二人の使命
その部屋は、暗幕が降りていて、一筋の光も、外からは入らない。
暗闇の中に、三人は集まると、老魔道士が、入り口のカーテンを閉めたので、そこ
は、僅かな光さえもない暗闇となった。
ただひとつ、部屋の中央にある、丸い球がうっすらと光り始め、それだけが
そのまま宙に漂っていた。
「これは、水晶球ね? 」マリスが面白そうに球の中を覗き込んだ。
「よいか、マリス、ヴァルドリューズ。これから、この球に映るものを、しかと見届
けるのだぞ」
老魔道士は、今までマリスの前では見せたことのない厳かな雰囲気で、そう言った。
マリスが、じっと球の中を見つめると、何かがぼやぼやと映し出される。
それは、魔物の大群がある一国を襲っている、恐ろしい光景であった。
空は夜の闇の如く、真っ黒に染まっている。目を凝らすと、一匹ずつ魔物が折り
重なったものであった。
黒い雨が、ある城に降り注いでいるよう見えたのも、すべて魔物の姿である。
「……ああ、なんなの、これは……! 」
マリスが水晶球から目を反らさずに、反射的に後ずさりして、言った。
「ヴァルス帝国じゃ。これほどの大国が、三日にして、魔物たちの手によって滅びて
しまったのじゃ。唯一の生き残りであるこの国の最後の王子が、魔法剣の使い手に
選ばれたため、魔物ハンターとなって、魔物退治の旅を続けたのじゃ。今も、その
魔法剣は伝承されておるようじゃ」
「魔法剣……? 」
マリスは、おそるおそる老魔道士の、暗闇での一層不気味な彼のただれた顔を、
覗き込む。
「これが、その王子が、魔法剣を使っているところじゃ」
マリスは、水晶球に、再び注目した。
金髪の、王子の風格を持つ青年が、宝飾の素晴らしい剣を一振りすると、そこから
銀色の光が波打って、魔物へ走って行き、それを浴びた魔物は、苦しそうにもがき
ながら消滅していったのだった。
「綺麗な剣ねえ……! それに、すごい術だわ! これって、魔法の呪文を唱えなく
てもいいの? 」
老魔道士が頷くと、マリスは、羨まし気に、球の中の剣を見つめた。
「いいなあ。だったら、あたしの呪文をマスターしたあの労力は、いったいなんだっ
たのかしら」
「次は、こちらじゃ」
水晶球の中の景色は、一変した。
「まあ、随分無骨な甲冑ねえ。いったい、いつの時代なの? 」
荒野の中を彷徨っている、ひとりの青年が映っていた。がっしりとした体格の上に、
重そうな、錆びた鉄の甲冑を着込んでいる。
「およそ、四、五〇〇年前じゃろう」
「ふうん……」
その彼の前に、巨大な魔物が立ちはだかった。
青年は、背から剣を引き抜いた。
「なんなの!? あの大きな剣は! 」
それは、マリスのそれまでに見たことのない、平たい鉄にしか見えない、大きな剣
であった。大きいあまりに腰に差すことが出来なかったのだと、マリスには、わかっ
た。
水晶球の中の男は、充分に間合いを取ると、飛び上がり、魔物の頭上に剣を振り
下ろした。
人の三倍はあろうかと思われた巨大な魔物は、いとも簡単に崩れ去った。
「……すごい……! 」
「これは、バスター・ブレードという剣じゃよ。この世で最強の剣とも言われておる」
「バスター・ブレード……! 」
マリスは、その多少無骨とも思えるような造りの、その大きな剣を、溜め息を吐い
て、眺めた。
ゴールダヌスは、いろいろな時代に活躍した魔法剣や伝説の剣を、その水晶球に
映し出し、見せた。それを、ヴァルドリューズは冷静に、マリスは食い入るように
見つめていた。
そして、最後の映像であった。
