1・いきなりの求婚
一目会ったその日から
恋の花咲く事もある。
出来ればそんな『一目惚れ』とやらには、一生関わり合いたくなかった。
『一目惚れ』だけではない。恋愛関係の問題全てが厄介に思え、疎ましかった。それらが自分の身から、綺麗さっぱりすっきり遠ざかって欲しいとすら思う。
「はぁ……」
彼女は窓縁に貼り付いて溜息を吐いた。
腹が立つ程美しく晴れ、綿の様な雲が風にたなびく空の下、その溜息は小型の雨雲でも呼びそうな時化具合だ。
あるときから彼女、カテュリア国の王女ラゼリードは恋愛や結婚といった事柄に対して、ひどく無気力無関心だった。
誰でもいい、とかそういう事ではなくて、相手が誰であっても嫌。嫁ぐのも娶るのも嫌。とにかく嫌。
それは彼女の様な直系王族の唯一の嫡子としては、許されない怠慢だ。
そもそもこの時代の王族の婚姻は政治の一部であり、当事者達の意志など果物屋でフルーツを買った際につけて貰ったリンゴの様な物──いわばオマケ。
だが有り難い事にラゼリードは零落には程遠い大国の生まれ。無理矢理に政略結婚をする必要は無い。
けれども、結婚しないという選択肢は無かった。
高貴な血脈を次代に受け継ぐのは王族の義務と、口を酸っぱくして──お蔭で口の中は始終酸っぱい気がする──言われ続けてきたが黙って従う程、彼女は人間が出来ていない。
「どうかなさったんですか? 溜息などおつきになって……」
今年18歳になり、成人の儀を終えたばかりの侍従の青年ヨルデンが、冷やした紅茶をグラスに注ぎながらラゼリードに問い掛けた。
「ちょっとね」
彼女は、顔の前に垂れた銀色の髪を苛々と手で払い除けた。
「何があったのかお聞きしても宜しいですか?」
ヨルデンはグラスをラゼリードの元に運んで来る。ラゼリードはそれを受け取りながら左手を前に翳した。
「聞くよりも見て」
「? ……御手がどうか……ああっ!? 指輪!?」
黙っていればそれなりに見た目の良いヨルデンの表情がくるくると変わる。思わず、といった様子で彼はラゼリードの左手を取った。
「ラゼリード様、こんな指輪……お持ちじゃなかったですよね…?」
「持ってないわよ」
彼女の左手薬指には、見覚えの無い血の色をしたルビーの指輪が嵌っている。
「一体どなたから指輪を贈られたのですか?」
「さぁ……」
ラゼリードの要領を得ない返答に、ヨルデンがきょとんと目を瞬いた。
その事については、ラゼリードだって知りたかった。
◆◆◆
「この国はいいわよー? 暖かいし、税金もそんなに高くないし」
「良い国なんですね」
「おにいさん、旅の人? この国は初めて?」
「あ、はい」
三角巾で髪をすっぽり覆った果物屋の奥さんは気の良い人だが、話が長かった。
ラゼリードは、彼女に話し掛けた事を心底から後悔していた。
フルーツを買うだけにしておけば良かった。うっかりこの国について訊ねなければ……
此処はルクラァンという王国。
ラゼリードの祖国であり、今後病床の父王に代わって治めるカテュリアとは海を挟んで南側にある、世界一『精霊の多い国』だ。読んで字のごとく、この国に住まう精霊という『種族』と人間の比率が殆ど吊り合っているという珍しい国。
カテュリアとは貿易が非常に盛んで、長年一番の取引相手として付き合ってきた国でもある。
ラゼリードは今、ルクラァンを外遊中だ。代変わりしても良い国交を築く為、相手国を知る様に父王に言われたのが半月前。
丁度ルクラァン側からも前々から招待したいと思っていたという声が上がり、さくさくと話は進んで今に至る。
ちなみに今現在は『性別を変えて』お忍びで街を散策中だ。家臣はルクラァン王宮を出た時に撒いて来た。
……故に、果物屋の奥さんと、半分絡まれる様な形で会話していても誰も助けてくれはしない。
地元民も、彼女の話が長いのを知っているのだろう。誰も絡まれる旅装束姿の青年を助けようとはしない。ラゼリードの予想が正しければ、助けに入った人まで奥さんのお喋りに巻き込まれるだろうから。
「おにいさん、色白いわねぇ。北の方から? 此処は日差しが強いから……そうそう、そんな風にフードを被ってないと熱中症になるのよ」
「はぁ」
別にラゼリードは熱中症対策に外套のフードを下ろしている訳ではない。あくまで目立つ銀髪と、赤と紫の色違いの瞳を隠す為に着用している。
見る人が見れば、この容姿はカテュリアの第一王位継承者だと丸解りなのだ。寧ろバレない方がおかしい。
「それにしてもおにいさん、佳い男だねぇ。ウチの亭主の若い頃を思い出すよ。リンゴ、オマケするわね」
