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flower*  作者: 日下裕一寿
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第一輪 『ちゅら』

 うんざりするほど同じことの繰り返し。鬱々と過ぎる日々、たった一年で希望や情熱なんてものも失せた。顧客に頭を下げ、上司にどやされクタクタになって家路につく酒を煽って、また不貞寝。そんな毎日が続く、楽しいことなんてほとんどない。もちろん、恋人だっていない。




 『flower*』 第一輪 『ちゅら』




 都心から少し離れた郊外の駅前。日がくれてもなお茹だるような暑さが続く中、家路を急ぐ人々に混じって、重そうな銀色の大きな容器を肩に掛けて、足を引きずりながら歩く一人の青年がいる。


『おい、海野お前。なんだ今月の売上げは?お前の顧客軒並ダウンじゃねぇか?聞いてんのかよ。フレッシュコート武蔵野なんて今日の発注ゼロだぞ。どうなってんだ?』

「あ、あそこは…マキムラが大半をしめてて…」

『言い訳はいらねぇから、そんなとこ突っ立ってねぇでとっとと商品持って営業いけよ。ったく牛乳屋が牛乳売らねぇでなに売るんだよ。今日は帰ってこなくていいからな!お前の顔見るとむかっ腹立ってしょうがねぇから明日、発注書必ずもってこいよ』


 暑さと重さ更には課長の顔が脳裏に浮かぶ、最悪な気分だ。「ちっ、商品が違うんだよ。こんな古臭い商品売れるわけねぇよ」舌打ちをする。


 大学を卒業して乳製品メーカーに就職して一年。就職難でやっと内定した会社だった。それなりにやってきたつもりだ。でもこうも毎日毎日どやされてれば嫌にもなる。


『ガチャ』マンションの扉をあける。


「あぁ~あまた牛乳こんなに余ってるよどうすっかなぁ」

「お帰り、耕介。自分で飲めばいいんじゃない?」

「さすがにこんなに飲めないだろ。ただいま、ちゅら」

「試しに飲んでみるかい?」

「ばっかじゃないの?そんなものくれたら承知しないわいよ」

「はははっ冗談冗談」

「笑ってないで早くラジオつけなさいよ」

「はいはい」


『ピッ』ラジオからクラシックが流れ始める。今夜はレナード・バーンスタインから。今はクラシックの時間。


 彼女は一月前くらいに家にやってきた。仕事帰りに通りがかった駅前の花屋『ティラルガーデン』で買った、とても鮮やかな橙色をしたガーベラだ。

 なぜかよく喋る。ちょっと性格はきついけど、話をしていて嫌にはならない。太陽のようなとても綺麗な花で音楽を聴くことが大好きで花のくせして歌も上手い。彼女はちょっと昔の洋楽が好みのようだ。


 相変わらず仕事は上手くいっていないけど…彼女がきて生活が一変した。少しだけ生きていることを実感できている。


「耕介ぇ~?のどが渇いたわ、お水頂戴。」

「はいはい、ちょっと待ってよ。今、着替えてるんだから」

「うるっさいわねぇ早くしなさいよ。枯れるわよ私」

「わかったよ。あっそうだごめん、今日は水道水で我慢してくれよな。お前の好きな天然水買ってくるの忘れた」

「な…なんですって?相変わらずの役立たずっぷりはさすがね。あきれて言葉がないわ」

「今日は荷物いっぱいだったし…言葉がないって割にはズケズケ言うじゃないか」

「あ~そ~そういう言い訳するのね。いいわ。今晩あなたが眠っている横で一晩中音程はずした歌ず~っと歌ってやるんだから」

「なんだそれ?嫌がらせ?」

「ええ、そうよ、水を買い忘れたらどうなるか思い知らせてやるわ」


『ジョジョジョォ』


「やっぱり水道水は不味いわね」

「悪かったよもう」

「まぁいいわ覚えておきなさい」


 まぁ家に帰るといつもこんな感じだ。でもこのやり取りがなんとも心地いい。花が話をするなんてとっても不思議なことなのに何の違和感も感じることはない。それどころかはじめて、ちゅらが話しかけてきた時、なぜか救われたような気がしたのを今でも覚えている。


