第十五話「襲来」
夕食──とは言えども内容は硬い黒パンと缶詰に入ったスープ、それと干し肉だけだ。
保存という観点に置いては最高の品物だが、残念ながら「美味しい食事」とはかけ離れていた。
「この……顔の筋肉が、熊にでもなっちまいそうな、硬い食事は、軍ならではだね……」
スミスは干し肉を噛みほぐしながらモゴモゴと呟いた。傍の焚き火ではマキナが自分用の缶詰を温め終わった所だ。
周囲はすでに暗くなって、火の灯りだけが唯一の光源として機能していた。
ジンたちはそれを囲んで暖をとっている。
「軍は軍でも……こんな不味い飯を食ってるのは前線の奴らだけです……きっと今頃、皇都の士官どもは、出来たてホカホカのビーフストロガノフをたらふく食ってますよ……」
ジンがその「硬い干し肉」を食べながら漏らした文句に、スミスは笑いを堪えられなかった。
彼女はいつものようにシシシと笑った。そして、久々に聞いた故郷の料理に懐かしさも覚えた。
「知ってるかい? ソドスベリア人はストロガノフを食べないんだ」
「ええっ、じゃあ彼らは日曜の夜に何を食べるんです? ジャガイモだけってことは無いでしょう」
この話題にはマキナが食いついた。ストロガノフは彼女の大好物だったからだ。
シュネーリアにおける日曜の夕食は、週の終わりを祝って少々豪華にするのが一般的だ。
ストロガノフはその時によく机に並ぶ。だからマキナにはそれを食べないなんて考えられなかった。
「ソドスベリアでは、そうさね。晩餐の日にはキャセロールを食べた」
「キャセロール?」
聞き慣れない名前にマキナが首を傾げる。
異国の言語であるから、名前だけではその全容を想像出来ない。
「キャセロールは鍋に肉や野菜や、パスタやチーズなんかを入れて焼いた料理なんだ。オーブンがないと作れないが、店で食べるキャセロールは美味かったよ」
ソドスベリア人の生活を知らないジンやマキナにとって、スミスの話は新鮮で興味深いものが多かった。
特に食事に関しての話題は、美食に飢えた腹が思わず唸ってしまうほど関心を惹かれた。
マキナは、彼女がいくつか話したソドスベリア料理の中で、最初に聞いたキャセロールが気になるらしく「基地に帰ったら厨房さんに作ってもらいましょう」などと楽しげに計画を立てていた。
一行は主戦場を迂回する山道ルートを走ったため、当初の予定よりも日程に少し遅れがあるが、それでも順調に進んでいた。
そして六日目は「凍った川の道」を中ごろまで進んで終了する。
◇◆◇◆◇
七日目。
予定では今日中にソドスベリア領土を抜けられるはずだ。
一週間の、他の任務と比べてもそれほど長いわけではない任務だったが「敵地で」「味方の援護もなく」「三人だけ」という状況が彼らの神経を擦り減らせて、随分と長く感じさせていた。
マキナは「敵国にカモシカ一両で乗り込む任務」など正気の沙汰ではない、と命令を受けた時は思っていた。
しかし、いざ帰国間近となって「案外あっさり行けるものだな」と肩透かしを食らったような気分になった。
とうとう昼前には国境を目前にした山の麓まで到着する。
そこで少し休憩をとる事にした。
「来るときに一度合流した第三歩兵中隊がまだ居るはずだ。国境越えの時に敵だと勘違いされちゃたまったもんじゃない、今のうちに電報を送っておこう。ここからなら信号も十分に届くはずだ」
「なら、その間に用を足してきます」
マキナが言った。ジンは通信機のアンテナを立てながら「おう」と返事する。
「私も行ってくるよ」
砲手席に座っていたスミスも彼女の後を追って立ち上がった。
「ああ中尉。これを」
二人はカモシカから五○メルカほど離れたところにある岩陰で用を足すと言うので、ジンは自身のタルコフ小銃を投げ渡した。
スミスは「少しの間だけだから不要だろう」と言ったが、彼は首を振った。
「『銃は兵士の身だしなみだ』と俺の教官は言っていました」
