戦いの女神
「よろしいですか、ベロア候、なにかあっても、わたくしが、必ずお助けいたします
から、どうか堂々となさって下さい」
「わ、わかっておる」
外交官であるベロア侯爵は、宮廷魔道士を伴い、ナハダツ王国の城へと向かって
いた。
彼の娘であるカトリーヌとは違い、父親の方は、穏やかな性質であった。
敵対する国へ交渉に行くなどという初めての恐ろしい体験であるため、額には、
絶え間なく脂汗が吹き出している。
それを、見るに見兼ねた宮廷魔道士ザビアンが、馬車の中で、そっと彼に声を
かけていた。
侯爵は、フリルのついたハンカチで、何度も額の汗を拭う。
青く、何の感情も現れていないザビアンの瞳は、ちらっと彼を見ただけで、それ
以上は何も語らなかった。
ナハダツ王国とベアトリクス王国の国境に、馬車が差しかかる。
まだベアトリクスの敷地であったが、そこには、明らかに、ベアトリクスのもの
とは違う、奇妙な建物が並ぶ。
ナハダツの民の建てた神殿である。
ナハダツの民族は、独特の文化を持っており、それが、最も現れているのは、独自
の宗教にあった。
彼らは、朝昼晩のある一定の時刻になると、その神殿にやってきて、唄とは言い
難いものを斉唱するのである。
ベアトリクスとの領土問題は、そもそもこの神殿が発端となっているのであった。
国境を越えた、ベアトリクスに入ったところにあるこの場所は、ナハダツ国民に
とって、聖地であり、彼らの崇拝するブーディラの神を祀るのに、最も
相応しいと、神官たちにより、勝手に定められた。
そこには、当然、ベアトリクスの国境警備隊も駐在しているのだが、追い出しても、
追い出しても、ナハダツ族が侵入し、足しげく神殿に通っている。
おかげで、駐在しているベアトリクス人は、朝昼晩に渡り、毎日、彼らの上げる
奇妙な唄を耳にし、神殿から匂う、これまた嗅いだことのないきつい香の匂いを
嗅がせられ、神殿に入り切れない人々の、神をたたえる奇妙な動作を目にしなければ
ならないことに、いい加減うんざりしているのだった。
駐在人たちが、思いあまって、つい乱暴に彼らを国境まで追いやると、決まって
彼らの捨て台詞である『地獄に堕ちるぞ! 』『そんなことではブーディラの神に
見放されるぞ! 』などというナハダツ国民最大の罵声を浴びせられてしまうことに
なり、それが一層ベアトリクス人にとって、後味の悪いものとなっているのだった。
では、なぜベアトリクス国が、その領地をナハダツに譲れないのかというと、
そちらには、もう少し現実的な理由があるのだった。
ナハダツ国の建てたその神殿のある場所は、山に囲まれており、その山は鉱山で
あった。資源も豊富なベアトリクスではあったが、良質な青い宝石サファイアの原石
の取れる鉱山は、そこにしかない。そのような理由で、ベアトリクス王国も大事な
資源のもととなるこの土地を、簡単に譲るわけにはいかないのだった。
ベアトリクス軍とナハダツ軍が、長年小競り合いをしているのは、こういった宗教
絡みの領地問題の他にも、まだ原因はある。
そのベアトリクス王国が存在している場所についても、ナハダツ国民の間では、
こう言われている、『この辺りの地域は、ナハダツ族が先住していたにもかかわらず、
中原から流れ込んできた西洋民族が移住し、自分たちに断りもなく、勝手にベアトリ
クスを建国したのだ』と。
『ベアトリクス人は高飛車で、先住民族である自分たちを蛮族と呼び、馬鹿にして
いるが、後から現れておいて、勝手に国境を定め、踏ん反り返っている彼らの方が、
よほど蛮族である』とも。
対するベアトリクスでは、いつもちょこちょことちょっかいを出してくるナハダツ
兵を、うっとおしく思いながらも、一気に片付けてしまうという行動には、出たこと
