獣神の召喚
マリスとヴァルドリューズの旅立ちの日が、とうとうやって来た。
世話になったラン・ファに、その朝、二人は、別れを告げる。
「ねえ、ラン・ファも、本当に一緒に行かないの? 」
マリスが未練がましく尋ねるが、ラン・ファは笑って答えた。
「私は、しばらく旅はもういいの。この町に飽きたら、また出かけるかも知れない
けどね。一緒に行かなくても、いつかは、会えるかも知れないじゃない? あなたと
私が、ベアトリクス以外の、こんなところでも会えたように」
ラン・ファがやさしく微笑みながら、マリスの髪を撫でた。
「ねえ、あんたからも、何とか言ってよ、ヴァル」
マリスが隣の彼を見る。
「元気で」
ヴァルドリューズが表情のない声で、ラン・ファに告げる。
その瞳は、穏やかに彼女に向けられていた。
ラン・ファも、にっこり頷いた。
「なにが『元気で』よ。それだけなの? まったく、あんたってば冷たいんだから」
マリスは面白くなさそうに口を尖らせたのだが、彼らの間に流れる微妙な空気を、
彼女の野性的カンともいうべきものが嗅ぎ取り、目だけは、二人を盗み見ていた。
「じゃあね」
ラン・ファが笑顔で、二人に手を振る。
マリスは手を振りながら、ちらっとヴァルドリューズを見上げると、彼も、ラン・
ファに対して微笑んでいた。
ラン・ファの姿が見えなくなった頃、マリスは、遠慮がちに、彼を見上げて切り
出した。
「……ヴァルでも、笑うことってあるんだ……? 」
「悪いか」
ヴァルドリューズは、いつもの無表情に戻って、彼女を見下ろす。
「別に、悪いわけじゃないけど……。ただ、笑うと、結構いいカオしてるなーって、
思っただけ」
「……」
マリスにそう言われても、相変わらず、彼は無反応であった。
彼女は、懲りずに続けた。
「あたし、ラン・ファには、カッコよくて逞しい戦士が似合うって、ずっと思ってた
んだ。ひ弱な魔道士なんて、絶対似合わないって。だけど、あんたと彼女が並んでる
のを見てたら、結構いい線いってるじゃないって、気がしてきたんだー。あんたたち、
意外にお似合いかもねえ。ラン・ファもヴァルのこと、嫌いじゃなさそうだったしさ。
……ねえ、ヴァル、もしかして、ラン・ファのこと、好きだったんじゃない?
あたしの知らない間に、な~んか、あんたたち、仲良くなってない? 」
彼女のにんまりした目にも、やはり、彼は何も答えない。ひたすら、真っ直ぐ歩き
続けている。
マリスの方も、彼に対して、これまでのように怖い印象は、大分薄れてきていた
ので、親しみ易い口調になっていた。
「あ~あ、強くて、綺麗で、やさしくて、ラン・ファは、やっぱりカッコいいなー。
あんたみたいなカタブツ魔道士まで虜にしちゃうなんてさー。どうやったら、
あたしも彼女みたいになれるのかしら」
伸びをしながらそう言うマリスに、ヴァルドリューズは珍しく、クスッと笑った。
「お前は、お前でいればいい」
マリスは、ムッとして、彼を振り返った。
「それって、あたしには、彼女のようになるのは、無理ってこと? 」
「お前に無理は似合わない」
「なによ、やっぱり無理ってことじゃないの。急に、キザッたらしい言い方なんか
しちゃってさ! やっぱり、ラン・ファに教育されたのかしら? 」
冗談ぽい口調でそう言ったマリスの頭を、ヴァルドリューズが、コツンと軽く小突
いた。
(少しは人間らしくなったのかしらねー……? )
マリスは、ヴァルドリューズの、どこか紅潮したような顔を、ちょっとだけ嬉し
そうに見つめたのだった。
ある山の中で出くわした大きな魔獣ーー巨大なサルの化け物が、人間の五倍以上も
ある高さから、二つの不気味な赤い目で、見下ろしている。
それは、マリスとヴァルドリューズが、一緒に旅をするようになって、初めて出会
った大物であった。
「いいか、『サンダガー』の召喚に失敗すれば、行き場のなくなった強大な魔力が、
我々に逆流し、かえって、こちらのダメージとなる。そうなれば、我々に勝ち目は
ない」
「わかってるわ」
二人は、暴れて木を叩き倒している猛獣の拳を、ひらりと飛んで、躱しながら、