果物屋の奥さんが店先に積まれた赤い果実を一つ、ラゼリードの荷物にねじ込んだ。
「あ…有難う御座います」
「礼儀正しいねぇ。あら!」
「え?」
不意に奥さんが三角巾を揺らして、ラゼリードのフードの中を覗き込んだ。慌てて後退るも既に遅し。
「変わった瞳の色だね? もしかしておにいさんも精霊かい? 何の属性の精霊なんだい?」
まずい。本当の事は言えない。
左目が赤、右目が紫だなんて風の精霊は、この世に一人しか居ないのだ。それは自分。
精霊の血を交えた過去の無いカテュリアの王族中で、ただ一人、人間から精霊に変化したラゼリードだけ。
上手い言い訳も思い付かず、不自然に言いあぐねていると、突然背後から走ってきた誰かにぶつかられた。
「失礼。エカミナ、リンゴが欲しい!」
振り向くと、丁度隣にラゼリードの胸の高さ程の背丈の人物が滑り込んで来た。
フードをすっぽり被っているので、外見からは判別出来ないが……声からしておそらくは少年。
その人物は、店先のリンゴを猛然と掴むと、目にも止まらぬ素早さで奥さんに代金を渡した。そしてそのまま走り出す。
「若様~! これもどうぞ!」
奥さんが、背後にあった氷の浮いた水槽から、水の入った瓶を取り出した。走って行く人物の頭上高くに、水滴が付いたままの瓶を投げる。
「ありがとうっ!」
小柄なその人物が地面を蹴って飛び上がり、空中で瓶を受け取った。
ジャンプした拍子にフードが脱げ、外套の背中に垂れ下がる。短く刈られた黒髪が露わになった。
ラゼリードの予測通り、その人物は少年だった。12~13歳ぐらいだろうか? 瞳の色までは判らなかったが、肌はよく日に灼けていて、健康そうに見えた。
彼は瓶とリンゴを掴んだまま一目散に駆けて行き、雑踏に紛れ込んで姿が見えなくなる。
「あの……若様って?」
ラゼリードはつい今し方『エカミナ』という名前が判明した果物屋の奥さんに問い掛ける。
「若様は若様さ。かなりの美少年でねぇ。ウチの亭主も昔はあんなだったのに……」
一体どんな顔の旦那さんですか。ラゼリードは訊きたくなるのを必死で堪えた。そんな事をしては再びお話責めにされてしまうのが簡単に想像ついた。
「エ、エカミナぁあ!」
「おや、じいやさん。今日も精が出ますねぇ」
少年に遅れて、今度は老人が果物屋の軒先に走り込んで来た。ひゅうひゅうとおかしな呼吸音が口から洩れているのがとても恐い。
「全く! 若様ときたら、また逃げ出して! エカミナ! 若様を甘やかしてはなりませんぞ!」
「あら、見てました? うふふ、若様が脱水症状なんか起こされては大変でしょう?」
奥さんはホホホ、と笑って追求をかわし、老人は『若様』とやらに対して思い付く限りの愚痴を並べている。
どうやら奥さんの話し相手のターゲットは老人に移ったらしい。ラゼリードはこれ幸いと、果物屋に一礼して立ち去った。
ルクラァン市街の表通りを一通り見て歩き、満足した所でラゼリードは足を止めた。
通りは既に寂しくなり、人通りもまばらである。数歩先の路地は暗く、明らかに先程歩いていた場所とは雰囲気が異なっていた。
つまり、そこから先は裏通り。西区街といったか。
前もって入手していた情報によると、あまり治安はよろしくないらしい。
何処の都市にも潜んでいる闇部。ルクラァンとて例外ではない。寧ろ表が栄えれば栄える程に闇は色濃くなると、話に聞いた事がある。
ラゼリードは、外套の下に下げた武器を確かめ、一層フードを深く被ると、裏通りに踏み込んだ。
だが、数分も歩かない内に彼の裏通り探索行はあっけなく打ち切られる。
「退いてくれ!」
「うわ!」
ラゼリードが最初の角を道なりに曲がろうとしたその時、まさにその場所から誰かが勢い良く飛び出して来たのだ。かわしきれず、ラゼリードはその人物とまともにぶつかってよろける。
ラゼリードが被っているフードが後ろにずれた。
「!」
その人物は、ラゼリードを見るや否や、彼の外套をひっ掴んで表通り方面へと走り出す。とっさの事に、ラゼリードは外套をしっかり掴んで盗られない様にするだけで精一杯だった。勢い良く引っ張られてフードが完全に頭から背中に落ちる。
「何だ!? 何をするんだ!?」
「やめておけ! 此処は女には危険な場所だ!」
「はぁ?」
女が何処に居る。
……ああ……私か。
ラゼリードは疲れた表情で前方を走る人物を見た。ラゼリード同様、被っていたフードが脱げている。
その黒髪の小さな後ろ頭に、ラゼリードは見覚えがあった。
……さっきの『若様』?
