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「唐突に申し訳ありません」
道場へと場所を移すと、その道場破りの美女はそう言うと姿勢良く頭を下げた。
その態度だけ見ても教養がしっかりとしたかなりの家柄の人物である事が見て取れる。
だが、セイジからすれば、それ以上に彼女の瞳の裡にある知性の光の方がよりその証明になる様な気がした。
服装の方は、冒険者風ではあるが、その清楚な白を中心としたものは、騎士のものに良く似ている。
冒険者ギルドの女冒険者等の身形とは大分異なる。
しかしこの女の最も際だった特徴は、その魔性の域に達するのではないかという美しさである。
輝くばかりの真っ直ぐの金毛を流し、その青眼は透き通る宝石の様である。それらを粉雪の様な純白の肌がより際だたせる。
『女など不要』と魔術の道、そして元居た世界への帰還の術にのみ心血を注いで来たセイジをして、その美貌から目を離すのが困難な程である。
「何故、この様な無名の道場に?」
卑下するつもりは毛頭ないが、このマトイ道場の名を知る者などこの帝都広しと言えど恐らく十人にも満たないはずである。そんな道場を破ったところで名声が得られる訳でもなく、道場主であるセイジが仮に敗れたとしても、それを隠す為に金を差し出すなどという事も無い。
「失礼とは思いますが、私もこの様なところに道場がある事、今日初めて知りました。
しかし、道場は道場、無論御指南頂けるのでしょうね」
その美しさとは裏腹に丁寧な口調ながらやけに鋭くセイジに要求を突き付ける。
「構いませんが、勝負はどの様に?」
「“合わせ”でお願いします」
セイジの質問に、女は当然とばかりに返答する。
「ふむ……」
セイジはこの女がかなり腕に自信があるものと知れた。
魔術師の勝負方法は主に二種類ある。
一つは、“魔術”。純粋な魔術の力量のみで勝負を行うというもので、大陸のどの国でも執り行われている形式である。
もう一つは、“合わせ”。魔術と剣術を共に扱い勝敗を決めるというもので、より実践的とされる方法である。
オリオール帝国の初代皇帝サディオス=テオルド・オリオールは、剣術、魔術の両方で秀でた腕を持っていた事から、長らく帝国での公式の試合では、“合わせ”が推奨されて来た。
しかし、近年では剣士と魔術師を明確に分ける事も多く、魔術師の技量となると魔力そのものに注視される様になり、公式試合でも“魔術”が行われる事が多くなっている。
この二十年近く他国との諍いも無く安定している事もあり、近頃では録に“合わせ”も出来ない魔術師が増えたと嘆く者も多い。セイジの父もまたその一人である。
「分かりました。
ではこちらをお使い下さい。
壁に立て掛けられた木剣を二本掴むとその一本を女に差し出す。
「これは……良き木剣ですね」
女は木剣を握ると、それをマジマジと見る。
「父の作です」
「お父上も剣と魔術を……」
「お恥ずかしながら未だ父の域にはどちらも至っていない次第ですが……」
セイジはそう言う、一つ頭を下げて木剣を構えた。
これ以上話は不要という姿勢である。
女もその意思を汲む様に頭を下げて構えを取る。
そして、――
「サイカレン道場師範代、オルレアン剣術、アイリス=カスティアノ・ノブレース!! 参るッ!!」
「マトイ道場師範、ムガイ流、セイジ・マトイ!! 受けて立つッ!!」
二人の魔術師が互いに名乗るのと同時に“硬化”の魔術を発動し、赤い靄の様なものが二人の身を包む。
“硬化”の魔術とは、その名の通り、肉体の表面を魔術で硬化するというものである。
命を賭けた真剣勝負でもない限り、“硬化”の魔術さえ使っていれば、木剣の一撃をまともに食らったとしても命に関わる程の怪我になる事はまず無い。
“硬化”の魔術は、戦闘技術を学ぶ魔術師であれば、必須とも言える魔術である。
魔術学校などでは、始めに学ぶ魔術が原初魔法の“火”であり、その次に学ぶ最初の無詠唱魔術が、この“硬化”であるとされる。
セイジは既に女――アイリスの力量がなかなかのものである事を既に悟っていたが、アイリスの側はここでセイジが強者である事に気付いた。
この男、何の力みも予備動作も無く、“硬化”を発動させた。
確かセイジと言ったか。かなりの使い手と見た。
廃屋寸前としか思えぬ襤褸道場にまさかこれ程の魔術師が居るとは、アイリスも思ってはいなかった。
アイリスは大した実力も無い魔術師が道楽でやっているのでは無いかと侮っていたのだが、ここでその考えを改めた。
互いに睨み合う形で、構えた木剣は動かない。
アイリスは隙を窺っていたが、男に全くといって隙が見て取れず、動くに動けない状態となっていた。
恐るべき使い手だ、攻め込めない。
アイリスが迷っていると、セイジの側が木剣をやや低く落とす。
「どうしましたか? そちらから来ないのでしたら、こちらから参りますよ」
そう言うと、一瞬で低い姿勢を取り、恐るべき速度で飛び込んだ。
「ッッ!! “火炎”!!」
瞬く間に距離を縮めるセイジに対し、アイリスは牽制と相手の隙を作る狙いで火炎系魔術の“火炎”を用いた。
“火炎”は、“火”の上位に位置する火炎系魔術の一つであり、その威力は人一人容易く燃やし尽くす程の威力がある。
火炎魔術を防ぐには防御魔術“盾”を使わなくては身を守る事が出来ない。
アイリスは“盾”により身を守り、動きが鈍った所を剣術で仕留めんと狙い、炎に覆われた相手に向けて足を踏み込む。
「しっッ!!!!」
鋭い呼気と共に、赤い閃光が走る。すると“火炎”が木剣により縦に切り裂かれた。
「なっ!!」
突進せんと走り出したアイリスも流石に驚きを隠せず速度を弛める。
セイジは左右に分かれた炎の海に怯む事なく、変わらぬ速度で一気に距離を詰める。
「くぅっ!!」
多々良を踏んだアイリスは、勢いを殺し、後ろへ跳躍せんとするが、手遅れだ。
懐に入るのではという程の至近距離に至ったセイジが炎を切り裂き振り下ろした木剣を素早く返し振り上げる。
「かはっ!!」
防ぐ事も逸らす事も叶わず、アイリスは脇腹に木剣を打ち込まれる。
「あ、いけない」
セイジがぼそりと呟くが、アイリスは叩かれた勢いでそのまま道場の壁に叩き付けられた。
「きゅ~……」
小動物の様な声を漏らしアイリスは床に落ちると、ぐったりとして動かなくなってしまった。
「気を失ってしまったか。参ったなぁ……」
セイジはぐったりと倒れてしまったアイリスを見下ろし、黒髪を掻き毟るのだった。