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第二章其の五 宇夜

暴力・流血表現を含みます。

 春も間近となった澄んだ空気に、鋼と鋼のぶつかる高い音が響いていた。設けられた庭の中で、剣を手にした二人の表情は対照的だ。八千穂の額に汗が滲んでいるのに対し、方や水臣ミズオミは笑みすら浮かべて応じている。

「どうした、首が落ちるぞ!」

 その言葉と共に振り下ろされた剣を、八千穂はあわやというところで食い止めた。須世理が息を呑む。大刀たち合わせとはいえ、真剣を使ってのことだけに心配があった。しかし彼女の隣の秋鹿あいかを見ると、手を叩いてはしゃいでいる。

「ミズオミ、つよい」

「おう!」

 声援に応えながら、水臣は更に剣を振るった。八千穂は防戦一方で、ひたすらその剣を避け、また薙ぎ払っている。対応が遅れるのも珍しいことではなかったが、紙一重というところで水臣自身が剣を引いていた。

「大丈夫だろ。水臣殿は腕が立つ」

 不安げな面持ちの須世理に、楽観的に言ったのは宿那スクナだった。須世理はそれに頷いてみせるも、やはり表情は変わらない。彼ら三人が見つめる先で、剣戟は更に続く。

 その庭に、不意に青年が姿を現した。

「どうですか、調子は」

「五十猛」

 友人の姿を認め、水臣はその名を呼ぶ。それと同時に、ひときわ強く大刀を打ち下ろした。八千穂が後方に跳びすさった刹那の後に、刀身は三寸ばかり地に突き刺さって止まる。

「……王を殺す気ですか」

「加減はしている」

 溜息混じりの五十猛の言葉に、水臣は笑って大刀の柄から手を離した。無骨な剣は地面に刺さったまま、倒れない。呆れて五十猛がそれを眺めるのに、八千穂は肩で息をしながら言った。

「すまない、私がいつまでも上達しないから」

「もう三月も経つのにな」

 からかい混じりの言葉は宿那のものだ。八千穂は苦笑を浮かべて手にしていた大刀を鞘に収める。水臣も地面から剣を引き抜き、土を振り払った。

「まったくだ。弓も馬も使えるくせに、どうして大刀は使えないのか」

「水臣」

 五十猛の静かな叱声が飛ぶと、水臣は大仰に首を竦めて見せる。当の八千穂本人は、しかし可笑しそうに笑っていた。

 剣戟の終わりに安堵したのか、少女達は他愛もない話に興じている。年頃の同じ少女と話す機会が少なかった須世理は、未だ言葉に不慣れな秋鹿のためにゆっくりと話すことも厭わなかった。彼女たちの傍らに立っていた宿那は、とたとたと八千穂の方へ歩み寄り、彼の腰の生大刀を見る。ふと顔を曇らせた宿那だったが、間を置かず八千穂を見上げた。

「切り込みの方は、筋が悪そうには見えないけどな」

「ああ、それは俺も思うが……守りに回ると、どうにも」

 水臣はそう言って、溜息を吐いてみせた。大刀が目前に迫っても、避けるのが僅かに遅れる。刃を合わせ拮抗している時に、ふと力を抜いて負けを認める。相手が水臣でなかったら、いったい何度黄泉へ行ったか。

「死ぬ気になればなんとかなるかと思えば、それでも無理ときた。諦めるのが早すぎる」

「……まあ、地は動かぬものですから」

 それもまた彼の性だろうと五十猛は苦笑する。八千穂は彼らの言葉に、困ったように一言、すまない、と言った。頭では分かっているのだが、そう上手くはゆかない。

「あ! そんなところに!」

 その時、突然声が届いた。庭に出ていた者全てが、その方向に顔を向ける。息せき切って駆けてきたのは、二人の年若い兵士であった。――ところが、響いた声は女のものだ。

「何かあったのですか」

 五十猛が向き直って問うと、二人は肩を上下させながら頷く。

「怪しいからすが」

 先程叫んだ方の兵士が言った。角髪を結い、足結を身につけた男の姿をしているが、紛れもなく若い娘だ。彼女の言葉に、もう一人の兵士が大きな手で掴んだ烏を差し出す。彼の方はどこから見ても丈夫である。杵築に来てからの三月の間、幾度か顔を合わせた八千穂は、この二人を見ても違和感を感じなくなっていた。娘の名を高姫タカヒメ、青年の名を高彦タカヒコという兄妹だ。

