1-1はじまり
とある少女が、この店がここに販売にきてから毎日、角からこちらを伺っていた。
「おじさん、お兄さんは、何で繋がれてるの?」
その少女が、最終日前日にして初めて、意を決して近くへ寄ってきた。
「そいつは売り物だからね。」
奴隷商人のおじさんが、小首をかしげる少女に告げる。
「売り物?」
「奴隷だよ」
「奴隷……」
「傷つけんじゃないよ」
「さわっちゃだめ?」
世間知らずな感が否めない少女だった。
「ああ。大事な商品に傷を付けられたらかなわんからな」
この日はそれだけで、少女は姿を消した。
明くる日、また少女は来た。
「おじさん、少しこの人と話してもいい?」
「……ああ、構わんよ。」
売人のおじさんに許可を取ると、その冒険者らしい身なりの少女は俺の顔の前に手をかざし、軽く振る。
冒険者とは定住地を持たずに旅をする者たちの通称であるから、つまり動きやすそうな格好をした、所持品の少ない少女だった。
反応した方がいいのだろうか。
「おじさん、さわっちゃだめ?」
「けがはさせんなよ、大事な商品なんだから。」
少女がしつこく問う内に、おじさんの少女の扱いが緩くなってくる。
「ありがとーおじさん!」
怪我させたらアンタも売り物になってもらうからな。とおじさんは言うが、少女はきっと聞いていない。
なにをするのかと思っていたら、反応しない俺の頭をなでた。
驚いて、この行動の意味が分からなくて顔を上げると、うれしそうな少女の顔と目があった。
「やっと反応したね。」
嬉しそうなその少女はとても、奴隷を買うような身分には見えない。
奴隷を必要とするのは、権力を誇示したい富豪か、安い労働力を求める大農家くらいのものだ。
「じゃんけんしよう」
彼女の俺に向けた第一声が、これだ。
「私が勝ったら、どうしよう……?
お兄さんが勝ったら、自由にしてあげる。」
少女は満面の笑み。
自由って、どういう意味だ?
俺を買うということか、それともこのおじさんを殺って俺を逃がすということか?
「おいおい、勝手なこと言うなよ?」
おじさんが口を挟むが、少女は笑みを向ける。
「大丈夫! 私がちゃんと責任持つもん!
──そうだ!私が勝ったら、おにいちゃんになってね。」
誰もするとは言っていないのに、勝手に決めてしまった。
「いくよ~っせーの、じゃん、けん、ぽん!」
彼女は五本の指をのばして手のひらをしっかりと見せている。
俺は座って手は軽く足に乗せているだけだった。
少女は嬉しそうに両手をあげて飛び跳ねる。
「おっ、お兄さんグーだ!私パーだから私が勝ったよ!だからお兄さんは今から私のおにいちゃんだ!」
勝手に決めんなよ。
「勝手は困るなーお嬢ちゃん」
そうだ。言ってやれ。
「ねえ、おじさん、おにいちゃんいくら?」
買うのかよ。
「ん?嬢ちゃんが買ってくれんのかい?」
意外なのか不審なのか、おじさんは聞き返す。
「うん。」
彼女は迷わずうなづいた。
「金はもってんのかい?」
「もってるよ。でも、きのうお財布なくしちゃって、今は少ししかないの。今日が出張販売の最終日だし、もうすぐ日も暮れるし、おにいちゃんが最後の商品だから、安くしてくれるととっても助かるよ。」
ちゃっかり俺を値切ってるよこの娘。
おじさんも、う~んとか言いながら考えなくていいから。
俺が目障りなのはわかるけど、あんま安く売られると俺の価値そんだけかって傷つくからね?
「なら、二千ファールでどうだ?」
安!俺安!ふつうオッサンでも一万ファールいくぞ。その五分の一だよ?
奴隷の気持ちだって考えてくれよおじさん!
そんなにこの少女が金もってなさそうか!?金の臭いがプンプンするんだが!?
「え~っとね」
あんたも財布の中見なくていいよ。
そんな安く売られるくらいならまた鉱山で働くよ!!
「はい。今、小さいのないから、おつりある?」
少女が差し出したのは、銀貨一枚。
銀貨だと──!!
銀貨は約八万ファールである。
さっき金無いっつってたのに、あんじゃねーかこの小娘!
「……待ってくれ、見てみる。──もう少し細かくならないかい?」
そりゃあ無いよな。
てか確認するまでもないだろ。
こんなとこに出張販売来てんのは安い奴ら売っ払うためだもんな。
そんな大金なんて持ち歩いてないさ。
「ごめんなさい、あ、そうだ。後払いじゃだめ?
