後編:異常なし
○R15。残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。
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今夜は新月のため、空間は墨のように濃い黒だった。
その暗闇の中、かすかに気配が移動する。
気配は、リーザとデルタがいる部屋の前で止まった。
扉が静かに開けられた。手入れの行き届かない扉はいつもであれば蝶番の軋む音がするのに、今日は無音だった。
ベッドと床それぞれに、こんもりした山がある。ベッドの山は小さく、毛布に包まれた床の山はベッドの山の2倍はある。
気配は2手に分かれた。
気配の1つは扉に待機し、気配の1つはベッド脇のサイドテーブルに近づいた。サイドテーブルには、木製のカップが2つ、ワインの瓶が1つある。2つのカップの底にはワインの残滓があり、瓶は空っぽになっていた。
気配が動くと、開いた扉から人影が次々と静かに侵入した。最後の人影は扉を閉めた。
人影は2手に分かれた。
ベッドに近づいたのは人影6つ。床の山に近づいたのは人影9つ。
それほど広くない客室に、人の気配が数秒間充満し、消えた。
ベッドに近づいた人影のうち3つが、床の山に近づいた人影のうち4つが、山の隅…布団や毛布の端を押さえる。
ベッドの山と床の山に、同時に、勢い良く鋤や鍬が振り下ろされた。
鈍い音が部屋に響く。
山の下から、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。だが、鋤や鍬は容赦なく上下運動を繰り返した。
山が上下左右に動いていたが、隅を押さえられているせいで、殺意ある暴力からは逃げられなかった。
ベッドの掛布団、床の毛布にじわじわと血の染みが浮かび、広がり始めた。
やがてベッドの山と床の山は動かなくなった。
異常な緊張が部屋の空気を満たし、暴力者達を凍てつかせた。
「あ〜あ、そこまでやるかぁ?」
決して大きくはなかったのに、その声は落雷音のような凄まじさで人影達を脅かした。
「まったくよね。恩知らずとか逆恨みって怖いわね」
人影達の体に戦慄が走った。直後、ドサリという物音が2方向から同時に聞こえる。
人影達は我先にと扉へ駆け寄った。真っ先に扉に飛びついた者が、扉を押して部屋の外へ出ようとした。
だが、扉は思惑どおりにいかなかった。ウンともスンとも動かないのだ。
物音は止まない。音の発生源が2方向からであることも変化はない。
人影達はそれなり夜目が効く。それなのに、部屋の中で何が起こっているかを視認できなかった。
夜目を効かなくさせるほどの、異常なほどの濃い闇。
物音の発生回数は、次第に侵入人数分に近づいていく。
ドサリ。また音がした。これで、残る人数は…扉に飛びついた者は愕然となった。残るは自分1人。
必死に扉を動かした。動かそうとした。押したり、引っ張ったり、左右にも動かそうとした。
不意に体に衝撃が走った。
意識が暗転した。
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デルタはリーザへ顔を向けた。
2人の足元には襲撃者達が累々と転がっている。
寝込みを襲われる…予想の範囲内とはいえ、気持ちのよいものではなかった。死なない程度に加減はしてやったが。
「こいつら、どうする?」
「明日の夕方まで眠っていてもらうわ。今の時期なら風邪を引く心配もないし、このままにしときましょ」
明日の夕方。2人ともこの村から出ている時分だ。
「説明はしないのか?」
「デヴィッドは親切に説明したいの?」
「いや。聞いてみただけだ」
デルタ…デヴィッドは、鼻の頭をかいた。リーザはそれを余所に、ベッドの山に掌を向ける。
ベッドの山は瞬時に灰の塊になり、空中に四散した。続けて床の山にも掌を向ける。同じ事象が発生し、山は跡形もなくなった。
「自分達が殺したのか、それとも殺していないのか…一生悩んでいてもらいましょ。さ、本命の所に行かなくちゃね」
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リーザとデヴィッドは村長夫妻の寝室へノックもせずに入った。2人仲良く並んで入室する。
「村長、奥さん、起きてください。三文芝居はもう終わりですよ」
ベッドにはいない。寝室のどこにも見当たらない。気配もない。SSであれば、姿を隠すなど朝飯前のことなのだろう。
だが、寝室の中にいることは分かっている。問題は、現時点でまだ、夫妻のどちらが本命の魔獣なのかが分からないことだった。
「お〜い、あんたが操っていた糸をたどってここまで来たんだ。居留守はなしだ」
