ゆっくりと動き出す
話は変わるが季節がそろそろ夏になろうというのに私はまだクラスに馴染めず高校生になって一人の友達もできずにいた。
人見知りで警戒心が強くて誰に対してもオドオドした態度を取ってしまう私は本当に友達を作るのが下手だ。
班行動や体育の授業で組む人がいないという訳ではないが一緒にお弁当を食べる友達も休みの日に遊びに行く友達もいない。
なんていうもったいない青春の使い方だろうか。
中務君改め雅也君に相応しい女の子なら友達も多いはずだ。
男女関係なく人気者で逆に友達のいない私のようなタイプにも声をかけちゃうような女の子。
いきなりそこを目指すのは無理だが一歩づつ、まず友達を作ろう。
そして考える。
私なら私と友達になりたいだろうかと。
はっきり言って私と友達になるメリットがない。
話が面白いわけでもなく聞き上手でもなく可愛いわけでもなくぼんやりしているからお荷物にしかならない。
中学生の時得意だった数学もこの進学校では誰もが得意だ。
私が高校生になって初めて買った参考書は『数学が嫌いな人の本』というものだった。数学が嫌いになりそうになると読み直し数学の根本的な取り組み方法を思い出すようにしている。
というようにこの学校では私の得意分野は得意分野ではない。
自分の真っ黒で真っ直ぐで何の捻りもない髪を一房掴む。
髪型を変えて雅也君はさらにカッコよくなった。
こんなダサいのが彼女とか絶対嫌に違いない。髪型とか着こなしにいつも気を使ってるし実際お洒落だし。
私は制服も規定通り以外の着方を知らない。
クラスの女子は何で皆んなあんなに可愛いんだろう?
重い足取りで教室に入るとそれぞれがそれぞれ所属するグループで集まって雑談をしている。
仲が良さそうなあの人たちに「おはよう」なんてとてもじゃないが言えない。
しかし私は決めたのだ。
雅也君に相応しい彼女になると。
ぐっと拳を作り握り締め気合を入れる。
取り敢えず隣の席に座る鈴岩さんに声を掛けてみよう。
彼女はいつもゆっくりというか割とギリギリに登校してくるのでそれを待とう。
脳内シミュレーションは今回もバッチリだ。
おはようと声をかけても無視されたり気持ち悪そうな表情をされたり最悪「話しかけんなゴミ」と罵られる想像をして心の防御をする。
うん。どれも実際に起こったらかなり悲しいけどこれ以上のことは早々起こらないだろう。
自分の席に座りそわそわしていたら隣の席の鈴岩さんが教室に入ってきた。
彼女がカバンを机の上に置いたタイミングで思い切って「おはよう」と声をかけてみる。
鈴岩さんは天使のように可愛い女の子で同性でもちょっとドキドキしてしまう何かがある。長い髪は少し茶色くて背中の真ん中辺りまであるのに少しも傷んでいない。おデコを出しているのだがそのおデコがつるんとしていてとても魅力的だ。
私が挨拶をすると鈴岩さんは一瞬動きが止まりキョロキョロと周りを見渡し私と目が合うとちょっと驚いた顔をした。
「今の声武藤さん?」
「え? うん」
「びっくりした。幻聴かと思った。小さ過ぎて」
鈴岩さんはそう言うと豪快な笑顔になって「おはよう」と笑った。
私はその振り幅にビックリする。
さっきまで清楚というか無表情で儚げな美少女があっけらかんと笑う姿は実に人間味があり突然の笑顔に心臓が鷲掴みにされたような感覚になる。
これは所謂ギャップ萌えってやつでは?
「鈴岩さん、あの……」
「ん? 何?」
「わ、私の、師匠になってくれませんか?」
「は?」
今ので私はビビッときた。これだ。これなのだ。
よく見ると鈴岩さんは私の求めるものを全て持っている。この人に指導してもらえればこのダサくて野暮ったくてコミュニケーション能力の低い私でも多少はマシになるんじゃないだろうか。
鈴岩さんは何言ってんだこいつというような顔をしている。
「武藤さんどうしたの? 突然何? あたし師匠になるような秀でてるものなんか何もないよ」
「あるよ。その存在全てが師匠って感じ」
「武藤さん。頭いいと思ってたけどアホっぽい人だったんだね」
武藤さんは天使のような容貌からどストレートな悪態を吐く。何かそのギャップもいい!
