人々の世界
右に三歩歩く。キアヌは頭の中で繰り返しながら足を踏み出した。踏み出して、戻した。三歩。小人の三歩だそうか。キアヌは首を傾げた。確か、落ちすぎるなと小人に言われた。それでもキアヌはいたってマイペースだ。小人の歩幅を想像しながら足を踏み出した。それでも大分大きかった。おかげでちょうどよく線を超えた。
なにやら騒がしい世界であった。キアヌの目の前には大きなレンガの壁がある。壁を見上げると、小さな窓のようなものがいくつかあった。キアヌは壁沿いに左に歩いた。壁の間に細い道が見えた。キアヌは細い道に入った。ゴミが散らばっていた。細い道を抜けると、大通りに出た。大通りは人でごった返していた。キアヌは大通りに出ようとした。しかし人の波に弾き返されてしまった。
「大丈夫かしら?」
倒れそうになったところを、後ろから支えられた。振り返ると、優しそうな女性がいた。キアヌはじっと女性を見つめた。
「あら。怪しい人じゃないのよ。このビルの上に家があってね。ちょうどあなたが見えたのよ。この辺りには初めて来るんでしょ。今まで見たことない顔だもの。迷子かしら?パパと来たの?ママと来たの?あ、もしかして家出とか―」
女性はペラペラとしゃべり続けた。キアヌは女性の口元を見つめたまま黙っていた。女性は五分ほどしゃべっていた。
「あら。私だけがしゃべってたわね。で、あなたは誰なの?」
「……キアヌ。……セッタ、知らない?」
女性の顔が少し引き攣った。
「知ってるけど、どうして知りたいの?」
「……私のいた世界に、来てくれた」
キアヌはまた女性を見つめた。教えて、そう訴えている。
「今日はうちに泊まりなさい。セッタの事は、ゆっくり話してあげるから」
根負けした女性はキアヌを自宅に招いた。
お茶を飲みながら、食事をしながら、女性はセッタについて語った。女性の話によれば、セッタの生まれた世界はもう消えていた。この世界の人口が多いのは、全員でここに移住したからだと。女性はセッタを冤罪の被害者と呼んだ。セッタの世界には真器と呼ばれるご神体がいくつかある。セッタはその内の一つを壊した罪で告発された。セッタはかなりの悪戯坊主だ。目撃者は大人の実業家だった。裁判は一辺倒でセッタを有罪とした。子供ということで、実刑はなかった。しかしその日から、セッタはのけ者にされた。親を含めて、誰もセッタと口を利かなかった。そして気づけば、セッタはもうどこにもいなかった。以上の内容を、女性は何度も脱線しながら語った。
キアヌは胸がチクリと痛むのを感じた。一晩泊まって、キアヌは女性と一緒に家を出た。人の波を縫うようにして世界の反対側へ行く。これには一日かかった。線が見えた頃にはもう夜だった。キアヌは何も考えずに線から踏み出した。女性は夜中歩いて家に帰った。戸棚の中から書類を一枚取り出す。
「ごめんなさい。生きていて、良かった」
その書類を胸に抱いて涙を流した。女性は、裁判官であった。