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「はっ!? ここは?、いたぁッ!!」
マトイ道場の住居側でセイジが利用しているベッドに寝かされていたアイリスは目を覚ました途端、上半身を持ち上げた瞬間、脇腹に鈍い痛みが走る。
「目が覚めましたか」
隣りの部屋で待機していたセイジが部屋に入ると、アイリスの悶える姿を目にする。
「ああ、済みません。貴方の魔術の威力が高かった為、“魔刃”を解除するのを忘れて打ち込んでしまいました。
あれでは“硬化”を使っていない状態で打たれるのと変わりないですから、あばら骨にひびでも入っているかも知れません」
セイジが申し訳なさそうに言うが、アイリスの方は謝罪の言葉より、その言葉の中にあった別の部分に意識を持って行かれていた。
「“魔刃”、“魔刃”を使ったのですか!? あ、痛ッ!! くぅぅぅ・・・・・・」
余りの驚きに再び勢い良く起き上がろうとして脇腹が痛み出し、再び呻く。
“火炎”が唯の木剣の一振りで切り裂かれるはずがないと思っていたが、まさか“魔刃”の使い手がこの様な所におられるとはッ!!
彼女が内心で叫びそうになる程に驚いた“魔刃”とは、魔力の刃を得物に作り出し、武器の強化を行う魔術である。
刃にその魔術を乗せれば、凄まじい切れ味もさる事ながら、防御魔術すらも切り裂いてしまうという恐るべき性能を剣が宿す事となる。
それはさながら魔剣と遜色ない程で、この魔術を自在に扱える者は、それだけで一流の腕を持っているとされる。
それもそのはずで、剣を扱いながら、無詠唱の魔術を発動、維持するという複雑さから、形だけは出来るという者は幾人もいるが、仕合や真剣勝負の場で実際に使える者が殆どいないのである。
オリオール帝国でも“魔刃”の使い手は数える程で、その誰もが帝国内で勇名を馳せる傑物ばかりである。
それ程難易度の高い“魔刃”の使い手がこの様な襤褸道場を開いているなど誰も想像がつくはずもない。
「まさかその若さでこれ程の達人が世に隠れているとは思いもしませんでした。
非礼の数々、誠に申し訳ありませんでした」
まだ痛むだろう脇腹を押さえ、アイリスは深く頭を下げた。
「貴方も素晴らしい魔術と剣の腕でした。
魔術の威力もさることながら、一太刀を叩き込まれる瞬間、咄嗟に木剣を放して、体勢をずらしていなければ、暫くは立つ事も出来ない程の怪我を負っていたでしょう」
セイジは嘘偽り無く、アイリスを評価した。
セイジもまだまだ達観出来る域に至っている訳でも無い。女の魔術師となれば侮りがあったのだろう。手加減をするつもりが、思いの外の技量に力が篭もってしまったのだった。
「さて、取り敢えず仕合は終わりました。まだ動くには厳しい事でしょう。
休む間、貴方が我が道場を破りに来た理由の程、聞かせて貰えませんか?」
近くのデスクの椅子を引っ張りだし、ベッド近くで腰を下ろす。
精悍ながら美しい顔立ちのセイジが目の前まで来た事で、アイリスは頬を染め一瞬たじろぐが、内心で色々なものに決着を着けると、平静さを取り戻し口を開いた。
「実は私、幼き頃より騎士にならんと魔術、そして剣術も学んで参りました」
「女騎士、ですか……」
騎士は帝国、ひいては皇帝の為に命を捧げる事を誓った者の事である。
女性差別が少ないとされるオリオール帝国だが、それでも女騎士は多くない。
ギルドに加入している女冒険者などはそこそこいるが、騎士となるにはその血筋や教養、知識と必要になる基準が圧倒的に高い。
女性だからと言って、騎士は騎士である。護衛の任に就く事とあれば戦場に駆り出される事もある。、そこに求められる技量も男性とまるで遜色無い。となれば、体力、筋力共に男性と比べればどうしても劣る女性にはなかなかに難しい道である。
「はい……。私も苦難の道である事は重々承知しておりますが、こればかりは譲れません。
春になれば、騎士叙任試験があります。
私はその試験に参加するつもりでしたが、父がそれに反対しております」
「それは、まぁ、そうでしょうね」
アイリスの気持ちを慮り強くは言わないが、娘を持つ父であるならば、そう思うのが自然だろうと、セイジは内心で呟いた。
「どうしても騎士になりたいと願ったところ、父が一つの条件を出して来ました?」
「それが道場破り――ですか?」
「はい……。春までの間に五つの道場を破る事出来れば、騎士叙任試験への参加を許すというものでした……」
「成る程……」
道理で無名の襤褸道場を破りに来た訳である。
大方道場破りも容易いと考えたのだろうとセイジは推測する。
「既に三つの道場を破りました。今日は四つ目の道場を破ろうと思い、アディアス道場の方へ向かう所でしたが、その道すがらこの道場に気付き、まず手始めと思った次第です。
誠に申し訳ありません」
「ああいや、まぁ、そう思われるのも仕方の無い荒れようですからね……」
元々は父が開いていた道場だったのだが、旅に出て放置したままであった物件をセイジは譲って貰ったのだ。
その放置された長い時間が今の惨状に繋がっている。
「素晴らしき魔術と剣術、心を引き締めさせて頂きました。
さて、これからアディアス道場の方へ向かわねば――くうッ!!」
立ち上がろうとすると再び痛みに襲われベッドに倒れる。
大きな怪我とは思えないが、まだ歩くのもままならない状態である事は間違い無い。
「アディアス道場の主ローランド=クルム・アディアス殿は、元騎士の凄腕の魔剣士ですよ。貴方が如何に魔術の才が高くとも今の状態では勝つ事は出来ませんよ」
セイジは以前、ローランドの仕合を見た事があった。静と動の緩急が鋭く、一撃の鋭さは魔術、剣術共に相当なものと窺えた。
「しかし、春までもう直ぐそこです。早くせねば……」
「急いては事をし損じるという言葉もあります。
今日のところはお休みになり、傷を癒してからにするべきです。
仕合とはいえ、油断すれば命に関わる事だってありのですから……」
セイジは肩を掴み、優しくされど、力強く説得する。
「む、むぅ……。わ、分かりました。セイジ殿がそう言うのでしたら、今日のところは家路につく事にします」
殆ど距離を失う程に接近したセイジの顔を見つめ、顔を真っ赤にすると視線を逸らして頷いた。
「そうですか。では、もう少しお休み頂いて、家までお送りしましょう」
「そ、そこまでして頂かなくても……」
「いえ、怪我をしたのも私の修行不足です。このまま放り出しては私の恥となります。
どうか、お願い致します」
「は、はい……」
またも近づくセイジの顔を見やると自然に肌が熱くなる。アイリスは頬の熱を冷ます様に領頬を手で包むと頷くよりなかった。