はなかった。
他の諸国からすれば、ナハダツ国はおとなしく、ひっそりと暮らしており、無害な
民族だと見られているのである。
そして、彼らの誇る伝統工芸であるナハダツ織りは、その民族性を充分に表した
多彩な色使いによる独特な織物であり、敷物や絨毯、または民族衣装として他国では
重宝がられているのであった。
国自体の大きさも、ベアトリクスの四分の一程度しかなく、軍隊の育成に力を入れ
ているベアトリクスがその気になれば、ナハダツ国などは簡単に占領することができ
たであろう。
だが、ベアトリクスがそのようなことをしようものなら、これを機会に、普段から
ベアトリクス王国の経済を羨み、その軍隊を脅威に思う近隣諸国から、ただちに非難
を浴びせられてしまうだろう。
あのようなおとなしい民族を攻撃する野蛮な国として、一層孤立してしまうという
心配があったのだ。
だいいち、例え占領したところで、ベアトリクス側に得はなかった。
ベアトリクス人が色が白く、体型も、女性はすらりとしていてスタイルの良い者が
多く、男性も背が高く、筋肉質の肉体美が多いという、美形の民族であるのに比べ、
ナハダツ人は、皮膚は茶褐色をしていて、背丈もあまりなく、筋肉質であっても
ごつごつとしていて、外見的に美しいと称されることはなかった。
彼らはあまり笑わず、いつも眉間に縦皺の跡がついていた。それでも、国民たちは
穏やかに暮らし、気立ての良い親切な人々も多いのだが、ベアトリクス人にとっては、
そのような異分子の血が混ざることを好まず、同じ西洋系の人種か、稀にいる東洋系
でも美しい人種しか受け入れなかったのだった。
それも、ナハダツ人にとって、彼らを気に入らない大きな理由であった。
さて、ベロア侯爵たちを乗せた馬車は、いよいよナハダツ王の待つ城へと近付いて
いる。ナハダツの国に入った途端、異文化の国であることは充分に感じられるほど、
建造物は特徴的であった。
白と薄い緑色を基調とし、丸く中心を尖らせた形の屋根が、高低いたるところに
見られた。
ベロア侯爵は、ますます緊張し、額を拭っていたハンカチも、とうにぐっしょりと
湿ってしまっていた。
城に着き、謁見の間へ通される。
侯爵は緊張のあまり、足がもつれ、倒れそうになるが、ザビアンがさりげなく彼を
支えたので、転ぶことは免れたものの、緊張の度合いは、ますます強まっているよう
である。
謁見の間に、侯爵が訪れた時、ナハダツ王は、既に正面に腰を下ろし、待ち構えて
いた。
室内は白い石で出来ており、独特な色彩であるナハダツ織りが、さっそく床に敷き
詰められている。
王の背後の天井に近い部分には、仰々しい額に入れられた一枚の大きな絵が飾られ
ている。
絵に描かれているのは、とても人間とは言い難いものであった。
顔は動物のブタのようで、ウシのような角を四本生やし、ゾウのような長い鼻を
もたげ、その鼻の付け根にある口には、左右に短い牙を生やしている。
ブタ顔の首から下は人間の女のようであり、二本の腕は開かれ、乳房が三段並び、
装飾品をごてごてと着けている。
腹部からは、西洋では悪魔族を連想する黒いヘビが二匹伸び上がり、人間の男の
ような毛深い足が三本、奇妙に組み合わさり、座っていて、上半身と同じく、装飾品
をまとっている。
それは、彼らの最も尊敬し、熱狂的に崇拝するブーディラの神の絵に、ほかならな
かった。
ベロア候は、嫌な物を見てしまったとでもいうように、そこから目を反らす。
ナハダツ国王の格好も、特徴的であった。
頭上には、冠の代わりに、両側にウシの角のような突起を生やした、目まで覆われ
た金色の兜を被っており、てっぺんには、トリの尾のようなふさふさの毛がついて
