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恋の花咲くこともある。─蝶々姫第一章─  作者: 薄氷恋
第一章 恋の花咲くこともある

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10・沐浴と回想

ぽたり、ぴちょん。

張り詰めた雰囲気とは裏腹に、浴室の天井から垂れた雫は暢気な音を立てて湯殿に落ちた。

ラゼリードとハルモニアは互いに背中を向けたまま、湯を浴びている。2人共に一言も口をきかず、空気は重苦しい。

 ラゼリードが石鹸に手を伸ばした。丁度背後で石鹸に手を伸ばしていたハルモニアと肘同士がぶつかる。


「あ……」


 びくっと震えたハルモニアの手がスッと引っ込んだ。


「先に……どうぞ」


「有難う」


 譲り合うのも面倒で、簡潔に礼を述べるとラゼリードは石鹸を洗い布で泡立てた。

 一通り泡を立てると、背後に向かって呼び掛ける。


「ハルモニア。……石鹸、使い終わったから」


「……どうも」


 石鹸をハルモニアに手渡すと、ラゼリードは元通り壁の方を向いてしまった。

 ハルモニアが体ごと振り向き、ラゼリードの背中を見つめる。衣服を身に着けていない今、その引き締まった背中と丸みの無い腰は、男性のものだと明らか過ぎる程に判る。

 そうでなくとも、先ほど彼の平らな胸を見たのだから。

 彼の右の肩甲骨には黒い蝶の紋様があった。


「それ、綺麗だな」


「え?」


 体を清めていたラゼリードが頭だけを背後に巡らせる。ハルモニアが恥じらうように目を逸らす。


「背中の蝶。彫り物か?」


「違う。生まれつきだ」


 ラゼリードが左手で右肩を押さえる。手に付着していた泡が背中を滑って落ちる。


「え、腹にあった翼の模様も?」


 ハルモニアは目を丸くしている。


「ああ」


 嘆息してラゼリードは視線を戻した。入れ墨だと言って適当にあしらえばいいものを、馬鹿正直に答えてしまい、彼は自己嫌悪に陥る。

 名前の件にしてもそうだった。

 名付け親以外は誰も知る事のない秘密の名前なのに、成り行きとはいえどうしてこの少年に名乗ってしまったのだろう。


「神に愛されているようだな」


「神?」


 突然、不思議な台詞を耳にし、ラゼリードは体を捻ってハルモニアの顔を見る。


「そう。神に愛された者はその体に寵愛の印を刻まれるんだそうだ。そして類い希なる才を得る。ルクラァンの古い伝承だから、カテュリアの方には馴染みが無いと思う」


「ふぅん……」


「だから、そんなに綺麗なのかな」


 言いながらハルモニアが頬を微かに赤く染める。


「……っ。私は男なんだ。綺麗だとか言われても困る」


 男の姿の時に綺麗だと言われるのは好きではなかった。まるでもう一つの性別を見透かされたみたいで嫌だった。

 王女として生まれた自分。本当の性別が判明した後も形式上王女としての戸籍を選んだ自分。

 男も女もどちらも真実、自分であるだけに、隠された半面を更に無視されるのは耐え難い。

 だがハルモニアは譲らない。深紅の瞳でラゼリードを真っ直ぐに見つめて言う。


「事実として、綺麗なんだ。男だとかそんなこと関係無い。初めて見た時に綺麗な人だと思ったんだ! だから……」


「だから女と間違えたって言うのか!?」


「そうだ! そして好きになった!」


 ラゼリードは頬が火照るのを止められなかった。飾りの無い言葉で真っ正面から想いを告げられては恥ずかしくもなる。


「冗談じゃない! 見ての通り男だと言ってるだろう」


「冗談じゃないのは俺もだ! あなたが女性だったら話は簡単なのに、どうしてっ」


「それ以上言うな……! どれだけ私を踏みにじれば気が済むんだ!?」



 ばたん。



 浴室の扉が不意に開けられた。エカミナが半眼で2人を見下ろしている。


「ひっ」


 とっさにラゼリードは両手で胸を隠した。ハルモニアも両目をぱっちり見開いたまま小さく縮こまっている。


「お2人とも。もう少し静かに入浴して頂けません? このお風呂はねぇ、石で出来ているのでよく声が響くんですよ。若様の情熱的なお言葉も丸聞こえ」


「聞くな! 人の告白を……っ、悪趣味だぞ!」


 ハルモニアが精一杯縮こまって必死に体を隠しながら喚いた。


「だったら静かに入浴して下さいな。なんなら早く済むように私がこの手でしっかりきっちり体の隅々まで洗って差し上げてもいいんですよぅ?」


 エカミナがにっこりと笑った。きっと彼女の事だから洗う時も容赦はしないだろう。本当に隅々まで洗うに違いない。

 ハルモニアもラゼリードも顔面を蒼白にして首を横に振る。