 五十猛が高彦の手から烏を受け取る。烏は暴れもせず、黒い瞳で五十猛を見上げた。

「怪しい、とは?」

「ええ、先程東の門に飛んできたのですが」

 五十猛が問うのに、答えたのは高姫だった。高彦は黙したままである。いや、彼は喋ることが出来ないのだ。唖、しかし耳は聞こえているので、こちらの言葉は理解出来る。

 高姫は、その先を言うことを躊躇したようだった。しかし高彦の視線を受けて頷くと、彼女は再び口を開いた。

「……喋ったのです。『王は何処だ』と」

「……は?」

 水臣が間抜けた声で聞き返した。他の者は呆気にとられたように高姫と、そして五十猛の手に収まった烏を見る。

 烏は、黒い嘴をかぱりと開いた。

『あんたが王か』

 確かに、そう言った。

 あまりに驚いて、誰も口がきけなかった。問いかけられたのは五十猛であったが、彼にも似合わず色を失っている。烏は首を傾げて五十猛を見上げる。

『王じゃないのか。王は何処だ。早く。いや、王でなくてもいい。助けてくれ。早く』

 短い言葉を紡ぐ様子は、声色は淡々としてはいるが、確かに烏が切羽詰まっているのだということを示してた。助けてくれ、という言葉に不穏な空気を感じ取り、八千穂は我に返る。そして思わず、言ってしまった。

「私が、王だ」

 烏の黒い瞳が、八千穂を見た。

『あんたが王なのか』

「そうだ。いったい何があった」

 烏がもがいた。鉤爪に手をひっかかれて、五十猛は思わず烏を手放す。自由になった烏は羽ばたいて、八千穂の肩にとまった。

『助けてくれ。ここは宇夜うやだ。早く』

 平坦な烏の声、それなのに急いた口調。

『――高天原が戦を仕掛けた。僕のムラを助けてくれ』

 続いた言葉は、あまりに重大で、それ故に現実味を全く帯びていなかった。時が止まったように、ひたりと静寂が辺りを支配する。烏はそれに耐えかねたのか、押し黙った八千穂の耳を苛立ちを込めてつついた。

「痛……っ」

『助けてくれ。早く。早く』

 繰り返す様は、異様さを通り越して哀れだった。

 高天原の侵攻は、もちろん大事だ。しかしそれ以上に八千穂らを驚かせたのは、烏の口より漏れた“宇夜”の言葉だった。――この場所、杵築の目と鼻の先ではないか。

 兵団の準備を整えながら烏の話を詳しく聞くに、声の主は荒神谷こうじんだにの小さなムラの民であり、神力を使って烏を飛ばし、声を伝えているのだとか。

『ムラに住むのは百人ばかり。若衆を数えれば三十にも満たない。対する高天原の兵は、僕が見た限りでは五十を超えるか超えないか』

 烏の言葉に、籠手を締めながら水臣が眉を寄せる。

「持ちこたえられんな……いつからだ」

『昼になる前に現れた。僕は逃げたので、状況は分からない』

 空を見上げれば、日はまだ天球の中程にある。雲間から鈍く輝く太陽に目を細めて、五十猛は馬の背に乗った。

「目的が分かりませんね。その人数でここまで侵攻してくるなど……こちらの本拠があることを知らないのでしょうか。しかしそうであれば、地の利無くして、どうやってとぶひや関の目をかいくぐったのか分かりません」

 当惑したような五十猛の言葉に、額を付き合わせていた将達は頷く。急なこととはいえ、すぐさま動かせる兵士が二百を超えるのを常としているのだ。烏の言葉が真実ならば、間違いなく勝ち戦である。宇夜という地が何らかの重点であるかといえば、そうでもない。ごく小さなムラがいくつか点在し、さとを作っているのみである。

「――ともかくも、向かう他はない」

 そう言う八千穂は、既に手綱を握っていた。その後ろには、当然という顔をした宿那が跨っている。戦に出るには早すぎると皆が言ったが、それを聞き入れる二人ではなかった。兵士の奥に坐しているだけでは何のための王か分からない、と八千穂は言い、八千穂が行くのであればおれを置いて行くなど以ての外だ、と宿那は言った。論争をしている時間はなく、五十猛はしぶしぶながら承諾したのである。