いる。
白い毛が混じり、灰色に見える髭は、針のように顎から頬にかけて生えている。
上半身に衣服は着ておらず、肩、腕、胸は、これ見よがしに、鍛えられ膨らんだ
筋肉を見せ付け、そこに直に皮の防具を着けていた。
ナハダツ人の男にしては、やけに大柄であり、見るからに腕っ節が強そうでもある。
それを見た、小太りなベロア侯爵は、余計に足を震わせて、王と向かい合った椅子
に、やっとのことで腰をかけた。
「ベアトリクスの使者、何用だ」
丁寧な言い回しも何もなく、太く重々しい声が、ナハダツ王から発せられた。
ベロア候は、身の縮まる思いで、身体は硬直してしまっている。
「侯爵殿」
後ろで、ザビアンが、そっと声をかける。
ベロア侯爵は、我に返り、落ち着きを取り戻すために咳払いをしてから、今回訪問
した理由である、長年の領地問題について、刺激しないよう言葉を選び、慎重に、
王に伝えた。そこは、文官である彼の才能が生かされ、丁重な話し方であり、聞く者
には不快感を与えない口調でもあった。
「ふん。ベアトリクスの人間、口うまい。だが、余はわかっておるぞ。おぬしたちの
軍隊は、国境に集まっておるのだろう? 密偵により、全部筒抜けだ」
意外な王の言葉に、ベロア侯爵は、全身をぶるぶると震え上がらせた。
王は椅子から立ち上がった。
その身長は、小柄な侯爵の倍以上あるように思えるほど、その盛り上がった筋肉も、
侯爵のやはり倍以上あると思えるほど、巨大な男であった。
「ベアトリクスの使者を、人質に捕らえよ! 」
王が命令すると、辺りに控えていたナハダツ兵たちが歓声を上げ、槍を一斉に、
侯爵に向かい、突き出したのだった。
「ひいーっ! 」
侯爵が椅子から転げ落ちそうになったと同時に、彼の姿は、宮廷魔道士とともに、
そこから消え失せた。
その頃、マリス率いる青竜団が、例の神殿の前で、一時待機していると、向かいの
国境線沿いに、大量の軍隊が現れた。
「ナハダツ兵だ! 」
「それにしては、規模がでかいぞ! 」
ベアトリクス兵たちは、岩山の地形を利用して築いた砦から、相手の軍の様子を
覗き見て、声を上げた。
マリスは流星軍の銀色の甲冑姿であり、ひとり高木の上から、敵の軍隊を見下ろす。
彼らは、いつもの小競り合いの時とは違い、巨大なゾウを五〇頭ほど連れていて、
それぞれに武器を積み上げていた。ゾウの口には、鋭く大きな牙が両側に生えている。
(ふ~ん、あのゾウ、ここから見ても、随分皮膚は固そうだし、あの大きさじゃ、
かなりの重さもありそうね。踏まれたりしたら、ヒトなどひとたまりもないわ。
だけど、あのゾウの上に乗っかってるヒトは、なんなのかしら? )
マリスの注目したナハダツ人は、長い枝の先に草を結びつけ、ゾウの目の前に
垂らし、時々同じ物を彼らの口に運んでやったりしている。
(ああ、なるほど。あれでゾウを操縦しているのね。餌釣りとは、随分原始的な
方法ね)
マリスは、くすっと笑った。
(で、あちらの西洋風の人たちは、以前あたしが流星軍にいて、ダンとラン・ファと
も一緒に戦った時に、小競り合いした連中と同じだわ。あの人たちは、どうやら傭兵
みたいね。今回は魔道士はいないみたいだけど、それにしても、二〇〇〇人は軽く
いそうだわ。こっちの青竜団は五〇〇人しかいないし、こんな大々的ないくさだとは
聞いてなかったし……う~ん、まあ、なんとかやってみるか! )
ばさばさばさっと音を立てて、マリスが木から滑り降り、副将である中年の男の
ところに向かう。
「どうやら、敵は、今回のいくさは、手を抜いていないようよ」
「いったいどうしたことでしょう? あのような規模の大きなナハダツ軍など、
今まで見たこともございません! 」
