表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第三部『公子の能力(ちから)』
8/45

覚醒

「最近、ダンは来てくれないんだね」


 セルフィスが淋しそうな笑顔を、マリスに向けた。

「軍隊に入っちゃうと、なにかと忙しいのよ」


 そう言うマリスは、丸くいくつもの突起の生えた茶菓子を、ポンと口の中に放り

込んだ。


「マリスも卒業したら、軍隊に入るんだったね」

「ええ、そうよ」


 セルフィスは視線を落とすと、溜め息をついた。


「きみたちが羨ましいよ。いつも元気に飛び回っていて、僕よりも年下なのに、

僕よりもたくさんのことを知ってる。僕がもう少し元気だったら、一緒に野山を

駆け巡ってみたいのに……」


 柔らかい緑色の瞳は、弱々しい光を放っていた。


 その瞳を見ているうちに、マリスは決心した。


「セルフィス、外に出てみない? 」


 びっくりした彼は、顔を上げて、マリスを見た。


「だめだよ、そんなの。僕、病気なんだし、それに、見つかったりしたら、怒られ

ちゃうよ」


「怒られたら謝ればいいわ。あなたは身体が弱いんだから、大人たちだって、それ

ほど怒りはしないわ。例え、二度と外に出させてもらえなくなっても、一度は出られ

たんですもの。外の素晴らしさを知るだけでもいいじゃない」


 マリスは、怯えたような目で尻込みしている彼の手を取った。


「一緒に行きましょう、外へ。いつかも言ってたじゃない。自分の病気は、普通の

と違って、あの不思議な力のせいなんじゃないかって。どうしても心配なら、お薬を

持って行けばいいわ。野盗のいるような危険なところには行かないから。

ね? ちょっとだけ、表に出てみましょうよ」


 一度言葉を区切ってから、彼女は続けた。


「例え、野盗が現れたとしても、大丈夫。あたしが守ってあげるから」


 そう言ったマリスのアメジストの瞳は、穏やかにセルフィスを見つめている。


 しばらく、その瞳に見入っていたセルフィスは、ほとんど無意識のうちに、ベッド

から立ち上がっていたのだった。



「さ、早く、今のうちよ」


 さっと駆け出していくマリスの後を、なんとか遅れまいと、セルフィスもついて

いく。


 二人は、庭の植え込みに、素早く身を隠した。


 護衛兵に見つかることなく、小宮殿を脱出した彼らは、庭の仕切りである植え込み

から、森の木々の中へと這い出し、そのまま、目印となる川に向かって走り出した。


 マリスは、セルフィスの歩調に合わせて、普段よりも、速度を落として走る。


「なんだか、すごくドキドキしちゃったよ。きみたち、いつもこんなことしてたの? 

