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『光の王女』Dragon Sword Saga 外伝2  作者: かがみ透
第十一部『白魔道士と黒魔道士』
30/45

東方から来た魔道士

 絶対王政であるベアトリクスの国王代行となったアークラント大公夫人エリザベス

は、その権力に物を言わせ、もっともらしい理由をつけては、強引にマリスを危険な

戦地へと赴かせていた。


 だが、その度に、(ことごと)く勝利を収める彼女は、どんな不利な戦闘にも負け

ることはないと、常に、騎士たちの信頼と絶対の指示を集め、勝利の女神だの、

ベアトリクスの守護神だのといった呼び名を浴びながら、帰還するのだった。


 それがまた一層、夫人の神経を逆撫でする。


「お母様、なぜマリスを危険なところにばかり追いやるのです? 」


 ベアトリクス城の夫人の部屋では、公子セルフィスが、ギルシュを伴い、抗議して

いた。


「彼女は、本来の国王の正統な家系で、僕との結婚も控えた、後にベアトリクス女王

となるお人ではありませんか。そんな危険ないくさにばかり彼女を出陣させて、

万が一のことにでもなったりしたら、いったいどうするおつもりです! 僕には、

彼女しか有り得ない。彼女に、もしものことがあったりしたらと、心配で心配で、

夜も眠れないのです」


 セルフィスの悲痛な表情に、エリザベスは瞳を潤ませて、彼の肩を抱いた。


「まあ、セルフィス、可哀想に! お母様にも、あなたのお気持ちはよくわかります

よ! でもね、今の王に、もしものことがあれば、お母様の後には、あなたが引き

継いで、この国を取り仕切っていくのです。彼女の婚約者としてではなく、一国の王

としての目で、物事をご覧なさい。


 彼女は今や勝利の女神、ベアトリクスの守り神として、あんなに騎士たちの士気を

高めているではありませんか。戦士にとって、士気というものは、戦いの勝敗を最も

左右するものなのですよ。彼女には、本当に戦士としての才覚があると、お母様は

昔から気付いていました。


 彼女なら、間違いなく成功を収めてくれると信じているからこそ、かわいい娘も

同然の彼女を、胸の引き裂かれる思いで、あえて戦地へ送り込んでいるのです。

それが、今は代行とはいえ、女王としての務めなのです。


 一国の王というものは、自分の感情だけで物事を決めてはならないのですよ。彼女

も、王女として、それに応えてくれているのです。あの子をおいて、今や、ベアトリ

クスの武将は語れないほどになってきています。いかに、お母様の判断が正しかった

か、あなたにもわかるでしょう、セルフィス? 」


 夫人は、やさしく、息子の柔らかい金髪を撫でた。


 だが、セルフィスは、その母の言葉に心を動かされたようでもなかった。


「それなら、なぜマリスの階級を下げるのです? 彼女は国王が療養中の今、最も

高い身分なのですよ。第一王位継承権者にふさわしい、我が国最高の軍隊である

金獅子団や、金竜団ならともかく、なぜ、あんなごろつきばかりを集めた、まるで

傭兵団のような軍になど、配属しなければならないのです? 彼女の王女という地位

を妬んだ者たちに、嫌がらせでもされたら……」


「冷静におなりなさい、殿下」


 エリザベスの鋭い口調に、思わず彼は口を噤んだ。


「あの程度のいくさでは、わざわざ最強を誇る金獅子団や、金竜団を動かすことも

なければ、それぞれの将軍方に指揮させるほどの戦いでもないのです。しかも、