副将の表情には、焦りと動揺の色が、はっきりと浮かんでいる。
「すぐに、エリザベス殿下に、援軍の要請をいたしますので、王女殿下は、奥に控え
ておいで下さい」
「その必要はないわ」
マリスのセリフに、周囲の青い甲冑の男たちーー青竜団の騎士たちは、思わず振り
向いた。
「あたしが突破口を切り開いてあげる。指揮は、あなたに任せるわ」
にっこりとそう言う彼女に、大人たちは慌てた。
「何をおっしゃいます、王女殿下! 殿下にもしものことがあれば、陛下に何と
……! 」
マリスは、くすくす笑った。
(ハヤブサ団のみんなも、あたしが特攻隊を勤める時、こうやって心配してたっけ)
マリスは懐かしさを噛み締めてから、ひらりと彼女専用の白いウマに飛び乗った。
「大丈夫! あたしには、戦いの神がついてるの! 」
自分でもなぜそんなことを言ったのか、よくはわかっていなかった彼女だが、
今はそのような気がしていた。
白いウマは、騎士たちの止める間もなく、勢いよく駆け出した。
前方の兵士たちの間では、すでに戦闘は始まっていた。
精鋭を集めた青竜団ではあっても、数では圧倒的にナハダツ兵の方がまさっている。
ベアトリクス兵ひとりにつき、三~四人ものナハダツ兵が、取り囲む。
ウマから引き摺り降ろされて、槍攻めにあう者もいれば、剣で斬り付けられ、
そこへ多勢の敵に襲いかかられ、断末魔の悲鳴を上げる者も多い。
接触したところから、徐々にベアトリクス軍は追いつめられていたのだった。
「ナハダツ兵、わざわざ仰々しい軍隊など引き連れて、何用か? 」
白馬に乗った銀色の甲冑のマリスが、兜も被らずに、その美しく輝く髪を風になび
かせ、飛んで来る弓矢を、剣ではたき落としながら、声を張り上げた。
そこは、敵の大将を守る、親衛隊の並ぶところであった。
マリスは身軽にウマを操り、敵の中をくぐり抜け、そのような中心にまで、ひとり
で攻め入っていた。
青竜団の副将たちも慌てて彼女を追うが、敵に阻まれ、なかなか進めないでいる。
「なんだぁ、小娘? 」
褐色の皮膚をした角張った体型の男、今回のいくさで総指揮を取る将軍であるその
男は、黒い縮れた髭を口の周りと頬に生やし、迫力のある眼光を、マリスに向けた。
彼こそは、ナハダツ兵の誇る勇猛な武将ダー・ヴァ将軍であった。
「ダー・ヴァだ! ダー・ヴァまでいるぞ! 」
「いったい、どうなっているんだ! 」
ベアトリクス軍がざわめく。
「ベアトリクス兵め。このナハダツに、一気に攻め入るつもりだったのだろうが、
我がナハダツ王は、すべてお見通しだ。ワシの軍隊がある限り、ここからは、一歩も
通さぬ! 覚悟せい! 」
ダー・ヴァは、腰に差した剣を、すらりと引き抜く。
大男に相応しく、その幅広の剣は、平たく広がり、大きなカーブを描いて
いる。盗賊たちの持つ段平を、さらに大きくしたような独自の剣であった。
「王女殿下! 危ないので、お下がりください! 」
ベアトリクス騎士たちがマリスを守ろうと、前に出ようとするのを、マリスが剣で
制した。
「はっ! その剣は……! 」
騎士たちが、息を飲む。
マリスの手にしていた剣は、黄金の柄と、刃の根本に美しい細工の施された、彼女
には大きく重い剣ーーロング・ブレードであった。
「これは、我が父ベアトリクス王グレゴリウス三世の剣! この剣を、娘である私
マリス・アル・ティアナ・ベアトリクスが引き継いだと同時に、我がベアトリクスに
勝利を約束することを、ここに誓う! 」
マリスが剣を頭上にかざす。
太陽の光が、剣の刃に反射した。
マリスの髪と剣は黄金色に輝き、銀色の甲冑も、白馬とともに、まばゆく輝いた。
「おお! このお姿は、まさしく国王陛下……! 」