タイミングをはかる。
「落ち着いていくのだ、マリス。お前なら、きっとできる……! 」
ヴァルドリューズが、マリスに見せたその瞳の真剣さで、マリスは、彼が自分を
信じていることを感じ取れた。
彼女も、真剣な、だが勝ち気な瞳で、彼に頷いてみせてから、『全身浄化』の呪文
を唱える。
彼女の身体を、足元から出て来た白い煙が覆う。それと同時に、彼の方も、魔神の
力を借りた呪文を唱える。
巨大サルは、もうそこまで来ていた。
その時ーー
ヴァルドリューズの手の中に出来た、金色の三角形の光が、マリスの身体に当て
られた。
みるみるうちに、彼女の身体は、金色の強い光に包まれ、膨張していく。
その眩しさのあまり、魔獣は目が眩み、毛だらけの太い腕で、顔を覆った。
(なっ、なんて凄い威力なの!? これが、獣神『サンダガー』!? 」
それが、『彼女の意識』が、身体の中で感じた感想であった。
次の瞬間、マリスの意識は、『ウラ』へとまわっていた。
金色の光が多少収まると、そこには、巨大サルと同じ大きさである、黄金色の甲冑
に身を包んだものが存在していた、
金色の長い髪を、たてがみの如くたなびかせ、彫刻のように美しく整った顔は、
目付きが悪く、牙のような八重歯を見せて、笑っている。
全身が黄金の神々しい姿にあるまじき、邪悪さを感じさせる笑いであった。
「ふははははははは! やーっと俺様の出番だぜー! 」
そのものは、闇に、その声を轟かせた。
『彼』は、得意気に、手を腰に当て、仁王立ちになった。
「大変長らくお待たせしやがって、俺様も、いい加減、待ちくたびれちまったぜ! 」
『だったら、早く出てくりゃいいじゃないのよ! 』
マリスの声が、どことなく響いてくるが、彼は、そんなことには、かまいはしなか
った。
「せっかくだから、自己紹介しておくか! 」
獣神は嬉しそうに拳を振り上げた。
『きゃーっ! 何言ってんのよ、こんな時に! 誰も見てないんだから、そんなこと
しても無駄でしょーっ! 』
「ふふん。何とでも言うがいい。今は、この身体は、俺様のものなんだから、何しよ
うと俺様の勝手だ」
にやにやと笑って悦に入った獣神は、大声を張り上げた。
「何を隠そう、この俺様が、伝説のゴールド・メタル・ビーストの化身獣神サンダガ
ー様なわけさーっ!! はーっははは! 」
『……だから、誰も聞いてないってば! 』
マリスの呆れた声が響くが、獣神はおかまいなしである。
「そして、これが、俺様の、初の獲物ってわけか」
彼は、じろりと巨大サルを見て、にやりと笑った。
サルは、先程から威嚇するように、低い唸り声を上げて、彼の周りをうろうろして
いた。
「それでは、見せてやろう。この俺様の力を……! 」
巨大サルに向かい、彼が片手を向ける。
その時、はっとしたヴァルドリューズが、後ろにいる、連れである金髪の傭兵と、
自分を取り囲むように、防御結界を張った。
ピカッ!
バリバリバリバリ……!
それは、一瞬であった。
サンダガーのてのひらから走った、一筋の黄金の電光が、巨大サルの身体を貫いた
とともに、突き抜けた余波が、樹々に走っていき、物凄い地響きとともに、樹々は、
一気に燃え盛ったのだった。
「ほ~ら、すごいだろう! 」
サンダガーは、ぐしゃりと崩れ落ちた、サルの肉塊を、顎でしゃくった。
『まだよ! この辺に、異次元の通路があるはずだわ! それを潰さない限り、
こんなような魔物がどんどん吹き出てしまうのよ! 』
マリスの声が一旦途切れる。
『あった! あそこだわ! あそこに、黒い大きな穴が見える。獣人のような魔物が、
出入りしているわ! 』
「どこだ? 」
マリスの声に、サンダガーは腕を組んで、足を踏ん張ったまま、きょろきょろする。
『だから、あそこよ。あの少し高くなった丘の上だわ。ふざけてないで、あの『通路』
を塞いでよ! 』
「あんなとこまで行くのかよ。ちぇっ、しゃらくせえっ! 」
腰に差していた剣を引き抜いたサンダガーは、マリスの示す方向へと、剣を軽く
一振りした。
すると……
ピシャーン! どごどごどごどご……!