球には、ひとりのまだ若い男が映っていた。マリスと、たいして年の変わらなそう
な少年である。
彼の腰には、普通の、特に目立った装飾のないロング・ソードが差してある。
「あら、随分、若い剣士ね。時代的にも、今まで見た中で、一番古いみたい」
「これは、マスター・ソードと言って、やはり伝説の剣なのじゃ。ワシも、この少年
の戦いを、この水晶球で見て来たのじゃが、どうも、この剣だけは、再び思い起こ
そうとしても、この球に、うまく念写することができない。なんとなく、神のベール
のようなもので、ガードされてしまっているような、そんな気がするのじゃ」
「へえー、こんな普通にしか見えない剣がねえ……。戦いぶりが見られないのは、
残念だわ」
マリスは、つまらなそうに肩をすくめた。
二人は気付かなかった。
ヴァルドリューズの瞳は、彼にしては意外にも、その普通のロング・ソードのよう
な剣に、興味を示していた。
「今まで見た中では、あのバスター・ブレードとかいうデカい剣が気に入ったわ。
あたしに、あれをくれるの? ゴドー」
マリスの瞳が輝いている。
「そうではない。伝説の剣は、皆、自分で苦労して手に入れているものなのじゃ。
欲しかったら、自分で取りに行かねばならぬ。じゃが、残念なことに、お前の気に
入ったというバスター・ブレードは、もう十五年以上前に、誰かが手に入れてしまっ
たようじゃ」
「……そうなの」
マリスは、がっかりして肩を落とす。
「じゃあ、他の剣は? 」
「まだ見つかっていない伝説の剣も多いはずじゃ」
「ふうん、じゃあ、どれにしようかなー。苦労しなくちゃ手に入らないんでしょう?
面倒ねぇ。……そうだわ! さっきの、あのショボい剣、あの普通のロング・ソード
みたいなヤツ、あれだったら、持っていたのは若い子だったし、それなら、あたしに
もゲットできるかしら! 」
マリスがひとりで嬉々としていると、老魔道士が横から口を挟んだ。
「残念だが、そのマスター・ソードも、つい二年ほど前に、誰かしら、手に入れて
しまったようじゃ」
「ええーっ! 」
マリスが本当に残念そうな顔になった。
「やっぱり、手に入れるのが簡単だから、先を越されちゃったんだわ。どーせ、また
子供に違いないわ! ねえ、いったい、どんなヤツが取って行っちゃったの? 」
「知らぬよ。マスター・ソードは謎が多いのじゃ。ワシですら、つい最近、この剣を
手に入れられた者がいると知ったばかりだったのじゃからな。しかも、滅多なことで
は、なかなか手に入らぬという。その剣を譲ってくれるものが非常にきまぐれなのか
も知れぬし、もともと運命付けられていたとも考えられるのう。剣としての歴史は
長いのじゃが、伝承する者は今まで少なかったらしい。マスター・ソードを手に
入れた少年は、今回で、たったの十五人目らしいからのう」
老魔道士が、マスター・ソードを手に入れたのが少年だと話した時、またしても、
ヴァルドリューズの瞳が静かに光った。
「じゃあ、どの剣を、あたしは取りに行けばいいの? 」
マリスに尋ねられた老魔道士は、呆れた顔をした。
「なんじゃ、マリス。お前は、剣ばかり見ておったのか。ワシは、お前に、伝説の剣
を取りに行けとは、一言も言っておらんぞ」
「ええーっ! ……なんだ。……だったら、なんのために……? 」
マリスは、またしてもがっくりと肩を落とした。
「良いか、マリス。今までの映像を見て、気が付かなかったか? 伝説の剣を持った
者たちの敵どもを、見なかったのか? 奴等は、皆、魔物だったのじゃぞ」
マリスの顔が、はっとしたように引き締まる。
