1-3
俺が記憶を頼りに足元を見ながらさっさと歩くと、主人も小走りでついてきた。
宿につくと、ひとつのベッドでとなりあって眠った。
俺は今までの習慣で主人からやや離れたイスに座り、そのまま眠ろうとしたが、主人がそれを良しとしなかったのだ。
ベッドが大きいのは、元々二人で寝ようと思って借りたからなのだと引き合いに出されたが、知ったことではない。だがこの主人、最強の武器を使った。
「これからは一緒に寝よう。これは、ご主人様の命令だよ、おにいちゃん」
俺はそれに逆らえない。
主人の命は、奴隷にとって絶対だ。
たとえ、それが満面の笑みの少女のものであったとしても。
習慣というものは、いつまでたっても抜けないものだ。
翌朝目が覚めたのは、日が昇り始める前。
前の主人の元では、それから馬や使い魔などの世話をしていたものだ。
隣をみると、主人は眠っている──と思う。とてもそうは見えない。
俺の腕をしっかりとホールドし、静かな寝息も聞こえる。これは眠っているのだと判断する材料となる。
しかし、少し顔を動かすと、「どうかしたの?」と口が動き(声はしない)、首を傾げるのだ。
主人の邪魔をしてはならない。これは、奴隷の暗黙のルール。つまりよほどの緊急時でない限り、眠りを妨げてもいけない。
まあ、俺は守った試しがないが。
しっかり腕がホールドされているので、抜け出そうにも抜けられない。
仕方なく顔の向きを戻してその体勢をキープ。
と心に決めたのだが、危うく声を出しかけて掴まれていない方の手で口を押さえた。
主人の顔が俺の腕をがっちりホールドしてる両腕の間に埋まって、簡単に言うと、腕に噛みつかれました。
痛いよこれ。
この嫌な臭いは血が出てんじゃないのか?
──出てるね、確実。
だよなーやっぱり。
少し落ち着いて手をどかす。
手を動かした際にずれてしまった毛布も戻す。
はー……どうしよこれから。
主人はなんか食べる夢でも見てんのかなー……?
主人が起きるまで我慢かなー……。
「……おはよう……おにいちゃん……早いね……もう起きてる」
そう思うとすぐに起きた。
眠そうだけど……この主人、もしかしてずっと意識あった?
俺の腕を噛んだのは故意?
まだ眠そうに、片腕ではものすごい力で俺の腕をホールドしながらもう片方の手で目元をこする。
「……血……お肉の味がする……臭いもする……すぐ近く……?」
顔の前の光景(俺の腕)が目に入ったらしく、覚醒したっぽい。
「おにいちゃん、腕、大丈夫……!?」
痛いですよそりゃあ。
血でてますもん。
今やせ我慢中?みたいな。
「痛いよね……えと、もしかし……なくても私が食べちゃったよね」
え……食べたの?
──ごっそりいかれてる。
え、マジで?
──うん、本当
あー……考えるの止めとこう。
──でも、主人がきつく挟んでて、血はほとんど止められてる。
それでさっきから腕の感覚無いのかー……。
「えと、何か縛るもの……」
主人はガッチリ腕をホールドしたまま探し始めようとした。
「──は、まいっか。」
が、やめた。
「おにいちゃん、目、瞑ってて。痛いかもしれないけど、我慢してね」
そう言うと、俺の腕を放した。
主人の意図が分からず顔を見ようとしたら、視界の端に赤いシミができていて、今もそれは広がっている。
発生源は俺の腕。
そこは見事に食いちぎられていた。
よくこんなきれいにできたな。
少し感心してしまう。
主人は俺の腕の噛み痕の両側に手を当てると、そこに顔を近づけた。
ちなみにその両手は俺の腕をガッチリとベッドに固定している。
痛みが強くなる。
少し目をそらしていた傷のほうをみると、ベッドにあったはずの赤いシミは跡形もなく消え失せ、俺の腕には歯形の傷が付いているだけで、食いちぎられた痕はなかった。
治っている。
一体どうやったんだ。
やっぱりこれは能力者の力か?
主人が両手を離すと、腕に感覚が戻り、小さな痛みが続いた。
「おにいちゃん、大丈夫?」
主人が心配そうな顔で俺の脇に正座をして問うてくる。
これは大丈夫だと返すべきなのだろうか。
──別に、いいんじゃない。
それはどっちの意味だよ。
どっちにもとれるぞ?
──すきにとって。
めんどくせー。
あ、無反応路線でいくんだった。
ここで訊いちゃだめだな。
──訊けば
やだー。
──じゃあ訊こうか?
訊いてくれんの?
いつになく上機嫌だなお前。
いつもこんな感じだったらいいのに。
躁と鬱の差が激しくないか?
──じゃあ訊かない。
いや、スンマセン。訊いてください。
普段から俺以外にもこんな反応ならな~……
──なら何?
きっと可愛がられるだろうな。
お前見た目いいし、能力もあるし、悪いのはその性格くらいだから。
──この性格だから、売られるんだよ。
あースンマセン。
そんなネガティブになんなって。
「──じー……」
あー嫌な声。
主人がこれは意図的に出してるな。
こっち見てるよ。
──じゃあ訊くね。
応、よろしくな。
「──主人」
「ホヘ?」
主人が変な声を出した。
何がそんなに驚きなんだ?
俺が声を出したことか?
「……えと、主人って、私のこと?」
主人に見下ろされたままうなづく。
「──主人は、能力者?」
主人は訳が分からないかのように首を傾げて固まった。
「……何のこと?」
本当に、知らないのだろうか。
隠してるわけではなさそうだしなー……。
──だって。
やっぱ俺が言うしかないのか?
──僕はやだ。
何で俺の腕治ってんのかって、訊いてくんない?
──やだ。
じゃあもう晴らしてやんないぞ。
──困るのは君
だな。
どうしよっかなー……。
じゃあもう自分で聞くか。
でも俺この体慣れてないんだよなー。
手伝ってくんない?
──やだ。
そっか。そうですか、こん畜生ー!!
「ねえ、おにいちゃん。」
主人が何か言いたそう。
はー……。
さっきから横に正座してこっち見下ろしてるんだけども。この体勢何とかなんないかなー?
いっそのこと抜け出してみる?
今なら押さえられてないから逃げられそう。
辺りを見回すと、ほんと荷物無いなーこの部屋。
主人、冒険者だろう?
それにしても、こんな無くて平気なのかよ。
よし、決めた。イスに移動しよう。
それから主人に訊こう。
もう無反応路線はやめだ。
それでいいよな?
──すきにして。
よし、了解も取れたことだし……よろしく。
──イスまでね。
ああ、それで良い。
俺の意思とは無関係に、体が動く。
主人の下を抜けてベッドから降りると二歩でイスへ移動。
あー、昨日の鈴の音がする。
イスの上で丸くなる。
主人は一連の動作を首から上だけ動かして眺めていた。
──これでいいよね。
ああ、ありがと。
後は任せて。
──僕はしばらく寝るね。
了ー解。
──起こさないでね
起こさないって。
「──……おにいちゃん……」
なんだ?
「……──すごーい!!」
主人が大きな声と動作で感心を表現する。
この動きがすごいってか?
こんなの普通だろう。
こんな事くらいできなかったら奴隷として生きてけないぞ。
これ、最低限度だぞ。
「ねえ、おにいちゃん」
え……何?
怒られる?
何かこの主人からは変な感じしかしないんだけども……!?
「今日は、一緒に私の村に行こう!」