 洗濯をして、夕飯の支度を済ませるともう21:30をまわっていた。

「いただきます」

「さぁ召し上がれ、私は何もしてないけどね。」


 22:00にはいつもの気象通報を聞きながら天気図書きそれをデスクに貼り付けて眺めながら酒を飲む。


「耕介、毎日毎日そんなもの書いてどうするの?いつもニヤニヤしながら見てるけど」

「自分で書いた天気図見ながら明日の天気を想像して酒を飲むのがいいんじゃないか?」

「私には全く理解できないわその感覚」

「お前はなにか?明日の天気が晴れだったらうれしくないのか?」

「はぁ~?うれしいに決まってるじゃない」

「太陽の光を燦々と浴びておいしい水飲んで最高じゃない」

「お前、まだひっぱるか…でもそうだろ?」

「そんなの天気予報でいいじゃない普通のラジオでも『東京地方の明日の天気は晴れでしょう』っていけてない声のアナウンサーがやってるわよ?」

「だからそれじゃ想像力がこう湧き上がってこないだろうが」両腕に力を込めてジェスチャーする。

「そんなラジオの声じゃ酒の肴にならんだろ?」

「あぁもういいわ、お天気オタクの酔っ払いについていけないわ。もうそろそろムーンライト・シャワーミュージックの時間よ。あなたの時間は終わり。ラジオ変えて頂戴」

「はいはい」


『ピ、ピッ、ポーン』


『夜空に浮かぶ月の光が地上を照らすとき、天空の彼方から素敵な音楽を届けます。ムーンライト・シャワーミュージック。一日の最後のひと時をご一緒するのは高冨弥宵です』


「この人こ声ははほんとに素敵よね~ラジオの放送はみんなこの人がやればいいのに…この後の矢島英陽なんて最低じゃない声はうるさいし、しゃべることは下品なことばかりで」

「どうせちゅらはこの番組中に寝ちゃうんだから別にいいじゃないか」

「そういう問題じゃないわ。第一あんな面白くない番組よく聴くわね」

「いいの、俺が好きで聞いてるんだから」

「まぁいいわ、勝手になさい」


 ちゅらがラジオを聴いているうちに片付けをしてシャワーに入る。戻ってくるとまだちゅらはとてもご機嫌そうに音楽に聴き入ってる。ソファーに腰掛けてラジオに耳を傾ける。今夜は60年代の洋楽ヒット特集のようだテンプテーションズ、ニーナ・シモン、チャック・ベリーなど自分でも知っているような名曲ばかりでちゅらもご機嫌なはずだ。


 でもこちらは大体このぐらいの時間になってくるとだんだん憂鬱になってくる。眠りについた後、朝になって目を覚ますとまた現実に戻される。

 あっいけね、発注書一枚もないや、どう言い訳するかな…ってこの調子だ。でもまだ現実に戻るのは早い。眠る前に矢島英陽のくだらない番組を聞いて嫌なことを考えずに眠りにつく。

 これが編み出した最善の対処法である。


 番組が終わり案の定ちゅらは少しだけ頭を垂れて眠りに落ちたようだ。ラジオの音量を少し下げて電気を消す。


「ちゅら、おやすみ、ありがとな」


『は~い、今夜もエンジン全開、やしま英陽です。あなたに届ける深夜のデリバリーサービス。やしま英陽のミッドナイトEXPRESSはっじまるよん』


 こうして一日が終わる。

 明日も晴れる、暑くなりそうだ。

 明日は水買ってこなくちゃな。

 明日、会社行きたくないな。

 仕事やめたいな。

 起きたくないな。

 結局これだ。

 でも明日はくるんだよな…

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