人形の星
あの、箱がおいてあった星を出てからでしょうか。
ぼくは次の星へ行くのをためらうようになり、櫂をこぐ手もとめました。その理由はよく分かりませんでしたが、分かったとしても舟はゆっくりと進んでいったことでしょう。ぼくにはどうしようもないことでした。星のみちは、時間と同じようなもので、舟はただそれにしたがって流されていくのです。まるで、川のまにまにただよう落ち葉のように。
そう、このあたりからです。
星と星のあいだを飛行機のように進んでいく、小さな岩のかたまりがあちこちで見られるようになったのは。そのかたまりは、ときおり星にぶつかって傷をつけたり、こわしたりしていました。
遠くの小さな星が、岩のかたまりによってこわされてしまったのを、ぼくは何度か見たことがあります。その星にもいつかだれかが住むかもしれなかったと思うと、ぼくはそれに対して怒りを覚えざるをえませんでした。けれど、ぼくではあのかたまりには歯が立たなかったことでしょう。ぼくはただ、この星のうみに浮かぶたくさんのそれに、怒りのこもった視線を送ることしかできないのです。いまでも。
それからしばらく経つと、遠くに黒く大きな星が見えてきました。
その星はこれまで訪れたなかで最も強い力を持っていて、ぼくの舟は否応なしにひきつけられました。それは舟に乗っているぼくも同じことで、ぼくはどうしようもなくその黒い星の大きな力に巻きこまれ、そこへ降りていきました。
その星にはいくつもの白く大きな建物がたっていて、それぞれがねずみ色の煙をもくもくと吐きだしていました。ぼくはその建物を工場と呼ぶことを知っていました。工場というのは、だいたいにおいて「モノ」をつくる場所です。工場は、ぼくのふるさとにもたくさんあって、その大きさや音のさわがしさから、怪獣のような印象をもっていました。それはここでも同じで、ぼくはなんとなく近づきがたい、おそろしい雰囲気を感じとっていました。でも、何をつくっているのかはやっぱり気になるので、ぼくはこころを決め、ぼうしとマントの位置を直しながら、一番近くにあった工場へとしのび足で近づいていきました。
〝こちらは第一工場、関係者以外立ち入り禁止。人形をお求めの方は、工場内にいる職員にお申し付けください〟
そう書かれた赤い看板が工場の前に立てられていました。
「人形?」ぼくは看板の意味がわからなくて、そうつぶやきました。
すると、工場の前に立っていた何人かの大人がこちらをふりむきました。彼らはみな同じような黒いサングラスとスーツを身につけていて、いかにも大人のように見えました。
「坊ちゃん、きみはなんでここにいるんだ?」そのうちのひとりが言います。
「旅をしているんです。ここには偶然たどりつきました」
「偶然ね、本当にそうかな」
「あなたたちはそんなところで何をしているの?」
「子どもにはわからないことさ」さっきとは別のひとりが言います。
ぼくは、大人というものがよくこんなことを言うのを知っていました。そして、そのもったいぶっているものが、実は大したものではないということも。
「ちょっと中を見せてくださいよ」ぼくは言いました。
「いいとも、見るだけなら」大人たちは入口からはなれ、ぼくを手招きしました。
工場のなかにあったものは、ぼくを少なからずおどろかせ、またこわがらせました。工場では、ほんとうにたくさんの人形が作られていたのです。それもほとんど人間と同じ大きさの。人形たちは機械で天井からつるされ、一体、また一体と、頭のかたちを整えられたり、体中に色をぬられていました。
なんだ人形か、と思った人もいるかもしれません。
そう思った人は見たことがないのですね。何百、何千という同じ頭をした人形がつぎつぎと生みだされていくのを。少なくとも、ぼくにはおそろしい光景でした。なぜなら、ぼくは人形というものがあまり好きではないからです。みんなおんなじような顔をしていますし、なにを考えているかも分かりません。しかも、当たりまえの話ですが、人間にそっくりですからね。もし、自分の目の前に自分と同じ大きさの人形が立っていたら、ぼくは逃げだしてしまいます。ああ、なんておそろしい!
「これは、なにをつくっているのです?」
ぼくは大人からちゃんとした答えを聞きたくて、そうたずねました。
「見ればわかるだろう、人形さ」
「なんでこんなに作っているの?」
「いいかね、坊ちゃん。ちょっと難しいこと言うが、星によってはたくさんの労働力ってのを必要とするんだ。人形たちはそのために作られ、出荷されていくんだよ。できのいい人形にはね、たくさんのお金が支払われて、彼らはそのお金で自分の体を整備する。そして、動かなくなるまで働いてもらうのさ」
「労働って、なにをするのさ?」
「人のためになることさ、ものを作ったり、ものを取引したり」
「ふうん」と、ぼくは興味がなさそうに言いました。
「まあ、子どもには分からないことさ。大人になれば分かるよ」
「あなたたちはなにしに来てるの?」
「私たちは選別に来ているんだよ。優秀なものとそうでないものとを分けるのさ。劣ったものはいらないからね」
「ふうん」とぼくはもう一度言いました。
そして、この大人たちはなんて偉そうなのだろうと思いました。
さっきも言いましたが、この星にはほかにもたくさんの工場がありました。きっと、そこでも同じように、人のような人形が作られているのでしょう。でも、ぼくはこれ以上この星にいたくはありませんでした。気持ち悪くなったのです。あの人形たちのつるされている姿、感情のない、人間そっくりの顔、そして、それらを見てこれは優秀だ、あれはだめだとか言っている大人たち。何もかもが、ぼくを不快にさせました。
「なあ、坊ちゃん。君はどの人形が好きかな。子どもの意見が欲しいんだ」
多くの大人は都合の良いときだけ、子どもの気持ちとか、子どもの意見とかいう言葉を使います。それというのも、結局は子どもをばかにしているからなのです。子どもを自分よりも劣ったものと見なして(ぼくはこの優れているとか劣っているの、ほんとうの基準がよく分かりません)、自分たちが教えみちびかねばならないと考えているのです。ぼくは最初の星で出会った先生のことを思い出しました。
ぼくはこのだいぶ後に、ほんとうの大人に出会います。ほんとうの大人というのは、子どもにもなれるひとです。だから、そもそも、子どもの意見とかいう言葉をわざわざ使わなくたっていいのです。だって、そのひとは子どもになれるんですから。子どものこころを必要とするのは、いつだって子どもではなく大人なのです。
「ぼくは何も言いません」ぼくは大人たちに堂々とそう言いました。
「どうしてだい?」
「なぜ、ぼくがなにも言わないのかが分かりませんか」
「ああ、分からないね」
「あなたたちは大人なんですね」
「ああ、そうとも。君も早く大人になるといい」
「さようなら」
ぼくは大人たちに背を向け、舟に戻っていきました。
でも、もうどこへも行きたくないような気がしました。ぼくはどうして旅をしているんだろうという気にもなりました。それは、どうして生きているのだろうという問題とやっぱり似ているような気がしました。でも、答えは見つかりません。
きっと、ひとつだけ答えがあるわけではないのですね。