宮廷魔道士と大魔道士
「おお、マリス。来おったか」そう微笑んだゴドーの顔は、さっと引き締まった。
「誰じゃ、そやつは? 」
部屋の中にいたヴァルドリューズも、そのゴドーの声に、思わず戸口を見る。
マリスの後ろには、中肉中背で灰色の髪の、細い目をしたまだ若い魔道士が立って
いたのだった。
「セルフィス公子の護衛の宮廷魔道士よ。大丈夫、彼は口が堅いから」
マリスはギルシュを招き入れた。
「ここが、あなたのよく遊びに来ていた魔道士さんのお宅ですか。へー、なんだか
普通の小屋みたいですね。今のところは」
ギルシュは部屋の中を、すーっと目だけを動かして観察する。
(こやつ、何者じゃ? このワシに、気配を感じさせなかった……! )
ゴドーは、どこか警戒するように、ギルシュを見ていた。
「こっちが魔道士のじいちゃんのゴドー。そっちは、ラータンから来た元宮廷魔道士
のヴァルドリューズ。ゴドーにヴァル、こちらは、ギルシュよ」
マリスは途端にいたずらっこのように目を光らせた。
「ギルシュとあたしはね、ちょっと特別なの。セルフィスにも秘密事がたくさんある
のよ」
「まーたあなたはそういうことを言う! なんにも特別なんかじゃありませんよー
だ! 」
ギルシュも冗談ぽい調子で返す。
ゴドーは二人の様子に、少し拍子抜けしたようであったが、マリスの「彼は大丈夫」
と訴える表情に、気を取り直した。
「ギルシュくんとやら、お茶でもいかがかね? 」
「ああ、どうぞ、おかまいなく。なんでしたら、私はすぐに帰りますんで」
「いやいや、構わんよ。おぬしは、マリスとなにやら親密な間柄らしいからのう」
「きゃっ! いやだわ、ゴドーったら! 」
マリスは、きゃっきゃ笑った。
(なんだ。別に普通じゃないですか)
ギルシュは以前と変わらないマリスの様子に、少し安心した。
(セルフィス様は心配しておられたけれど、確かに彼女は見た目は少し変わったが、
中身はそのままらしいな)
丸太小屋の中には、いろいろな透明なツボがあり、妙な生き物たちがたくさんいた。
木で出来た籠の中にも、珍しいトリや小動物などが飼われている。ヴァルドリューズ
が、その中の生き物たちに、餌をやっていた。
ギルシュは、ふとヴァルドリューズを見ているうちに、思い出した。
「すみません、あのー、あなた、もしかして、……『魔道士の塔』にいらっしゃい
ませんでしたか? 」
ギルシュがヴァルドリューズに近付いて、話しかけた。
ヴァルドリューズは、ゆっくりと彼を振り返る。
「やっぱりそうだ! あなた、ラータン出身ということは、ラータンの宮廷魔道士と
なって、私と入れ替わりに魔道士の塔本部から抜けていった方でしょう? 」
「あら、ヴァル、ギルシュと知り合いだったの? 」
マリスもギルシュの隣に行き、嬉しそうに尋ねた。
「覚えがない」
東方の魔道士は静かにそう答え、動物たちに餌をやるのを続けた。
「随分、愛想の悪い方ですね」
ギルシュが眉間に皺を寄せて、マリスに囁く。マリスは、くすくすと笑っていた。
「それよりも、ゴドー、さっき辺境を調べてきたんだけど、やっぱり魔物がいたわ。
あたしの白魔法でやっつけてやったけどね」
「なんですって!? 」
ギルシュだけが、驚いた声を出した。
「あの辺境には魔物がいるのは、会議でも話していたでしょう? 本当だったのよ。
辺境や自然の山や森の中には、夜になると魔物が出ることが多いのよ」
「それはわかっていますが、辺境の魔物を、もうあなたが退治したんですか? 」
「ええ、そうよ。まだ全部ではないけど、一応、さっき出てきたやつらは全部ね」
ギルシュは目を見開いた。
「……まったく、あの牝狐は、いったい何を考えてるんでしょうね!
