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『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第十三部『逃亡と修行』
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公子の決断

 ある夜、ベアトリクス城下町が、ひっそりと寝静まっている頃、公子は母の部屋を

訪れていた。


「ああ、セルフィス、もっと近くに寄ってちょうだい! 」


 エリザベスは、ベッドサイドに座る彼を引き寄せた。


「お母様は、今夜も眠れそうにありません。目を閉じるだけで、あの恐ろしい光景が、

すぐに甦ってきてしまうのです! 」


 彼女の目からは、はらはらと涙がこぼれ落ちていた。


「お母様、大丈夫ですよ。だいいち、彼女は、もうこの国にはいないと、宮廷魔道士

たちが言っていたではありませんか」


「でも、いつまたわたくしを殺そうと現れるか、わかりません。あの悪魔のような

娘は、黒い魔物に取り憑かれているのです! 」


 エリザベスは嗚咽した。息子は、母親を落ち着かせようと、やさしく背を撫でる。


「お願い、セルフィス、ずっとついていてちょうだい。わたくしが眠るまででいいか

ら。お願いよ。あなたがいなくては、お母様は、恐ろしくて、恐ろしくて……! 」


「わかっていますよ。僕が、ずっとついてます。いつものように。だから、お母様は

安心して眠ってください」


「ああ! あなたは、なんてやさしい子なの! あなたが無事でなによりです。良か

った、あの悪魔の申し子に、あなたを引き渡さずに済んで! あの娘はとうとう本性

を現したわ。あなたを騙し、捨てて出ていったのです……! 」


 母は、毎晩、息子に同じことを繰り返し言っていた。

 息子は憐れむような目で彼女を見つめると、ふいに、やさしい口調で語りかけた。


「さあ、お母様。もういい加減、悪い夢から、目をお覚ましになってください。こん

なに国中探しても彼女は見つからないのです。あの時のように、彼女が黒い(もや)