ドキドキしすぎて、心臓が変にならなかった? 」


 セルフィスの上気した顔を見て、マリスは笑った。


「そのドキドキがたまらないんじゃないの。ダンにそれを教わったら、いつの間にか、

やめられなくなっちゃってたのよ」


 彼は、目を丸くして、マリスを見ていた。


 二人は、川岸まで辿り着くと、走るのをやめ、後は歩いて川を下っていく。



「うわあ……! これが、外の世界かあ……! 」


 森を抜けた時、彼の目の前は一気に開け、だだっ広い草原が広がっていた。


 滅多に宮殿を出ることもなく、小宮殿に移動する際も馬車の中で寝ていた彼は、

このような広い場所を目にし、立つのは生まれて初めてのようなものであった。


「こんなに広くて、なにもなくて……ああ! この草原の向こうには、いったい何が

あるんだろう! 」


 上気した頬のまま、セルフィスは、地平線の向こうまで見抜こうと、一心に見つめ

ている。


「町よ。ファレリア通りがあって、たくさんのお店やおうちがあって、森も山も湖も

あって……その向こうには、ベアトリクス城があるの」


 マリスも、地平線の彼方を眺めて言った。


「ああ! ベアトリクス城は、そんなに遠いの? 僕の住んでた宮殿は更に向こうだ

から、そんなにも遠いってことだね。外はなんて広いんだろう! 」


 セルフィスは、静かに興奮して、頬をバラ色に染めていた。


 マリスは、じっと、その様子を見ていた。


「……なんとなく、マリスの言ったことがわかった気がする。護衛兵たちに見つから

ないか、家のものに怒られるのではないかと不安で、庭に出た時は、とってもドキ

ドキしていたけど……そんなのは一瞬に過ぎなかった。今この美しい草原の夕焼けを

見ることができただけで、僕の中の不安なんて、一遍に飛んでいってしまった。

これなんだね? 外の世界っていうのは」


 セルフィスの瞳がマリスをとらえた。

 マリスは微笑して、こくんと頷いた。


「ドキドキした甲斐があったでしょう? そのうち、そのスリルも快感になっていく

わよ」


 いたずらっぽく笑うマリスを見て、セルフィスは笑った。


「ぼくには快感にまではならないだろうけど、ここへ連れてきてもらって、良かった

って思ってるよ。本当にありがとう。感謝してるよ、マリス」


 マリスはセルフィスの笑顔を見つめた。


(……良かった。ちゃんと笑ってる)


 それは、いつものあのどこか淋し気な月を思わせる、老成した笑顔とは明らかに

違い、普通の少年のような、無邪気で明るく、素直な笑顔であった。


「調子はどう? 具合悪くない? 」


「うん、大丈夫みたいだ。例え具合が悪くなっても、ここで、こんなに美しい景色を

眺めていたら、すぐに治ってしまうよ」


 セルフィスはそう言うと、いつまでも夕焼けに見とれていた。



 二人は、もとの道を辿り、森の中を、川の上流に沿って歩いていく。


 その途中、突然辺りが暗くなったと思うと、森の木々がわざめき始めたのだった。


「な、なに? 」


 セルフィスが空を見上げる。


 マリスは彼を留まらせ、油断なく辺りを見回した。


 野盗とは違うが、何かが迫ってくる……彼女の発達した野性的カンとも言うべき

ものが、そう告げているのだった! 


「……何かが来る! 」


 マリスは、セルフィスの前に進み出ると、腰に差していた剣を、すらっと引き抜い

た。


 その時、『それ』は来た! 


 人ひとり分はあろうかと思われる真っ黒な生き物が、地面から、にょろにょろと、

あちこちから沸き上がってきた。


 てっぺんの丸くなったいくつもの支柱が、地面からにょきっと生え、ゆらゆらと

揺れながら、近付く。ずるずると引き摺るような不気味な音を立てて――


「ああ、これは、いったいなに!? 」


 セルフィスがマリスの後ろで、怯えた声を出す。


「わからないわ。でも、こいつらからは、……邪悪な匂いがする! 」


 マリスは目を反らさずに後退(あとずさ)りし、大木までいくと、セルフィスを大木

の後ろへ避難させてから、一番手前の黒い物体に向かって、剣を一薙(ひとな)ぎした。


 しゅぽ~ん! 


 黒い柱は半分になり、飛んでいくと、しゅううっと煙に巻かれ、消えた。


 それを見届けると、マリスは残りの柱をも次々切り伏せていった。


 ずるずると迫って来た柱の魔物は、マリスの剣によって煙となって消えていくが、

その分、後から後から湧いて出ているようで、一向にその数は減らないと思われた。


「いったい、なんなのよ、こいつら! これじゃあ、ラチが開かないわ! 」


 柱を切り飛ばしながらも、マリスはセルフィスをちらっと見る。


 彼は、大木の影から、マリスを心配そうに覗いていた。


 追い討ちをかけるように、新たなものまで湧き始めていた! 


 黒い、大人の人間ほどもある大トカゲやカエル、そして、するどい牙を生やした

魚の形をしたものまでが浮かび上がってきたのだった。


「なっ、なんなのよ、こいつらはっ! 」


 それさえも、次々切り伏せていくマリスであったが、さすがに動揺する。


 と、大トカゲの一匹が、ワニのような巨大な口を開け、炎が勢いよく吹き出した! 


「きゃあっ! 」

 マリスは咄嗟に地面に伏せた。


 炎は次々と吐き出され、森の樹々に燃え移り、木も草もパチパチ言い始めたのだっ

た! 