ゴールダヌスは、静かにマリスに言った。
「お前が伝説の剣を欲しいなら、手に入れるのに協力してやらぬこともないが、
なにしろ、もう時間がない。その代わり、魔物にも対抗出来るよう、先程のロング・
ブレードには、ヴァルドリューズの魔力がかかっておる。お前も、剣から緑色の火花
が散るのを見たじゃろう? あれが、魔力がかかっている証拠じゃ。普通の剣でも、
上級の魔道士が魔力を注げば、『魔除け』となり、魔物にも有効となる。ただし、
効果は、伝説の剣ほどは持たぬがのう。ここまで言えば、おぬしにも、ワシが言わん
としていることは、わかるだろう? 」
真剣な表情で、マリスは頷いた。
「魔物退治ね? 」
「そうじゃ。ただし、それは、世界中のじゃ」
「世界中の……? 前にゴドーが言ってた『そのうち魔物と戦うようになる』って
いうのは、この国で、あの辺境でっていうことだとばかり思ってたわ」
「あの辺境のものは、そのうちな。魔物退治といえど、ただやみくもに魔物を斬れば
いいというものではない」
ゴドーは、その緑石のような大きな瞳も、潰れた方の瞳も閉じ、重々しい口調で
語り始めた。
『七つの星が揃う暁の時、千年の長きにわたり眠りから目覚し魔王が、この地におり
立つ。この世は再び闇に包まれ、やがて暗黒の時代が来よう。我らの魔王とともに
我らの時代が訪れる。
ただひとつ、『黒く輝く盾を備えた金色の竜が、我らの前に
立ちはだかり、我らにとって必ずや凶星となるであろう』
「これは、闇に棲まう魔族たちの間に伝わって来た予言を、わかりやすく解釈した
ものだ。不明瞭なところは、まだ多々あるが、『魔道士の塔』を始め、他の、あと
何人かおる大魔道士も、この予言の解釈を長年にわたって解読しようと試みておる。
ワシなりの解釈を、お前たちに説明しよう」
老魔道士は二人の顔を、それぞれ改めて見た。マリスは真剣に彼を見ているが、
ヴァルドリューズは、普段とどこも変わらない無表情な瞳を向けている。
それを特に気にした様子もなく、彼は語り始めた。
「ワシは始め、『金色の竜』をゴールド・ドラゴンと、それを召喚し、操れる黒魔道
士を『黒く輝く盾』としていた。だが、その後のあらゆる新たな見解を繰り替えして
いくうちに、それらは、ゴールド・メタル・ビーストの化身である獣神『サンダガー』
と、最も闇に近い神である、黒い魔神の異名を持つ『グルーヌ・ルー』を呼び出す
ことのできる魔道士のことだと解釈するようになったのだ」
「……獣神サンダガー……ですって……」
マリスは、どこか聞き覚えのあるその名前を、感慨深気に呟いた。
「もう一度、水晶球を覗いてみるがよい」
そこには、黄金の長い髪をたなびかせて、両手を腰に当て仁王立ちになっている男
が映っていた。
白く、美しく整った彫刻のように彫りの深い顔立ちで、緑色の瞳は切れ長で吊り上
がっており、高く筋の通った鼻に、大口を開けて笑っている中には、人の八重歯より
もいくらか大きく、鋭い牙のようなものが見える。
顔のまわりを金色の兜(といっても、装飾の付いた枠だけに見える)が覆い、全身
は、絢爛豪華な金色の甲冑に包まれている。
奇妙なことに、甲冑で覆われている尾まであった。
「こいつ、見たことあるわ! 」
マリスが球の中を指さして、ゴールダヌスに訴えた。
「あたしがいつだったか夢で見た時は、こんな甲冑ずくめじゃなくて、白い薄布を
はおっただけの、生身の人間みたいな感じだったわ。でも、かなり美しい顔立ちにも
かかわらず、こんな風に、目付きは悪かったし、顔もかなりワルっぽかったわ!
