前編:捕獲前線
なろうコン応募作品です。お楽しみいただけましたら幸いです。
雲一つない晴れ渡った青空は、目にしみるほど眩しい。
その青空の下、緑に萌ゆる山はその穏やかな色で人々の眼を癒していた。
平和な平和な、初夏の午後のひとときだった。
突如爆煙が立ち、鳥達が一斉に羽ばたくまでは。
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「こちらデルタ。捕獲対象は只今逃走中」
迷彩服を着た体格の良い男が、インカム越しに現状報告しながら走っていた。返ってきたのは、鼓膜が破れそうなほどの罵り声。
--さっさと追いかけて!!万が一捕獲対象が人里に出ちゃったら報償金が減るわよ!!
「アイアイサ」
報償金が減るのはデルタにとっても甚だ好ましくないことなので、既に全速疾走である。
捕獲対象の足の速さは予想をはるかに超えていた。そして、気配を消していたデルタに気づき、攻撃と逃走を同時にやってのけた獰猛さと狡猾さは、捕獲ランク以上の強さを物語っている。
ここのところ、ランク負けしている捕獲対象ばかりだったので鬱屈していた。しかし今回の捕獲対象は、どうやらランクに応じたまともな魔獣らしい。
それなりに楽しめそうだ。デルタの微笑みは、鼠を前にした猫のようだった。
走る。ひたすら走る。周りの木々が矢のように後方へ流れる。
やがて捕獲対象の輪郭がはっきりしてきた。デルタは眼をすがめ、捕獲対象の後ろ姿をとらえる。
輪郭を認識し、視神経を通じて脳が捕獲対象の名称を検索&ヒットしたとき、デルタはインカム越しに話しかけた。
「ところでさ、リマ」
--勝手に人をフォネティックコードで呼ぶな!!ついでに自分のこともフォネティックコードで呼ぶな!!
「さすがリーザ。俺のこのシャレが分かるのはお前だけだよ。で、リーザ」
2人は傭兵経験が非常に長い。
この国では昔、傭兵をフォネティックコードで呼ぶ習慣があった。正規兵が傭兵をバカにして本名で呼ぼうとしなかったのが始まりらしい。もっとも、現在標準使用されているフォネティックコードは一新されており、傭兵・正規兵の間の壁は低くなっている。今となっては廃れた習慣だ。
--何よ?!
「目標地点にいたのは、お呑気虎じゃなくて、早足猛牛だった。作戦続行するかどうかの指示を頼む」
息をのんだ音がインカムから聞こえてきた。そして次の瞬間。
--作戦続行よ!!人里には、ぜっっったい出さないで!!何としても山中で仕留めるのよ!!
予想に違わない怒鳴り声は、インカムのボリュームを最小にしていても破壊力抜群だった。
「了解。フォロー頼む」
--当然よ!!報償金は10倍増しで請求ね!!任せて!!
いや、そっちの方じゃなくて、早足猛牛の捕獲の方なんだけど。
デルタはそう思ったが、口に出すのはやめておいた。また怒鳴り返されるのはゴメンだ。
それになんのかんの言っても、長年の相棒は、こういう時フォローしてくれる。
…はず、だ。
相棒を少しだけ信じて、デルタはでこぼこの山の中を、早足猛牛を捕獲するべく追いかけた。
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早足猛牛の茶色の毛並には血が飛び散り、四肢はガクガク震えている。武器でもある2本の角には無数の傷が入っており、角の先は欠けていた。デルタの三倍はある体躯。早足猛牛の成体の標準的な大きさだ。
満身創痍ではあるが、紫水晶の両眼からは剣呑な光は失われていない。戦意が潰えていない証拠だ。だがデルタは自分の勝利を確信していた。
捕獲まであと少し。デルタは目の前の魔獣に不敵な笑みを浮かべた。
「さぁて、鬼ごっこは終わりだ」
デルタは腰に装着している鉄扇を持ち一振りした。ハリセンだったそれは、鉄の縄に変化する。デルタ専用の捕縛道具だ。
人語を理解しない魔獣だが、本能で嘲弄されたことを悟ったのだろう。低い唸り声を上げた。
早足猛牛は口から涎を撒き散らしながらデルタに突進した。蹄が土煙を起こし、周囲に飛び散る。
鉄の縄を持っている右手が一閃した。
次の瞬間、早足猛牛の巨躯が轟音とともに地面に沈んだ。デルタの足元が若干揺れたが、ぴくりとも動じなかった。それしきのことで体の均衡を失ったり気が動転するようなヤワな鍛え方はしていない。
早足猛牛の体には、鉄の縄が巻き付いている。縄から逃れようと、早足猛牛は濁った雄叫びを上げながら暴れていた。
「ったく、うるせえな」
途端に早足猛牛はビクンと身震いし、動かなくなった。白目を剥いて半開きになった口からは唾液が溢れていた。
「一丁あがりっ」
デルタは、満足してインカムを通信モードにした。
「リーザ、早足猛牛を捕まえたぜ」
--やったわね!!さ、とっとと、そいつを持ち帰ってきてね!!