「グレゴリウス陛下のお姿だ! 」
青竜団騎士たちは歓声を上げた。
(陛下の書斎に飾ってあった剣を、ちょっと拝借して来た甲斐があったわ! これで、
青竜団の士気がちょっとは高まったかしら)
マリスは満足気に笑う。
「ベアトリクス王の娘だと? 」
ナハダツ将軍ダー・ヴァの目は鋭く光った。
「皆の者! 王女を生かして捕らえ、捕虜にし、ベアトリクス王に無条件で降伏させ
るのだ! そうなれば、我がナハダツ国は、聖地を取り戻すだけでなく、大国ベアト
リクスまで占領出来るのだぞ! 」
「ホホーッ! ダア・ナハダツ! ホホーッ! 」
「ホアーッ! ホアーッ! 」
ナハダツ兵たちは、喚起の雄叫びを上げた。
ベアトリクス軍の中には、「けっ! 蛮族が! 」と悪態をつくものは少なく
なかった。
「それじゃあ、お互い士気の高まったところで、戦闘開始っ! 」
「ああっ! 王女殿下! 」
さっそく飛び出していったマリスを、青い甲冑の騎士たちも慌てて追う。
「来るか! 小娘! 」
ダー・ヴァが馬上で段平を構える。
マリスがひらりと、ウマごと飛び上がり、ダー・ヴァの頭上を軽く飛び越えた。
巨体を持つダー・ヴァは、乗っているウマも普通の者より相当に大きく、ウマに
乗ったマリスを優に越える高さであったにもかかわらず、彼女は、それをいとも簡単
にウマごと飛び越えたのだった。
ダー・ヴァ率いるナハダツ軍と、彼女を援護していたベアトリクス軍も、目を疑い、
動きが止まるが、そんなことは気にも留めず、地面に降り立ったマリスは、そのまま
ウマを走らせ、首だけを後ろに向けた。
「おじさんの相手は、後でね! 」
ウィンクしてそう言うと、既にナハダツ兵たちを馬上から蹴り落とし始めた。
「……信じられぬ……! ウマで、このワシを飛び越えるとは……! 」
これには、ベアトリクス軍ですら、目を剥いていた。
「……神だ! 王女殿下には、神がついているのだ! 」
誰かがそう叫ぶと、口々にそのように叫び始め、マリスに続き、ナハダツ兵の中
へと、突っ込んでいったのであった。
(な~にが神なもんか。種明かしは簡単さ。姫は『浮遊』の呪文をうまく使ったのさ)
いくさの様子を空中に浮かんで見下ろしているギルシュは、ふわりと高い木の枝に
舞い降りた。
心配しているセルフィスに頼まれたということもあったが、彼自身まだ見ぬ本格的
なマリスの戦闘ぶりには、大変な興味があった。
(もしかしたら、今日こそ、わかるかも知れない。王女を覆っている、あの金色の
オーラの謎がーー! )
表情には出さねど、ギルシュは、この戦闘には、かなり期待に胸を膨らませていた
のだった。
「うわあああっ! 」
「ホエーッ! 」
ナハダツ兵の絶叫があちこちで起こる。
白馬に乗った銀の甲冑の、通り抜けた後には、立っているものなど、ウマも人も
含め、存在していなかった。
まさに、疾風のように駆け抜けていくマリスは、もはや、誰も止められはしない。
近付くものは、弾き返されるように、吹き飛んでいく。
その彼女が、自らウマを止めた。巨大なゾウの前で。
馬上のマリスの三倍以上もの高さから、じろりとゾウの目が彼女を見下ろす。
間近で見ると、その皮膚は黒く鉄のような色をして、固く、鎧の役割をしているの
がわかる。
踏みつぶされている兵士は、ベアトリクス軍、ナハダツ軍に限らず、既にいた。
「お前は、向こうで待っていて」
マリスは、白いウマの首を撫でて言い聞かせ、飛び上がると同時に、ウマを安全な
方へと走らせた。
ひらりと、簡単にゾウの背に飛び移った彼女が、兵士から餌を吊るした棒を引った
くり、兵士を蹴落とすと、ゾウの目の前に餌を吊るし、尻を剣で叩き、他のゾウ
目がけて、突進させた。
パオ~ン!