『きゃああああっ! 』
マリスの悲鳴は、轟音とともに、打ち消された。
ヴァルドリューズも、結界の中から、目を凝らす。
轟音の後は、もくもくと、煙があたりに立ち込めていて、よくは見えない。
煙が引いていくと、そこに立っているものは、黄金の甲冑の戦闘神『サンダガー』
のみであった。
それどころか、今まで生えていた草も木も、巨大サルの肉塊も、樹々に燃え広がっ
ていた炎も、なにもかもが一瞬にしてなくなり、禿げた地面がぶすぶすと焦げ、煙を
吐いているのであった。
『……なんて凄い威力なの……! 』
マリスの意識が、ぼう然と呟いた。
ヴァルドリューズも、これほどの力とは思わなかったようで、その一変してしまっ
た風景に、目を見張っていた。
「どーだ、すごいだろー! はーっははは! 」
サンダガーは、さも得意気に腕を組み、豪快に笑っていた。
『バカーッ! あんた、やり過ぎよー! どうすんのよ、これー! 町の人たちが、
驚いちゃうじゃないのー! 』
暗闇の空に、マリスの声が響き渡る。
「そんなの知ったことかよ。次元の穴は、これで塞がったし、魔物も一遍にいなく
なっただろ? 」
『だからってねー、あんた、やっていいことと、悪いことが、あんでしょー! 』
「ふん。てめえに、そんなこと言われる筋合いはねえよ! 」
『なんですってー! 』
二人の罵り合いに呆れながらも、ヴァルドリューズが、マリスに叫ぶ。
「マリス、早くもとに戻るのだ」
『あっ、そうだったわ! 』
足の先までもが甲冑ずくめの『サンダガー』の足元から、白い煙がしゅうしゅうと、
沸き出した。
「うぎゃあああああああ! 」
その煙に包まれた途端、サンダガーが絶叫して、頭を抱え込んだ。
『さあ、交代よ! 』
「いやだあ! 戻りたくねえ! 俺様は、もっと遊ぶんだー! 」
サンダガーの身体は、抵抗するまでもなく、小さく縮んでいき、白い煙が晴れた時
には、元通り、マリスが、そこに立っていたのだった。
ヴァルドリューズの結界が、解かれた。
「ヴァル! 」
マリスが笑顔で駆け出し、ヴァルドリューズに飛びついた。
「とうとう出来たのね! じいちゃんの考えた魔法が……『サンダガー』が……! 」
マリスは、彼の胸の中に、顔を埋めた。
その行動に、思わず戸惑い、一瞬、どう扱っていいかわからなかった彼も、さすが
に、この時ばかりは、いくらかぎこちなくはあったが、マリスを抱きしめたのだった。
『女の子には、やさしくね』
ラン・ファの言葉を、彼は思い出していた。
「マリス、……よく頑張ったな」
彼の口からは、短く、平坦ではあるが、温かみのある言葉が流れた。
マリスは顔を上げ、嬉しそうに、瞳を輝かせた。
「これからも、よろしくね。ヴァル」
再び彼に抱きついたマリスは、ふと、彼の後ろで、尻餅をついている金髪傭兵の
ことを思い出し、彼に近付いた。
「ジェイク」
傭兵は、目の前で屈んだマリスが声をかけると、びっくりしたように身体を震わせ
た。
「もう大丈夫よ。魔物はやっつけたわ。これからも、あたしが、ずっとずっと、
あなたを守っていってあげる! 」
マリスは、ジェイクを抱きしめた。
「これで、晴れて、あたしは、あなたの恋人になれるわ! 」
嬉しそうに言うマリスを、ジェイクは怯えるように突き放した。
「……こんな恐ろしい女だったとは……! 」
やっとのことで、それだけを口から押し出すと、彼は、一目散に走って、どこへ
ともなく逃げていった。
唖然としてそれを眺めていたマリスは、彼の姿が見えなくなり、しばらくしてから、
我に返った。
「なによ、失礼しちゃうわね! なにが『俺は、お前と、どこまでも一緒だ』よ!
やっぱり、あいつは女ったらしだったのね! 真に受けたあたしがバカだったわ。
もう男なんか、信じないんだから! 」
マリスは腕を組んでぷりぷり怒って言ってから、付け加えた。
「ああ、あなたは別よ、ヴァル」
マリスはヴァルドリューズを振り返ると、素直に笑った。
彼の方も、僅かに、その瞳を和ませる。
その時、マリスは、なんとなく感じ取った。
二人の間に信頼関係が生まれたからこそ、獣神の召喚が成功したのではないか、と。
そして、それは、彼女の相棒であるヴァルドリューズも、同時に感じていた。




