを拾って立ち上がった『アイツ』は無理矢理私を抱き締めた。背の高い彼の鳩尾の辺りに顔を埋めながら涙を誤魔化した。

 彼はきっと分かっててやってたと思う。口に出さないけど。


「ラゼリード。そんな乱暴な事をしてはいけないよ。シャロに謝りなさい」


 『アイツ』──シャロアンス・シアリーの背後から掛けられる声。

 うわ、最悪。見られた。

 顔を上げられず、謝る事も出来ずシャロアンスのお腹に強く顔を押し付けていると、彼は小さく笑ったみたいだった。


「おはよう。殿下を怒んなくていいよ、フィローリ」


「おはよう。でも駄目だよ。悪い事は悪いと教えないと」


「俺が間違えたのが悪かったんだ。殿下がお怒りなのも当たり前。殿下、許して頂けますか?」


 頭を撫でられながら問われ、私は彼のお腹に押し付けていた顔をそろそろと上げる。殆ど真上に微笑みを浮かべたシャロアンスの顔を見つけた。

 彼の長く垂らした茶色の横髪が頬に当たってくすぐったい。

 私は頷いた。


「改めて……おはようございます、殿下」


「おはよう、シャロ。……ごめんね」


 シャロアンスの青い瞳が眼鏡越しに優しく微笑んでくれる。

 良かった。また仲良しだ。


「今日の予定は身体測定ね。あと、いつもの」


「やだよ。またベタベタ触るんでしょ?」


 私は朝食をフィローリと摂る。

 いつも忙しい父上とはなかなか食卓を共に出来ない。

 今日は憂鬱な朝だったけど、シャロアンスが居るからいつもより賑やかで楽しい。

 シャロアンスは朝早くに家で食べてからこちらに来たので、スコーンにだけ手を付けている。

 私とフィローリはサラダや肉も食べる。


「なんか俺が無礼な事をしているみたいじゃないですか。健康診断も大切なお役目、大切な行事ですよ。殿下の年頃なら半年に一度といわず、毎月でもいいぐらい」


 シャロアンスの熱弁にフィローリが言葉を重ねる。


「そう。僕達の大事なラゼリードの身体に何かあってはいけないからね。きちんと成長過程を記録しないと。ラゼリード、シャロ、お茶のおかわりは?」


「欲しい」


「くれ。あと、殿下の身体測定の後は……フィローリ、お前も健康診断だからな?」


「えー? いやだよ。またベタベタ触るんでしょ?」


「人聞き悪っ! 俺は健康診断は半年に一回主義なんだよ。お前、前回も前々回もまんまと逃げおおせてもう一年半も診せてないだろ!? 今日こそは受けてもらうぜ」


 異口同音におかわりを頼み、フィローリが紅茶を淹れる。

 そのついでに軽い言い争いをする大人二人の友人の事が私は好きでたまらない。

 だから譲れない。


「私は健康診断はいらない。その分空いた時間でフィローリをちゃんと診てあげて」


 私がそう言うと大人二人は静かになった。シャロアンスが首を傾げる。


「殿下? 今、大事なお役目だって……」


「嫌。シャロが記録してるのは女の私の方でしょう? 私は、今日は男だよ」


 男、と口にするのに少し勇気が要った。


「違いますよ。以前、偶然二回続けて女の子だった日に記録を付けただけで、本当はどちらでも」


「どちらでもいい訳ないじゃない! もう私も男なんだ! 女の子の時とは身体の形が全然違うんだ! 女の子の服が破れちゃうぐらい、体型が変わっちゃうんだよ。前回と違う私の記録なんて必要無いじゃないか」


「なんだか今日はやけに拘るね。どちらの姿でもラゼリードなのに。シャロが必要としてるのはラゼリードという人であって、格好じゃ……」


「ラゼリードって呼ばないで! それは女の子の名前だ!」


 手にしていたフォークを卓に叩き付け、宥めてくるフィローリにまで私は噛みついた。フィローリが緑色の瞳を瞬いている。


 シャロアンスに我が儘を言っても、フィローリに言った事は無い。

 シャロアンスに対して怒っても、フィローリに怒った事は無い。


 自分のした事に自分で吃驚して、また泣きそうになった。


 怒られる? それとも嫌われる?