ゾウは、一声叫び、驚いて走り出した。
「うわ~! パオパオが乗っ取られた! 」
他のゾウに乗っていたナハダツ兵たちは、マリスのゾウの勢いに驚き、逃げようと、
慌てて方向転換するが、間に合わない。
「こんな邪魔なモン、連れてくんじゃないわよーっ! 」
「うわあああーっ! 」
体当たりされたゾウはよろめき、物凄い地響きを立て、地面に倒れ込んだ。その
拍子に、足元にいたナハダツ兵たちが下敷きとなる。
「今度は、そっちに行くわよーっ! 」
「ひゃあああーっ! く、来るなああああーっ! 」
マリスのゾウは、他のゾウが逃げるよりも早く、突進していく。
体当たりされたゾウは、次々と倒され、その巨大な身体ゆえ、起き上がるのは
並大抵ではなく、その上、ほとんどのゾウが怪我をしてしまい、もう戦闘には使えな
かった。
(『光速』の呪文ですね。ま、ゾウだから、速さ的には、あんなもんでしょう)
ギルシュはおかしそうに、マリスのゾウを目で追っていた。
圧倒的人数であったナハダツ軍は、自分たちの用意した巨大動物が仇となり、
ほぼ壊滅的なダメージを負うことになった。
西洋風のなりをしたナハダツ軍の雇った傭兵たちも、潰されてはかなわないと、
逃げ出している。
「ご苦労さん。もうあなたは用済みよ」
ぶんぶんと、紐で縛った餌を振り回し、マリスは軽く呪文を唱えて、遠くに放り
投げた。と同時に、ゾウの背から舞い降りる。
ゾウは、餌目がけて、地響きを立て、そのまま、遠距離を飛ぶ餌を追いかけて
いってしまった。
「さーて、ダー・ヴァ将軍とやら、どう致します? 」
マリスが、敵の武将の前に立ち塞がり、腕を腰に当てて、笑いかけた。
「これで、人数的には、ほぼ同じになったわ。だけど、実力は、どっちが上か、もう
おわかりでしょう? 」
「おのれ、生意気な小娘め! 勝負はこれからじゃ。目に物見せてくれるわ! 」
ダー・ヴァは、血のついた剣を、一振りした。
即座に、マリスの剣が受ける。
続いて、ダー・ヴァが、力任せに振り下ろすが、マリスはいとも簡単に、それを
弾いた。
繰り返すうちに、ダー・ヴァの額に、少しずつ汗が浮かぶ。ナハダツの勇猛武将で
ある彼は今、自分の不利を、徐々に感じ取っていた。このような経験は、初めてと
いってよかっただろう。
マリスは何突き目かのダー・ヴァの剣を、ひらりと躱したと同時に、背後に回り
込み、彼の剣を持つ腕を掴み、自分の剣を、彼の喉元に当てた。
それは、一瞬の出来事であり、マリスに押さえつけられた男の太い腕は、信じられ
ないことに、びくともしなかった。
「なっ、なんじゃ、この小娘は!? なんという力だ! このワシが、この程度で、
身動きが取れんとは……! 」
ダー・ヴァの額に、冷や汗が流れ、手から、ぽろりと段平が落ちる。
「ナハダツ兵よ、ダー・ヴァ将軍の身柄は、預かった。武器を捨て、降伏し、
おとなしく、こちらの条件を飲んでもらおうか! 」
マリスが将軍を抱えたまま、ウマの向きをナハダツ兵たちに向けた。
「ハイヤー! ダア、ダー・ヴァ! 」
「ヒアー! ヒアー! 」
ナハダツ族たちは、おろおろし始め、逃げ回る者もいたが、その他の者は、武器を
捨てて、悔しそうに跪いたのだった。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのか、小娘が! ブーディラの神に、
見放されるぞ! 」
憎々し気に、武将ダー・ヴァが、顔を後ろに向かせ、マリスに罵声を浴びせた。
マリスは眉間に皺を寄せた。
「はあ? 何言ってんのよ? ブーなんとかがどうしたですって? 」
「こっ、このバチ当たりが! 」
マリスは、それ以上彼に取り合うのをやめた。
「ナハダツ国民は、ベアトリクス領地であるマドレイ鉱山から速やかに撤退し、
また建造物も取り壊すことを、ここに誓うとともに、今後、我が国への不法侵入は
禁止する。ベアトリクス国王代行エリザベス・アル・フランソワ・アークラント」
ベアトリクス軍青竜団副将が、証書を読み上げた。
「これを、そちらの国王陛下にお渡しします。お返事をいただくまで、あなたたちの
身柄を拘束するわ」
マリスの指図で、ベアトリクス騎士たちは、次々とロープで、ナハダツ軍を縛り
上げていく。
「放せ! 無礼者! 誇り高きブーディラの使徒に、何をする! 」
「こんなことをして、本当にいいと思っているのか!? 地獄へ堕ちるぞ! 」
ナハダツ兵は、口々にベアトリクス兵を罵るが、ベアトリクス兵たちは
眉をひそめただけで、なんのことか意味はわからなかった。
マドレイ鉱山の警備隊ならば、多少の意味は通じたであろうが。