いくらあなたが並外れた魔力の持ち主で、白魔道士として秀でていたとしても、闇の
魔道士がいるとなると、対抗するには黒魔道の力も必要なのに、宮廷魔道士団の同行
もなしに行かせるなんて……! あなたをみすみす魔物の餌食にするつもりだったと
しか思えませんよ! 」
「ギルシュったら、城の中じゃないからって、そうあからさまに言わなくても」
興奮しているギルシュを、マリスがころころ笑いながら宥める。
「姫さまは、知ってたんですか? エリザベス殿下のこと……」
心配そうな顔の彼に、マリスは静かに微笑んだ。
「なんとなくね。最近、特に、あたしに対する態度が違うなーって、思っただけ」
「違うなーって、あなた、彼女は、そんなもんじゃないですよ。いいですか、あの女
はですね……」
「ちょっと待って。あなたね、どこの魔道士が聞き耳立ててるかもわからないのに、
国王代行の彼女のことを、そんなふうに言っていいと思ってるの? 」
ギルシュは、まばたきをしてから平然と答えた。
「だって、ここには、強力な結界が張ってあるじゃないですか。これだけの結界なら、
何言ったって、他の者には聞こえやしませんよ」
はっとしたように、ゴドーもヴァルドリューズも、彼を見つめた。
(ほほう、この若造、ワシの結界を見破るとは……。なかなか良い『眼』をしておる)
ゴドーは感心したように、だがまだ完全に信用したわけではない目で、ギルシュを
盗み見ていた。
「例えセルフィス様の母上とは言え、牝狐は牝狐です! ああ、どうしてあんな人が、
あのお方の母親なのでしょう! 」
「ギルシュったら、そんなこと大声で……! あなた、結構ストレス溜まってたのね」
マリスが笑いながら、彼の肩を叩いた。
「そりゃあ、溜まりますよ! だいたい、宮廷で、私が心を開いて話せるお相手
なんて、あなたくらいのものなんですから」
ギルシュがあまりにもすんなりと吐き出すので、マリスは目を白黒させていた。
「……あなた、二重人格なんじゃないの? 」
「宮廷魔道士なんてやってるとね、自然とそうなってしまうんですよ。あなただって
大変だったでしょう? ヴァルドリューズさん」
ギルシュがヴァルドリューズに同意を求めるが、彼は無表情な碧眼を向けただけで、
特に反応はない。
「ヴァル、あなたも、あまりにも力を付け過ぎてしまったために、ラータンの宮廷
魔道士たちに疎まれて、追放されてしまったんでしょう? 魔道士って、やっぱり、
何考えてんのか、わかんない連中ねぇ」
そこにいるもの全員が魔道士だということを忘れているかのような、マリスの発言
であった。
マリスが城に戻る前に、一言、ゴドーに告げた。
「そうそう、ゴドー。辺境には、聞いた通り、魔物を統率する闇の魔道士もいたわ。
探し物があるとかなんとか」
「なんじゃと? 」
ゴドーの目が光った。
「そやつの名は? 」
「名前までは、聞けなかったわ。背ばかりがひょろひょろ高くて、目がぎょろっと
して、馬鹿丁寧な言葉を遣っていたわ。『探し物』は、魔力の高いのが関係してる
みたい。最初、あたしがそうかと思って出て来たけど、違ったらしいわ」
ゴドーは何かを考え、しばらく黙っていたが、慎重に口を開いた。
「そやつとの接触は、お前は避けるのだ。闇の魔道士には、白魔法は効かぬ。武器も、
ただの神官程度の『魔除け』では敵わぬじゃろう。『魔除け』は、神殿の長に頼むの
じゃ」
「わかったわ。安心して、あたしの任務は一ヶ月って決まってるの。しかも、魔力を
消耗するものだから、辺境行きは毎日ではないわ。セルフィスとの結婚の日取りも、
三ヶ月後って決まったし。この一ヶ月で、白魔道士としても、騎士としても、公
(おおやけ)の任務は終わりっていうのは、ちょっと淋しいけど、仕方ないわ」
マリスは、少々淋しそうな笑顔で、小屋を出て行き、ウマに跨がり、城へと戻って
いった。
「おぬしは、一緒に城へ帰らぬのかね? 」
残ったギルシュに、ゴドーは振り向いた。