を使って空を渡れるのなら、もうとうにこの国からいなくなっていることでしょう。

国の中ばかり探しても、これ以上は無駄です。そろそろ、ミラー伯爵を牢から出して

あげましょう。あれから数ヶ月も経つのに、一向に、彼女らしい人物を見掛けた者は

いないし、ミラー家の方々も(かくま)ってはいないみたいですし、伯爵は、本当に、

彼女の居所を知らないのじゃありませんか? 」


「……そのようね。もともと、あの娘を誘き出すために、彼を牢に入れただけですか

らね。あなたの言う通り、彼らは、本当に、彼女の居場所を知らないようね」


 エリザベスは少し落ち着きを取り戻し、ベッドに横になった。


「その件は、僕が処理しておきますから、お母様は、もう安心してお眠りください。

これ以上、国民をお疑いにならずに、他の手を考えましょう。反逆者は、絶対に報い

を受けなければなりません」


 静かに見下ろす息子の柔らかい金髪を、彼女は愛おし気に触れる。


「やっと、あなたもその気になってくれたのね? セルフィス。やっと、あの子を

諦めてくれるのね? そうよ、あの子は、あなたを裏切り、ライミアの王子と手を

組んで、この国を攻めるのだと、彼女自身の口で言ったのを、わたくしは、はっきり

と見ましたし、他の宮廷魔道士たちも、証言してくれています。あのような裏切り者

と結婚してしまう前で、本当に良かった! そうでなくては、今頃あなたと彼女は

結婚し、もしかしたら、お母様の代わりに、あなたが殺されそうになっていたかも

知れません。そう考えただけで……おお! なんて、恐ろしい! そんな恐ろしい

ことが起きてしまえば、お母様は気が狂ってしまいますわ! わたくしが代わりに

刺されて良かったのです。あなたがこのような目に合わなくて、本当に良かった! 」


 静かに微笑んで母の手を握る彼に、母は念を押すように問いかけた。


「彼女との婚約は、破棄していいのですね? 」


 エリザベスの眼差しが、真剣に彼をとらえている。


 彼は、一瞬、躊躇(ためら)うように黙っていたが、そのうち小さく頷いた。


「ああ、良かった! あなたは、ちゃんと悪を見抜けたのですね! それでこそ、

後の王にふさわしいお人です! 」


「やっと安心して頂けましたか? 」

「ええ、ええ! これで、もう今夜は眠れますわ! 」


 母は嬉しそうに、微笑んでいる息子を見つめた。


「セルフィス、おやすみの挨拶をしてちょうだい」


 彼は、母の頬に口づけた。彼女は愛おし気に微笑むと、しばらくして深い眠りに

ついた。


 完全に彼女が眠ったのを見届けると、彼は、そっと部屋から出て行った。




「公子様」


 公子の自室に戻ってから、彼の側付きである魔道士の青年が、早くも結界を張った。


「どういうことです? なぜ、婚約を破棄するなどとおっしゃったのですか? 」


 魔道士は、細い目を少しだけつり上げて問い(ただ)すが、公子は何も答えなかっ

た。


「あなたは、本当は、今でも彼女のことを……それなのに、なぜです? 」


「彼女は、この国では反逆者だ。これ以上、僕の婚約者としているのは、おかしいと

思っただけだよ」


 公子の淡々とした返事に、魔道士は黙ってしまった。


 遣る瀬ない思いが、彼の主人を見つめるその瞳にだけ、現れている。


(……そんな……! 俺は、間違っていたというのか? セルフィス様だけは、

マリス様の味方だと信じていたのに……彼は、既に、国王代行の傀儡(くぐつ)

なってしまったのか!? )