憧れを込めて鈴岩さんを見るとドン引きしている表情になってしまった。
これは、失敗してしまったようだ。
私は慌てて顔の前で手を振り「ごめん」と謝る。
「突然変なこと言ってごめんなさい。忘れて、ください」
さっきまでの勢いは完全に消失して塵と消え欠片もも残らなかった。
もう鈴岩さんの方を見ることは怖くて出来なくなり俯いて授業の準備を始める。
やっぱり上手くいかないな。
でも「おはよう」って言えた。
ちょっとづつ練習していこう。いつか上手くできるようになるために。
何事も練習しなければ上手くならない。勉強もそうだしスポーツだってそうだ。
センスのいい人というのがこの世にはいて最初から苦労もなくできる人もいるが私にはセンスがないのだから人の十倍は頑張らないといけない。
頑張らないといけなかったのに出来ないからと言って努力してこなかったツケが回ってきてるんだ。
私は机の上で再度拳を作り心の中で「よしっ」と気合を入れる。
「ウケる」
気合を入れたのも束の間真後ろの席からボソッと聞こえてきた声とくすくす笑う声。
体が強張る。
私の後ろの席は田口君という秀才だ。
当然だが喋ったこよはない。
「ちょっと田口! 何笑ってんのよ!」
田口君の態度に鈴岩さんの方が反応して文句を言っている。
「いや別に。鈴岩があたふたしてんのが面白くてつい」
「してないわよ! あたふたなんて!」
俯いたままで二人の会話を聞いていると「ウケる」と言ったのはどうやら私に対してではないようだ。
その事にちょっとだけホッとするも田口君は私にとってちょっと怖い人なのであまり関わりたくない。
まず顔が怖い。
つり目で眼光が鋭くてまるで叩き上げの現場の熟練刑事みたいな男の子なのだ。
このクラスの誰よりも話しかけにくい存在だ。
後ろと真横でまだ何かを言い合っているが私は極力耳に入れないようにして授業の準備を進める。今日もしかしたら当てられるかもしれないところの予習をして本鈴が鳴るのをひたすら待ち続けた。
「今日元気ないね」
「え?」
いつもの待ち合わせ場所で雅也君と落ち合いいつもと一緒のようにしていたはずなのに私の元気がないことに気付かれてしまって戸惑う。
体温が一気に急上昇して毛穴がぶわっと開く。
「え? 違った? ちょっと落ち込んでるのかなあって思ったんだけど」
「いや! あの! 嬉しくて!」
「え?」
私の様子がいつもと違うことに気付いてくれるなんて嬉しい。いつも通りのつもりが全然隠せてなかったとしてもとても嬉しい。
今日の嫌な出来事が一瞬でどうでもよくなった。
「大丈夫? もしかして学校で嫌なことでもあった?」
ぽわぽわと頭にお花を咲かせてる私と反対に雅也君は心配そうに私の顔を覗き込む。
そんなことされたらまた体温が上がってしまう。
「わ、わ、わ、あの、ち、近い、です」
「あ、ごめん」
「いや! 近寄るなとかそういう意味じゃなくて! あの、私の体臭とか今毛穴が開いてるの見られるのが恥ずかしいっていうか、く、くさくない?」
雅也君が申し訳なさそうに体を離すので私なんかのためにそんな思いをしてほしくなくて慌てて焦って誤解を解こうとする。
誤解を解こうとして言わなくてもいいことまで言った気がした瞬間雅也君が「ぷ」と吹き出した。
「臭くないよ」
笑いながら臭くないと言われてまた体温が上がる。
笑ってくれた。
雅也君が笑ってくれると嬉しい。
「嬉しい」
「臭くなかったことがわかって?」
「雅也君が笑ってくれて」
てくてくと帰り道を歩くこのそこまで長くない距離で彼を笑わせるなんて私には至難の技で。こんなことでも笑ってくれたことが嬉しい。
「私面白い話とかできないし、頭の回転も遅いからアドリブとか本当に無理だし、せっかくボケのパス貰っても苦笑いで返すしかできないから未だに高校で友達もできないし」
「そうなの?」
「え?」
「友達、できないの?」
しまった。口が滑った。
ぼっちでコミュニケーション能力の低い恥ずかしい奴って思われたに違いない。
何だったら今この瞬間振られるかもしれない。
さっきまで上がっていた体温が一気に下がり最早顔面蒼白だろう。
「あ、あの、その」
「顔が青いよ。もしかして嫌なことされたりしてる?」
「それはないよ! 皆んな体育の授業とかではペアを組んだりしてくれるよ!」
雅也君はその言葉にちょっとホッとした顔になりその後少し考え込んでいる。
なんて言って別れようとか考えているんだろうか。
「中三の時の最後らへん、俺に勉強教えてくれててそれ見た皆んながちょっとづつ参加してきて人数増えていって、あの時の美希は俺から見たら楽しそうに見えてたけど」
「うん。雅也君がいたから」
「そうなんだ」
私はそこに雅也君がいてくれたらそれだけで嬉しいし楽しい。極端な話生きていてくれさえいればそれでいい。
「美希ってたまに恥ずかしげもなくサラッとそういうこと言うよな」
「え? 何が?」
「いや、いいんだけど」
そう言うと雅也君は私から視線を逸らして空を見上げる。
もしかして気持ち悪がられてる?重いとか?