デヴィッドの手には既に鉄扇が握られている。戦闘と捕獲準備は十分すぎるほど整っていた。
不意に粘ついた液が豪雨のように2人の上に降ってきた。
デヴィッドはすぐさまその場を離れたが、リーザはその場から動けなかった。月が出ていれば、リーザの体を繭のようなものが雁字搦めに縛っているのが分かっただろう。
「力で我が糸を切るか。噂に違わぬ豪の者じゃのう」
ひび割れた声が聞こえてきたが、魔獣の居場所は特定できない。
頬に熱が走った。鉄のような匂いが鼻につく。
あたたかいものが頬から顎へ流れた。
「そりゃどうも。お褒めついでに、リーザを離してやってくんねえか」
デヴィッドは親指をくいっとリーザに向けた。
「それは聞けぬ。"豪速のリーザ"を自由にさせたままでは我が身が危うい」
リーザのニつ名を知っているということは、SSの中でも格上の魔獣のようだ。
おまけに村人を操ったり人間に化けたり、と、かなり狡猾ときている。
傷をつけられるのも実に久しぶりだ。
おもしろい、こうでなくてはな。
デヴィッドは舌舐めずりした。
突然、リーザを拘束している繭が青く光った。
「何事じゃ」
デヴィッドはリーザを振り向きもせず、部屋のどこかにいる魔獣に言い放った。
「上には上がいるってことだ。おい、リーザ。遊んでないで、とっとと捕獲して寝ようや」
「遊んでなんかないわよ!!」
リーザを拘束していた繭は、消し炭になって床へ落ちた。
「久しぶりだったから、ちょっと上級魔法の加減に困っていただけよ!!この家ごと燃やされたくないでしょ?!」
「そりゃまあ、そうだな」
胸を張って偉そうにいう台詞ではないが、デヴィッドはひとまず同意した。
「出窓の右横、1メートル」
リーザが淡々と告げた。同時にデヴィッドは床を蹴った。
デヴィッドが出窓までの距離を一瞬でゼロにしたのと、重く鋭い音が響いたのはほぼ同時だった。
その直後。
耳をつんざくような悲鳴が轟いた。
「いだい!痛い!ああ!!痛い〜!!」
村長夫人が頭を押さえながら床の上を転げ回っていた。デヴィッドのハリセンを受けたにも関わらず人化が解けていないのは、さすがSSだけのことはあった。
「なんだ、もうちょっと手応えあると思ってたんだが。あっけねえな」
デヴィッドはハリセンを肩の上にのせると、村長夫人に化けた魔獣の上に足を乗せ、体重をかけた。デヴィッドの足の下で、魔獣は更に呻いた。
「おい、リーザ。とっとと捕獲頼むわ」
「あんたがやればいいじゃないの」
「人化を解くのはまだ苦手なんだよ」
魔獣を捕獲するためにはいくつかの条件がある。その条件の一つが、捕獲は魔獣本来の姿であること、だった。人を魔獣と称して報償金を詐取したり、人間が他人を陥れるために悪用することを防ぐ、予防措置でもある。
「はいはい。長いことそう言ってるけど、いつになったら得意になってくれるのかしらね」
リーザは宙にブレスレットを出現させた。ブレスレットには、細い銀の鎖がついている。
リーザは、片手にブレスレット、もう一方の手に銀の鎖の端を持つと、無造作にデヴィッドの足下の村長夫人もどきにブレスレットを放り投げた。
ブレスレットが村長夫人もどきに触れた瞬間、村長夫人もどきの全身が白く染められ…魔獣本来の姿に戻った。
「食人蛙かよ。本物の夫人を食い殺して化けてたのか。ロクなことしねえな」
デヴィッドが心底嫌そうに食人蛙を見下ろした。デヴィッドの嫌悪が伝わったらしく、食人蛙はデヴィッドを睨んだ。
だがその直後、両眼と口を大きく開き、長い舌をだらりと垂らす。
食人蛙の首には、リーザが出したブレスレットがはまっていた。自在に大きさを変えるブレスレット。これがリーザ専用の捕獲道具である。
「こんなに簡単なコントロールがどうしてできないのかしらね。魔力だけは無駄にあるくせに、もったいない」
「お前こそ人のこと言えんのか?微妙な剣さばきができないなんておかしいだろ。怪力のくせにもったいない」
今回は出番がなかったが、リーザは武器、主として大剣も扱う。ただし、剣さばきはニ流になりきれない三流、といった腕前なので、力任せに振るってスピードを出し敵を倒すという方法でしのいでいる。リーザの2つ名の由来はここからきていた。
魔力は豊富にあるのに、微細なコントロールが苦手なデヴィッド。そのため、武器攻撃を中心としている。
怪力なのに武器の扱いが不器用なため、その力を生かしきれないリーザ。そのため、魔法攻撃を中心としている。
微妙に足りない部分を、微妙に補完し合っている2人であった。
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早足猛牛と食人蛙を捕獲組合特製の籠に入れ、2人が村を出た時、空は白み始めていた。