 ふいに、公子が真剣な表情で言った。


「ギルシュ、今から、牢へ向かうよ」


「えっ!? 今から? しかも、公子様自らですか!? 」


 魔道士の青年は驚いていた。それには構わず、セルフィスは早足で回廊を進む。

ギルシュも、慌ててその後を追った。




 罪人たちの捕われた牢獄の前に、黒いマント姿の二人が、空間から突然現れる。

 彼らは、牢の中を進んで行き、やがて、ひとつの部屋の前で、立ち止まった。


 その部屋は、他の牢と違い、広く、整った部屋であった。

 その中で、寝台に横になっている人物が、人の気配に、ゆっくりを身を起こした。

 白髪の混じった金髪の、顔にも少し皺が見られたが、その眼光は、昔といくらも

衰えてはおらずに険しく、格子の外の、黒マント二人に注がれていた。


「ルイス・ミラー白龍将軍ですね? 」


「何者だ? 」


 黒マントの一人が、フードを下ろした。


 柔らかい金髪に、やさしげな緑色の瞳、整った顔立ちーー牢には似つかわしくない

美しい貴族の青年の顔であった。


「公子殿下……! 」


 ルイスは寝台から跳ね起きると、格子に近寄り、跪いた。


「母があなたをこんなところに何ヶ月間も閉じ込めてしまい、僕も、ずっと心を痛め

てきました。だけど、もう大丈夫です。母の許しが出ました。あなたは、明日にでも

釈放されます」


 ルイスは呆気に取られて、彼の顔を見つめてから、はっとしたように言った。


「それでは、……マリスが……! 」


 セルフィスは、首を横に振った。


「まだ見つかりません。ですが、あなたがたが彼女をかくまったり、密かに連絡を

取ったりということはないと判断されたのです。一刻も早く、あなたに謝りたくて、

こんな夜中に起こしに来てしまったことを、お許し下さい。そして、どうか、僕や

母を許してください」


 セルフィスが、ルイスの手を握った。


「もったいないお言葉でございます、公子様……! 私は何の恨みも抱いてはおりま

せん。こうして、誤解が解けただけで、充分でございます」


 ルイスは、一層低く頭を下げた。




 牢から城へと戻る道中、空中を飛んでいる際に、セルフィスが言った。


「ギルシュ、ここなら、誰にも聞こえないかな? 」

「はい。私の結界の中でありますから」


 セルフィスは、しばらく黙っていたが、思い切ったように口を開いた。


「マリスは、母を刺してなんかいないと思うんだ」


 突然の告白に、ギルシュは驚いた。


「騒ぎを聞きつけて、僕たちが母の部屋に踏み込んだ時、確かに、マリスの持って

いた剣には血がついていたし、彼女が剣を持っていたこと自体、充分不審ではあった

けど、僕は、母を、この手に抱きかかえた時、ふと思ったんだ。マリスの持っていた

のは、ロング・ブレードだった。男の騎士が持つような、あんな大きな剣で刺した

割りには、母の傷は小さかったように思えるんだ。かと言って、切り口は深そうだっ

たけど」


 ギルシュは黙って、そのまま彼の話を聞いていた。


「それに、マリスは、そんな子じゃない。あの子は、本性を巧みに隠せるような子

じゃないのは、きみだってわかってるだろう? 陰謀を企てたり、小細工をしたり、

そんなことに興味はないだろう。昔、ダンが言ってたんだ。彼女は、作戦もなく、

敵の中に、堂々と、自分から突っ込んでいくんだって。きみも、ナハダツ王国との

戦いの時に、彼女の戦い方を見たんだろう? その時は、どうだった? 」


「はい。マリス様は、その時も、騎士たちへの司令はそっちのけで、ご自分だけで

敵国の兵に斬り込んでいき、見事に勝利を収めていらっしゃいました」


 ギルシュも、少し嬉しそうに答える。


 セルフィスが微笑む。


「母とマリスの間に何が起こっているのかはわからないけれど、母は僕を彼女から

引き離そうとしているような気がする。ライミアの王子と共謀して、この国にけしか

けるという彼女の声を、僕も聞いて、あれはどういう意味なのかとか、なぜ剣を所持

していたのかとか、他にも不審な点は多いけど、僕は、マリスを信じることに決めた

んだ」


「……では、なぜ、姫様との婚約を取り消したのですか? 」


 そっと、気遣うように、ギルシュは尋ねた。


「ああでもしないと、母は、僕を信用してくれないでしょう? 彼女に未練のある

僕の言うことは、すべて、彼女に肩入れするように聞こえてしまうだろう。僕は、

ルイス将軍を助けたかったんだ。彼女の育ての父である彼を。婚約破棄は、身を

切られるような決断だったけど、……何度考えても、そうするしかないと思ったんだ」


 ギルシュは、改めてセルフィスを見た。

 せつなそうな瞳のセルフィスだが、ギルシュを見て、にこりと笑った。


「母が彼女を見つけ出す前に、なんとか僕たちで彼女を探し出すんだ、ギルシュ。

誰にも怪しまれないように、反逆者を捕えて処刑するという名目でね」


「公子様! 」


 ギルシュは、こみあげる喜びを、魔道士の顔にしては珍しく、満面に現した。




 その町は、静かに眠っていた。石造りの家が建ち並ぶ。最後まで残っていた家の灯

りも、とうに消えていた。


 町外れの森の中は、果てしなく広がる闇よりもさらに黒い

闇が、人とも獣ともつかぬものとして、そこに存在していた。


 ひとりの少女が、その中を駆け抜けていく。


 手には長剣が握られているが、彼女の目的は、闇の魔物たちではないらしく、剣を

振ることはなかった。


 黒く、形もはっきりとしない妖魔たちは、彼女に襲いかかる瞬間を決めかねている

ようで、近付いたり、離れたりを繰り返す。


 少女の口元が、僅かに動いた。何かを呟いているように。


 しかし、何も起こらなかった。


 闇たちは、一斉に、彼女目がけて襲いかかった。


 少女は剣を一振りする。それに触れた魔物たちは、おそろしい叫び声のようなもの

とともに消滅していく。


 彼女の唇は微かに動くが、またしても何事も起きず、あっという間に、襲いかかる

魔物たちに呑まれてしまった。


 少女は、闇の魔物に身体中覆われ、息も出来ずにいた。剣ひとつだけでは、もう

払い切れなかった。


 その様子を見ている者がいるとすれば、彼女が、魔に喰われる瞬間だと思ったに

違いない。


 そこへ、突然、どこからともなく、銀色の光が差し込んだ。