あれは、国王陛下直属の軍隊です。代行のわたくしでは、容易に動かすことはできな

いのですよ。


 ですから、彼女が一番適任なのです。本人も、充分やる気ですしね。まだ若くて

女性だからといっても、あれほど、無理だと皆が思ったいくさですら、勝利を納めた

ほどのお人なのですよ。


 ごろつきのひとりや二人、いいえ、一〇〇人や二〇〇人など、彼女にとっては、

どうってことはありません。彼女が王女だと発覚する以前だって、似たような平民の

ごろつきなどと一緒に、野盗を退治していたそうではありませんか」


 セルフィスの目が、見開かれた。


「似たような平民のごろつきって……ダンのことですか? 彼は平民の出だったけど、

金獅子団のランカスター将軍の遠縁にあたるし、だいいち、そんなごろつきなんかで

はありませんでしたよ! 僕の大事な友人でした。お母様だって、彼をお招きした時、

一緒にお茶を飲んでいたではありませんか! 」


「誰でもいいですけれどね、とにかく、彼女の才能を信じるのですよ、セルフィス。

この先、一国を背負っていくかも知れない身として」


 エリザベスは、息子がどんなに抗議しても、彼の意見をまともに聞き入れようとは

しなかった。

 彼の後ろでは、ギルシュが終始無言で跪いていた。


「こんなに言っても、彼女を軍から外さないのなら、僕にだって、考えがあります」


 セルフィスの瞳に普段の柔らかさはなく、明らかな反抗が表れている。


「すぐにでも、彼女をティアワナコ神殿に洗礼に行かせます。祭司長様への手配は、

僕が済ませておきました。巫女の洗礼を受ければ、おのずと戦いからは手を引くこと

となり、僕との結婚の日取りも決められます。


 結婚さえ済ませてしまえば、この先、いくらお母様が、彼女をいくさに駆り立て

たくとも、そう簡単には出来なくなるでしょう。ベアトリクスの国民だって、ティア

ワナコ神殿に奉られている豊穣と勝利の女神ティアネだって、そんなことは許さな

いでしょうから」


 エリザベスの瞳が、ぎらっと光った。


 セルフィスの緑色の瞳は、まだ彼女を見据えている。


「あなたは、お母様のしていることに反対なの? 陛下が復活なさるまでの間に、

この国をさらに大きくしておこうというお母様の考えに、息子のあなたは賛成しては

くれないのですか? 」


 彼は、母に冷たい視線を向けた。


「僕には、そんなこと必要ないように思えます。ベアトリクスは、これまで通り安泰

にしていけばいいものだと思います。豊富な資源に、経済的にも安定している先進国

でもあるこの国には、国民だって、満足してくれています。僕は、マリスとともに、

グレゴリウス陛下の御意思を継いで、この国に平和をもたらしていきたいのです。

お母様のように、攻撃的なやり方は好みません」


 彼は(きびす)を返し、側付き魔道士を連れて、母の自室から出て行った。


(あの子が……あの穏やかで、愛くるしいセルフィスが、この私にあんな目を向ける

なんて……! )


 夫人の手は震えていた。


(あの子が、この私に、反抗的な態度を取ったなんて! ……みんなあの娘のせい

だわ! セルフィスを私から引き離した、あの娘ーーお兄様の子のせいだわ! )


 ドレスのレースを引きちぎらんばかりに、両手で握り締める。


(結婚なんて、させるものですか! お兄様の勝手に決めた結婚なんて……! 私の

かわいいセルフィスを、あんな小娘などに渡してなるものか! )