「なに!? 本物の火なわけ!? 冗談やめてよ! 」


 マリスが起き上がって周りを見渡すと、セルフィスの悲鳴が聞こえた。


 はっとした彼女が振り返ると、彼のいる大木にも、同じようなものが迫っていたの

だった。


 それがわかる前に、彼女は既に駆け出していた。


 叫ぶセルフィスの目の前で宙に浮いている巨大な黒い魚が、牙を剥き、大きく口を

開いて、彼に襲いかかった。


 が、魚の動きは止まった。


 彼の元へ全力疾走していたマリスの目にも、それは、はっきりとわかった。


 次の瞬間、魚の顔は、きれいに斜めに線が入ったように、片側だけずり落ち、その

ままもう片側も、ぐしゃっと音を立てて、地面に崩れ落ちたのだった!


 その背後には、ひとりの人影があった。


「ラン・ファ! 」

 マリスが叫ぶ。


 それは、まぎれもなく、あの女戦士ラン・ファであった! 


「これは、魔物だわ」


 ラン・ファが地面に転がった魚の飛び散った、体液を見て言った。


「魔物ですって!? 」


 恐怖のあまり、茫然と立ち尽くしているセルフィスの隣に来たマリスも、同じく

地面に視線を落とす。


 巨大魚の体液は、どす黒い緑色をしていた!


「久しぶりに、この剣の本来の威力を発揮する時がきたようね」


 その言葉に、マリスは彼女を見上げた。


 柄と刃の根本には、見事な彫刻と大きめの紅い宝石が埋め込まれた、美しい造りの

ロング・ソード――ラン・ファの手には、いつもの剣が握られていた。


「それにしても、なんで、ラン・ファがここに……? 」


 女戦士は、一瞬だけにこりと笑うと、切れ長の瞳を、きりっと引き締めて言った。

「話は後よ、マリス。あなたは公子様をお守りして」


 そう言い終わらないうちに、彼女は化け物たちに向かって、駆け出していた。


 ぐおおおおおうううう! 

 しゃああああああっ! 


 声にならない音を上げ、魔物たちは、次々ラン・ファの剣にかかって、切り裂かれ

て行く! 

 黒い物体は、簡単に真っ二つに別れ、不気味な緑色の血しぶきを上げ、地面に転が

る。


 辺りは、(おびただ)しい量の、黒緑色の血の海と化し、疾風のように駆け巡る

彼女の後には、魔物の屍が、あっという間に、累々と築かれていったのだった! 


 マリスとセルフィスにも、魔物の手は伸びていく! 


 マリスは、ひたすら迫って来る化け物たちを、剣で切り刻むが、ラン・ファと違い、

マリスの倒したはずの魔物たちは、切られてもすぐに切り口同士が引き合い、もとの

化け物となって、彼らに襲いかかるのだった。


(こいつら、次々と復活してるわ! これじゃあ、キリがないわ! )


 しかし、恐怖を感じている間はなかった。


 この人を守らなくては! ――その思いから、マリスはセルフィスを大木と自分の

間に挟み、彼を庇いながら魔物を刻む。


「マリス、後ろっ! 」


 ラン・ファの声にマリスが振り返る前に、セルフィスの悲鳴が響き渡った! 


 マリスが見た物は、セルフィスの身体にまとわりついている、いくつもの黒い影

だった。


 影は、ゆらゆらと形を一定に留めず、炎のように激しく立ち上ってみせたり、人の

手のように、彼の腕を引っ張ったり、身体を撫で回したりしているようだ。


「セルフィス! 」


 マリスが剣で追い払おうにも、影は、剣に触れたところでダメージも恐れもない

ようだった。


 セルフィスの中では、恐怖心が急速に膨張していった。


(夢のとおりだ……! いつも熱が出る時に見るあの夢と同じだ! 得体の知れない

黒い影が、僕を闇の中へと引きずり込んでいってしまうんだ! そして、それは、今、

現実になろうとしている……! )


 彼の(おもて)が蒼白になり、恐怖が彼の心と身体を支配しつくした! 