それを聞いてスミスは内心驚く。そして「殊勝な心掛けだな」と感心し、やはり銃を受け取る事にした。
たかが小銃一丁。しかし、あるのとないのとでは結構心持ちも変わるものだ。
つまり「常に兵士として居られる」という事。
「大雑把に見えて意外と細かな男だな」
岩陰で用を足しているマキナに向かって、スミスが言った。
「ジンさんは、見た目通り大雑把で適当でいい加減な、ダメ男ですよ」
「やはりそうか」
辛辣を通り越して只の悪口となった彼女の評価を聞いて、スミスはシシシと笑った。
だが、マキナは言葉を繋げる。
「──でも、いざ任務に出るとしつこいくらい『こまめ』です。ちょっとでも気になる事があればすぐに確認するし、行動も計画的です」
マキナはズボンのチャックを締めながら立ち上がった。
「──ああでも、たまにとんでもない無茶振りをしてくるのには勘弁ですね」
マキナは身を震わせながら岩陰を出る。
他に場所がないから仕方ないとはいえ極寒の大地で下半身を晒し、寒さに凍えながら用を足す事には誰しも不満がある。
特に、女である二人にはそれが顕著だった。マキナが銃を受け取ると、今度はスミスが岩陰に入る。
「寒いのは慣れっこだが、出来ることなら暖房の効いたトイレが欲しいね」
肌を刺すような風に身を震わせながら、叶わぬ願望を言った。
一方、通信機で暗号電報を送り終えたジンは、万が一を思って索敵をしていた。
双眼鏡を構えて進行方向の東側を監視する。山が途絶えて雪原となっており、視界が一気に広がっている場所だ。
もし敵がいるなら集中砲火されてあっという間に天国だろう。だからこそ念入りに観察するが、見えたのは鹿の家族がひとつだけだった。
「大丈夫そうだな」と安心して双眼鏡をポーチに入れ、今度はコンパスと地図を取り出した。自分たちの位置は明確であるし、事前にルートを考えていたので実際は必要ないのだが、確認も兼ねて地図を見る。
そして気付いた。
地図の話ではない。音の話だ。
カモシカのエンジンも切っており、静かな大地にある音は木々が風で揺れる音と少し遠くで聞こえるマキナとスミスの会話、そして自分の吐息だけ──のハズだった。
そこに異音がひとつ混ざっている。否、ひとつではない。ふたつ、みっつ──それ以上の数の異音が聞こえた。
ジンの脳内に警鐘が鳴る。
音の方、後ろを振り返る。つまりは自分たちが来た西側、ソドスベリア領の方だ。
ジンが目にしたのは迫り来る脅威。
ソドスベリアのモービルが「川の道」からやって来ている光景だった。
曲がりくねった道が視界を遮っていたせいもあるだろう。ジンは敵の発見に遅れて、既に砲撃の射程圏内に入ってしまっていた。
「まずいッ!」
慌てて運転席に座ってエンジンをかけ、アクセルを踏む。最初の砲撃はその二・三秒後だった。
どぉん、どぉんどぉん。と砲声が三つ。それが聞こえたのとほぼ同時に、先ほどまで停車していたあたりの地面が爆発した。
土と雪が宙に高く舞い上がる。
普段の戦いでこの距離ならば、たとえ一個中隊が相手でも雪原を走り抜けて逃げ切る事が出来ただろうが、今回は最悪の状況だった。
そう、まだ二人が乗っていない。
「敵だ、敵が来るぞ! 乗れェ!」
ジンはカモシカを岩のすぐ隣まで走らせて合流した。
「マキナ、俺が運転する、お前は銃座につけ! ──中尉は!?」
彼女は履帯を足場にして登り、屋根から直接銃座についた。そして「まだ岩の所に」と焦った声で答える。
別にスミスを責めるつもりはなかったが、ジンは思わず舌打ちをした。
(なんて最悪のタイミングだ……!)
敵の方を見ると、三両のモービルが先行してこちらに攻撃しており、その後方には更なる増援が確認できた。
先行した三両のうち一両は停車して精密射撃を、もう二両は更に前進して距離を詰めてきていた。
不味い、不味い、と心がざわめく。足が骨の内から崩れるような焦りを感じる。
「すまない!遅れた!」
そしてようやくスミスが乗り、ジンは思いっきりアクセルを踏みこんだ。