「どうか、お気をつけて」

 須世理の言葉を背に、兵団は急ぎ足で宇夜へと向かった。



 薄暗い竹藪の窪の中に、一人の少年が蹲っていた。膝を抱く腕は小刻みに震え、時折嗚咽が漏れ聞こえる。警告は聞き届けられた。まもなく援軍がやってくる。その安堵から、堪えていた涙が頬を伝った。

 しかし、根本的な解決に至ってはいない。

 切り伏せられた母は、帰ってはこないのだ。

 縺れる足で必死に逃げ出し、幼い頃からの遊び場だった竹藪の窪に至った。歳の近しい者たちと、たわいもない遊びに興じていたものだ。同年の者は今はもう若衆として扱われはじめて、この窪はもっと幼い者達のものになっている。――その幼い者達は、どうなってしまったのだろう。そこまで思い至って、また涙が溢れた。

 幼い弟の掌を、いつ手放してしまったのだろう。

 探しに行こうにも、神力を全て烏の感覚を支配することに使い果たしてしまい、結果気力も体力も残っていない。待つしか出来ぬ自分がもどかしく、情け無かった。

「――逃げてきたのか?」

 その時唐突に響いた他者の声に、少年の心臓は跳ね上がった。

「身構えるな。俺も逃げてきた」

 そうは言っても、背後の声音を少年は知らない。ムラの者ではない。ゆっくりと、ひどくぎこちない動作で少年は振り返った。途端、目を刺す陽光に顔が歪む。鎧甲に反射した光だ。その認識と共に、頭の奥が、すう、と冷えたように感じた。鎧甲。なれば、敵だ。

「身構えるな、と言ったろうに」

 凍り付く少年に、鎧甲の男は呆れたように歩み寄る。ぞんざいに隣に腰を下ろした男を、少年はやはりゆっくりと見た。

 ずしりと重たげな鎧の下から、だくだくと血が流れていた。

 少年が目を見開いたのを見て、男は含んだ笑いを漏らす。枯れた笛のような声だった。

「お前のムラの奴等も酷い。俺は誰一人斬っていないのに、射てくるとはなあ」

 手厳しいにも程がある、そう言いながら、男は窪に背を預けた。厚く積もった笹の枯れ葉に、鎧は半ば埋まってしまう。

「……斬っていない?」

「意味が無いだろう。ちんけなムラ一郷落としたところで……どうせ豊葦原の軍勢が気付く前に逃げ帰らなければ殺されるんだぞ」

 淡々とした声に悲痛さは無く、それがかえって恐ろしい。少年は唾を飲み込んだ。

「なら、どうして」

「……さあな」

 男は目を閉じる。それきり口を噤んだ男は、呼吸すら止まったように見えた。窪地の上を吹き抜ける風が、ざわざわと群生した竹を揺らす。膝を抱えたままの少年は、何も言えず、男の痩けた頬が作る影をじっと見つめた。

 ――早く、早く、早く……助けてくれ、早く。

 風に乗って、遠く、誰かの慟哭が聞こえた気がした。



 ムラは白煙を上げていた。崩れ落ちる住居から飛び出した者達は、すぐさま鉾を突きつけられる。そのまま腕を掴まれた殆どは若い娘だ。ムラの壮士達の多くは、既に血溜まりに伏していた。

「女を連れて行く余裕はないぞ」

 呆れたように兵士達に声を掛けて回るのは、騎乗した高天原の将であった。豪奢な、鳥羽の装飾が施された甲を目深に被っている。

「それじゃあ、どうしろって言うんですか」

 不満げに兵士がぼやくのに、将は唇の端を持ち上げる。

「腰の大刀は飾りか?」

 揶揄するような声音の示唆する内容に、啜り泣いていた女はひきつれた声を漏らした。しかし将はそのことにはまるで頓着せず、馬の鼻先を別の方向へ向ける。

「気付かれるぞ。撤退の準備を」

 散り散りの兵士達を目で追いながら、将は声を張り上げて回った。目に見えて不足した様子の血気盛んな兵士達に、思わず喉の奥で嗤う。血の臭い、煙の臭い。それらは、彼の心を心地良く満たしていた。唄でも歌いたいような気分のまま、半ば崩れかけた住居の草葺き屋根を通り過ぎざまに撫でた。火花が散る。橙色をした炎が、走るように燃え広がる。