「いやあ、せっかくですから、もうちょっとお邪魔しようかと思いまして」
ギルシュは微笑んだ。
「図々しくてすみません。ですが、出逢ったからには、こうでもしないと、あなたに
は、この先、もう一度お会い出来るかどうかもわかりませんから」
ギルシュは、すまなそうにそう言った後、その親しみ易い、青く細い目元を引き
締めてから、それまでとは明らかに違う、静かな口調になったのだった。
「お初にお目にかかれて、光栄です。伝説の大魔道士ゴールダヌス殿」
彼は、丁寧に、頭を下げた。
「いつから、ワシの正体に気が付いたのかね? 」
丸太小屋の中では、ゴドーがギルシュに紅茶の入ったカップを、テーブルに置き、
何気なく尋ねていた。
「私は、この国の出身なんですよ。あなたの伝説は、尾ひれ背びれを含めて、よく
知っています。おそれながら、マリス様が、あなたのことをお話になるのをお聞きし
た時から、なんとなく勘付いておりました。それを実際今あなたを前にして、あなた
の張った結界を見て、なおさら確信したのです。やはり、あなたは、あの伝説の
大魔道士であったのだと……! 」
しばらく、ギルシュとゴドーの視線は絡み合った。
「それで、おぬしは、どうしようというのかね? 」
ゴドーが何気ない口調で、再び尋ねる。
「別になにも」
「なんじゃと? 」
ゴドーも、ヴァルドリューズも、ギルシュを、少し驚いたように見た。
「今のところは失礼ながら、私からは特にご用はありません。ただし、ベアトリクス
で起こっている動きは、これからあなたに報告致します」
「それは、どういうことかね? 」
「あなたに、この国にも関心を持って頂きたいだけです。あなただって、まったく
関心がないわけじゃないでしょう? 大昔、約三〇〇〇年前に、ベアトリクス城で、
宮廷魔道士として王家に尽くしていたあなたであれば」
ギルシュは腕を組み、ゴドーをーーゴールダヌスを見つめる。
大魔道士は、じっと彼の心までもを射抜く目で、見返していた。
「なぜ、ワシに、そのようなことを言うのだね? ワシが、王家にお仕えしていたの
は、大昔のこと。今は、なんの義理もないのだよ」
「マリス様を、お守りして頂きたいのです」
ギルシュの青い瞳は、真剣であった。
「国王代行のエリザベスは、グレゴリウス陛下のお命を狙い、マリス様をも、もしか
したら、消してしまおうと考えているかも知れないのです。それに加えて、最近、
『外』からの手が、セルフィス様にも伸びつつあるのです。宮廷の魔道士たちにも
わからないよう、私だけでこの間は処理致しましたが、このところ、頻繁に、彼を
狙うつまらない『使い魔』の存在が、目につくようになりました。私は、セルフィス
様専属の護衛ですから、あの方だけは、命の代えてもお守り致しますが、マリス様の
ことは……。だから、マリス様のことは、あなたにお願いしたいのです」
ギルシュは、一呼吸してから続けた。
「それと、もうひとつ、あなたにお聞きすればわかると思うのですが……初めて彼女
にお会いした時から気になっていたのですが、彼女の周りを覆う金色のオーラ、あれ
は、何なのでしょう? 私のカンでは、並大抵ではない守護者が、彼女にはついて
いるように思えるのですが……? 」
ギルシュは、そこで言葉を区切り、大魔道士の反応を待った。
ヴァルドリューズは無言ではいたが、ギルシュに、少しは興味を持ったように、
その碧い瞳は、それなりの光を浮かべて、彼に注がれていたのだった。
ゴールダヌスは、心の底までも見抜くような、静かだが鋭い視線を、ずっとギル
シュに向けている。
「そこまでわかっているならば、おのずと見当は付くであろう。おぬしは、なんと
心得る? 彼女を取り巻く金色のオーラの正体を」
老魔道士に、ギルシュは真顔になって答えた。
「私には、金色のオーラが、あるものを形作っているように見えます。金色の竜、