「アイアイサ」
通信を終了させると、デルタは気絶している早足猛牛のそばに近づいた。
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村の中央、円形の広場。
いつもなら、村人達は畑を耕したり牛や羊を追ったり、農耕・牧畜に精を出しているので、この場所に人が集まることはない。
だが、今日は黒山…とまではいかないが…林くらいの人だかりがあった。
村長は目の前にいる、歳も背も自分の娘と同じくらい小さい女性を睨んだ。
そんな2人を、一定の距離を保って村の男達が輪になって囲んでいる。半数くらいの手には、泥がこびりついた鋤や鍬がある。農作業を中断してやって来た証拠だ。1時間ほど前に山から轟いてきた爆音と太い煙を見て、慌てつつ不審に思いつつ駆けつけてきたのだ…爆音と煙の原因に、それとなく心当たりがあったので。
「見間違えて依頼したものは仕方ないじゃないですか。魔獣に近づけないんですから」
女性は村長を睨み返した。
「いくら近づけないと言っても、早足猛牛をお呑気虎と間違えるなんて杜撰すぎます。捕獲組合との信用問題にも関わるんですよ?ランクBとランクAでは、報償金だけでなく魔獣の強さも桁違いなのです。当方は規定どおり10倍で請求しているだけですわ」
村長の額に青筋が浮かんだ。
「お呑気虎と早足猛牛は体格も毛並も似ているじゃないですか。山で遭遇した人間は、貴女達のように戦闘訓練など受けておりませんので、命からがら逃げてきたんですよ。命の危険を冒してまで、どんな魔獣かを見極めろとでも言うんですか」
村長はお呑気虎と早足猛牛を直接見たことはない。捕獲組合にある魔獣図鑑を目撃者と一緒に閲覧しただけだ。それに、受付窓口のリーダーからは聞き逃せない情報ももらっている。村長は知らないようだが。
交渉や情報戦でこちらを出し抜こうなんて100年早いわよ。
女性は鼻で笑った。
「それならば捕獲組合に、今回の捕獲依頼の前に魔獣判定依頼もお出しになれば良かったのです。それも説明させていただいたはずです。判定料金も、今は組合設立100周年記念サービスで半額にさせていただく、と合わせて申し上げましたわよね?受付窓口で」
村の目撃者は、図鑑を見ながら魔獣を特定する時に、お呑気虎か早足猛牛かで迷っていた。
『村長は目撃者を巧みに誘導し報償金が低いお呑気虎の方へ特定させたがっていた。判定料金を下げていると言うこちらの話に一向に耳を貸さなかった』
受付窓口にいた熟練の職員はリーダーにそう報告し、リーダーはリーザに告げた。
村長は目先の出費を惜しんだ。その結果、捕獲人を危地に送ったのだ。
まあ、アイツは殺しても生き返るようなヤツだからいいけど。今後のことがあるしね。
リーザは追及を緩める気はさらさらなかった。
「魔獣を特定する責任は依頼主側にある、と依頼をなさる前に、組合は責任所在の説明もさせていただきました。それに、捕獲依頼の魔獣は間違いなくお呑気虎かどうかを、5回は念押ししたはずです」
村長の顔が赤くなり言葉に詰まった。女性は長い髪をかきあげて背中へ流すと、口だけで微笑んだ。
「さあ、早くお支払いいただけますか?いただけますわよね?」
「…しかし、まだ捕獲してき」「おーい、ちょっと通してくれや」
なおも言い募ろうとした村長の声を遮ったのは、大きくも小さくもない野太い声だった。人の輪の一部がきれいに割れた。
村人達は声と顔色を失った。
視線の先にあるのは、村の誰よりも鍛えられた筋肉と巨躯の男。無精髭と迷彩服が男を野生的に見せている。
いやソレヨリモ。
自分の三倍はある早足猛牛を、肩に担いでのっしのっしと歩いているその現実。
コレハユメダ。何人かの村人は現実逃避し。