パンとか買って小さくしてくるから」
そりゃだめだろう。持ち逃げ厳禁。
転売されちゃかなわんし、後で払いにくる保証もない。
「すまんがそれは信用できんな。」
それが当たり前だ。
「しょうがないなぁ……じゃあ、ちょっといってくるね。
──おじさん、それまでおにいちゃん売っちゃだめだよーー!!」
そう言って少女はかけていった。
そんなこと言わなくてもここまで売れ残ったのならこれから先も売れないと思うが。
俺みたいな屑のためにそこまでしなくてもいいだろ。
どうせこのまま戻ってこないだろう。
そう思ったのは甘かっただろうか。
しばらくして、少女は両手に食料を抱えて戻ってきた。
「ただいまー!
──おにいちゃんまだいるよね!?」
おじさんも驚いたみたいだ。
あんなに目をまん丸にしてるのなんて、初めて見たぞ。
「えっと、二千ファールだよね。」
ポケットからちょっきり二千ファール分の貨幣を出しておじさんに渡す。
「あと、これもあげる。」
右手に持っていたパンの袋をまるまるおじさんの前に置いた。
おじさんは呆けた顔を崩さない。
「──おにいちゃんをとっといてくれたお礼と、今まで生かしてくれてありがとうだよ。
こんなに持ってても、私だとカビさせちゃうから、もらってくれると嬉しいよ。」
この少女の行動は、謎が多すぎる。
「ねえ、おじさん、おにいちゃん貰ってくね。」
おじさんは呆けた表情のまま首の鎖を外してくれた。
薄く痕がついている首に手を触れる。圧迫感のない状態になるのは、いつぶりだろう。
重かったんだよな、これ。
少し傷ついてないかここ、少し痛いぞ。
「おにいちゃん、立てる?」
少女の顔を見上げてみると、目を閉じて微笑んでいた。
「──……。」
よし、ひたすら無反応路線で決めた。
それでいいよな。
──うん。
誰にともなく確認をとる。
聴こえるのは、自分と異なる声。
「おなか空いてたら、これ全部食べてね。私はもうおなかいっぱい食べたから。」
じゃあ何でパンとか買ってきたんだよ。武器とか薬草やなんかを買えばいいじゃねーか。あ、持ちきれない分を食べてきたのか?
「えっとねぇ、まずはおにいちゃんの名前を教えて欲しいな。」
「……──」
名前なんて教えるもんか。
今まで名前が必要になった場面なんか無いから名乗ったことなどない。
一応自分で名前は決めてあるけれど、それも今まで使われていなかった。
今までの主人は名前を必要としなかったから。
「──あ。」
おじさんがようやくフリーズから回復した。
「お嬢ちゃん、まいど。
──そいつの名前は……」
「おにいちゃんに訊くから教えなくていいもん。」
この少女、礼儀がなってないぞ。
「──そうか。」
おじさんは面食らったようだった。
まあ、おじさんも俺の本名知らんのだけど。
「ああ、すまん、忘れるとこだった。」
おじさんは懐から一枚の畳まれた日焼けた紙を取り出すと、俺と少女の間に出した。
「お嬢ちゃん、これにサインしてくれ。
それでこいつは正式にアンタの奴隷だ。」
そう、俺は奴隷なのだ。
自分を買ってくれた主人に絶対服従。
主人になにを命じられても逆らってはいけない。
死ねと命じられればそれまでだ。
この少女、なんの目的で俺なんかを買ったのだろう?
今までの主人は俺の外見で買い、態度に腹を立てて売っ払ってたが、この少女も同じなのだろうか。
少女は渡された紙にサインした。
俺は奴隷だが、何番目かの主人のおかげで文字は少し読める。
……。
だが、契約書に書かれた少女の名前はわからない。
字が汚いわけではない。
きっときれいだろう。
それでも読めなかったのは、それがこの国の文字ではないからだった。
「よし、完了。
──お嬢ちゃん」
おじさんにも読めなかったみたいで、目を細めてから名を呼ぶのを諦めていた。
なぜそれでも受理されるのかは分らない。
「こいつは奴隷だ。
奴隷には鎖か首輪か……なんか主人と同じものをつけるかして自分のものだとアピールする必要がある。
だからお嬢ちゃんも近いうちになんかつけてやんな。」
何か意外と親切だなこのおじさん。
「は~い。」
少女も元気よく応えた。
「何でもいいの?」
「ああ。中には奴隷全員に同じ模様を刻んでるとこもあるな。」
「──ん……わかった。ありがと、おじさん。
いこ、おにいちゃん、なんか見つけないと。」
この決まり、少女は知らなかったらしい。
最後の商品が新たな主人に引っ張られていくのを見送ると、店主は店を畳み始めた。
「厄介事に巻き込まれても、責任はとらんからな。」
契約書の一文を頭に浮かべ、そうつぶやきながら。