 エリザベスは、セルフィスの消えた扉を、いつまでも、燃えるような瞳で見つめて

いた。




 銀色の甲冑姿で白馬に跨がるマリスは、ひとり森の中を進んでいた。


 彼女は、エリザベスによって危険な戦地へ行かされることなどには、ちっとも抵抗

はなかった。


 いくさや訓練の帰りなどには、決まって、ひとりで寄り道をしてから城へ戻るのが

当たり前となっていた。その辺は、彼女の周りの騎士たちも、徐々に慣れてきたのか、

彼女を城まで送ることはなくなった。


 おかげで、彼女は、セルフィスの護衛である魔道士ギルシュの協力を得なくても、

頻繁に遊びに行けることになり、そうなると、エリザベスの陰謀は、マリスにとって

は、逆に自由な空気として、有り難いものとなっているようである。


「ゴドー! 久しぶり! 」


 マリスは、森の中の丸太小屋の扉を、勢いよく開き、中にいる見覚えのある老人に

飛びついた。


「おお、マリス! 」


 老人は、半分ただれた不気味な顔を、嬉しそうにほころばせ、マリスを抱きしめた。


「このところ、しょっちゅう遊びに来てくれるようになったのう! 」


「ええ! いくさに出るようになってからは、割と自由がきくのよ! 」


 老人は、大きな方の緑色の瞳で、マリスを改めて見直す。


「王女の暮らしはどうじゃ? そういえば、この間、街に行った時に噂で聞いたが、

国王陛下が、なんだかご病気で、一時的に、政権は、アークラント大公夫人に移った

そうじゃが……? 」


 マリスは少し沈んだような顔になったが、軽く微笑んでみせた。


「いやだわ、ゴドーったら、いつの話してるのよ。お父様が記憶喪失で、療養に

サリナエに行ってしまったのは、もう半年以上も前だわ。この間、あたしがここに

来た時も、知らなかったの? お義母様が国王代行となって他国といくさをするよう

になったから、あたしが武将として軍隊に入り、その帰りに、こうして、ゴドーの

ところにもまた遊びに来られるようになったんじゃないの」


「おお、そうであったか! それは、知らなんだ! 」


 ゴドーは、かなり驚き、ただれて潰れかかった方の目まで、見開く。


「しかし、変わった代行じゃな。なぜ王女であるお前に、軍を引かせるのじゃ? 」


「国王も、若い時は軍を率いてたって言うから、王族でもいくさに行くのは珍しく

なくて。エリザベス殿下には、あたしが適任だからって、いつも言われてるし、確か

に、騎士の皆も、あたしのことを勝利の女神ティアネの生まれ変わりだとか、あたし

のいない戦いなんて考えられない、とまで言ってくれてるんだけど……」


 マリスは、また沈んだように視線を落とした。


「お義母様は、お城で窮屈そうにしているあたしを、解放してくれようと、いくさに

行かせてくれてるんだとばかり思っていたんだけれど……あたしが勝利を収めてきて

も、最近、なんだかあんまり嬉しそうじゃないの。それどころか、あたしが率いる

騎士団の規模もレベルも、どんどん下がっていって、今じゃ、変なごろつきばかりの、

とても騎士団とは呼べないような軍隊を任されているの。


 最初のうちは、皆ちっとも言うことを聞いてくれなかったから、彼ら一〇〇人を、

あたしが身体張ってひとりずつ相手になってやったら、やっとあたしの実力を認めて、

素直に従うようになっていったの。皆があまりにも弱過ぎるから、あたしが一から

鍛え直していたんだけど、どうやら、あたしの配属は、また変わるらしいの。


 だめな奴等を更生させる意図もあるんだって言われてたけど、こんなにしょっ

ちゅう移動させられるなんて、やっぱり、ちょっと変よね? 」


 マリスは、老人に同意を求めるような視線を送る。


「さあなあ。ワシは軍隊のことや、お偉いさん方の考えることはわからぬからのう。

それで、陛下のご容態の方は、どうなのじゃ? 」


 マリスは、深い溜め息をついた。


「王の側付き魔道士バルカスが、時々宮廷に報告に来るついでに、あたしにも教えて

くれてるわ。王の体力は完全に回復してるんだけど、相変わらず記憶の方はさっぱり