 怒られるより嫌われる方が怖かった。

 しかし、フィローリがとった行動はどちらでもなかった。


「じゃあ僕達の大事な『きみ』に名前を贈るよ」


「え?」


 斜め向かいの席に座ったシャロアンスが頬杖を突いてニヤニヤと笑う。


「ちょっと前からね、フィローリに相談されててさ。殿下が男の子の時に塞ぎ込んでるみたいだから何か贈り物をしようって、ね」


「一番最初に贈るなら男の子の名前にしようってシャロと話してたんだよ」


 フィローリが笑顔を見せる。シャロアンスもしてやったりと歯を見せて笑っている。


「名前……『私』に?」


「そう。じゃ、候補を挙げるから好きなのを選んで」


 胸に締め付けられるみたいな痛みを感じた。悲しくない痛み。嬉しくて。

 頭を掻くフリをして袖口でこっそり涙を拭いたけど、大人は二人してお互いに名前の候補を挙げては却下するのに忙しくて気付かないみたいだった。


「グングニル」

「却下。強そう」


「ロメオ」

「悲しくなりそう」


「パトリオット」

「……微妙。彼には似合わないよ」


「うう~ん……古代語から引っ張ってくるか。えと、じゃあ……エイオン」


「エイオン? どういう意味?」


 不思議な響きの言葉がシャロアンスの口から飛び出して、私は口を挟んだ。


「エイオンっていうのは、古い言葉で『永遠』。気に入った?」


 シャロアンスがニコリと笑う。


「うん! それがいい」


 破顔した私を見て、何故かフィローリが眉をひそめた。


「安易に決めてはいけないよ。名前は意味を持つもの。……君は『永遠』の意味を知らなさ過ぎる」


 常に無く、低く抑えた声。少しフィローリが怖くなった。


「『永遠』ってずっと同じ、ずっと一緒って意味じゃないの?」


 私の答えにシャロアンスが「大体合ってる」と返す。


「そう。長い時間。時の止まったような、長い時間の果ての事だよ」


「……私はシャロとフィローリとずっと仲良く一緒に居たいんだ。だから『永遠』が欲しい」


 私が言うと、すかさずシャロアンスが援護を入れる。


「んじゃ、名前はそれで決まりですね。今回は特別な付け方だから本人の希望に沿うのが一番良いだろ」


「シャロ、だけど……。ううん、いい。ラゼリードが選んだなら……いいんだ」


 何か含みのある言い方だったけど、それ以上はフィローリは語ろうとしなかった。

 落ち着かない空気の流れを変えたくて私は新しい案を出す。


「あの、あのっ、家名はどうしよう」


「えー……また古代語から引っ張る?」


 フィローリが口を開いた。


「僕の家名をあげる」


「……え」


「フィローリ?」


 私とシャロアンスは口々に声を上げた。


「アーシャと名乗るといい。この名前は、僕とシャロからの贈り物だよ」


───


 突如、ラゼリードの胸の中で暗雲が立ち込めた。

 視界から輝かしい想い出が、光がさっと消える。


「フィローリ!? シャロ!?」


 シャロアンスの姿は夜をも凌ぐ黒い闇に溶け、フィローリは金色の光の欠片となって粉々に砕け散った。

 庇護してくれていた優しい大人達が突然消えて、幼いラゼリードは狼狽える。


 贈り物。三人で決めた秘密の名前。

 だから安易に口にしてはならない。

 なのにどうして口にしてしまったのだろう。


 これはその罰?

 どうして彼らは消えた?


 ラゼリードは既に小さな黒髪の子供ではなく、色素が失せた銀色の髪をした青年『エイオン』だった。

 成長した自分の身体を見回す。

 慌てて闇に包まれた辺りをも見回す。


 背後にセピア色をした寝台が見えた。

 横たわるのはフィローリ。

 膝に届く程に長かった彼の髪は耳元でばっさりと切られて、整った毛先が枕に散っている。

 枕元には涙を零す姫君、ラゼリード。


 見たくない。こんな光景、二度と見たくない!!


 左目が痛む。

 きっとその瞳も赤く染まっているに違いない。


 痛む目を押さえた左手に金属の感触。

 瞼に当たるそれをまじまじと見ようと手を離す。


 手のひら側、薬指に指輪の環。


 闇の中できらきらと輝く金色の環。


 微かな、あえかな光を逃すまいと、手を天に翳して手の甲を見る。


 懐かしい声が聞こえた。



「風は、止まってしまってはもう風じゃないんだ」



◆◆◆


 未来を契る薬指には銀の台に血の色をした紅玉の指輪が嵌っていた。

 彼は愕然として翳した手を見つめたまま起き上がる。


「アーシャ、気付いたのか。気分はどうだ? ……どうしたんだ?」


 近くに座っていたハルモニアがラゼリードに気付いて声を掛けた。

 有り得ない物を見る様な目つきの彼を訝しんだハルモニアの表情が曇る。

 ラゼリードが口元を手で押さえて咳き込んだ。


「アーシャ!?」


「呼ぶな……!」


「え」


 吐き気を伴う苦しい息の下、ラゼリードがハルモニアを睨み付ける。


「アーシャとは呼ぶな。……エイオンだ。エイオンと呼べ!」

ここから先は主人公の呼び名が変わります。

女ラゼリード→変わらず

男ラゼリード→アーシャ。ハルモニアだけエイオン呼びです。

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