 これ以上の辱めを受けてたまるものか。


「そう、ならお静かに」


 現れた時同様に唐突に扉が閉められた。


「(アーシャ)」


 ハルモニアが縮こまったままラゼリードに小声で話し掛ける。

 つられてラゼリードも小声になった。


「(なんだ?)」


「(エカミナの言う通り静かに話そう。俺は黙って王宮から抜け出して来ている。もしも所在がバレたなら連れ戻されるだろう。俺はまだ探索を続けたい。だからもう俺の事は名前で呼ぶな。何処で誰が聞いているか分からない)」


 ひそひそ話をするハルモニアの必死な様子に、ラゼリードが思わず笑みを零す。


「そんなに小声でなくても普通に会話する分にはいいと思うがな。何と呼べばいい?」


「……エカミナやアレクサンドライトは『若』と呼ぶが……他国からの客人にまでそう呼ばせるのは気が引けるんだ。好きに呼べ」


「解った。【モニ】、よろしく」


 火精だというのにハルモニアの表情が凍り付いた。


「も、モニ……?」


「モニ。何かまずかったか?」


 何もそんな半端な部分だけ本名から引き出して来なくてもいいのではないか。


 思わず問いただしてしまったハルモニアだが、ラゼリードが冗談でもなんでもなく真剣に『モニ』と提案して来るので、ますます絶句してしまった。


 ……この方は、名付け親には向いていない。だが自分の勝手な都合に合わせてくれているのだ。有り難くその名で呼ばれるべきなのだろうけど……いや、しかし。


 ハルモニアがぐるぐると思考を巡らせている間に、ラゼリードはもう済んだことと言わんばかりにさっさと掛け湯をして体から泡を流してしまっていた。


 洗い布で石鹸を泡立てている最中に口論を始めたハルモニアは、色んな意味で取り残されて焦る。


 その横を腰部だけタオルで隠したラゼリードが通り過ぎた。

 骨ばってはいるが、全く日焼けしていない真っ白な、長い脚。

 その脚に思わず目を奪われたハルモニアは、首筋まで真っ赤に染めてうなだれた。頭を抱えて身悶える。


 どんなに綺麗でもこの人は男性なんだ。

 どんなに望んだって手に入らないんだ。

 だから、だから、諦めろ!


 未だ真相を知らない幼いハルモニアが一番葛藤した瞬間だった。


「でも将来、法を変えてしまうという手も……」


「何の話だ」


 湯殿に浸かったラゼリードが訝しげに声を掛けた。


「なんでもない……。アーシャはカテュリアを愛しているか?」


「……本気で訊いているのか? 国を愛していなければ、カティを追って海まで渡らないだろう」


 ラゼリードの赤と紫色の瞳が剣呑に眇められる。


 ハルモニアとしては将来、もし万が一、彼を娶れるものなら……という意味で訊いたのだが、ラゼリードは当然ながら別の意味に受け止めた。


「そう……だな。無粋な事を訊いた。すまない」


「すまないと思うのなら、いい加減真面目な話をしないか? 私に残された時間はあと8日なんだ」


「残された時間?」


 ラゼリードに背を向けて体を洗いながらハルモニアは問う。


「ルクラァンには今、カテュリアから客が来ているだろう。彼らが国に帰る日までしか猶予は無い。それまでに私は必ずカティを見つけ出す。……守護フィローリ、そして私の名に懸けて」


「……まさか、8日なんて。短すぎる! 延ばせないのか?」


 ラゼリードはゆったりとした湯殿で手足を伸ばした。天井を見上げて少し考える。ゆるゆると被りを振った。


「延ばせない。だからモニ、何か知っているなら力を貸して欲しい。頼む」


 頼む、の一言と共にラゼリードに見つめられ、ハルモニアは考える前に言葉を発していた。


「俺が力になるのなら」



 ああ、これが惚れた弱みというものか。



「率直に訊く。アグニーニの建物内にあったあの袋の中身は、カティを素材の一つに使った麻薬だろう。それも限り無く生花に近いものを使った薬だ」


「当たり。何故分かった?」


 ハルモニアの疑問に、ラゼリードは苦い物を噛み締めるような表情で回想する。


「昔……生のカティをそのまま火にくべた煙を吸った事があるんだ。カティの取り扱いはよく見ていたから慣れていたが、あれは流石に死にかけた」


「な……っ! あなたは麻薬中毒者なのか!?」


 ハルモニアが湯殿の中で身を乗り出す。ばしゃりと湯が揺れた。ラゼリードが手でハルモニアを制する。


「まさか。医師と学者の友人2人が研究中、混入に気付かずにくべたんだ。研究室に無断で忍び込んだ私も悪かったが、あの甘ったるい匂い……今でも夢に視る。とまあ、私の過去はこの際置いておいて、何故お前が中身を知っている? 何処まで知っている?」