で、自分が何者であるのかすら、わかっていないんですって。


 愛人だった、あたしの本当のお母様の肖像画を見つめて、それがジャンヌだとは

口にするんだけど、肝心の誰かということになると、全然わからないそうなの。宮廷

画家の描いたあたしとセルフィスの肖像画を見ても、あたしと母親がごっちゃになっ

てるみたいだし……。


 宮廷の人たちの間では、半年経っても一向に記憶が戻らないのでは、もしかしたら、

王はもう職務に復活するのは無理なのではないか、政権は、このままエリザベス

お義母様へと移ってしまい、彼女がこのベアトリクスの女王となってしまうのでは

ないか、とも言われているの」


 マリスの(うつむ)いた瞳は、潤み始めていた。


「せっかく、気のいい王様だなーって、ちょっとお茶目なヤツだなーって思えてきた

ところだったのに、あたしの肉親は、母親が行方不明である今は、あの王様しか

いないのに、忙しくて、お見舞いにも行かせてもらえないのよ」


 ゴドーが、マリスの肩に手を置いた。


「きっと大丈夫じゃよ。お前の父親なら頑丈だろうし、根性もあるだろうから、

そのうち記憶も戻るだろうよ」


「……そうよね。あの強引でしたたかなヤツが、このままくたばったりはしないわよ

ね? 」


 マリスは、目の端を指で拭い、彼に笑ってみせた。


「よし、今日は、特別にワシの手料理をお前に食べさせてやろう! 」


「わぁ、ゴドーの手料理なんて、初めてだわ! 何を作ってくれるの? 」


「秘密じゃ」


「ええ? なあに? 教えてよー」


「出来上がってからのお楽しみじゃ。材料を仕入れに、ちょっと街まで行ってくるが、

お前も一緒にどうじゃ? 」


「もちろんよ! 」


 ゴドーは指をパチッと鳴らせた。すると、マリスの騎士の服装は、平民の娘のよう

な格好になった。


「町娘より、男の子の格好の方が、動き易くていいのに」


「ほっほっほっ! 相変わらずじゃな」


 ゴドーは、もう一度、指を鳴らした。

 マリスの服は、皮のチュニックとズボンの、少年服へと変わったのだった。




 二人が丸太小屋を出て、街へ向かおうとした時であった。


「あら? ねえ、ゴドー、湖のほとりに、誰か倒れてるわ」


 マリスが、横たわる黒い影を見つけ、指さす。


「ほんとじゃのう」


 ゴドーも、一度大きく目を見開いてから、目を凝らし、マリスとともに、その黒い

ものに歩み寄って行った。


 湖のほとりにまで来たマリスが、ピクッと身体をこわばらせた。

 ゴドーも、一緒に覗き込む。


「人だわ……! 死んでる……のかしら……? 」


 倒れている者は、これまでマリスの見たことのない男であった。


 だが、よく見ると、それは東方の女戦士ラン・ファを彷彿させる浅黒い肌をした、

黒い髪の男だった。


 一見して、彼が、東洋の出身であることがわかる。


 男は負傷し、全身血まみれであったが、黒い服装の上に黒いマントをはおっていた

ため、致命的な傷を負っている割りには、残酷には映らなかった。


 彼の青ざめた顔の側には、割れた紅玉の破片が落ちている。


 そして、その彼の顔が、彫刻のように彫りが深く、整った顔であることは、瞳が

閉じられていても充分に伝わる。


 マリスは、その男のあまりに美しく、加えて神秘的な東洋の雰囲気に、しばらく

視線を放すことはできなかった。


「これは、東方の国の宮廷魔道士じゃな」ゴドーが静かに言う。


「宮廷魔道士? 東方の宮廷魔道士が、なんでこんなところに? しかも、こんなに

怪我をしてるわ」


 マリスは、男から目を反らさずに、老人に問う。


 ゴドーは黙って、彼の首筋に手を当てた。


「まだかろうじて息はある。ここへ辿り着いたばかりのようじゃが、……驚いた

のう! これだけの致命的なダメージを負ってはいても、息があるどころか、

……こやつは、復活し始めておる! 」


「復活……ですって!? 」


 マリスが信じられない思いで、ゴドーを見上げる。