もちろん、気絶していた村長を叩き起こして有り金全部をいただいたのは言うまでもない。魔獣の捕獲は善意のボランティアではないのだ。
2人は朝日が出る方向へ向かって、並んで歩いていた。
「毎回思うんだけどさぁ」
「ん?どうしたの」
「魔獣を名付けたアイツのネーミングセンスがしれない」
「……」
デヴィッドの言うことはもっともだった。名前のおかげで魔獣の特徴も分かるのだが、魔獣の名前を知った人間は、大概困惑するのだ。自分達に迷惑をかける存在が奇異な名前…特徴をとってつけたような名前であることに対して理不尽な怒りを感じるものらしい。
「魔獣ははっきり言って迷惑な存在でしょう。そんな存在に格好良い名前をつけるのもどうかと思うわよ」
「それもそうか」
魔獣の名付け親の笑顔が2人の頭に浮かんだ。大災害以後、行方不明になっている男性。
「…アイツ、どこにいるんだろうな」
デヴィッドは独り言のつもりだったが、リーザはそれを拾った。
「私達がまだ(・・)生きているんだから、少なくとも死んではいないんじゃないかしら」
「…そうだな」
幾度となく繰り返した問いと答えを、2人はまた繰り返した。
魔獣達の名付け親である2人の共通の親友。
203年前の大災害の時、たまたま親友の勤務先を訪れていた2人に、栄養ドリンクと言って渡された飲み物。傭兵は大変だよね、と労わってくれた。
目の前の親友が同じものを笑顔で飲んだから、2人とも疑うことなく飲み干した。そもそも親友を疑うことなどしなかった。
そのあとしばらくして、あの大災害が起こった。
大災害が起きて、建物の下敷きになった2人はまず、自分達が死んでいないことに驚いた。
次に、傷の治りが早いことと、病にかからないことに仰天した。
そして最後に、何年経っても外見が歳をとっていないことに気づいた。
1箇所に留まっていられなくなり、2人はあちこちを転々とし始めた。
同時に、親友の行方を捜し始めた。彼がこの不老不死を解除する方法を知っていることを信じて。
捜していく中、親友が名付けた魔獣達が世界各地に出没していることを風の噂に聞いた。
路銀が底をつきかけていたので、報償をいただく代わりに魔獣を退治するようなった……。
デヴィッドは感傷的な気分を振り切るために、現実的な質問をした。
「なあ。食人蛙は元々ランクSの魔獣だろ、どうしてSSになってたんだ?理由聞いてっか?」
「ん〜、巧妙に隠れていたから特例としてランクアップされたみたいよ」
「それでもSSにランクアップされるぐらいだから、知能はそこそこ高いはずだよな。けど、どうもそう見えねぇんだよなぁ」
「確かにね。捕獲人の魔力を狙っていたにしては、計画も実行も穴があきまくりだったわよね」
2人は食人蛙を酷評した。2人は何度かSSの魔獣を捕獲したことがある。それらの時と比べると、あまりにもあっけない幕引きだったのだ。
まだ何か裏に一物ありそうな予感がする。だが確信には至らず、証拠もない。
「組合にはどう報告する?ヤな予感はすっけど、証拠がない」
「私もよ。ただの勘です、じゃ動きようがないもんね」
捕獲組合はビジネスの面を重視して運営されている。一介の捕獲人の勘を真面目に聞き届けてくれるとは考えにくかった。
「まあ今回は、その他特に異常はありませんでした、で報告するしかないわね」
「そうだよなぁ。異常なし、だよなぁ」
デヴィッドは空を見上げた。空の白さに、次第に橙と薄青が混じってきている。
「何かあれば、依頼はくると思うわよ」
「だな。あの村長、最後までふてぶてしかったし。なんかあれば、今回のことを思いっきり棚に上げて組合に来そうだ」
「そういうこと。やれるだけのことはやったわよ。食人蛙に取りつかれた村人達の退治もできたしね」
食人蛙に取りつかれていた村人達を拉致し、自分達の身代わりにした。
それは、リーザが昼間目を付けていた村人たちだった。食人蛙に取りつかれていたその村人達は、魔獣特有の匂いを微かに放っていたのだ。
魔獣に取りつかれると、その人間は元に戻らない。2人は下手な情けをかけることはなかった。
「組合に報告したら、ひと寝入りすっか。俺、もう眠くてしかたねぇわ」
デヴィッドは大欠伸した。
「私も。久しぶりに疲れたわ〜」
リーザもつられて大欠伸した。不老不死になってしまったとはいえ、寝不足までは解消してくれない。
2人の目の前で太陽が少しずつ姿を表している。
夜明けはもう間近だった。
《完》
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。
御感想お待ちしております。
( ´ ▽ ` )ノ