 光は、みるみる幅を広げ、魔を照らしていく。使い魔たちは、おぞましく吠える

ような悲鳴を上げ、その光に消されていった。


 魔たちが消え失せると、銀色の光は、少女の姿を照らし出した。


 光を発していたのは、黒い衣服に身を包んだ男のてのひらであった。肌も浅黒く、

つやのある黒髪の、その男自身が闇を象徴するかのようだ。


 男は、ゆっくりと、倒れている少女のところまで来ると、足を止め、じっと見下ろ

した。

 碧く、静かな瞳であった。


「……うっ……! 」


 失いかけていた意識を取り戻した少女は、手をついて身体を起こす。

 肩で荒く息をし、全身に冷や汗を流していた。


「まだまだだ」


 男の冷淡な声が、彼女に当てられる。

 少女は、まるで憎むような目付きで、彼を見上げた。


「あんた、あたしを殺す気!? 」


 対する彼は、無言で、彼女を見下ろしているだけである。


「あんたが、あたしの白魔法さえ封じなければ……いいえ、それだけじゃないわ、

あたしの魔力も抑えなければ、あんなやつらは、このあたしに簡単には近付くこと

さえできないのに! 」


 彼女は、そこで咳き込んだ。

 彼が口を開く。


「お前の魔力を、今以上に高めなければならぬのだ。そうでなくては、獣神の召喚は、

到底無理だ」


 何の感情も含んでいない言葉であった。


「魔力なら、ベアトリクスを出て来てから、かなり上がったわ! ゴドーにも分けて

もらったし、イメージ・トレーニングだってしてんだから! 」


「では、なぜ『全身浄化』の呪文を唱えられないのだ」


 男の質問に、一瞬、彼女は口を噤んだ。


「……唱えたわよ。だけど、……出来なかったのよ」


 しばらくの間、沈黙が流れる。

 夜の闇の中は、静まり返っていた。


「わかったわよ! どーせ、あたしの修行が足りないって言うんでしょ! 」


 沈黙に耐えられなくなった彼女は、そう言って立ち上がった。


「マリス、これから、朝にかけて、瞑想するのだ」


 男は抑揚のない声で言うと、闇の中に消えていった。


「わかってるわよ。あたしには、そうするしかないんだから……」


 少女は、男の消えた後で、そう呟くと、足を組んで座り、固く目を閉じた。




 眠りから冷めた町は、人の出も多く、活気に満ちていた。


 荷馬車を引く商人、野菜や果物、ちょっとした食べ物などを売る露店が、道の両端

に並ぶ。


 町の中央には、どの町でも見掛ける大きな噴水があり、そこでたわむれている子供

達や、仲の良い男女の姿が見られた。


「見て、ジェイクだわ! 」


 町娘のひとりが、細い路地から現れた一人の男を指さした。


 背が高く、がっしりとした鍛え上げられた筋肉は、衣服の上からでもわかり、男が

傭兵であることは見当が付く。短い金髪の、少し目尻の上がった切れ長の目は、純粋

さとは程遠く、抜け目のなさそうな、少し(ひね)くれているような印象を受ける。


「ジェイク! 戻ってきたのね!? 」


 そこにいた数人の娘たちは、それをきっかけに、彼に群がっていった。

 娘たちが、頬を染めて、男を見上げる。

 彼は微笑んでみせた。


 そこへ、通りかかった二人の男女に、彼は、ふと目を留めた。

 男の方は並の男たちよりも背が高く、肩よりも長い黒髪に、全身を黒いマントで

覆っている。浅黒い顔は彫りが深く、東洋の血筋のようだが、碧い眼をしていた。

 西洋人から見ると、東洋人の年齢は外見からは判断がつかないが、それが魔道士で

あることは、一目瞭然だった。


 その少し前を歩く少女に、非常な興味を抱いたように、傭兵の目は、釘付けに

なった。


 少女は、きりっとした紫色の瞳を、まっすぐ前に向けている。一瞬、赤毛かと思う

くらい、その肩よりも伸びた茶色の髪は、日の光を浴びて、オレンジに輝いていた。


 かなり整った顔立ちの美しい少女であったにもかかわらず、意外なことに、平民の

少年が着るような皮のチュニックを身に付けており、更に、腰には剣まで差している

のだった。


(……女剣士か)


 彼としては、女性の剣士を特に珍しいと思ったわけではなかった。傭兵たちの中に

は、時々女性もいた。


 彼が、その少女に目を留めたのは、その少年のような格好と、彼女の雰囲気とが、

あまりにもそぐわないものであったと感じ取ったからであった。


(男モンの服を着てる小娘にしては、珍しく、どこか気品のようなものまであるよう

な……? )


 そのうち、彼らはすれ違った。その時、少女も、ちらっと男を見た。

 一瞬だけ、二人の視線がぶつかったが、彼女の方は、何の感情もない視線を、すぐ

に前方へ戻す。


「ジェイクったら、何をよそ見してるのよ」


 娘たちは、傭兵の腕に絡み付くと、そのまま食堂へと連れ込んでいった。


 食堂では、例の少女と魔道士が、隅の方の丸いテーブルについた。


 傭兵と町娘たちは、そこから離れたところに席を取った。


「ねえ、旅のお話、聞かせてよ」

「まあ、待てよ。せめて、注文くらいさせてくれ」


 小鳥のように騒ぎ立てる娘たちに、男はまんざらでもなさそうに、にやにやと笑い

ながら、店の従業員に料理を注文する。


「無事に帰ってこられたお祝いに、私たちがごちそうするわ」

「えっ、ホントかよ!? いつも悪いなあ! 」


 その一角だけが、わいわいと賑やかであり、他のテーブル客たちは、黙々と食事を

していた。


『まあ、なにかしら。あんなに女の子たちを(はべ)らせて、デレデレしちゃって』


 テーブルに並べられた野菜のスープ、パン、サカナを香草で包んで焼いたものなど

を食べながら、マリスは、ヴァルドリューズに心の中から語りかけていた。


 彼の方は、特に反応もせずに、食事を続ける。


『それにしても、……どの町も、どの町も、庶民の食事って、こんなに祖末なもの

しかないの? 皆、可哀想ね』


 そこに並んでいるものは、少なくとも、その町の人々にとっては、ご馳走である。


 ベアトリクスを出てから半年が経過していたが、訪れる町で見る食事は、どこも

似たり寄ったりであった。

 生まれた時から、先進国の貴族の食事と、城での最高級の食事に慣れていたマリス

には、不憫(ふびん)な食事にしか映らなかった。


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