 ハルモニアはラゼリードの口調にほんの少し違和感を覚えた。

 今日会った時と同様のこの口調は……まるで、命令する事に慣れているような。

 そして王族に対して物怖じしない──寧ろ強気な態度。

 貴族、か?

 そこでもしや王族かと思い至らない辺りに、ハルモニアの甘さと勉強不足が窺える。

 ──いくら男の方とはいえ、特徴のありすぎるラゼリード本人を目の前にして気付かない時点で彼の勉強不足は明らかなのだが。


「ルクラァンでの密輸発覚から現在に至るまで全て。エカミナから聞かなかったか? カティの密輸船を見たのは俺だ」


「なんだって!?」



◆◆◆


 ある春先の夜。

 消灯時間をとうに過ぎたというのに全く眠れず、仕方なくハルモニアは『火の道』を介して王宮を抜け出した。

 月の無い夜だった。

 ここ数年で彼の魔力はますます増幅し、最近は王宮から馬車で約1日程度の距離ならば一度の跳躍で跳べるようになっていた。

 勿論、誰にも秘密だ。

 遊びの達人である父なら気付いているかも知れないが、何も言って来ないのでこちらも何も言わない。

 有利な武器は隠しておくものだ。


 最近のハルモニアのお気に入りは港から外れた岬の灯台だ。

 そこの灯台守の爺やは石の様に無口で、ハルモニアが出入りしていようと動じない。


 もしかしたら父や王家の誰かの言い付けで見て見ぬ振りをし、油断させておいていざとなったら取り押さえるつもりなのかも、とも思うがそうなったらそうなった時だ。相手が火精でも一瞬吹き飛ばすぐらいは出来る。


 21歳。精霊でいうとまだまだ子供で、それでなくとも成長の遅いハルモニアだが、案外シビアな考えを持っていた。


 その日も灯台天辺の大きな篝火を出口とし、潮風吹き荒ぶ灯台に降り立った。

 しかし灯台では遊ばず、長い螺旋階段を下って岬から離れた砂浜に出る。

 海からの強い風が、ゆったりとした夜着を千切れそうな程翻したが、彼は気にせず砂浜に寝転がる。

 火は勿論好きだが、風も土も嫌いじゃない。でも水は苦手なので水際には近寄らない。

 星を眺めて寝転がっていると、じわじわと眠気が襲って来る。このまま暫く此処で寝てもいいかな、と微睡み始めた時にその音は聴こえた。


 オールが船体と擦れ合って軋む音。

 密やかな話し声。


 火の元素が呼ばれ、松明に炎が点る──


 ハルモニアは目を覚ました。

 微睡んでいた頭にも、危険信号が灯る。

 月の無い夜に、港の無い灯台の麓に船?


 おかしいに決まってる。


 ハルモニアは伏せたまま海辺が見えるように、じりじりと体勢を変えた。

 そう遠くない浜辺に小舟と幾人かの人間、たった2つきりの松明が見えた。何か言い争っている。ハルモニアは耳を澄ませた。


「手が冷てぇ……」


「ゴチャゴチャ言わずに運べ。くれぐれも落とすなよ。大事な大事な取引物件だ。一輪でも散らそうもんなら命は無い」


「無茶だ、手が落ちちまう」


「首が落ちるのとどっちがいい?」


「分かりましたよ……ったく。……あっ!」


「馬鹿野郎! 火に近付ける奴があるか!」


 松明の側で揉めていた男の手の中で、予定調和の様にベルトと布の包みが解ける。

 

(氷? ……の中に青っぽい花? いや紫か)


「溶けきってないならちゃんと包んどけ! すぐ出発するぞ」


 予め用意されていたらしい荷馬車。


 積み荷は積み込まれた。


(逃がすとまずい雰囲気だ……だが、火の元素が、奴らの持つ松明しか無い! 跳べない……!)


 ハルモニアの目前で、花は運び去られた。

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