また変な事を口走りそうで聞けない。
「友達、欲しい?」
悶々と考え込んでいたら雅也君がさっきの話の続きを振ってきた。
「うん。でも今日失敗しちゃって」
「失敗?」
「ちょっと食い気味で迫り過ぎたというか、いきなり過ぎたっていうか」
「そうなんだ。一緒の高校だったら手助けできるかもしれないのになあ」
雅也君が難しい顔をして私を見る。
しまった。これも言うんじゃなかった。
こんなに惨めで情けないとこばっかり見せてたら嫌われてしまうかもしれない。
ドキドキしながら足を動かしているといつものわかれ道に辿り着き雅也君は笑顔で「また明日」と言ってくれた。
まだ明日までは付き合っていられるんだと思いまた嬉しくなって大きく手を振る。
明日。
そんな言葉が私の希望になる。
しかし次の日私は絶望に打ちひしがれることとなる。
一限目の授業が終わった後スマホを確認すると雅也君からラインが来ていた。
ウキウキしながら内容を確認するとそこには
『俺の友達が彼女に会わせろってうるさいから今日は朝寄駅で待ち合わせしよう』
という難易度が超高いものだった。
思わずスマホをゴトッと落としてしまう。机の上でバウンドしたそれを掴もうとして手が滑り「あっ」と声を上げた次の瞬間には机の下に真っ逆さまに落下してしまった。
「あぶなっ!」
画面が割れたら親に怒られると思っていたら隣の影が素早く動いて床に落ちる寸前でパシッと音がしそうなぐらい小気味よくキャッチしてくれた。
隣の席は鈴岩さんだ。
ビックリして目を見開いて凝視していると得意げに笑った彼女が私の手にスマホをポンと乗せてくれた。
「あ、ありがとう!」
本当に助かった。画面が割れるくらいで済んだらまだいいけど完全に壊れてしまったら雅也君に返事ができないところだった。
「武藤さん鈍臭過ぎ。気を付けて」
「うん。ありがとう。鈍臭いから気を付ける」
思いもかけず話しかけられたことに嬉しくてもそれをどう伝えていいのかわからずテンパって訳のわからない返答になってしまう。
そうしたらまた後ろから「ぷっ」という声と共に笑い声が耳に入ってくる。
「田口、あんた言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなのよ」
鈴岩さんは立ち上がり田口君の机の真横で仁王立ちをして凄んでいる。
可愛いのに、天使のように可愛いのにはっきり物を物怖じせず言えるところもとても素敵だと思った。
「いや、ないない。昨日からずっと武藤に話しかけるきっかけを探しててようやくチャンスがきて良かったなとか思ってない」
「はあ? 何なのよ! 見んなよ! キモい」
鈴岩さんは顔を真っ赤にして怒っている。
怒っているが、今のどういう意味だろう?
私の勘違いや聞き間違いじゃないのなら鈴岩さんは私と話す機会を伺っていたと捉えていいのだろうか。
「あ、あの!」
堪らず私も立ち上がり鈴岩さんの腕を掴む。
「私と友達になってください!」
昨日の今日でリベンジして、「キモい」とか言われたらまたきっと落ち込むけどどうしても今言いたかった。
心臓が痛い。
鈴岩さんは顔が赤くてビックリした顔をしているが眉間に皺を寄せて口を尖らせて「いいけど」とボソッと呟いた。
嬉しくて感激に打ち震えていたら田口君がまた吹き出して今度は豪快に笑った。
どうしてそんなに笑っているのかちょっとだけ気になったけど高校で初めて友達ができたことが嬉しくてちょっとだけ泣きそうになっていたのでそれを気にする余裕は私にはなかった。