「彼を助けるのじゃ、マリス。お前も、治療の白魔法は習得しておるじゃろう? 」

「え、ええ」


 マリスはゴドーに言われるまま、彼と同じく両手を男の身体に向け、呪文を唱えた。


 男の顔色は、すぐには変わる様子はなく、ピクリとも動かない。


「それにしても、東洋の男の人って初めて見たけど、随分、綺麗な人ね。まるで、

彫刻に息を吹き込んだみたい」


 魔力を注ぎながら、マリスが思わず彼に見蕩(みと)れ、溜め息をついた。


「うむ。これだけ美しい男というのも、東洋人の中では珍しい方じゃろう。純粋な

東の民族というよりは、多少西の血も混じっているように思える。これほどの

ハンサムな魔道士は、ワシも見たことがない。まるで、ワシの若い頃を思い出すのう」


 マリスが明らかに疑いの目をゴドーに向けると、てのひらから東方の魔道士に注い

でいた緑色の光も止まってしまった。


「冗談じゃて。これ、なにをサボっとる! 早くしないと、こやつが死んでしまうぞ」


 ゴドーに催促され、再びマリスは、男に緑色の光を当てたのだった。




『気が付いた? 』


 少し離れたところで、少女の声がする。


 木で出来た寝台の上で、男はゆっくり目を開け、辺りを見回した。


 彼の知らない丸太の天井が見える。


 少女は椅子から降りると、彼の側へとやって来た。


『あなたは東洋の人ね? 』


 一見、平民の少年のように見えた彼女の口からは、東洋の言葉が流暢に流れた。


 男は、碧い瞳を彼女に静かに向け、色が白く、紫の瞳をした、明らかに西洋の血筋

である美しい少女が話す東洋語を、不思議に思ったのか、しばらく、彼女を見つめた

後で、ゆっくりと口を開いたのだった。


『あなたが助けてくれたのか? 』


 彼の平坦な声に、マリスは、こくんと頷いた。


『あたしとゴドーが、湖のほとりで行き倒れているあなたをここへ運んできたの。

ゴドーは今街へ買い物に行ってて、もうすぐ戻るわ。大丈夫? 起き上がれる? 』


 マリスは、彼が身体を起こすのを手伝った。


『怪我は、だいたい治ったみたいだけど、魔力はまだ完全に戻ってはいないみたい。

あれほどの大怪我だと、体力も魔力も急激にもとに戻すのは、逆に負担がかかるから、

徐々に治していかないといけないんだって、ゴドーが言ってたわ。だから、まだ無理

はしないで、当分ここにいるといいわ』


 彼の碧い瞳は、丸太でできた部屋の中をじっと眺めていた。


 やはり、彼は非常に整った顔立ちであったと、マリスは改めて感じ、青緑色の透き

通る、珍しい美しい瞳を、不思議なものを見るような思いで、見つめていた。


『助けてくれて、感謝する』


 男は、本当に感謝しているのかと疑いたくなるほど、淡白な口調であり、言葉も

顔も表情がなかった。


 だが、マリスは別段それを不愉快には思わなかった。


 魔道士というものは、日頃からあまり表情がなく、言葉にも抑揚がないものだと

いうことは、宮廷魔道士たちを見ていればわかることである。


 そのような中でも、セルフィスの側付き魔道士であるギルシュは、言葉遣いも

それほど仰々しくはなく、表情もあるので、彼女も親しみ易く思っていたが、

その彼でさえ、普段は、やはり他の魔道士たち同様、あまり表情はないのだった。


『あなた、どうやって、ここへ来たの? ちなみに、ここは、東洋とは広大な辺境を

隔てて隣のベアトリクス王国よ』


『ベアトリクス……だと? 』


 少しだけ、彼は、驚いたように、目を見開いた。


『……そうであったか……。では、ここは、もうラータンではないのだな』


 男の呟きに、マリスは思わず、身を乗り出した。


『ラータン!? あなた、もしかして、あの東洋の大国ラータン・マオから来たって

いうの!? 」


 彼女の瞳の輝きを、不思議そうに、彼の碧眼が見つめた。


『ラン・ファと一緒だわ! ねえ、あなた、ラータン出身のコウ・ラン・ファって

女戦士を知らない? ラン・ファは、しばらく、このベアトリクスにいたのよ! 