バケモノ。何人かの村人は口をわななかせ…暴言が喉で引っかかったのは、その者達にとっては幸いで。
タノム、コッチミナイデ。大多数は、魔獣出現の時よりも怯えていた。
迷彩服を着た巨漢…デルタはそのまま進み、リーザの隣に佇んだ。
村長は雪のように顔を白くさせたが、我に返って咳払いすると、一つの集団の長らしく肩をそびやかした。
「御苦労様でした。さ、その魔獣を小屋に置いてきて私の家へ来てください。田舎料理ですが御馳走させていただきますよ」
この村長の不用意な発言を聞いて、料理を作った女性達が密かに村長へ向けて剣呑な光線を放った。特に、村長の妻の視線は殺人的だった。
田舎料理だと?味見と称してつまみ食いしまくって元々の分量の3分の1を食べた野郎はどこのどいつさ!
「どうする、リーザ」
デルタは村長と対峙している女性…リーザに意見を求めた。眼を瞬かせているその様子は、妙にあどけない。そう、肩に担がれている、泡を吹いた魔獣さえ視界にいれなければ。
「報償金の交渉がまだ終わってないからダメ…村長、このとおり捕獲してまいりましたわ。いかがです?」
村長の顔が再び真っ赤になった。デルタは、昔食べた紅白饅頭のようだなと、無関係なことを連想した。
村長はしばらくの間、金魚のように口をパクパク動かしていたが、不意に破顔した。
「分かりました…そちらの言い分どおり報償金は1000万エンお支払いします」
リーザは、今度は眼と口両方を笑みの形に動かした。
「ありがとうございます。お互いに信用関係が維持できて何よりですわ」
村長は眼を糸のように細めた。
「…ただ、誠に申し訳ないのですが、差額分を用立てるために、少しお時間をいただきたいのです」
「どのくらいかかりそうですか?」
リーザの顔から微笑みは消えていない。彼女にとっては、村長の申し出は想定内のことだったのだろう。
村長は穏やかに続けた。
「明日の正午までには、なんとかなると思います」
デルタが眼を丸くした。
「ちょっと待っ」「分かりましたわ、お待ちしております」
リーザは素早く返答した。
村人達は、金額が10倍になったことに戸惑いつつも、交渉が和やかに終わったことに幾分安心していた。
だから、デルタの眼が潤んでいることには、村長以下誰も気づかなかった。
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リーザとデルタは、村長の家に泊まることになった。宿屋もないこういう小さな村ではよくあることだった。
しかも、急な泊まり客2人それぞれに部屋を準備できるような部屋数も手間の余裕もない。2人は同室に放り込まれた。
「なんで村長の申し出をOKしたんだ?100万揃えるのがやっとの村に、残り900万エンを用意する手段があるとは思えねえぞ」
デルタは木の床に座り込み、ベッドに座っているリーザを見た。身長差があるため目線の高さは変わらない。
デルタは昼間村長に抗議するつもりだった。1000万エン揃えるのは難しいだろうから、今、出せるだけの金を出せ、と。それを遮ったのはリーザの足蹴りであった。
「ついでにもう1つの依頼を完了させようと思って。ランクはSS。まあ、お呑気虎の方は予想外だったけれどね」
リーザは用意されていたワインに口をつけた。顔を顰めたあと、サイドテーブルに戻す。
「…久々の大物だな。どうやって判明したんだ?」
デルタは上から2番目に強いランクの魔獣の話が出ても眉一つ動かさなかった。むしろ楽しそうだ。
「この前の現場に匂いが残っていたみたい。で、匂いを辿ったらこの村にいきついた、ってわけ…油断したのか、もしくは」
「罠、か」
「そういうこと。なんにせよ、不届きな輩には、きつ〜いお仕置きをしてあげなくちゃね」
リーザの笑顔は、悪戯が成功した子供のようだった。
《後編:異常なしに続く》