それに、やっぱりおんなじように、高飛車だったわ! 」
「それが、獣神サンダガーじゃよ」
ゴールダヌスの厳かな声に、マリスが眉をひそめる。
「こんなのが、神様だっていうの!? 」
マリスが思わず頓狂な声を上げていると、
『こら! 貴様! 』
マリスが、その声に、きょろきょろしていると、水晶球の中の男が、マリスを挑戦
的な表情で見ていた。
「きゃっ! なにこいつ!? あたしを見て喋ってるわ! 」
『この俺様を、高飛車呼ばわりはねーだろ? てめえを護ってやってんだからよー、
感謝しろよ! 』
マリスは血相を抱えて、老魔道士を振り返った。
「ゴドー、こいつ、なんか変なこと言ってるわ! あたしのこと護ってやってるとか
なんとか」
『けっ、恩知らずな小娘だぜ! まあ、覚えてねーのも無理はねえか。俺様は、実に、
さりげなーく、おめえを護ってやってるからな。もちろん、気が向いた時だけな』
水晶球の中の獣神は、さも得意気な顔で、腕を組んだ。
「これは、お前の守護神を映し出しているのだ」
サンダガーの横柄な態度とは打って変わって、老魔道士は、重々しくマリスに告げ
た。
そうしていると、彼の方が、獣神よりも、よほど神がかって見える。
マリスは、サンダガーを覗き込んでいるうちに、わなわなと拳を震わせていった。
「冗談はやめてよ! なんで、こんなワルそうなヤツが、あたしの守り神なのよーっ
! 」
『こらー! ワルそうとはなんだ、てめえ! カミサマに向かって、コノヤロー! 』
「あたしは、巫女と王から生まれたのよ。巫女であり、白魔道士でもあるし、王女と
いう清らかな身分でもあるのよ。それが、なーんで、あんたみたいな不良神に、
とっつかれなきゃなんないのよ! イメージ違うわよ! 」
『てやんでえ! 巫女と王の清らかな生まれで、巫女で白魔道士で王女だからこそ、
この俺様に相応しいんだろーが! 何人かの候補者の中から抽選……
じゃねーや、おめーが一番とんでもねえヤツだったから、面白がってキメちまった
んだよー! 』
「なによ、それー!? バカにしてんのー!? 」
獣神とマリスは、水晶球を隔てて、お互いを罵り合っていた。
「二人とも、いい勝負じゃ……」
茫然と呟くゴールダヌスに、それまで無反応であったヴァルドリューズまでもが、
思わず頷いていた。
終わりそうにない二人の言い合いを、老魔道士が無理矢理打ち切り、やっとのこと
で、本題へと入ったのだった。
「マリス、お前の使命は、その獣神『サンダガー』を、このヴァルドリューズととも
に召喚し、世の中に点在する異次元の穴ーーつまり、次元の通路を塞いでまわること
じゃ」
「異次元の穴……? 」
「そうじゃ。その穴をくぐって、魔界からの魔物の侵入を食い止めるのじゃ!
そして、先程聞かせた予言による魔王復活の時までに、世界中の次元の穴を、強大な
魔物が通る穴を塞ぎ、そこを使って復活を遂げるであろう魔界の王を、一カ所に追い
込むのじゃ」
その一カ所とは、彼の頭の中では、祖国であるこの国の辺境がよぎり、マリスも
ヴァルドリューズにも、それが伝わる。
「とにかく、その一カ所とは、おのずと限られてくるだろう。魔王の復活しそうな
場所を限定するのだ。今のところ、おぬしたちは、それだけを考えておればよい」
『面白そうだから、俺様も手伝ってやるぜー! 』
球の中の獣神が、拳を上げて、嬉しそうに言う。
マリスが怪訝そうな顔で彼を見る。
「あなた、強いの? 」
怪訝そうな目は、みるみる疑わしい目に変わっていく。
『当ったり前だろ! 俺がついてやってるから、おめーだって強いんじゃねーか! 」
威張っているサンダガーの言葉に、マリスは妙に納得した。
「……そうだったのね。だから、あたしは強かったんだわ! あたしの強さと美貌は、
守護神譲りだったのね! 」
『おう! その通りだぜ! 』
彼らは、途端に意気投合していた。
ゴールダヌスは、深い溜め息を吐くと、ヴァルドリューズを振り向いた。
「とにかく、お前だけが頼りじゃ」
そうしみじみと言うと、彼の肩をぽんぽんと叩いた。
表情のないヴァルドリューズではあったが、先が思い遣られると言いたげな様子が、
いくらかその瞳に現れていた。