または獅子のような形に……。そして、それは、最も戦闘を好む伝説上の生き物
ゴールド・メタル・ビーストに類似したものであると……! 」
彼を覗いた二人の魔道士は、表情も変えず、無言である。
ギルシュは続けた。
「だが、神殿に行き、白魔道士となった彼女の、あの神がかった様子ーーあれは、
ただのメタル・ビースト如きに護られたものではありますまい。となると……あれは、
神です。神が、彼女を護っているのです。そして、それは、おそらく……」
ギルシュは、それ以上は言葉に出来ず、口を閉じた。
「どうした? おぬしは、かなり確信しているはず。なぜ、そこまで言って、口を
閉ざすのかね? 」
老魔道士が、微かに挑発するような響きの声で、問いかける。ギルシュは、固く
拳を握り締め、首を振った。
「……言えません。あの方を護っているものが、もし私の思う通りであれば……彼女
は生涯、戦いの中に生きて行くことを運命付けられているも同然です。私には、この
先、彼女を待ち受けている並大抵でない戦いや、波乱の人生を辿っていくであろうと
される宿命が、予想できてしまいます。あまりにも強過ぎる彼女の運命の余波が、
夫となるべきセルフィス様にも及んでしまいそうで……そう考えると、私も、誰も、
知らない方がいいのかも知れません。彼女は、近いうち、……この国をも、出て行か
なくてはならなくなるかも知れないのですから……! 」
床に落とされたギルシュの視線には、遣る瀬ない思いが込められていた。
「彼女が、ずっとこの国にいては、きっと、今以上の災いに、この国は、見舞われて
しまうことでしょう。そのようなことを黙って見過ごすことも出来なければ、彼女の
前に立ち塞がることも、私には出来ません。彼女が、セルフィス様への愛を取り、
この国で過ごして行くことを選ぶか、旅立つことを選ぶかはわかりません。しかし、
ひとつだけ言えることは、彼女が……いいえ、彼女の守護神が、この国に、『幸も
不幸も呼び寄せる』ということにほかならないでしょう」
しばらくの沈黙の後、ギルシュは顔を上げた。
「長々と、お邪魔致しました。私は、これで、城へ帰ります。国王陛下やセルフィス
様を、お守りしていく上で、私ひとりでは、どうしようもなくなった時、またここへ
愚痴りに来てしまうかも知れませんが、その時は、お許し下さい。では、失礼
致します」
ギルシュの姿は、一瞬で、そこから消えた。
丸太小屋は、一遍に静まり返った。
「……なんと、まあ、よく喋る魔道士じゃ! 」
ゴールダヌスは、大きな方の目を細めて笑った。
「人の守護者など、パッと見で見抜くなどとは、並の魔道士では到底無理であるし、
加えて、このワシが宮廷魔道士たちに大騒ぎされぬよう配慮して、彼女の高い魔力も、
守護神も見えぬよう封じておいたにも関わらず、ほぼ見抜いておった! しかも、
ヤツめ、まだ若造のくせして、ワシの結界から堂々と帰って行きおった。弱めて
おいたとは言え、それを知って、その場所から。なかなかに生意気だが、憎めない
若者ではないか! いかにも、ワシの若い頃にそっくりじゃ! 」
老魔道士は、茶目っ気たっぷりに、大きな方の緑色の瞳をくるくると輝かせて、
ヴァルドリューズを見たが、彼が無反応だったので、取り繕うように咳払い
をしてから、話を続けた。
「魔道士にしては、随分と人間臭かったのう。ああいうヤツは、魔道士としては
能無しか、または、かなりの切れ者かのどちらかであるが、ワシとしては、是非切れ
者である方に賭けたいものじゃ。それに、ヤツなりに抑えてはいたようじゃが、
マリスに対しても、どうやら普通の感情ではないようであったのう。ゴールド・
メタル・ビーストの少年といい、東方の女戦士といい、やたら人間臭い魔道士といい、
まったく、あの娘は、面白いものばかり連れてきおるわい! 」
老魔道士は、おらかに笑い声を上げていた。ヴァルドリューズは特に何の感情も
その面には現してはいなかった。