子供が何故こんな場所から出てくるんだ。
それよりも女に間違えられた事の方が気になるが。
自分はどちらかと言えば、女顔だという自覚はあった。普段、カテュリアでは主に女性……それも王女として生活しているからだろうか。
だが彼、及び彼女は『完全に女性ではない』。
それどころか『完全に男性でもない』。
簡単に言ってしまうと……『両性』。
それも男性体と女性体の切り替えが利く両性体。そして風の精霊。
王女でありながら同時に王子でもあり、カテュリア国の守護精霊を兼ねる次代国王。
それがラゼリードの正体だった。
「あの……離してもらえないか?」
引っ張られて走りながらフードを引き上げ、ラゼリードはなるたけ穏便に少年に声を掛ける。もう裏通りからは脱出していた。時折擦れ違う人々が走り抜ける彼らを振り返って見る。
「駄目だ、もう少し、安全な場所、まで……」
『若様』は遠くから走って来たのか、かなり息が切れている様だった。鋭く息を吐きながらも、速度は少しも緩めない。
ラゼリードは彼が好意で自分を胡散臭い場所から連れ出そうとしてくれているのだと理解したが、性別と顔立ちにコンプレックスを抱く彼は、複雑な想いを拭えなかった。
「いいから、離せ」
下手に人通りの多い場所に入られて正体がバレでもしたらまずい。ラゼリードは少年の腕を掴んで、逆に裏通りとはまた別の路地に引っ張り込んだ。
「……はぁっ……」
少年が荒い息を吐いて崩れる。ラゼリードも少し息が上がっていた。
お互いにしばらく無言で息を整える。
「あの……」
『若様』とエカミナや、老人に呼ばれていた少年が顔を上げた。
ラゼリードは改めて彼の顔をまともに見る事になる。
少年は確かにエカミナの言う通り、整った顔をしていた。黒い髪に、日に灼けた肌。瞳は真紅。
人間にはありえない瞳の色に、ラゼリードは彼も精霊だと気付いた。
(……赤い瞳は大体が火属性)
ラゼリードは昔、先の守護精霊に教わった事を思い出す。
考え事をしていた彼は、少年が自らの中指から、血色のルビーの指輪を抜いた事に気付かなかった。
「……あの」
「ん?」
少年が再びラゼリードに話しかけた。心なしか少年が震えている。
「どうしたの」
ラゼリードは、少年の乱れた髪を左手でそっと整えてやる。すると少年はビクリと震えて目を伏せた。
「あ……触ってごめん」
てっきり少年が怯えたのだと思ったラゼリードは、手を引っ込めようとした。
……が。
『若様』は、ガシッとラゼリードの左手を掴んで、あやまたずその薬指に手にした指輪を
填めた。
「俺と結婚して下さい」
「はあ?」
指輪のルビーがキラッと光を放ち、環になった部分が彼の薬指にぴたりと貼り付く。
その時、路地の入り口に狙いすました様に少年を追いかけていた老人が現れた。
「わ、若様! なんという事を!」
「これが、俺の気持ちです」
少年は茫然自失しているラゼリードの頬に唇を落とすと、路地の奥へと駆け去った。