あたしとも、ずっと友達だったの! 』


 興奮して頬を上気させるマリスに対して、男は、すっかり冷静であった。


『知らぬ』


 一言そう言って、首を横に振った。


 マリスの表情からは、一瞬の輝きは失せてしまった。


 自分からは、一向に何も話そうとはしない彼に、またしても、マリスの方から話し

かける。


『あなた、いったい、どうして、この国に来たの? この国を目指していたわけでは

ないみたいなのに。それに、あなたの傷、相当深かったわ。魔道士でも、あそこまで

の傷を負わされたら、いくらあたしたちの発見が早かったとはいえ、こんな風に

短時間で、ここまで回復するのなんかは無理だわ。あなたは、いったい何者なの? 』


『私は、ただの魔道士だ』


 その一言だけで、彼は再び沈黙した。


 それ以上、口を開く様子のない彼を見て、マリスは溜め息をつくと、気を取り直し

た。


『自己紹介が遅れて悪かったわね。あたしは、マリス。こんな格好はしてるけど、

実は、ここベアトリクスの王女なの。よろしくね』


『マリス……王女だと? 』


 男は、改めてマリスを見直した。


『……そう……か……。では、私が、ここへ辿り着いたのは、偶然ではなく、必然的

なものだったのだな』


 マリスは、男の呟く東洋語が、少し難しかったのか、よく意味がわからないような

顔になった。


 男は続けて言った。


『私の名は、ヴァルドリューズ。どうやら、私とあなたは、運命を共にするらしい』


『運命を共に……ですって!? 』


 マリスは、彼の寝台から、飛び退いた。


「じょじょじょじょ、じょーだん言わないでよ! あたしには、セルフィスって

婚約者が、ちゃんといるんだから……! あなたみたいな得体の知れない魔道士と、

なーんで一緒にならなきゃいけないのよ! 」


 マリスは、カーッと赤くなり、思わず標準語に戻って、叫んでいた。


 ヴァルドリューズと名乗った魔道士の男は、僅かに首を傾げていたが、真顔のまま

続けた。


「そのような意味を持つものかどうかは知らぬが、夢の中に度々現れるなぞの老人に、

『王女マリスと運命を共にするのだ』と言われ続けてきた。そして、もうひとつ、

こちらは、魔神のお告げによるものだが、ある剣士の青年とも出会うだろうと。

その青年が、私たちの運命に、大いに力を貸してくれることだろう、ということだ」


 マリスは、大きな瞳はパチクリさせ、ぼう然と、魔道士を見ていたが、そのうち、

ハッと我に返った。


「ちょ、ちょっと、あなた、西洋の言葉がわかるの!? 」


 驚いている彼女に、ヴァルドリューズは平然と頷いた。


「だったら、最初から標準語で話しなさいよ! 」


 マリスは顔を赤らめたまま、前傾姿勢で彼に怒鳴った。


 彼は、特に気にもしていないようで、部屋の中を、ゆっくりと見回していた。




「どうしたのかね、マリス? 食べていかないのかね? 」


 ゴドーの手料理が並ぶ丸いテーブルから、彼女は顔を引き攣らせ、後ずさった。


 テーブルの上には、得体の知れない黒焦げになった生物や、しなびた植物を、白い

クリームであえたもの、昔、この部屋でマリスが見た覚えのある魔物サラマンダーの

頭を煮たものといった、料理というよりは奇抜で、大変不気味な品々が、いっぱいに

広げられているのだった。


 テーブルにはゴドーと、ベッドから起き上がったヴァルドリューズとが、席に

ついている。


 ゴドーはヴァルドリューズに微笑みかけた。


「病み上がりには、少々刺激が強いかも知れぬから、やめておいた方が良いだろう。

おぬしは、こちらのミルクだけ飲むと良い」


(だったら、作らないでよ、そんなゲテモノ! )


 マリスはテーブルから距離を取り、それ以上近付こうとはしない。


「どうしたのじゃ、マリス、お前も一緒に食べなさい」


「いいいい、いいわよ! 遠慮しとく。あたし、お城に戻らなくちゃ! 」


 マリスが銀色の甲冑をさっさと身に着け、外に出る扉に向かって、早足で歩いて

いった。


「なんじゃ、食べんのか」


 ゴドーは少しがっかりして、緑色の瞳を沈ませた。


「じゃ、じゃあね、ゴドー。また今度ね」


 そそくさと出ていこうとするマリスに、ゴドーは思い出したように言った。


「おお、そうじゃ、マリス。お前、洗礼は、確かまだであったな」


「ええ、そうだけど……? 」


 いきなり何を言い出すのかと、怪訝そうにマリスが振り返る。


 ゴドーは真面目な顔になって言った。


「ただの洗礼ではないぞ。白魔道士としての修行が必要じゃ。それだけは、早く

済ませるのだ。良いか、わかったな。早いうちに、ティアワナコ神殿へ行くのだぞ」


 威厳を(はら)んだ彼の声に、マリスは、真面目な顔になった。


「じいちゃんが前から言ってた『そのうち、あたしが魔物とも戦うようになる』って

ことと、関係あるの? 」


 ゴドーから聞いていた、世の中では、少しずつ魔物が増え、被害をもたらしている

ことを、マリスは思い浮かべ、彼の、大きい方の瞳に、深刻さを認めた。


「はあ、神殿行きを、いくさで忙しいからって引き延ばしてきたけど、どうやら、

もう逃れられないみたいね。セルフィスにも()かされてるし、ちょうど次の隊の

配属もまだ決まる前だから、今のうちの方がタイミングもいいわよね。ま、ただの

洗礼よりは、白魔道士っていう方が面白そうだし、あたしの(しょう)にも合ってる

と思うわ」


 観念したように笑ってみせたマリスは、ゴドーとヴァルドリューズにしばしの別れ

の挨拶を告げると、小屋の外につないであった白いウマに跨がり、城へと一直線に

走っていった。


「さて、東方の魔道士よ。食事が終わったら、ちょっと付き合ってもらうぞ」


 黒焦げになった生物の腕らしきところをかじりながら、ゴドーは、にこやかな表情

に戻って言った。


 ヴァルドリューズは手にしていたミルクのツボを置くと、彼を見つめた。


「あなたが時々私の夢に現れていたお方ですね」


 彼の口調は、マリスに対するものとは違い、丁寧で、尊敬までもが含まれていた。


「偉大なる伝説の大魔道士、ゴドリオ・ゴールダヌス殿」


 ゴドーの瞳がきらっと光り、ヴァルドリューズの声に振り返る。


 ヴァルドリューズの表情のない切れ長の碧眼もまた、ゴドーの緑色の瞳に、見据え

られていた。


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