 セルフィスの柔らかい金髪が、ふわっと逆立つと、突然、暴風が森中を吹き荒れた。


 黒い魔物たちは、次々吹き飛ばされて行き、燃え移っていった炎も消され、マリス

までもが弾き飛ばされた。


「マリス! 」


 ラン・ファがマリスの身体を受け止めると同時に、剣を持っていない方の掌を、

素早く風上に(かざ)した。


 途端に、二人は風の攻撃を浴びなくなった。流れの強い川の中にぽっかり突き出て

いる岩のように、風は行く手を阻まれ、二人の周辺を避けて通っていく。


「なっ、なにっ? 」


 ラン・ファの後ろに腕を引っ張られたマリスは、自分とラン・ファのいる空間と、

魔物が吹き飛んで行く景色とを驚いて見つめた。


「防御結界よ。私の後ろにいれば、一先(ひとま)ずは安心だわ。だけど、私も魔道士

じゃないから、どこまで持ちこたえられるか……」


 マリスを振り返らずに、ラン・ファは前方を見つめたまま説明した。


 マリスはわけがわからず、ただただ周りの様子に見入る。


 魔物の残骸も、何もかもが飛んでいってしまったように思われたが、マリスは前方

を見て愕然とした。


 セルフィスに取りついている黒い影だけは、そこから離れてはいなかったのであった! 


「ラン・ファ、セルフィスの周りにいる、あの黒い影はなんなの!? 」


 マリスの叫ぶような声に、ラン・ファは振り返った。


「ダーク・シャドウ。あれも魔物よ。どうやら、公子様は非常に高い魔力を持って

いたようね。そのため、普段は滅多に魔物などは出て来ないこんな場所にまで、

『彼ら』が誘き出されてしまったのだわ。ダーク・シャドウは魔物としてはたいした

ことはないんだけど、……まずいわ、公子様は、取り()かれ始めている! 」


「セルフィスが魔物に!? 」


 動揺するマリスに、ラン・ファは冷静な表情で続けた。


「恐れや(ねた)み・(そね)み、憎悪――そういった人間の負の心は、最も魔物を

近付き易い状態にさせるわ。恐怖におののいた公子様の心の中に魔物が入り込んだの。

そのせいで公子様の魔力をコントロールする力が利かなくなり、魔力だけがどんどん

暴走を始めているんだわ」


「じゃあ、この風は……セルフィスが起こしているっていうの!? 」


 ラン・ファが無言でマリスに頷いてから、セルフィスに視線を戻す。


「公子様! 目を覚まして! そんな魔物など、あなたのお力をもってすれば、

たあいもないものです! ご自分の魔力で、そいつをはねのけるのです! 」


 ラン・ファがセルフィスに叫ぶが、暴風は一向に止まず、彼の面は、蒼白に引き

()ったままであった。


「それにしても、おかしいわ。あれほどのお方が、なぜ、あんな下等魔族たちを追い

払えなかったのかしら。あんなものにまで取り憑かれるなんて……」


 ラン・ファが少しだけ首を傾げ、独り言を言った。


「セルフィスが部屋の中のものを浮かせてみせたことはあったけど、魔道士の使う

魔法みたいに、炎の術や氷の術なんかを使ったところは見たことなかったわ」


 マリスが不思議そうな顔で、ラン・ファを見る。


 途端に、ラン・ファの顔色が変わった。


「なんですって!? ……じゃあ、公子様は、……『まだ目覚めてなかった』って

いうの!? 」


 マリスには状況が飲み込めず、ただ曖昧に頷いた。


「セルフィスは、いつも具合が悪くて寝ていたの。高熱が続くこともあったわ。

あたしとダンが、こっそり遊びに行くようになってからは、身体の調子の方はいい

みたいだったけど、……彼が言うには、具合が悪いのは病気ではなくて、不思議な

力のせいなのかも知れないって」


 ラン・ファが舌打ちした。


「なんてこと……! 生まれながらにして、あまりにも魔法能力が高いと、重い病と

似た症状になることがあるって聞くけど、……大公家では、それを病気だと判断して

しまって、本来なら神殿に行くものを、療養用に小宮殿を建て、公子様をそちらに

移してしまったというわけね。

 だから、彼は魔力をコントロールすることを、今まで誰にも教わってはいなかった

んだわ! 

 それが、魔物への恐怖心によって、この場で目覚めてしまったのね! 」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