 その色に魅入る将の耳に、風を裂く音が届いた。

 咄嗟に、彼は馬上で身を屈める。頭を狙ったらしい襲撃は、あわやというところで空振りに終わった。空を薙いだ物体を目で追う。丸太。黒く燻っている。燃え残った柱だろう。

「――はぁっ!」

 鋭く呼気を吐く音。将は振り返り、そして目を見開く。丸太を抱えて立っていたのは、彼の予想に反し、子供だったのだ。煤で汚れた顔の中、大きな双眸が獣のように光っている。軽々と持ち上げられた丸太は、幼い体躯にはあまりに似つかわしくなかった。

輝血カガチ様!」

 今更ながらに、幾人かの兵士が慌てながら駆け寄ってくる。呼ばれた名に、将は顔をしかめた。鬼灯ほおずきを意味するその名を、そこに込められた暗喩を、彼は好ましく思っていない。しかしそのようなことに気を取られている暇は無かった。子供は、抱えた丸太を低い位置で横薙ぎにする。足を狙われた。それに気付いた輝血は鐙から足先を抜く。衝撃、そして悲痛ないななき。かろうじて共倒れを逃れながら、ぞっとする思いで子供を見た。

 ――馬鹿な。

 呆然とする輝血の目の前で、子供は不意に身を翻した。丸太を抱えたままでの軽やかな立ち回り。斬りかかってきた兵士の大刀を避けるためのものだった。そのまま身体を回転させるようにして、丸太を兵士に叩きつける。ぐえ、と蛙が潰れたような声を漏らし、兵士は地面に跳ね返った。もう一人駆けてきた兵士も同じ道を辿る。大の大人を二人も吹き飛ばした子供とは思えぬ身のこなしに、他の兵士達は思わず立ち竦んだ。

 武神。神力を、身体能力に変換する者。輝血は声を立てずに笑った。面白い。豊葦原の出雲、しかもこのように辺鄙な場所に、これほどの才を持つ者がいようとは。

「ふざけるな!」

 気配にも聡い。冷静な頭でそう考えながら、輝血は跳躍によってその丸太を避けた。子供の表情がいっそう獰猛になる。二度三度と唸るような音を立てて襲いかかる丸太を避けながら、輝血は兵士達をちらりと見た。集まっているのは十ばかり。他の者は、どこで何をしていることか。

 輝血の一瞥を受け、兵士達は我に返った。がちゃがちゃと慌ただしい音を立てて、彼らは武具を構える。いくら天賦の才があろうと、この人数には敵うまい。惜しいような気もしたが、不安の種は潰しておくに限ろう。だんだんと間合いを詰めてくる子供を見下ろし、輝血はそう思った。

 しかし兵士達は、子供に斬りかかりはしなかった。

 彼らは地の轟きを聞いたのだ。

 僅かに遅れて、輝血もそれに気付いた。足裏から響いてくる地鳴りは、跳躍を繰り返す彼には聞こえ辛かったのである。誰もがその地響きの正体を知っていた。――馬が群れをなし、疾駆している音である。

「馬鹿な……」

 間違いない。豊葦原の軍勢だ。予想の範疇のことではある。しかし。

「聞いていないぞ……早すぎる!」

 兵士達の間にも動揺が走っていた。気付かれず出雲へ侵入し、ムラを一つ、焼く。それだけが彼らに課せられた役目だった。宇夜は烽の死角である。豊葦原の王が気付いた頃には、既にこちらは去った後。そういう算段だったはずだ。

「くそ……っ!」

 吐き捨てると同時に、輝血は自分から子供の方へと飛び込んだ。好機とばかりに丸太が飛んでくる。それを刹那の差で避けながら、輝血は子供の腹を蹴り飛ばした。

「ぐっ!?」

 その身体はいとも容易く吹き飛ばされる。しかし輝血はそれ以上は構わず、横転したまま立ち上がれないでいた馬を助け起こした。今にも逃げ出そうとする馬を制し、鐙を足がかりに鞍に飛び乗る。手綱を握りしめると、輝血は叫んだ。

「撤退だ!」

 兵士達の殆どが、既に異変を察して集まっていた。人数を確認している暇はない。輝血は一声叫んだだけで、馬の鼻先を東へと向ける。日の昇る方向。出雲を抜けさえすれば、高天原へ通じる“門”は遠くない。

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