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flower*  作者: 日下裕一寿
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第七輪 『仔犬の…』

『flower*』 第七輪 『仔犬の…』


「耕介、いってらっしゃい」

「あ、うん。行ってくるよ。ちゅら」

 なんだか恥ずかしくてうつむき加減で返事をする。

「しっかり働くのよ。私のために。ははっ」

ちゅらは普段と全く変わりがない。

「いってきます」

「はい。いってらっしゃい」


 ぎこちなさの原因は胸のあたりに残るちゅらのぬくもり。複雑な感覚のままマンションを出る。天気はいいみたいだ…あれ?そうか…昨日は天気図書いてないや…


 駅前の並木通り沿いにあるカフェからは珈琲のいい香りとともにゆっくりとしたテンポのフレデリック・ショパンの『仔犬のワルツ』が漂ってくる。


「ねえ~おにいさん」

 声をかけてきたのは見たことのない男の子だった。


「俺?」


「うん、そうだよ~」


 近所の小学校指定の紺地で水色の帯が入ったリュックを背負った男の子。その瞳は純粋そのものでとても優しい目で見上げてくる。不意に昨夜のちゅらの澄んだ瞳と男の子の瞳が重なり胸がキリっと軋む感覚に襲われる。


「君、どっかであったことあるっけ?」

と訝しげに聞いてみる。


「う~ん、どうでしょう~ それよりもおにいさん。いいお花見つかった?」

「え…?あ、うん」戸惑いつつも返事をする。

 

 お花というぐらいだからきっと翠さんのお店だとは思ったが…あのお店に行くようなってから一度も子供に会った記憶がない。

始めて店内に入った日だって若い女の子と子犬が一匹いただけだった。その後に見かけた覚えもない…


「それはよかったね。大せつにしてあげてね。あっ、もうぼく、学校にいかなきゃ。じゃあまたね。おにいさん。ぼく、優太、よろしくね」

 満面の笑顔で手を振りながら走って行ってしまった。

「優~太?確かにどこかで聞いたような…」

首をかしげながら再び歩き始める。


その日は一日モヤモヤとした気持ちで営業周り。いつもにまして仕事に身が入らずに新規契約はゼロ、既存客の発注だけはなんとかとりつけ早々に切り上げて夕方には最寄りの駅まで戻って来る。

 朝のこともあり、ふと『ティラル・ガーデン』に目をやると外に並んでいる植物の世話をしている翠さんの姿が見えた。


「こんにちは」

「あら、海野さん。こんにちは。あのお花ちゃんはお元気?」

「ええ、うんざりするぐらい元気ですね」

「あら~それは良かったわ」

「あのう…翠さん」

「うん?な~に?」

「このお店にこのくらいの男の子って来ますか?」

腰の上あたりを手で表す。

「それはもしかして優君のことかしらね」

「そうそう、優太君」

「あの子はうちの常連さんなのよ。いつもうちのマシェと遊んでくれるの。あっそうだ…今度の日曜日にお店でお茶会をするのよ。よかったらお花ちゃんも連れていかがしら?」

「そうですか~でもその日は確か仕事が…」

「あらそう。それは残念…とっておきの紅茶を淹れようと思ったのに…」

 今まで見たことのないような寂しそうな顔をする翠さんをみると「いやいや、大丈夫。俺、勘違いしてたみたい。日曜日はお休みでした」ついつい嘘をついてしまった。

「それはそれは、良かったわ。みんなも喜ぶと思う」

「じゃぁ、『ちゅら』も連れてお邪魔します」

「あら?それ、もしかしてあのお花ちゃんの名前?とっても素敵な名前ね」

「あ、はい。本人も気に入ってるみたいで」

「え?」

「あ、いや、気に入ってるんじゃないかなぁって」慌てて言い直す。

「そうね。きっと気に入ってると思うわ」

「じゃまた日曜日に…」

「お待ちしていますわ」


 頭を下げてお店をあとにする。日曜は有休をとって休みにするかと考えながらマンションに向かう。


『カチャ…』


 家に戻るとリビングのほうからちゅらの鼻歌が聴こえてくる。

聞いたことのない曲調で歌詞は付いていないようだがとても綺麗なメロディ。


「ただいま、ちゅら」

「なによ。今日はずいぶんと早いじゃない?」

慌てて鼻歌をやめ照れ隠しのように悪態をついてくる。

「なんだ、すごくいい曲だったのに…」

「まだ秘密。いちいち詮索しないで早くラジオつけてくれる?」

「悪かったよ。」『ピッ』

 相変わらず、ちゅらの様子はいつもと変わりない。

「練習したら喉渇いたわ。お水頂戴」

「はいはい」

 いつもの天然水をあげながら今日の朝の出来事をちゅらに話す。

ラジオをからはまたしても大変美しい演奏の『仔犬のワルツ』が聴こえている。


「あのさ、今日の朝、不思議な男の子に会ったんだよ」

「へぇ、で耕介はその子供を誘拐したわけね…かわいそうに…」

「そんなことするわけないだろ」

「あら、そう?」

「当たり前だ。そんでさ俺、前にその子と会った記憶がないんだけど…」

「その子は耕介を知っていたと?」

「そうなんだよ」

「どんな子?」

「なんかほわっとしていてとっても可愛い優しそうな目をした子だった」

「へぇ~そう。それは仔犬ね。きっと」

「は?また訳のわからないこと言って、それはこの曲のことだろ」

「まぁいいわ。そう言う事にしておくわ。それにしても素敵な演奏ね。仔犬がコロコロと楽しそうに回っている姿が目に浮かぶわ。この人あたしの最近のお気に入りなの」

「たしかにすっごくいいな。弾けるような躍動感と柔らかな仔犬のイメージがうまく表現されてて」

「そうね。あたしもこんなふうに歌いたいわ」

「いつも歌ってるじゃないか?」

「違うわ。せっかくだから色んな人に聴いて欲しいじゃない。あっそうよ。今度、あたしの歌を録音してラジオ局に送ってみようかしら。もちろん、あたしの楽しいトーク付きで…」

「頼むからやめてくれ。どうせちゅらのことだからトークはめちゃくちゃになるんだから」

「あら、それは残念ね」

「分かってくれて助かるよ。その代わりと言っちゃなんだけど…今度の日曜日、一緒にあのお花屋さんに行こうか?」

「なによ、急に…さては、あたしがうるさいからあのお店に返すつもりね」

「なんで、そんなるんだよ。そんなわけないだろ。翠さんにお茶会に誘われただけだよ。それでせっかくだからちゅらも一緒にどうって言われたんだ」

「なんだ。そう言うこと…ふふふふふっ」

何かを企むような笑い方。

「またなにか悪さ思いついたな。ちゅら」

「そんなことないわ。素敵なことよ。ふふっ」


 それからのちゅらはとても上機嫌になり先ほどの鼻歌を歌いながら穏やかな顔でラジオに耳を傾けていた。

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